皆さんも手洗いうがい、部屋の換気等はしっかりして、体調にはお気を付けてお過ごしください。
ウェイバー・ベルベットは聖杯戦争の存在を知ってから、自らの師が召喚する英霊の触媒を盗んで英霊召喚の儀式を行うまでは至福の時間であった。自らが書き上げた論文を一瞥しただけで破り捨てた師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの鼻を明かしてやったのだ。
召喚する英霊もかの征服王イスカンダル。時計塔の歴史に名を残すであろう自分にふさわしい大英雄だ。
しかし、ウェイバーの至福はそこまであった。ライダークラスとして召喚されたかの征服王は、凡百の魔術師でしかないウェイバーではとても手綱を握る事など出来なかったのだ。しかも抗議の声を挙げれば、デコピン一発で。黙らされるのだ。
頭脳労働しか出来ないウェイバーでは、サーヴァント相手に身体能力で敵うはずもなくライダーの暴虐には、腹に据えかねていた。しかし聖杯戦争に華々しく勝利し、その栄華を持って時計塔に凱旋するという自身の偉大なる目標の為には、この屈辱も甘んじて受け入れる覚悟であった。
しかし、このライダーというサーヴァント、一度だけウェイバーに宝具を見せてからというのも動く気配が全くない。他のサーヴァント相手の索敵や情報収取も全てウェイバーが使い魔を通して行っている。ありていに言えばライダーに出番がなかった。ならば来るべき戦闘に備えて少しでも魔力の消費を抑えるべきなのだが、あろうことかライダーは霊体化をせず、魔力の消費が激しい実体化をして、ウェイバーの部屋に居座ってただ時間を浪費しているだけだったのだ。
そうやっている間にも、聖杯戦争の状況は動いていた。始まりの御三家の一角、遠坂家のサーヴァントがアサシンのサーヴァントを倒していたのだ。だというのにライダーはそれを聞いても動じる事はなかった。ウェイバーが発破をかけて、ようやく重い腰を上げて夜の冬木の街に向かう程だった。
向かった場所は冬木大橋、しかも鉄橋の上。器の大きさは小市民であるウェイバーにとってそんな超高度な場所で酒盛りをしているライダーの気が狂ったのかと思った。しかも出現したサーヴァント全てを相手にするというのだ。現にセイバー達、三騎の戦闘に殴り込みをかけようとしていた。
「勝利してなお滅ぼさぬ。制覇してなお辱めぬ。それこそが真の征服である!」
ライダーは自らの戦車にウェイバーを乗せて戦場へと飛び出していった。
「各々、武器を収めよ! 王の御前である! 我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した!」
「何を考えていやがりますかぁ! このバカは!」
三騎のサーヴァントの戦いに、戦車に乗って乱入したかと思えば自らの真名を明かしたライダー。流石の御車台に乗るウェイバーが抗議の声を上げるが、デコピンですぐに黙らせられる。
「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡り合わせだが……矛を交えるより先に、まずは問うておくことがある。
ここはひとつ、我が軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば余は貴様らを朋友として遇し、世界を征する愉悦を共に分かち合う所存でおる」
ライダーは聖杯戦争において原則、秘匿するべきサーヴァントの真名を自ら明かすだけでなく、なんと自分の軍門に下って聖杯を譲るように3騎のサーヴァントに迫ったのだ。
「その提案には承諾しかねる。俺が聖杯を捧げるのは、今生にて誓いを交わした新たな君主、ただ一人のみ。断じて貴様ではない、ライダー」
「ふん。征服王イスカンダル。逸話に違わぬ派手な男よな。ただ貴様の戯れ言は置いといてだ。私と愛しき人との時間を邪魔立てするとはよほど死に急ぎたいらしい」
「高みの見物を決め込んでいるだけだと思ったが、いきなりこんな派手に登場するとはな、ライダー。ただお前の提案に意味がない。何故なら私がお前を含めた他の6騎のサーヴァントを全て倒せばお前の軍門に下る必要などないからだ」
三者三様、ライダーの荒唐無稽な提案を切り捨てる。ライダーはなおも食い下がろうとしたが三騎とも「くどい!」と一蹴した。
「それにケルトの戦士は戦わずして敵の軍門に下る事はない。ここにいる三人は生粋のケルトの戦士。勧誘など諦めろ。せめてその戦車で私達をねじ伏せてからにするんだな」
「惜しいなぁ。誠に惜しい……貴様らのような強者が我が軍門に下ればさぞ心強いんだが……」
「当たり前だろ! このお間抜けサーヴァント!」
ウェイバーはただただ自分のサーヴァントの破天荒さに途方に暮れるしかなかった。
「全く……世界は一度、あんな馬鹿に征服されかけたのか。どう思う、セイバー? 君の目から見てライダーは」
キリツグがライフルのスコープ越しに戦場を観察していると、乱心したとしか思えないライダーの言動に呆れていた。念話越しにセイバーに話しかける。
「ふむ。決めつけるには早計だ、マスター。一見、何も考えていないように見えるが、腹の内が見えん。征服王イスカンダルといえば、前線の司令官として戦場では負け知らず。また王として清濁伏せ飲む優れた判断力もあるはずだ。
ここで真名を明かした事はライダーにとっては、弱点足りえないという事。あの挑発に乗って名乗りを上げるサーヴァントが現れれば……といったところか。
あの戦車以外に手札があると見ていいだろう。あの提案自体も、あながち馬鹿には出来ん。例えばマスターと不仲なサーヴァントにとっては、渡りに船といったところか。提案するだけならばライダーにとってリスクはない。もっともここにいるサーヴァントには何ら意味のないものだったがな」
セイバーの答えに確かに自身の判断が軽率だったかと考え直す。敵は人類史に刻まれし大英霊。現代に生きるキリツグの常識では測る事が出来るはずがない。固定観念に囚われると足元をすくわれる恐れがある。
「最も単なる大馬鹿野郎という事も大いにありえるがな」
「ほう。まさか君だったとは、ウェイバー・ベルベット君。一体、何を考えて私の触媒を盗んだかと思えば、まさかその凡百の魔術の才しかない君が聖杯戦争に参加するとはねぇ……よかろう。君にはこの私が特別に課外授業をしてあげようじゃないか。魔術師同士の殺し合いというやつをね」
その声はランサーのマスターだ。そしてウェイバーにはその声に聞き覚えがある。自らの講師だったケイネス・エルメロイ・アーチボルト。幻惑の魔術がかかっており自らの場所を悟られないようにしている。
ウェイバーはその冷たい声に震え上がった。時計塔の名門エルメロイが、サーヴァントの召喚に必要な触媒が盗まれたところで触媒の一つや二つ、用意出来ないはずがない。どうしてそんな簡単な考えに至らなかったのか。戦車の御者台に蹲りながら後悔が脳裏によぎる。
しかし、そんなウェイバーの背中に安心させるようにライダーの大きな手がそっと置かれた。それはウェイバーの身体の震えを止めるには充分だった。
「おう、魔術師よ! さっするに余のマスターは本来、この坊主ではなく貴様だったらしいな。ならば片腹痛いわぁ! 余のマスターは余と肩を並べて、戦場を駆ける勇者でなければならん! 姿をさらす度胸もない臆病者では役者不足も甚だしいわ」
ケイネスの殺気が込められた言葉を鼻で笑い飛ばすライダー。そして辺りを見回し始めた。
「おい! 他にもおるだろうが! 闇夜に紛れて覗き見している輩は! セイバー、キャスター、それにランサーよ! 此度の戦い、誠に見事であった! あれ程の戦いに惹かれた英霊は余一人ではあるまいて!
聖杯に招かれし英霊は今、ここに集うがいい! なおも顔見せに怖気づくような臆病者はこの征服王イスカンダルの侮蔑を避けられぬと知れ!」
(こいつ、ただの馬鹿じゃない。他のサーヴァントを挑発しておびき出す気か! 近くで見ているのは恐らく遠坂の……アーチャーと、アサシン。遠くに別のサーヴァントの気配もするが……アーチャーは間違いなく来る!)
「我を差し置いて王を称する不埒者が湧くとはな」
ライダーの挑発に現われたのは遠坂邸にて、アサシンを倒した黄金のサーヴァントだった。その場にいる他のサーヴァントと比べるもない圧倒的な英雄としての存在感。電灯の上に立ち、腕を組みながら戦場を見下ろすその姿は、数多のケルトの英雄達を見てきたセイバーやキャスターをして、かの戦士王以上の英雄だと、一目で理解出来た。
「難癖つけられたところでイスカンダルたる余は征服王で他ならぬのだがな」
「たわけ、雑種。真の王は天上天下唯一人、この我のみ。後は有象無象の雑種にすぎぬ」
「そこまで言うのならば、貴様も名乗ってみたらどうだ? 王ならば自らの名を告げる事に憚りはすまい。貴様もどこぞの国の王なのだろう?」
「問いを投げるか? 雑種風情が、王たるこの我に向けて? 我が拝謁の栄に浴してなお、この面貌を見知らぬと申すなら、そんな蒙昧は生かしておく価値すら無い……が貴様だけは別だ……セイバー、いや『邪眼の御子』。
その隠れている死の魔眼。その眼だけは流石の我も見た事はない。眼をくりぬき我に差し出せ。片目だけで許してやる。この我の宝物庫に貴様の瞳が納められるのだ。その栄誉に跪け。さすればこの場は貴様だけは逃がしてやろう」
アーチャーは舐めるような視線をセイバーのバイザーに向けながら、背後の空間に黄金の波紋を引き起こし、無数の武具を呼び出していた。
「宝物庫と言ったか、アーチャー? お主の真名、大方想像ついたが……いくらかの英雄王といえど、私の想い人の片目が失われるのを黙って見ている訳にはいかん」
「なるほどなぁ。あの金ぴか、あの英雄王か。ならは、まことに征服しがいがある相手よな。このイスカンダルがその宝物庫の中、全て蹂躙してくれようぞ!」
「かの英雄王が相手……! 相手にとって不足なし! 来るぞ!」
「私も片目を奪われて喜ぶ趣味はないのでな。抵抗させてもらう、アーチャー」
各々のサーヴァントが臨戦態勢をする。アーチャーもその光景を口の端をゆがめて見せた。
「良かろう! 時臣めに任せるだけでは、いささか退屈だったのでな! 我、自らここで真の英雄を選別してくれよう! セイバー、貴様は神によって作られた人形の身から、神殺しを成し遂げた者。我が朋友に匹敵する偉業を成し遂げたのだ。我の期待を裏切ってくれるなよ!」
アーチャーが指を鳴らし背後にある無数の武具を射出しようとした時だった。
「バーサーカー、あいつをやれ! 時臣のアーチャーを殺せぇ!」