「ところでセイバー、貴方はどんな願いを聖杯に望むの? 差しさわりがないなら教えてくれないかしら? セイバーが召喚されてから結構経つのに貴方の事、何も知らないのよ」
セイバー陣営の戦略等の打ち合わせが終わると、ふとアイリスフィールがそんなことを尋ねた。切嗣も気になるのか今回の聖杯戦争の参加者のリストが書かれた書類をめくる手を止めた。
「ふむ。確かに、私はマスターの聖杯への望みを知っているのに私の聖杯への望みは隠したままというのはおかしな話だ……この際、私の望みも話しておこう。恥ずかしながらマスターの望みほど立派なものではない。もう一度、どうして会いたい人物がいる。その人物との再会が私の望みだ。それ以外は何も望まない」
「その会いたい人というのは大切な人だったの?」
「無論だ。こうして死後も聖杯に願う程、未練として残っている」
セイバーが死後も願うほど再会を願う人物。切嗣とアイリスフィールが思い浮かんだのは一人しかいない。
「セイバー、僕が、いや僕達が君の願いも叶えてみせる。安心してくれ。この戦い、僕達は必ず勝つ」
「マスター、少しいいか?」
「なんだ?」
日本へ発つ前日、最後のアインツベルン城での打ち合わせをしていた切嗣は、あまり自分から口を開く事がないセイバーが話しかけてきた。
「冬木では主に私とアイリスフィールが行動を供にして、マスターは単独で行動するのだったな」
「そうだ。既に現地入りしている協力者もいるが……それがどうかしたか?」
「最初は別にそれでも構わなかったのだがな。今はあまりその作戦に賛同できない」
「何故だ? 当初はお前もそれで良いと言っていた筈だ」
切嗣のセイバーを見る目つきが一気に険しくなった。まさかセイバーから当初の戦略を覆す発言が飛び出るとは思わず口調がきつくなる。切嗣とて自らが立てた戦略をこの土壇場で覆されてはたまったものではない。
「少し事情が変わってな。アイリスフィール、正直に話して欲しい……今の身体はいつまで持つ?」
「なっ!? どうしてそれを!」
セイバーの質問にアイリスフィールが驚きの声をあげる。アイリスフィールの正体はセイバーには言っていなかった筈だ。まさか城の者がそんな重大な事を噂話のようにぺらぺら話す訳がない。
「こう見えて魔術の分野に関してはそこらのドルイドよりは腕に覚えがある。キャスター相手でも負けないと自負しているさ。アイリスフィールが普通の人間と違う事はすぐにわかった。そしてこの城にいるホムンクルスともまた違う事もな。それが少し気になって私なりの手段で少し調べさせてもらった。……黙って事を勝手な真似をした事は謝罪しよう」
「……君はアイリスフィールがこの先どうなるのかも分かっているのか?」
アイリスフィールはアインツベルンが総力をあげて造り出された人型の聖杯である。かつて第三次聖杯戦争の最中、聖杯が壊れてしまったという前例からアハト翁が考えた自衛手段を持つ聖杯、それこそがアイリスフィールであった。
「これは私の推測だが、願望機としての聖杯の役割が強くなるならば、人としての機能は失われていくと見ている……当たって欲しくはなかったが、貴方達のその反応を見るに私の推測は当たっていたようだがな」
聖杯が願望機としての役割を果たす際に使われる魔力は英霊の魂である。ならば願望機として完成するまでに、その魔力を貯めておく必要がある。その貯蔵庫がまさにアイリスフィールなのだ。しかしアイリスフィールはその事実に悲観はしていなかった。元々、その為に自分は生まれてきたのだから。愛する人の悲願が叶う為ならば、むしろ本望でもあった。そして切嗣もその死は覚悟している。寧ろその事が分かっていながら、切嗣は、本来聖杯としての役割でしかないアイリスフィールを愛したのだから。
「お前の言う通りだ。アイリは今回の聖杯戦争の為に、人型の聖杯として造られ、やがて無機物の聖杯に置換されていく。そうだ。僕は悲願の為にアイリを犠牲にする……」
一度は何かもを放り投げて、妻と娘と一緒に逃げようと考えた事もあった。何度も悩み考え抜いて、しかし結局のところ、切嗣は自らの理想から逃げられなかったのだ。セイバーはこの選択に何を思うのか。英雄らしくアイリスフィールの犠牲に怒りを抱くのだろうか。しかしセイバーは淡々とそれまでと変わらない態度で言葉を紡いだ。
「それがマスターとアイリスフィールの決断ならば私からは言う事はない。だがアイリスフィールの正体が他の陣営に知られたら切嗣の戦略はリスクが大きいと思っている」
セイバーのその考えは感傷的になっていた切嗣の頭を冷ますには充分だった。
「何、どういう事だ?」
「アイリスフィールの存在が聖杯戦争の盤面を左右する事が他の陣営に知られれば、サーヴァントを使ってでもアイリスフィールの身柄を確保しようとするだろう。しかもアイリスフィールの正体はキャスターのサーヴァントでなくとも、多少魔術に精通した者ならすぐに分かる。御三家の魔術師ならば一目見ただけで、正体に辿り着く可能性があるかもしれない」
実際にセイバーはアイリスフィールの正体を看破している。説得力は充分にあった。特に間桐家の当主、間桐臓硯は、聖杯戦争が初めて開催された時から未だに存命しているのだ。
「……確かにその通りだ。アイリを無理に前線に出す必要はないのか?」
「でもそれなら余計に私はセイバーの側にいるべきじゃないのかしら? サーヴァントが私を狙ってくるならそれこそセイバーしか太刀打ちできないもの」
「そうだ。だから私は、そもそもアイリスフィールの存在を他陣営に秘匿しておく必要があると考えている。幸いにして私は気配を消すルーン魔術の心得がある。それを使ってアイリスフィールが雲隠れして、徹底的に他陣営から存在を隠す」
「確かにその戦略だとアイリは狙われにくくなるだろうが、もし万が一狙われれば誰も助けに行けないぞ。アイリは令呪も持っていないからな」
「その点は安心しろ。私は気配感知スキルを持っている。ある程度離れた場所、そうだな、大体、数キロ単位で離れていてもアイリスフィールの位置は把握できるだろう。もしそれでも心配ならば、護衛をアイリスフィールに付ければいい。確か現地に一人協力者がいるのだろう?」
セイバーの語った内容は確かに理にかなっている。切嗣はこういった戦略を重視した殺し合いを得意としているが、自身が立案した戦略にこだわっていない。もしもそれより正しいと感じた戦略が他にあるのならばそちらを選ぶだろう。まさか過去に生きた誇り高き英霊に提示されるとは思わなかったが。
「いいだろう。もとより僕は最善とする行動を取るだけだ。お前の言う事が正しいならばそちらを選ぶだけさ。アイリ、すまないがここに来て戦略を大幅に見直す事になった。君にも少なくない負担がかかるかもしれないが……」
「私は全然構わないわ。むしろキリツグの方こそ無理しないでね。セイバー、キリツグの事お願いね」
「無論だ。前にも言ったはずだ。この身はその為にあるのだと」
そうしてセイバー陣営はその夜遅くまで戦略についての話し合いが行われたのだった。
翌日、切嗣はアイリスフィールとは別々のルートで、霊体化したセイバーと一緒に冬木に現地入りした。元々セイバーとアイリスフィールが一緒に来る予定だったのだが昨夜の話し合いから、戦略を大幅に見直す必要に迫られ、急遽変更になった。一方アイリスフィールはセイバーが持たせたルーンが刻まれた礼装を持って、現地の協力者である久宇舞弥とともに用意していた隠れ家に向かっている。
久宇舞弥は切嗣がかつて戦場で拾った戦災孤児の娘だ。自身の助手として切嗣の作戦のサポートを担っている。彼女にもセイバーのルーンを持たせて、存在の秘匿を徹底させている。切嗣自身もある程度、闇に潜んで動き回る予定だが、二人には当面、隠れ家から出る事すら禁じてある。その隠れ家自体も住宅街の中心にあり、和風のおよそ魔術師の工房らしくない筒抜けの和風建築の長屋である。しかもその立地は、他の御三家からほんのわずかの距離である。アインツベルンは郊外の森に聖杯戦争の拠点たる屋敷を所有しているが、拠点の割れた場所は危険だと切嗣は考え、敢えて利用しなかったのだ。
舞弥とはここ最近になって普及しだした携帯電話でいつでも連絡を取れるようにしてあるが、次に実際に二人に会うのは、他のサーヴァントを殺し、ある程度、大大的に動き回れるようになった時だ。その頃にアイリスフィールが人の機能を保っていたならばの話だが。
(それで、切嗣。私はいつ頃仕掛ければいい?)
先に現地に来て下調べをしていた舞弥によって狙撃ポイントが書き込まれた冬木の見取り図と実際の街並みを比較する為に切嗣は冬木の町を歩き回っていた。セイバーも戦場となる地形を把握しておきたいとの事で一緒になって確認している。
この街に入った瞬間からいつ戦いが始まるか分かったものではない。既にサーヴァントが昨夜、一騎が脱落している。
だからこそ戦略外の不必要な会話はしない。この日の高い時間帯の暴れる輩はいないであろうが、既に戦地に入ったのだ。気を引き締めておく必要がある。
「既に舞弥から昨夜、遠坂邸で戦闘があったとの報告があった。僕も映像を確認したが、脱落したのはアサシン。倒したのは遠坂のアーチャーらしい。もしそれが本当ならマスターの天敵になりうるアサシンが死んだ事で、穴熊を決め込んでいた各陣営が一斉に動き出すだろう。こちらから無理に仕掛ける必要はないが、誘われたら積極的に戦っていい。お前の実力を見せてもらう」
(了解した。そういう事ならば私の実力、存分にマスターにお見せしよう)
もっとも切嗣は昨夜の戦いがどうにもきな臭いものを感じていた。何しろ、気配遮断のスキルを持つアサシンの奇襲を事前に知っていたかのようにアーチャーのクラスが待ち構えており、そのまま無尽蔵の武具で一方的に殺したのだ。その後、脱落したアサシンのマスター、言峰綺礼は聖杯戦争の監督をしている冬木教会へ逃げ込んだ。正確に言えば、自分の父親、言峰離正が監督役を務めている教会へ、だ。
「言峰綺礼……面倒な事にならなければいいが」
此度の聖杯戦争で切嗣が最も警戒している敵が怪しい動きをしているという事実に、この戦いが一筋縄ではいかない予感を感じとった。
数年前に行ったアンケートの件なんですけど、FGOがやはり人気ですので、Zero編が落ち着いたら書いてみます。でも多分話は大きく変わるのでその辺りはご容赦下さい……