第XXX管理世界の都市XXXXにて、小規模範囲における莫大な魔力を観測。
原因は不明。原因を解明するべく、現地に滞在する時空管理局員は直ちに出動せよ。
「本当にそんなことがあったんですかね、隊長」
「解らん。ミッドチルダみたいに、区画毎に正確なセンサーが設置されているわけじゃないからな」
「はぁ。勧誘はうまくいかないわ、突然の任務は舞い込んでくるわで……」
時空管理局。
次元世界から質量兵器、つまり魔法や科学など問わず大量破壊を生み出す兵器を根絶するために作られた組織。
しかし現在では各管理世界において、世界を移動する犯罪者を取り締まることや、現地の政治及び戦争における和平交渉の仲介役などを執り行っていた。管理局の権威が及ぶ管理世界は百を超え、その行動範囲は実に幅広い。
各次元世界の管理を始めたのは凡そ百五十年前。そこからやがていくつもの組織が吸収、統合されて七十五年に成立。ついには現在の管理局システムが完成された。
時空管理局の現場は、ほぼ完全な実力主義とされている。
いくつもの次元世界にはそれぞれ文化と歴史があり、その影響を管理局発揚の地として本部が設置されているミッドチルダは盛んに受け入れたのだ。
その結果、例え年齢が一桁であろうと実力があれば構わない。逆に言えばそうまでしなければならないほどに組織が増大したともいえよう。
常に慢性的な人手不足に陥った管理局は、管理世界に優秀な人材を求めていた。
男達はそのためにこの管理世界へと、優秀な人材を管理局に取り組むべく足を運んでいた。
結果から言えば任務は失敗。例え十分な報酬や権威が約束されようとも、優秀な人間はあえて残ることも多い。それぞれが守る物がその世界にあるからだろう。
下手に交渉を続けても管理局側の印象が悪化するだけだ。
ただでさえ引き抜きを仕掛けることで有名になったしまっているのだ、管理局は。優秀な人材を引き抜かれる事に、良い思いをするものなどいない。
日常的に行われる管理世界への引き抜き行動は、現地の一部から大きな批判の声が上がっている。
無理をして話をこじらせるわけにはいかない。印象を悪化させてしまっては、来る者も来なくなる。下手に粘っても、返って状況は悪くなる一方だと判断。
男達はミッドチルダへと帰還しようとした矢先、突如現地管理局支部から舞い込んだ指令。明らかに面倒そうな任務を任されてしまったと、男達は肩を落として愚痴を述べる。
「たまたま近くにいたのが俺達だからな、仕方ないだろう。これはあくまで様子見だ」
「じゃないと困りますよ。武装だって大したもの持ってきてないっていうのに、これがロストロギアだった日には……」
ロストロギア。
過去に何らか原因で消失した世界や、滅んだ古代文明で造られた遺物の総称である。
多くのロストロギアは現在技術で解明できぬほどの高度な技術で造られている。
使い方によっては一つの世界を滅ぼすどころか、世界をいくつか巻き込んで消失させる事も可能だ。
危険なロストロギアの存在を確保・管理する事こそ、時空管理局の掲げている最大目標の一つなのだ。
「ロストロギアにしては、随分と平和な気がしますが」
怪訝な顔をする局員に、壮年の男が笑う。
「街の中心部でのロストロギア級の魔力が確認された、だがその割に建物一つ、区画一角吹き飛んだわけでもない。だが行くしかないだろう。むしろ平和だったら万々歳だ」
「早く確認して一杯やりたいもんだ。隊長、そこの区画を右に曲がってください」
局員の一人がデバイスに地図を表示させ、それを元に隊員達を誘導する。
デバイスとは魔導師が魔法使用の補助として用いる機械である。咒式士が魔杖剣を使うように、魔導師はこのデバイスを使用するのだ。
インテリジェンスデバイスと呼ばれる人工知能を有したデバイスも存在するが、彼らが所有しているのは管理局員の大半が所有しているストレージ型のデバイスである。
ストレージデバイスは人工知能が搭載されていない分、処理能力はインテリジェンスよりも高い。
何より安価で使い勝手が良いため、時空管理局の局員は基本的にこのストレージ型を採用、支給されている。
「よし、急ぐぞ。もしかしたら巻き込まれた民間人がいるかもしれない。そこを右か?」
「はい、観測から一分と二十五秒で到着っと」
駆け込むように若い局員が角を曲がる。
「おい、ここだっ!ここで膨大な魔力エネルギーが……っ!」
先行していた隊員の一人が声を上げると共に硬直。
横から見える顔は青く染まり、額からは一筋の汗が流れ出ている。異常を察知した二人が角を曲がるとそこには。
「おい、いったいどうし――――なっ!?」
「大変だ……誰かが巻き込まれているぞ!酷い出血だっ!おい、しっかりしろッ!」
三人の男達が目撃したい光景は想像を逸脱したものであった。
一人の少女が、血の海に沈んでいた。
左手は完全に潰れており、下半身は消失。腰の断面は焼け焦げて炭化している。
さらに少女の周りには一目で重体と解るほどの黄色い体液と、多量の血液の絨毯が広げられていた。
すぐさま一人が報告と共に医療班を要請するべく、通信を開始。加えて残りの二人がすぐさま少女へと駆け寄り、状態を改めて確認する。
近づけば近づくほど、如何に酷い傷を負っているかが詳細に確認出来る。
状態を確認する局員の顔は悲痛なものに変わっていた。生きている事が奇跡だと言っても、過言では無い姿だ。
意識があるのか、管理局員達に向けて安堵の笑みを浮かべる少女。
だがその体は見れば見るほどに痛ましいものであった。
呼吸は既に弱く、楽器が握られていた右手も手の甲が空洞。左腕は欠損、引き千切られるように分断されている。傷口からは神経や骨が露出し、桃色の筋肉が湯気を放っている。
さらに腹部から腸などの臓器が露出。背中の骨は粉砕されているのか、まるで潰された蛙のように少女は地面に伏していた。
「ええ、重傷者が一人!下半身が消失、臓器が外部に露出しており、片腕は完全に潰されちまっているっ!残る手の甲もぐちゃぐちゃだっ!……ああくそったれっ!生きているのが不思議なぐらいだ!早く医療班を……早く!」
「もう大丈夫だ、だから死ぬなっ!死ぬんじゃないっ!すぐに医療魔法が使える者が来る!」
予めデバイスにインストールされていた医療魔法を発動させる。
だが本職ではない彼らの医療魔法では、最早どうしようもないレベルの重体。経験上、この距離では医療班も到着には五分以上かかるだろうと推測する。
恐らくそれまでにこの少女は……。
男は馬鹿な事を考えるなと、必死に頭からその結論を振り払う。自分が諦めてしまったら、一体誰が彼女を救ってやれるのか。
苦しむ人々を救うために、自分は管理局員になったのだ。
そして今、目の前で必死に死と戦っている少女がいる。恐らく自分の一人娘と同い年ぐらいの年齢だろう。
彼女を救えずして何が管理局か、正義か。
己の娘の姿を目の前の少女に重ね合わせ、男は再度この少女を救う決心を固める。
「た、隊長。駄目です、このままでは――――」
「黙れっ!黙って発動し続けろっ!トレミス、医療班の到着予想時間は!?」
「医療班の到着予定は現在時刻から五分二十三秒かかりますっ!くそ、既に致死量に近い出血が確認されているんだ!だからもっと早く医療班を――――」
瞬間、背後から何かが崩れるような音。
ちょうどそれは通信を行っていた男の重量ほどの肉塊が倒れ伏したような音であった。
不自然な声の途切れ、そして一瞬の静寂。
「おい、どうしたんだ……ひっ!?」
位置的に振り返るのが自分よりも早かった局員が、短い悲鳴を上げた。
何事かと首を素早く動かす。
「何が――――なっ!?」
彼は驚愕し、大きくその目を見開いた。
通信を行っていたトレミスはそこに存在していた。
口を大きく開き、涎の飛沫を飛ばして、地面を何度も何度も壊れた玩具のように転がりながら。
眼窩や口、鼻孔や耳孔から血が噴出。
何度も転がっているために顔と服は血液により赤く染まっている。
トレミスは目を大きく見開き、咽を掻き毟っていた。
何度も何度も口を金魚のようにパクパクと動かし、まるで酸素を得られないかのように苦痛に悶えながら地面を何度も左右に転がり続ける。
そしてついには体を投げだし、四肢を痙攣させたトレミス。彼の目は既に焦点が合っておらず、顔は死人のように蒼白。トレミスは明らかに死に瀕していた。
「おい、どうしちまったんだトレミスっ!」
同胞の危機に少女の治療途中であった局員、クリフは治療を中断。堪らずトレミスへと駆け出した。
「止めるんだクリフっ!下がれっ!」
任務の中心であった壮年の男は、瞬時にこれが正体不明の何者かによる攻撃であること理解した。
しかしまだ若く経験が薄いクリフは、それが理解できなかった。
いや、理解したとしても彼は動いていただろう。仲間のことを見捨てることが、心優しい青年であるクリフには出来ない。
そして――――。
「ぐはぁッ!?」
僅か数メートル進んだクリフの口から血が噴出。口の端から血が服に伝い落ちる。
クリフの内臓と肺が破壊されたのだ。
「――――ッ!――――ッ!?」
トレミスと同じように、大地に崩れ落ちるクリフ。
そしてその光景を見て理解した、トレミスへの攻撃は既に終わったのではない。継続して行われているのだと。
恐らくある一定の範囲にのみ作用する魔法なのだ。それも一歩踏みいれば、死に瀕すほどの凶悪なものであることは間違いない。
「くそったれがぁっ!」
既にトレミスは生きてはいない。痙攣していた動きは完全に止まっている。
顔を苦悶の表情に歪めたまま、トレミスは光のない瞳孔が開ききった目で虚空を見つめていた。
トレミスを横目に、即座にバインドと呼ばれる目標を捉える魔法を発動。
クリフの腕を捕らえると共にその体を自分の場所まで引きずり戻す。
これで魔法の発動範囲内からは脱出できたはずだッ!
「おい、しっかりしろっ!クリフっ!」
「――――ッ!」
クリフは死んだトレミスと同じように咽をひたすらに掻き毟っていた。
さらに顔は青白く、耳と目と鼻からは血が溢れ出ている。顔はぱんぱんに腫れ上がり、舌は肥大して外へ伸びきっていた。
「範囲から救出してもこの魔法の脅威は失われないというのか!?」
トレミスもクリフも外部に損傷は見られない。
症状から重度の酸素欠乏症だと判断できるが、ならば何故目や耳から出血しているのだッ!?
クリフと目が合った。
死にたくない、助けて欲しい、苦しいという感情が見て取れる。
涙を流し、自分へと手を伸ばすクリフ。だがその手は空を掴み、地面へと落ちた。
脈は無く、呼吸は停止。涙が伝う瞳は、虚ろなものへと変わり空を見つめていた。
男はクリフの最後を見取るや、その目蓋を素早く閉じさせた。すぐさまバリアジャケットを展開する。
あの最悪の魔法が展開された範囲が不明な点や、その対処方法が未だ確立されていない今。
自分は下手にこの場を動く事が出来ない。いや、動く事が出来なかった。
背後には死に瀕した少女がいる。
体を移動させて退避させようにも、少女は背中から肋骨にかけて押しつぶされている。医学の知識がない自分では、下手に動かす事が出来ないのだ。
もし心臓などの重要な臓器にその砕けた骨が突き刺さってしまえば、彼女を殺す事になるだろう。ならばこの身が出来る事は、一つしか為し得ない。
男は改めて、死ぬ覚悟を固めた。
例え自分が死んでも彼女を守り抜こうという、悲痛な覚悟を決意したのだ。
そしてそれと同時に冷静になった頭が彼に思考を促し始める。
もしやこれが観測された膨大な魔力の原因なのか。ロストロギアの未知の魔法が原因なのか。
いや、そうであれば最初にトレミスがいた場所を通過した自分やクリフが殺されていたはずだ。にもかかわらず、背後で通信を行っていたトレミスが殺されている。
これは明らかに自分たちを狙い、殺しにかかっていた。
「(すまないな、エリナ。俺はここで死ぬかもしれない)」
愛する妻の顔を心に思い浮かべる。
無念の死を遂げたトレミスには、老いた母がいたはずだ。
彼は自らの母を楽にさせるために、管理局に入ったのだと恥ずかしそうに頬をかいていたことを覚えている。
自分の側で倒れ伏しているクリフには恋人がいた。
写真を見せながら、今度の日曜日には彼女の家族に紹介してもらえるのだ。そう言って酒を飲みながら、嬉しそうにトレミスと自分に語っていたのはつい先日のことだ。
二人は死んだ。
もう戻っては来ない。
母親思いのトレミスは死んだ。心優しいクリフは死んだ。母を、恋人を残して死んだ。殺されたのだ。
そして、自分も愛する妻と娘の下にはもう戻れることは無いのかも知れない。
だが最後の一矢、この事態を巻き起こした存在に一矢だけでも突き立てててやらねば気が済まない。何としてでも、彼らの犠牲に報いなければならないのだ。
そう思い周囲を絶え間なく確認し続けた彼は、トレミスの遺体の方角で視線を止める。
トレミスの頭上には一冊の本が浮遊していた。
それは突然粒子と共にトレミスの頭上に出現したのだ。
「(ロストロギア!?)」
彼の目はその異常を確認したことで大きく見開かれる。
古い皮仕立ての本。
本という言葉で思い浮かべるロストロギアは『夜天の書』。
多くの悲劇を巻き起こし、『闇の書事件』を巻き起こしたそれを思い浮かべ、彼は歯を噛み締める。
次に起こった現象は、彼の精神をさらに追い詰めるのには十分であった。
トレミスの体が0と1の数字羅列に分解されて、そのロストロギアと思わしき本に吸収されていく。
思わず呼吸が止まる。
息を吸うことを忘れてしまった。それ程にその光景は衝撃的なものであった。
倒れ伏したトレミスの体は髪、手、足、胴体と次々に0と1の二重螺旋となってロストロギアに取り込まれていく。
あの悪名高い夜天の書でさえ、魔道師が持つ魔力の源であるリンカーコアを取り込むのみであった。命を奪うことがあっても、その体は残されて遺族の下に送られたのだ。
だがあのロストロギアはトレミスの体ごと吸収している。トレミスを量子化し、自らに取り込んでいる。
その事実に身の毛がよだった。カチカチという音が聞こえた。自らの歯が鳴る音だと知るのに、総時間はかからなかった。
呆然とする男を余所に、ロストロギアは最後の指先までトレミスの量子化を完了。
トレミスがそこで死んだ痕跡を最後までを完全に取り込み、後には何も残らない。
次の瞬間、ロストロギアと思われる本の錠前と鎖が解除。
空中に魔法のような組成式が0と1の二重螺旋で構成され、繭のような球体を形成する。
瞬時に己の得物をそれに向けて警戒。
だがその体は、知らず知らずのうちに恐怖で震えていた。今まで感じた事のない恐怖が彼を襲っていた。
球体に亀裂が入り割れる。
内部から現れたのは鱗粉を伴って広げられる蝶のような羽。白い素肌に額と、整った鼻先。そして甘い吐息を吐き出す蕾のような唇が後に続く。
繭の中からは美しい全裸の少女が生まれていた。
それはとても幻想的な光景で、神秘的な美しさがあった。
まるで神話のような生誕。見惚れるような美。だが彼はさらにその身を恐怖で震わせることとなる。
その少女の体が、鉄格子で構成されていたのだ。
そう、少女の体は鳥籠であった。
巨大な鳥籠は乳房と細い腰となり、体の中心には止まり木が用意されていた。その止まり木には黄色いカナリヤがとまっている。
そしてその籠の上、美しい少女の顔に収まるのは……。
「マサカ、アンヘリオデハナク異ナル者ニ呼バレルトハ」
昆虫の複眼であった。
数百もの赤い目が自分を見つめている。
嫌悪感と恐怖に咽は渇ききり、手に持つ杖が震える。
今まで様々な次元犯罪者や事件に関わってきた。中には竜と呼ばれる存在や、人と異なる生態を持った種族も多く存在していた。
だが今、己の目の前にいる存在はそれらに到底当てはまるものではない。もっと別の恐ろしい何かだと、彼の本能は告げていた。
そもそもこれが生き物なのかすら解らない。まだ悪魔や化け物だと言ったほうが説明がつく姿だ。
そしてその化け物が人語を理解し、自分を観察している。一つの目ではなく、数百の目で自分を目視している。
緊張で吐き気が込み上げてくるが、何とかそれを抑えつけながらデバイスを握りしめる。
「確かニ供儀ハ捧ゲラレタ。ダが二人デハマだソノ傷ハ癒セない」
人語で話された言葉は、男の思考を奪った。
何をこの化け物は言っている?
「二人……まさかっ!?」
自分の周囲を確認、クリフの姿が確認できない。
そして理解した。この化け物はトレミスだけではなく、クリフまで喰らったのだ。恐怖が怒りに覆い尽くされ、竦んでいた体が生を取り戻す。
杖を化け物に向けながら、怒りのままに彼は咆えた。
「この化け物めっ!」
「サらニ供儀ヲ捧げヨ」
一刻も早く、この化け物を倒すッ!
そう決意し魔法を発動しようとした、その時であった。
「わかった~取り合えずこいつを殺しちゃえ♪」
瞬間、ローガンの背後から甘えるような少女の声。
同時に電磁電波系第四階位『赫濤灼沸怒(フルフーレ)』がローガンの背中に直撃した。
指向性を持たせたマイクロ波が、ローガンの体内の水分子内で双極子が回転、振動させる。
秒間振動二十四億五千万回のマイクロ波帯電波がローガンを襲ったのだ。
結果、ローガンの体内の水分子は沸騰。目が混濁し、口からは湯気が立ち上る。
徐々に体が倒れていく。既に内部加熱によりローガンは即死していた。
その背後には桃色の光点が二つ。
喜色に濡れた瞳は、倒れ伏した三人の局員を嘲笑っていた。