春の象徴とも呼べる桜も殆ど散り、初夏へと向かっていたある日のこと。その日はにゃんこ先生が八ツ原で夏目組・犬の会(つるつる、牛、ヒノエ達のこと)と朝っぱらから酒を飲みに行ってしまっていて、俺の傍にはいない日だった。
その日も学生として学校に行っていた俺は、家へ帰る道の途中、視界の隅に入ってきたものに足を止めた。
(あれは……)
道の端に長い銀糸の塊がいた。膝(?)をついているのか、和服と素足が見える。人ならざる雰囲気に、――妖だ……と直感した。
すぐに視界からその姿を外す。何もなかったように通り過ぎるのが一番いい。そう思って横を通り過ぎようとしたとき、微かに声が聞こえた。
『ない……ない……ここにも……ない……』
何かを探している様子の妖に思わず足を止めた。よく見ると着物も髪も随分汚れて、ボロボロだった。草をかき分ける手は土で汚れている。
――きっと、長い間探し物をしているのだろう。
「何を、探してるんだ?」
気づけばそう口にしていた。
妖はビクッとした後、恐る恐るといった風に俺のほうを向いた。
しまった―――と思ったが、時すでに遅し。完全に目が合ってしまっている(長髪に顔は隠されているがそう感じる)
『……お前、人の子なのに、僕のことが視えるのか?』
立ち上がって近づいてくる妖に一歩下がれば、慌てたように服をつかまれた。
『ま、待ってほしい。僕はお前にけがをさせようとか、いたずらしてやろうとか、そんなことはこれっぽっちも思ってないし、やるつもりもない! どうか、どうか手伝ってほしい!』
そう言って勢いよく頭を下げた妖に、話は聞くから服を離してほしい、と伝えた。
妖は
春弥が探しているのは、その夫からもらったという玉桜の簪で、普段はそれで髪をまとめていて、それ以外の髪飾りで髪をまとめたくないという。
どのくらい昔かは忘れてしまったが、とてもとても風の強い日に、その風に乗ってやってきたいたずら好きの妖に奪われてしまったという。すぐに夫の妖が叩きのめしたが、最期の悪あがきと言わんばかりに遠くへ放られてしまった。夫は新しい物を用意すると言ってくれたが、春弥は思い出の品である簪をあきらめきれず、山を飛び出してきてしまったのだと。それから山には一度も帰らずにその簪を探しているのだとか。
『長い年月が経ってしまったと思う。でも、今更見つからなかったって言って戻るのが嫌なんだ』
視えない人間には見つからない代物であるというし、どうしてもその簪を取り戻したいのだと。
どうか手伝ってほしいと深く頭を下げる春弥
俺は分かった、と答えるのだった。
もちろんその夜、お酒の臭いを染みつかせたにゃんこ先生には説教された。
……だが、その翌日。
「おい夏目」
難しい顔をしたにゃんこ先生が口を開いた。
「悠紗山の夫婦の妖で、両方とも男体、玉桜の簪というと、一組しかおらん。夫が山の主で、万年桜の妖もの。嫁のほうは明治時代かそこらに、万年桜を気味悪く思った人間がささげたという白子ではなかったか。半世紀ほど前に突然嫁が消えてから、今もなお夫の妖は荒れ狂っているという話を聞いている。祓い屋が何度も退治に行っては返り討されているとか。気をつけろ、これはただの物探しでは終わらんぞ」
いつになく真剣な顔をする先生に、俺は思わず生唾を飲み込むのだった。
7/31、ちょっと修正しました