黒森峰学園艦で躍りましょう   作:まなぶおじさん

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我慢出来ずに書きました。


誕生日企画
7月1日に会いましょう


 戦車道の世界選手となる為に、西住まほが女子大へ入学して半年が経つ。

 当初は慣れないこともあったが、今となっては「居場所」としてすっかり馴染んでしまった。元々黒森峰時代からの同僚が数多く入学していて、周囲からも「流石は西住さん」と期待されていた。何だかんだで、「ライバル」も出来たし。

 

 お陰で、余計なものは一切抱え込んでなどはいない。

 けれど、でも、一番の心の支えとなっているのは――

 

 

 今日も何事も無く大学で授業を受けて、本日もライバルと競い合って、隙あらば恋人のメールを確認して、そうして平々凡々に一日を過ごしていった。

 バスを降り、夕暮れ模様を見て「ふう」とひと息。見慣れた本土の住宅地を歩んでみれば、窓の空いた一軒家からカレーの香りが漂ってくる。西住まほは、微笑を浮かばせながら腹を空かす。

 今日の献立は何だったかな、カレーだといいな。

 うんと背筋を伸ばして、痛める背中を何とか紛らわす。戦車とは同僚の真柄だが、やはりどうしても痛いものは痛い。今日はダージリンに撃たれたせいで、余計に激痛が走っている気がする。週明けになったら、絶対に撃ち返してやろうと心の底から誓った。

 歩いて、横断歩道を渡って、ポケットの中の携帯が震えて、口元を緩ませながら携帯を取り出す――みほからのメールだった。

 

『お誕生日おめでとう、お姉ちゃん!』

 

 ああ――

 そういえば今日は、誕生日だったんだっけ。こうしていつの間にか思い出すのも、自分にとっての毎年恒例だ。

 

『元気にしていますか? 私の方は……お姉ちゃんが、またまたオトナになっていってちょっと寂しいですー』

 

 大人という単語を見て、まほは吹き出しそうになる。頑張れみほ、お前は可愛いから、すぐにでもいい人が見つかるさ。

 

『大学生活は、ダージリンさんからのメールでよくよく伝わっています。本当に楽しそうですね。今日は勝利報告のメールが届いてきました』

 

 露骨に舌打ちする。覚えてろよ。

 

『――一年前は、ほんとうに色々ありましたが、今はとても楽しいです。お姉ちゃんも、青木さんとこれからも仲良く生きていってくださいね。

長文、失礼しました』

 

 ――ありがとう。

 塀に寄りかかり、一年前のことを思い起こす。色々あったなあと、凄かったなあと、出会ったんだなあと、もうそんなに経過していたんだなあと、たくさんのことを想う。

 みほに、お礼の返信を送る。そうしてポケットに携帯をしまって、ほんの少しだけ夏の空気を吸った。

 さて、帰るか。

 

 今日はカレーだといいな。自然と早歩きになって、買い物袋を下げた主婦たちとすれ違って、「まほちゃんこんばんは」「こんばんは、椿さん」、曲がり角を通って、「実家」の戸を開ける。

 夕飯の匂いがした。

 カレーではなかった。

 まあいいか。

 まほは靴を脱いで、まずは家の広間に向かう。今日は油ものかなと、何となく予感して、

 

「おかえりなさい、まほ」

 

 まず目についたのは、テーブルいっぱいの料理だった。次に、ロウソクが乱立したチョコレートマウスケーキに目を奪われる。

 縋るように、両親に目を向、

 

 母が、西住しほが、快く迎えてくれた。

 父が、西住常夫が、無言で笑いかけた。

 

「おかえり、まほ。会いたかったよ」

 

 男が、青木が、当たり前のようにそこにいた。

 

「――え、え!?」

 

 でかい声がもれた。しほと常夫は「成功しましたね」とハイタッチを交わし、男――青木は、えへへと破顔した。

 なんで青木がここに――戦車道履修者としての思考力が、疑惑の念を貫いた。

 自分が誕生日だからと、秘密裏に実家へ潜り込んだに違いない。それも、両親共々の同意を得て。

 なんて男だ。青木の実家は、ここからだと若干遠いくせに。

 

「……まったく」

 

 鼻息をついてやる、青木が「まあまあ」と苦笑する。何となく足元を見てみたが、青木の隣には、当たり前のように座布団が敷かれてあった。

 

「お母様」

「はい?」

「お母様の隣に、座ってもいいですか?」

「あらあら、お母さんはそんな風に育てた覚えはありませんよ」

「悲しいなー」

 

 青木が、露骨にしょげる。自分を驚かせた罰だ。

 これで満足した。

 さて、

 

「皆さん」

 

 母が、父が、恋人が、自分の方を見た。

 

「私の為に――ありがとうございます」

 

 本心から、この言葉を口にした。

 しほが、常夫が、青木が、

 

「十九歳のお誕生日、おめでとうございます!」

 

 拍手と笑顔で、新たな年の門出を迎えてくれた。

 ――青木が、エスコートするように手を伸ばしてくれる。

 

 私は躊躇うことなく、青木の手をとって、隣に座った。

 

 ↓

 

 それからは、無礼講で祝い事が進行していった。チョコレートマウスケーキのロウソクをふっと消して、乾杯して、麦茶を飲んで、ケーキやチキンを好きに食べて、「青木さん、まほはいい子にしていますか?」「してますしてます」

 

 西住まほとは「ときどき」「二人きりで」出会ったりするが、こうして実家にお邪魔するのは一年ぶりだった。

 まほの誕生日前日、しほから電話がかかってきた時は「え、何? 僕ヤバいことしたかな?」と心底怯んだものだが、その用件とは、

 

 ――今日は、お時間はありますか? もしよければ青木さんと、まほの誕生日を祝い合いたいのですが

 一秒後、まずは「絶対に行く」と思考して、

 ――いいんですか? 部外者ですよ? 僕は

 改めて確認して、

 ――構いません。あなたは、家族になる人なのですから

 めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

 ――そういうことがあって、青木は堂々と西住本家で腰を下ろせている。戸の前で「本当にでかいなあ」とビビってしまったが、待ち構えていたらしいしほから「どうぞどうぞ」と快く手招きされた。

 最初こそ、道場たる雰囲気には慣れないものだった。けれどテーブルの上を見て、常夫と男の出会いを交わして、しほから「さあ、どうぞ」と座布団に促されて――気づけば、すっかり西住家の一員になっていた。

 学園艦の都合により、西住みほがいないのは残念だったが、

 

「これは……みほからか! ほう、可愛いなあこいつ」

 

 まほが、くまのぬいぐるみを――ボコというらしい――嬉しそうに掲げてみせる。いざとなったら抱き締められるぐらい、ボコは大きかった。

 

「私からは、これを」

 

 しほが、ひと箱をまほへ手渡す。まほが「はて」と首をかしげ、おそるおそる蓋を開けてみせて、

 

「こ、これっ」

「ファッションには疎い私ですが、あなたに似合いそうな靴を選んでみました」

 

 箱から靴を、黒いパンプスを取り出してみせる。光り輝く宝物を見るような目で、何もかもが抑えきれていない表情のまま、まほはずっとずっと、しほが選んでくれたパンプスをみつめている。

 

「これは……た、高かったでしょうっ?」

「気にするのは値段じゃなくて、青木さんでしょう?」

「……上手くないですからね」

「ざんねん」

 

 しほが青木を見て、くすりと微笑みかける。わかりました、今度デートします。

 ――次に常夫が、まほに本を手渡す。年季が入っているらしいのか、カバーが若干色あせているように見えた。

 まほが「ふむ」と本の表紙を見る。だいたい0.5秒は、そのままのまほでいて、

 

「こ、これはッ!!」

 

 0.5秒後、まほは戦車道履修者の顔つきになった。ページを力強くめくっていって、「これは」とか「すごいダメージだ」とか「貴重な一枚だな」とか、感嘆を以てして感想を口にしている。

 表紙を覗き見してみたが、青木は「ああ」と納得した。

 

「数十年前に発行された、パンターの写真集ですが……気に入っていただけましたか?」

「はい! もちろんです!」

 

 目をギラつかせながら、白黒の写真を、解説文から決して目を離さない。まるで男の子のような顔つきに、青木はくすりと微笑んでしまう。

 ほんとう、戦車道が好きなんだな――そんなまほのことが、青木は好きだった。

 

「青木さん」

 

 しほから声をかけられ、青木がびくりと体を震わせる。

 

「出番ですよ」

 

 出番、

 ああそうだそうだと、青木が鞄を漁り始め、

 

「まほ」

「ん? あ、ああ悪い。何だ?」

「これ、プレゼント」

 

 まほが「おっ」と目を丸くする。箱を手渡してみて、そっと蓋を開けて、

 

「これ――」

「うん、レザーグローブ。どうかな?」

 

 もちろん、「戦車道履修者愛用の」レザーグローブだ。買い先は、黒森峰学園艦の戦車道専用ショップ。

 誕生日の一週間前に注文していたのだが、いざ届いた時は「いい年季っぷりですなー」と手に持って喜んでいた。履修者でもないくせに。

 

「……なあ」

「はい?」

 

 まほが、顔をずいっと近づけてくる。鋭い眼光を目の当たりにされて、心臓が跳ね上がるかと思う。

 

「これ、いくらした」

「へ!? えー、千円くらい?」

「嘘をつくな。私にはな、ちゃんとわかっているんだからな」

 

 真面目だなあ、と思う。だからこそ、黒森峰戦車隊隊長を全う出来たのだと思う。

 

「えー、つまり?」

「……覚悟するように」

 

 まほの口元が、柔らかく曲がる。

 そうして、レザーグローブを目の前で履いてみせた。

 

「……青木」

「うん?」

「――ありがとう」

 

 祈るように、まほが両手を重ねた。瞳を、海のように揺らしながら。

 ドックタグが、光った気がした。

 

「いいわねえ」

 

 はっと、青木とまほがしほを見る。

 

「二人きりに、なります?」

「別にいいです! さ、さ、続きをしましょうッ!」

 

 テーブルの上には、まだまだ夕飯の大群が待ち構えられている。これらを食べ終えるまで、祝い事は終わらない。

 

 ↓

 

「聞いてくれ、青木」

 

 鶏肉の骨を、皿の上にからんと置きながら、

 

「大学生活は楽しいんだけどな、」

 

 だけどな。その一言で、青木は一秒もかからず察した。

 

「うん。ダージリンさんだっけ?」

 

 戦車道の強豪校、聖グロリアーナ女学院の戦車隊隊長、だった人だ。とにかく戦術眼に優れていて、まほも「ダージリンは強かった」と認めている。

 そのダージリンは、戦車道に力を注いでいる大学――まほと同じ女子大へ入学したらしいのだが、幸いなことに、まほとダージリンの相性は「良好」だった。

 そのためか、まほからはしょっちゅうダージリンとの「交流報告」を聞かされている。

 

「そうそう。今日も、戦車道の授業でダージリンに負けてしまってな……よりにもよって、今日という日に」

「でも、勝率は五分五分なんでしょ?」

 

 まほが「そうそう」と二度頷いて、

 

「だからこそ、余計にこう……むず痒いんだっ。あいつにだけは負けたくないのに」

「まあまあ、いいじゃない。ライバルがいていいなあ、青春してるね」

 

 しほも、笑いながら「いい学生生活を、送っているようですね」と呟く。常夫は見守るように、会話に耳を傾けていた。

 青木は箸を伸ばして、エビフライを齧り出す。

 

「何が青春だ。あいつとは、闘争しあう間柄でしかない」

 

 隙も油断もあったものではない、まほの眼光。

 しほと常夫の表情が曇るが、青木は「ええとですね」と苦笑する。

 

「料理、ダンス、ジャグリング、お茶当て、戦車シルエットクイズ、砲弾投げ……これだけ競い合っているはずなのに、なのに」

 

 へ。

 しほと常夫の口から、それだけが出た。

 

「五分五分の勝率、なんでしょ?」

「そう。認めたくないがな、ああ認めたくないがな、あいつとは変なところで息ぴったりなんだ。もちろん、認めるつもりはないがな」

 

 なーんだ。しほと常夫から、そう聞こえた気がした。

 ――ダージリンとは、つまりは「そういう関係」なのだ。ケンカはするが傷つけはしない、勝ちも負けもするが貶めたりはしない、追い越すのは私「だけしかいない」と認め合っているような、そんな仲。

 だから一度たりとも、まほのメールから、口から、「嫌い」という一言を聞いたことがない。

 

「まほ」

「ん」

「まほは強いから、きっといつか勝てるよ、ダージリンさんに」

「青木」

 

 いいことを言えたのだと思う。だからまほは、安堵に満ちた微笑を浮かばせて、

 

「……青木」

 

 次の瞬間、まほが無念そうに両目をつむった。うつむいてまで。

 一体どうしたのだろう。一同が、まほめがけ顔を覗かせる。

 

「あいつな」

「うん」

 

 そして、まほは長く長くため息をついて、

 

「最近、のろけ話をよくよく聞かせてくるんだ」

 

 間。

 

「のろけって、つまり?」

 

 まほが、「うん」と頷く。続けて、「まあ、モテてもおかしくなかったしな」と一言。

 

「――彼氏とは、そんなに距離は離れていないらしくて、暇さえあればちょくちょく出会っているらしい。かれこれ何度も何度もデート話を聞かされたが、不満げに語られたことは一度もない」

 

 まほが、かっ食らうように麦茶を飲む。

 コップの中身が、空になった。

 

「えーっと……ダージリンさんとは、『そういったところでも』五分五分と?」

「……五分五分というか」

 

 しほが嬉しそうな顔をしながら、コップに麦茶を注いでいく。

 

「なんだろうな。こう、とてつもなく寂しくなったんだ」

「え、なんで」

「それはお前の事が、」

 

 まほの勢いは、そこまでだった。

 青木が真顔で、疑問の念を発する。しほは「あらあら」と頬に手を当て、常夫は両腕を組んで沈黙を保っていた。

 

「そ、それは、その」

「うん」

 

 そこで、まほから上目遣いをされた。頬を赤く染めて、まるで怯えるように。

 青木の体全体が、強張る。

 

「……す、すき」

 

 青木の血液が沸騰して、

 

「いやっ、大好きだからに決まっているだろうっ」

 

 蒸発した。

 僕は死ぬ。

 

「……だから、あいつの幸せそうな顔を見るたびに、私は……羨んでしまう」

「まほ」

「あいつは、全く悪くはないんだがな」

 

 どうしようどうしようと周囲を見渡す。しほは笑顔で見守るだけ、常夫は親指まで立てている。

 強い信頼が痛い。まほとはいずれ「男女として結ばれる」のだから、こういったことも二人で解決してみせろ、ということなのだろう。

 しほと常夫相手だからこそ、無言の主張に抗えるはずがなかった。

 青木は観念し、何かないかと眼球を振り回す。一方まほは、「青木が近くにいたらな……」と、切なさそうに呟く。

 

 男として、まほを何とかしてあげたかった。

 だから青木は、

 

「まほ」

「うん?」

「はい、ケーキ」

 

 チョコレートマウスケーキの一部を、フォークで突き刺す。そのまま、まほの口元へ、

 

「甘いものを、まほの為のケーキを食べて、元気を出して」

「あ……う、うん」

 

 大人しくなったまほが、差し出されたマウスケーキを口の中に入れる。

 何度も何度も噛んでいって、そのうち小さく息をついて、麦茶を飲んで、にこりと笑って、

 

「すまない。……助かった」

「いや。……変な話になるけれど、僕の為にここまで感情的になってくれて、とても嬉しかった」

 

 まほが「当たり前だろ?」と前置きして、

 

「お前のお陰で、みんな元通りになったんだから」

「何度も言うけど、それは、」

 

 まほが、首を横に振るう。

 

「そう、思わせてくれ」

 

 そんなことを言われたら、頷くしかないじゃないか。

 

「心は鋼のつもりだが、恋となるとどうしても脆くなってしまう。恋とは怪物だな」

「わかる」

 

 青木は、そっと返事をした後で、

 

「ねえ、まほ」

「ん?」

 

 まほが、まばたきをする。じっと見つめられて、今更ながら近い距離感を意識してしまう。

 落ち着く為に、まずは麦茶を一口。

 

「確かに、ダージリンさんとその彼氏さんは……よく、直接的に出会えているかもしれない」

「うん」

「けど、さ」

 

 自然と、笑みがこぼれと思う。

 

「僕たちには、文通があるじゃない」

「――あ」

「文通は、現実世界に想いを残せる。だから僕たちは、文通を続けているじゃないか」

 

 一年前を、まほの横顔を、思い出す。

 

 みほが転校していった後、青木は「残念だ」と思いながらグラウンドを走り回っていた。警察官になる為に、黒森峰学園艦の人々を守りたいが為に。

 やっていたことはといえば、それだけだ。それだけなのに、青木は「見て」しまったのだ。

 

 格納庫の中で、うつむきながらで、みほの戦車に手を当てているまほの横顔を。

 

 あの時に見えた、感情溢れた無表情は決して忘れない。

 あの時に覚えた、救いたいという感情は絶対忘れない。

 あの時に奪われた、青木の恋心は決して絶対消えない。

 

 だから青木は、友人とともに必死こいて頭を働かせた。恋という不慣れな事態にあたふたしながらも、どうすれば救えるのかを思考して、辿り着いた答えが、

 

 メール……もとい、ファンレターなんてどうだ?

 

 友人の、この一言がなかったら、今頃はここにはいなかった。絶対に。

 ――だから青木は、早速とばかりに「ファンレター」を書いた。あなたは立派だからこそ、体を休めて、遊ぶべきだと。

 今考えてみれば、本当に思い切ったことを書いたと思う。けれど世の中は上手く回るもので、まほからは「ありがとうございます」と返事が返ってきたのだ。

 それ以降、まほとは文通をする仲になった。励まし合って、時にはデートをして、相談相手になって、親とケンカして、みんな元通りになって、正直に泣いてくれて、

 

 ほんとう、色々なことがあった。

 だから今も、文通をやめられずにいる。これが、僕とまほの絆の形だから。

 

「……そうだったな」

 

 まほが、青木の目だけを間違いなく見て、

 

「そうだったな」

 

 微笑んでくれた。

 十分、だった。

 

「――青木さん」

 

 しほから声をかけられて、「あ」と声が出た。

 嬉し恥ずかしい感情を孕んだまま、しほの嬉しそうな顔と目が合った。

 

「これからもどうか、まほのことを、よろしくお願いします」

 

 二度、三度、青木は小さく頷いて、そして、

 

「はい。僕が必ず、まほを幸せにします」

 

 まほが、青木のコップに麦茶を注ぐ。それを手に持って、青木に掲げて、

 

「もう、幸せだ」

 

 ありがとう。

 コップを受け取り、麦茶を遅く、遅く飲んだ。

 

 ↓

 

 誕生日に平和が訪れれば、後は飲めや食えやの大騒ぎをするしかない。

 皿の上には鳥の骨が散らばり、チョコレートマウスケーキもそろそろ陥落寸前。残り少ない枝豆をつまみながら、青木とまほは、しほと常夫のデート話に耳を傾けていた。

 青木は「流石ですねー」と称賛し、しほは「いえいえそんな」と赤面、常夫はピースサイン。一方のまほは、「相合傘か……いいなあ」と頷いていた。チャンスがあれば、今度やってみることにする。

 

 何となく、外を眺める。

 今日は夏らしく晴れていて、星空がよく覗える。虫の音はまだ聞こえてはこないが、そう経たないうちに風物詩となるだろう。祝い事の上機嫌にかられてか、若干の蒸し暑さすら心地良い。

 みんなよく食べるのか、テーブルの上には誕生日の痕跡が残るだけだった。心の中に寂しさが生じるが、

 

「まほ」

「ん?」

「……明日、デートしないかい?」

「ああ、いいぞ」

 

 まほとは、会おうと思えばいつだって会える。時間がなかったら、文通で想いを届ければ良い。

 しほも常夫も、快く笑ってくれた。まほも、待ちきれない感じで「明日、何処に行こうか?」と聞いてくる。さてどうしようかなと、携帯を取り出そうとして、

 

 突如として、携帯の震える音が反響した。

 

 まずは自分の携帯を確認するが、震えてもいない。しほも常夫も携帯を取り出すが、首をかしげるばかり。

 ――まほが「私か」と、携帯を引っ張り出す。画面を見て「みほだ」の一言。

 

「はい」

『あ、もしもし。みほです』

「おお」

 

 まほが、嬉しそうに口元を曲げる。

 音量を最大にしているのか、一同にまでみほの声が聞こえてくる。

 

『今、何してた?』

「誕生日パーティー」

『あー、やっぱりかー。いいなー、私も祝いたかったなー』

「大丈夫。お前の想いは、ボコを通じて伝わった」

『あ、届いたんだ。よかったよかった』

 

 青木が、しほが、常夫が、安堵するように頷いた。

 

『それで、今は誰がいるの?』

「青木と、お母様と、お父様だ」

「へえー」

 

 まほの眉が、ぴくりと動いた。みほの声色の違いを、嗅ぎ付けたらしい。

 

『お姉ちゃん』

「何だ」

『最初に、彼氏の名前を言うんだね。へえー』

「なんだ、悪いのか」

『いいえいいえ。うらやましいなーって思っただけ』

 

 青木が「でへへ」と笑うが、まほから睨まれたので真顔に戻るとする。

 

「だいたい、お前は可愛いんだから、そのうち出会いとかがあるんじゃないのか?」

『えー、そうかなー?』

「そうだとも。姉である私が言うんだ、間違いない」

 

 みほが『だといいなー』と無気力気味に呟く。

 

「お前も三年だ。……そういう時期、なんじゃないか?」

『うーん……そうなのかなぁ』

「そう、そうさ」

『勝者の余裕が、伝わってくるよ。お姉ちゃん』

「お前は、友情に恵まれているじゃないか」

 

 まーねー。みほが、そう返事をした後で、

 

『お姉ちゃん』

「ん?」

『青木さんとは、その、うまくやってる?』

「ああ」

『好き?』

「大好きだ」

『えーと……け、結婚、は?』

 

 まほが、こちらを見る。もちろん青木は、黙って頷いた。

 

「する」

『そっかぁ……』

 

 しほと常夫が、真剣な顔つきのままで、まほの携帯に耳を傾けている。何となく軍隊っぽい雰囲気が伝わってきて、「さすがは西住流」と青木は思った。

 ――その後で、沈黙が。厳密に言えば、みほからの「えと」「あの」「えっとね」「その」がか細く聞こえてくる。最初こそ待ちに入っていたまほだが、次第にじれったくなったのか、

 

「何だ。はっきり言ってみろ、家族だろう?」

 

 最強の許しを口にして、みほが『うーん、じゃあ』と決意表明して、

 

『去年も聞いたけど、青木さんとは、キス、したの?』

 

 どこか遠くで、車の走る音が聞こえてきた。

 まほと、青木と、しほと、常夫は、言葉を閉ざしたままで、同時に麦茶を飲む。飲みきった後は、長く長く息をついて、ほぼ同時期にコップをテーブルの上に置いた。

 

「キスか」

 

 まほが、いつもの無表情で応える。

 青木は、「ある、ここで」と心の中で返答した。

 

「キス、はな……」

『うん』

 

 まほが、青木の目を見て、

 

「あ、あ、あ、い、いや、その、いやー、キス、キスはな……」

 

 まほの顔が真っ赤になって、口に手を添えて、青木とは目も当てられなくなって、けれどやっぱり青木の方を見て、

 普通の、恋する女の子になっていた。

 

『あ、あるの?』

「え!? あ、いやー、その……」

 

 まほが困っているのならば、いつだって自分の番だ。

 だから青木は、まほの背中に手を添えた。縋るように見つめられて、「いいよ」と無言で頷いて、それがまほに伝わって、まほはドックタグネックレスを握りしめた。

 まほが、小さく咳を入れる。水泳中だった目つきが、履修者そのもの真っ直ぐさを取り戻す。

 

「ある」

 

 ――瞬間、視線が青木に殺到した。

 まほは、青木に対して小さく頷いた。しほは、慈悲深い表情で首を縦に振った。常夫は、音を立てずに大きく親指を立てた。

 とてつもなく恥ずかしかったが、すぐに青木は、事態を受け止められた。

 

 まほを抱きしめるのも、キスをするのも、黒森峰学園艦で踊り合うのも、青木とまほからすれば、必然の流れだ。

 だって、まほとは恋人同士なのだから。

 

『……そっか』

「うん」

 

 まほが、静かに肯定する。

 

『お姉ちゃん』

「ん?」

 

 学園艦から、みほの含み笑いが聞こえてきた。

 

『――幸せに、なってください』

 

 学園艦へ、まほの笑顔が届いたと思う。

 

「――うん」

 

 ↓

 

 後はほんの少しだけ、みほがしほと、常夫と雑談を交わしあった。しほは「まほが何やら慌てていましたが、何を話していたのです?」と上手く誤魔化していて、みほは「何でもないよー」とだけ。姉妹同士の会話とは、いつだって秘密であるべきなのだ。

 続いて常夫は、「ああ」とか「うん」としか言わなかったが、みほにとっては十分だったらしく、最後に『元気でね』と締めた。

 青木に関しては――特に、書くことはない。お姉ちゃんのことが好きですか? と聞かれて、「大好きだよ」と言っただけ。

 そうして、みほとの通話が切れた。

 

 ――さて。

 腕時計を見てみるが、すっかり夜遅くまでお邪魔してしまった。チョコレートマウスケーキも無事に陥落したし、まほにプレゼントも渡したし、そろそろ帰ろうかなと鞄を手に取る。

 

「今日は、本当に楽しかったです。まほの誕生会に混ぜていただき、心から感謝しています」

「いえ、そんな。あなたはまほにとって、居なくてはならない人ですから」

 

 青木が、ありがとうございますと一礼する。

 

「まほ。明日は……まあ、適当に歩こう」

「そうしよう」

 

 まほが頷いてくれた。

 これで、心おきなく、

 

「では、食器は私たちがしまっておきます。青木さんは、ゆっくりくつろいでいてくださいね」

 

 常夫が、食器を次から次へと回収していく。まほが、「私も手伝う」と立ち上がる。青木が数回ほどまばたきして、

 

「あの」

「はい?」

 

 しほが、疑問を顔に浮かべる。

 

「僕は、そろそろ帰宅させていただきます。これ以上、長居は出来ませんから」

「え? でも明日は、まほとデートをなさるんですよね?」

「え、ええまあ」

 

 しほが、純粋無垢な母親の笑顔を浮かばせて、

 

「お部屋なら、空いていますよ」

 

 意味なんて、数秒で解してしまったに決まっている。

 しほさん、あなたは「また」そういうことを言うんですか。嬉しいけれど、二度とやってはいけない禁じ手なんじゃないんですか。

 ――ちらりと、まほを見る。

 

「ま、まほが……その、困りますからっ」

 

 しほの首が、まほに向けられる。一方のまほはといえば、逃げるように食器へ視線を傾けていて、口元なんてへの字に曲がっている。

 ――その無言の反応を見て、青木は察することが出来た。だってまほとは、

 

「……青木」

「あ、はい」

「――今日は、どこにもいかないで、欲しい」

 

 まほとは、将来を誓い合った仲なのだから。

 だから、

 

「分かった。今日は、よろしくね」

「ああ」

「着替えは、常夫さんのもので大丈夫ですか?」

「はい。背も、それほど変わりませんし」

「よし、解決だな。後は私たちに、任せろ」

 

 人生が、再び動き出す。

 青木が食器を手にとって、「僕も手伝うよ」と提案する。するとまほから食器を奪われて、「花嫁修業だ」と力強く宣言されてしまった。常夫の方も、しほから「殿方は、ここでおくつろぎを」と手で制されている。

 どうしたものかねと、常夫と目が合う。最初こそ互いに無表情だったが、一種の気楽さが落っこちてきて、自然と苦笑いがこぼれ出てきた。

 常夫が、テーブルの上のリモコンを回収する。電源ボタンを押してみれば、ちょうど良く戦車道関連のニュースが目に入ってきた。今年は、知波単学園が異様な盛り上がりを見せているらしい。

 

 食器の回収の為に、まほが居間に戻ってきた。青木はすかさず、テーブルの上にある食器を回収、そのまままほに手渡す。

 

「ありがとう」

 

 常夫も負けてはいない。しほが居間に戻ってくれば、張り切った動作で食器を重ね、それをしほに手渡すのだ。

 

「ありがとうございます」

 

 しほが、まほが、キッチンへ戻っていく。ちらりと常夫の横顔を眺めて、青木は何となく思う。

 

 きっとこの先も、上手くやっていける。

 近くに居たら、その手を掴もう。離れ離れでも、文を通じて支え合おう。

 恋は、それだけで良いのだ。きっと。

 

「――ふう、終わった」

 

 まほが戻ってくる、世界一愛している人が僕の目の前にいる。

 まほの、鋭くも優しい目が好きだ。まほの、凛々しくも優しい声が心地良い。まほのショートヘアが、何よりの一番だった。まほからの手紙は、いつだって僕を熱くしてくれる。

 まほの胸元で揺れ動く、ドックタグのネックレスが目に映る。

 ――ずっとずっと、片時も想いを手離そうとしない。そんなまほの心に、僕はずっと惹かれていく。

 

「まほ」

「ん?」

 

 ゆっくり立ち上がり、軽く、そっと口づけをする。

 まほは、「あ」と小さく、不安そうに、けれどもやがては微笑んで受け入れてくれて、

 

「青木」

「うん」

 

 また、軽くキスをされた。

 

 7月1日。世界的には何でもなくて、西住家にとっては特別で、僕とまほが出会える、大切な日付だ。

 

 

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは。この前は、私の誕生日を祝ってくださり、本当にありがとうございました。

あなたは遠いところで、警察官になる為に頑張っていますから、正直無理かなあと思っていましたが……やはりあなたは、私の心の支えです。

あなたから貰ったレザーグローブのお陰で、戦車戦でダージリンに勝つことが出来ました。これで勝率はイーブンに逆戻りです。

 

大学選抜チームとなるには、私はまだまだといったところですが……絶対に諦めません。西住流は、これからも前進し続けます。

ですから青木様も、夢をかなえる為に歩み続けてください。西住流に相応しい男になることを、心からお待ちしています。

 

もしも、くじけそうになったら、どこかで会いましょう。

それが、私の望みです』

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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