7月1日に会いましょう
戦車道の世界選手となる為に、西住まほが女子大へ入学して半年が経つ。
当初は慣れないこともあったが、今となっては「居場所」としてすっかり馴染んでしまった。元々黒森峰時代からの同僚が数多く入学していて、周囲からも「流石は西住さん」と期待されていた。何だかんだで、「ライバル」も出来たし。
お陰で、余計なものは一切抱え込んでなどはいない。
けれど、でも、一番の心の支えとなっているのは――
今日も何事も無く大学で授業を受けて、本日もライバルと競い合って、隙あらば恋人のメールを確認して、そうして平々凡々に一日を過ごしていった。
バスを降り、夕暮れ模様を見て「ふう」とひと息。見慣れた本土の住宅地を歩んでみれば、窓の空いた一軒家からカレーの香りが漂ってくる。西住まほは、微笑を浮かばせながら腹を空かす。
今日の献立は何だったかな、カレーだといいな。
うんと背筋を伸ばして、痛める背中を何とか紛らわす。戦車とは同僚の真柄だが、やはりどうしても痛いものは痛い。今日はダージリンに撃たれたせいで、余計に激痛が走っている気がする。週明けになったら、絶対に撃ち返してやろうと心の底から誓った。
歩いて、横断歩道を渡って、ポケットの中の携帯が震えて、口元を緩ませながら携帯を取り出す――みほからのメールだった。
『お誕生日おめでとう、お姉ちゃん!』
ああ――
そういえば今日は、誕生日だったんだっけ。こうしていつの間にか思い出すのも、自分にとっての毎年恒例だ。
『元気にしていますか? 私の方は……お姉ちゃんが、またまたオトナになっていってちょっと寂しいですー』
大人という単語を見て、まほは吹き出しそうになる。頑張れみほ、お前は可愛いから、すぐにでもいい人が見つかるさ。
『大学生活は、ダージリンさんからのメールでよくよく伝わっています。本当に楽しそうですね。今日は勝利報告のメールが届いてきました』
露骨に舌打ちする。覚えてろよ。
『――一年前は、ほんとうに色々ありましたが、今はとても楽しいです。お姉ちゃんも、青木さんとこれからも仲良く生きていってくださいね。
長文、失礼しました』
――ありがとう。
塀に寄りかかり、一年前のことを思い起こす。色々あったなあと、凄かったなあと、出会ったんだなあと、もうそんなに経過していたんだなあと、たくさんのことを想う。
みほに、お礼の返信を送る。そうしてポケットに携帯をしまって、ほんの少しだけ夏の空気を吸った。
さて、帰るか。
今日はカレーだといいな。自然と早歩きになって、買い物袋を下げた主婦たちとすれ違って、「まほちゃんこんばんは」「こんばんは、椿さん」、曲がり角を通って、「実家」の戸を開ける。
夕飯の匂いがした。
カレーではなかった。
まあいいか。
まほは靴を脱いで、まずは家の広間に向かう。今日は油ものかなと、何となく予感して、
「おかえりなさい、まほ」
まず目についたのは、テーブルいっぱいの料理だった。次に、ロウソクが乱立したチョコレートマウスケーキに目を奪われる。
縋るように、両親に目を向、
母が、西住しほが、快く迎えてくれた。
父が、西住常夫が、無言で笑いかけた。
「おかえり、まほ。会いたかったよ」
男が、青木が、当たり前のようにそこにいた。
「――え、え!?」
でかい声がもれた。しほと常夫は「成功しましたね」とハイタッチを交わし、男――青木は、えへへと破顔した。
なんで青木がここに――戦車道履修者としての思考力が、疑惑の念を貫いた。
自分が誕生日だからと、秘密裏に実家へ潜り込んだに違いない。それも、両親共々の同意を得て。
なんて男だ。青木の実家は、ここからだと若干遠いくせに。
「……まったく」
鼻息をついてやる、青木が「まあまあ」と苦笑する。何となく足元を見てみたが、青木の隣には、当たり前のように座布団が敷かれてあった。
「お母様」
「はい?」
「お母様の隣に、座ってもいいですか?」
「あらあら、お母さんはそんな風に育てた覚えはありませんよ」
「悲しいなー」
青木が、露骨にしょげる。自分を驚かせた罰だ。
これで満足した。
さて、
「皆さん」
母が、父が、恋人が、自分の方を見た。
「私の為に――ありがとうございます」
本心から、この言葉を口にした。
しほが、常夫が、青木が、
「十九歳のお誕生日、おめでとうございます!」
拍手と笑顔で、新たな年の門出を迎えてくれた。
――青木が、エスコートするように手を伸ばしてくれる。
私は躊躇うことなく、青木の手をとって、隣に座った。
↓
それからは、無礼講で祝い事が進行していった。チョコレートマウスケーキのロウソクをふっと消して、乾杯して、麦茶を飲んで、ケーキやチキンを好きに食べて、「青木さん、まほはいい子にしていますか?」「してますしてます」
西住まほとは「ときどき」「二人きりで」出会ったりするが、こうして実家にお邪魔するのは一年ぶりだった。
まほの誕生日前日、しほから電話がかかってきた時は「え、何? 僕ヤバいことしたかな?」と心底怯んだものだが、その用件とは、
――今日は、お時間はありますか? もしよければ青木さんと、まほの誕生日を祝い合いたいのですが
一秒後、まずは「絶対に行く」と思考して、
――いいんですか? 部外者ですよ? 僕は
改めて確認して、
――構いません。あなたは、家族になる人なのですから
めちゃくちゃ恥ずかしかった。
――そういうことがあって、青木は堂々と西住本家で腰を下ろせている。戸の前で「本当にでかいなあ」とビビってしまったが、待ち構えていたらしいしほから「どうぞどうぞ」と快く手招きされた。
最初こそ、道場たる雰囲気には慣れないものだった。けれどテーブルの上を見て、常夫と男の出会いを交わして、しほから「さあ、どうぞ」と座布団に促されて――気づけば、すっかり西住家の一員になっていた。
学園艦の都合により、西住みほがいないのは残念だったが、
「これは……みほからか! ほう、可愛いなあこいつ」
まほが、くまのぬいぐるみを――ボコというらしい――嬉しそうに掲げてみせる。いざとなったら抱き締められるぐらい、ボコは大きかった。
「私からは、これを」
しほが、ひと箱をまほへ手渡す。まほが「はて」と首をかしげ、おそるおそる蓋を開けてみせて、
「こ、これっ」
「ファッションには疎い私ですが、あなたに似合いそうな靴を選んでみました」
箱から靴を、黒いパンプスを取り出してみせる。光り輝く宝物を見るような目で、何もかもが抑えきれていない表情のまま、まほはずっとずっと、しほが選んでくれたパンプスをみつめている。
「これは……た、高かったでしょうっ?」
「気にするのは値段じゃなくて、青木さんでしょう?」
「……上手くないですからね」
「ざんねん」
しほが青木を見て、くすりと微笑みかける。わかりました、今度デートします。
――次に常夫が、まほに本を手渡す。年季が入っているらしいのか、カバーが若干色あせているように見えた。
まほが「ふむ」と本の表紙を見る。だいたい0.5秒は、そのままのまほでいて、
「こ、これはッ!!」
0.5秒後、まほは戦車道履修者の顔つきになった。ページを力強くめくっていって、「これは」とか「すごいダメージだ」とか「貴重な一枚だな」とか、感嘆を以てして感想を口にしている。
表紙を覗き見してみたが、青木は「ああ」と納得した。
「数十年前に発行された、パンターの写真集ですが……気に入っていただけましたか?」
「はい! もちろんです!」
目をギラつかせながら、白黒の写真を、解説文から決して目を離さない。まるで男の子のような顔つきに、青木はくすりと微笑んでしまう。
ほんとう、戦車道が好きなんだな――そんなまほのことが、青木は好きだった。
「青木さん」
しほから声をかけられ、青木がびくりと体を震わせる。
「出番ですよ」
出番、
ああそうだそうだと、青木が鞄を漁り始め、
「まほ」
「ん? あ、ああ悪い。何だ?」
「これ、プレゼント」
まほが「おっ」と目を丸くする。箱を手渡してみて、そっと蓋を開けて、
「これ――」
「うん、レザーグローブ。どうかな?」
もちろん、「戦車道履修者愛用の」レザーグローブだ。買い先は、黒森峰学園艦の戦車道専用ショップ。
誕生日の一週間前に注文していたのだが、いざ届いた時は「いい年季っぷりですなー」と手に持って喜んでいた。履修者でもないくせに。
「……なあ」
「はい?」
まほが、顔をずいっと近づけてくる。鋭い眼光を目の当たりにされて、心臓が跳ね上がるかと思う。
「これ、いくらした」
「へ!? えー、千円くらい?」
「嘘をつくな。私にはな、ちゃんとわかっているんだからな」
真面目だなあ、と思う。だからこそ、黒森峰戦車隊隊長を全う出来たのだと思う。
「えー、つまり?」
「……覚悟するように」
まほの口元が、柔らかく曲がる。
そうして、レザーグローブを目の前で履いてみせた。
「……青木」
「うん?」
「――ありがとう」
祈るように、まほが両手を重ねた。瞳を、海のように揺らしながら。
ドックタグが、光った気がした。
「いいわねえ」
はっと、青木とまほがしほを見る。
「二人きりに、なります?」
「別にいいです! さ、さ、続きをしましょうッ!」
テーブルの上には、まだまだ夕飯の大群が待ち構えられている。これらを食べ終えるまで、祝い事は終わらない。
↓
「聞いてくれ、青木」
鶏肉の骨を、皿の上にからんと置きながら、
「大学生活は楽しいんだけどな、」
だけどな。その一言で、青木は一秒もかからず察した。
「うん。ダージリンさんだっけ?」
戦車道の強豪校、聖グロリアーナ女学院の戦車隊隊長、だった人だ。とにかく戦術眼に優れていて、まほも「ダージリンは強かった」と認めている。
そのダージリンは、戦車道に力を注いでいる大学――まほと同じ女子大へ入学したらしいのだが、幸いなことに、まほとダージリンの相性は「良好」だった。
そのためか、まほからはしょっちゅうダージリンとの「交流報告」を聞かされている。
「そうそう。今日も、戦車道の授業でダージリンに負けてしまってな……よりにもよって、今日という日に」
「でも、勝率は五分五分なんでしょ?」
まほが「そうそう」と二度頷いて、
「だからこそ、余計にこう……むず痒いんだっ。あいつにだけは負けたくないのに」
「まあまあ、いいじゃない。ライバルがいていいなあ、青春してるね」
しほも、笑いながら「いい学生生活を、送っているようですね」と呟く。常夫は見守るように、会話に耳を傾けていた。
青木は箸を伸ばして、エビフライを齧り出す。
「何が青春だ。あいつとは、闘争しあう間柄でしかない」
隙も油断もあったものではない、まほの眼光。
しほと常夫の表情が曇るが、青木は「ええとですね」と苦笑する。
「料理、ダンス、ジャグリング、お茶当て、戦車シルエットクイズ、砲弾投げ……これだけ競い合っているはずなのに、なのに」
へ。
しほと常夫の口から、それだけが出た。
「五分五分の勝率、なんでしょ?」
「そう。認めたくないがな、ああ認めたくないがな、あいつとは変なところで息ぴったりなんだ。もちろん、認めるつもりはないがな」
なーんだ。しほと常夫から、そう聞こえた気がした。
――ダージリンとは、つまりは「そういう関係」なのだ。ケンカはするが傷つけはしない、勝ちも負けもするが貶めたりはしない、追い越すのは私「だけしかいない」と認め合っているような、そんな仲。
だから一度たりとも、まほのメールから、口から、「嫌い」という一言を聞いたことがない。
「まほ」
「ん」
「まほは強いから、きっといつか勝てるよ、ダージリンさんに」
「青木」
いいことを言えたのだと思う。だからまほは、安堵に満ちた微笑を浮かばせて、
「……青木」
次の瞬間、まほが無念そうに両目をつむった。うつむいてまで。
一体どうしたのだろう。一同が、まほめがけ顔を覗かせる。
「あいつな」
「うん」
そして、まほは長く長くため息をついて、
「最近、のろけ話をよくよく聞かせてくるんだ」
間。
「のろけって、つまり?」
まほが、「うん」と頷く。続けて、「まあ、モテてもおかしくなかったしな」と一言。
「――彼氏とは、そんなに距離は離れていないらしくて、暇さえあればちょくちょく出会っているらしい。かれこれ何度も何度もデート話を聞かされたが、不満げに語られたことは一度もない」
まほが、かっ食らうように麦茶を飲む。
コップの中身が、空になった。
「えーっと……ダージリンさんとは、『そういったところでも』五分五分と?」
「……五分五分というか」
しほが嬉しそうな顔をしながら、コップに麦茶を注いでいく。
「なんだろうな。こう、とてつもなく寂しくなったんだ」
「え、なんで」
「それはお前の事が、」
まほの勢いは、そこまでだった。
青木が真顔で、疑問の念を発する。しほは「あらあら」と頬に手を当て、常夫は両腕を組んで沈黙を保っていた。
「そ、それは、その」
「うん」
そこで、まほから上目遣いをされた。頬を赤く染めて、まるで怯えるように。
青木の体全体が、強張る。
「……す、すき」
青木の血液が沸騰して、
「いやっ、大好きだからに決まっているだろうっ」
蒸発した。
僕は死ぬ。
「……だから、あいつの幸せそうな顔を見るたびに、私は……羨んでしまう」
「まほ」
「あいつは、全く悪くはないんだがな」
どうしようどうしようと周囲を見渡す。しほは笑顔で見守るだけ、常夫は親指まで立てている。
強い信頼が痛い。まほとはいずれ「男女として結ばれる」のだから、こういったことも二人で解決してみせろ、ということなのだろう。
しほと常夫相手だからこそ、無言の主張に抗えるはずがなかった。
青木は観念し、何かないかと眼球を振り回す。一方まほは、「青木が近くにいたらな……」と、切なさそうに呟く。
男として、まほを何とかしてあげたかった。
だから青木は、
「まほ」
「うん?」
「はい、ケーキ」
チョコレートマウスケーキの一部を、フォークで突き刺す。そのまま、まほの口元へ、
「甘いものを、まほの為のケーキを食べて、元気を出して」
「あ……う、うん」
大人しくなったまほが、差し出されたマウスケーキを口の中に入れる。
何度も何度も噛んでいって、そのうち小さく息をついて、麦茶を飲んで、にこりと笑って、
「すまない。……助かった」
「いや。……変な話になるけれど、僕の為にここまで感情的になってくれて、とても嬉しかった」
まほが「当たり前だろ?」と前置きして、
「お前のお陰で、みんな元通りになったんだから」
「何度も言うけど、それは、」
まほが、首を横に振るう。
「そう、思わせてくれ」
そんなことを言われたら、頷くしかないじゃないか。
「心は鋼のつもりだが、恋となるとどうしても脆くなってしまう。恋とは怪物だな」
「わかる」
青木は、そっと返事をした後で、
「ねえ、まほ」
「ん?」
まほが、まばたきをする。じっと見つめられて、今更ながら近い距離感を意識してしまう。
落ち着く為に、まずは麦茶を一口。
「確かに、ダージリンさんとその彼氏さんは……よく、直接的に出会えているかもしれない」
「うん」
「けど、さ」
自然と、笑みがこぼれと思う。
「僕たちには、文通があるじゃない」
「――あ」
「文通は、現実世界に想いを残せる。だから僕たちは、文通を続けているじゃないか」
一年前を、まほの横顔を、思い出す。
みほが転校していった後、青木は「残念だ」と思いながらグラウンドを走り回っていた。警察官になる為に、黒森峰学園艦の人々を守りたいが為に。
やっていたことはといえば、それだけだ。それだけなのに、青木は「見て」しまったのだ。
格納庫の中で、うつむきながらで、みほの戦車に手を当てているまほの横顔を。
あの時に見えた、感情溢れた無表情は決して忘れない。
あの時に覚えた、救いたいという感情は絶対忘れない。
あの時に奪われた、青木の恋心は決して絶対消えない。
だから青木は、友人とともに必死こいて頭を働かせた。恋という不慣れな事態にあたふたしながらも、どうすれば救えるのかを思考して、辿り着いた答えが、
メール……もとい、ファンレターなんてどうだ?
友人の、この一言がなかったら、今頃はここにはいなかった。絶対に。
――だから青木は、早速とばかりに「ファンレター」を書いた。あなたは立派だからこそ、体を休めて、遊ぶべきだと。
今考えてみれば、本当に思い切ったことを書いたと思う。けれど世の中は上手く回るもので、まほからは「ありがとうございます」と返事が返ってきたのだ。
それ以降、まほとは文通をする仲になった。励まし合って、時にはデートをして、相談相手になって、親とケンカして、みんな元通りになって、正直に泣いてくれて、
ほんとう、色々なことがあった。
だから今も、文通をやめられずにいる。これが、僕とまほの絆の形だから。
「……そうだったな」
まほが、青木の目だけを間違いなく見て、
「そうだったな」
微笑んでくれた。
十分、だった。
「――青木さん」
しほから声をかけられて、「あ」と声が出た。
嬉し恥ずかしい感情を孕んだまま、しほの嬉しそうな顔と目が合った。
「これからもどうか、まほのことを、よろしくお願いします」
二度、三度、青木は小さく頷いて、そして、
「はい。僕が必ず、まほを幸せにします」
まほが、青木のコップに麦茶を注ぐ。それを手に持って、青木に掲げて、
「もう、幸せだ」
ありがとう。
コップを受け取り、麦茶を遅く、遅く飲んだ。
↓
誕生日に平和が訪れれば、後は飲めや食えやの大騒ぎをするしかない。
皿の上には鳥の骨が散らばり、チョコレートマウスケーキもそろそろ陥落寸前。残り少ない枝豆をつまみながら、青木とまほは、しほと常夫のデート話に耳を傾けていた。
青木は「流石ですねー」と称賛し、しほは「いえいえそんな」と赤面、常夫はピースサイン。一方のまほは、「相合傘か……いいなあ」と頷いていた。チャンスがあれば、今度やってみることにする。
何となく、外を眺める。
今日は夏らしく晴れていて、星空がよく覗える。虫の音はまだ聞こえてはこないが、そう経たないうちに風物詩となるだろう。祝い事の上機嫌にかられてか、若干の蒸し暑さすら心地良い。
みんなよく食べるのか、テーブルの上には誕生日の痕跡が残るだけだった。心の中に寂しさが生じるが、
「まほ」
「ん?」
「……明日、デートしないかい?」
「ああ、いいぞ」
まほとは、会おうと思えばいつだって会える。時間がなかったら、文通で想いを届ければ良い。
しほも常夫も、快く笑ってくれた。まほも、待ちきれない感じで「明日、何処に行こうか?」と聞いてくる。さてどうしようかなと、携帯を取り出そうとして、
突如として、携帯の震える音が反響した。
まずは自分の携帯を確認するが、震えてもいない。しほも常夫も携帯を取り出すが、首をかしげるばかり。
――まほが「私か」と、携帯を引っ張り出す。画面を見て「みほだ」の一言。
「はい」
『あ、もしもし。みほです』
「おお」
まほが、嬉しそうに口元を曲げる。
音量を最大にしているのか、一同にまでみほの声が聞こえてくる。
『今、何してた?』
「誕生日パーティー」
『あー、やっぱりかー。いいなー、私も祝いたかったなー』
「大丈夫。お前の想いは、ボコを通じて伝わった」
『あ、届いたんだ。よかったよかった』
青木が、しほが、常夫が、安堵するように頷いた。
『それで、今は誰がいるの?』
「青木と、お母様と、お父様だ」
「へえー」
まほの眉が、ぴくりと動いた。みほの声色の違いを、嗅ぎ付けたらしい。
『お姉ちゃん』
「何だ」
『最初に、彼氏の名前を言うんだね。へえー』
「なんだ、悪いのか」
『いいえいいえ。うらやましいなーって思っただけ』
青木が「でへへ」と笑うが、まほから睨まれたので真顔に戻るとする。
「だいたい、お前は可愛いんだから、そのうち出会いとかがあるんじゃないのか?」
『えー、そうかなー?』
「そうだとも。姉である私が言うんだ、間違いない」
みほが『だといいなー』と無気力気味に呟く。
「お前も三年だ。……そういう時期、なんじゃないか?」
『うーん……そうなのかなぁ』
「そう、そうさ」
『勝者の余裕が、伝わってくるよ。お姉ちゃん』
「お前は、友情に恵まれているじゃないか」
まーねー。みほが、そう返事をした後で、
『お姉ちゃん』
「ん?」
『青木さんとは、その、うまくやってる?』
「ああ」
『好き?』
「大好きだ」
『えーと……け、結婚、は?』
まほが、こちらを見る。もちろん青木は、黙って頷いた。
「する」
『そっかぁ……』
しほと常夫が、真剣な顔つきのままで、まほの携帯に耳を傾けている。何となく軍隊っぽい雰囲気が伝わってきて、「さすがは西住流」と青木は思った。
――その後で、沈黙が。厳密に言えば、みほからの「えと」「あの」「えっとね」「その」がか細く聞こえてくる。最初こそ待ちに入っていたまほだが、次第にじれったくなったのか、
「何だ。はっきり言ってみろ、家族だろう?」
最強の許しを口にして、みほが『うーん、じゃあ』と決意表明して、
『去年も聞いたけど、青木さんとは、キス、したの?』
どこか遠くで、車の走る音が聞こえてきた。
まほと、青木と、しほと、常夫は、言葉を閉ざしたままで、同時に麦茶を飲む。飲みきった後は、長く長く息をついて、ほぼ同時期にコップをテーブルの上に置いた。
「キスか」
まほが、いつもの無表情で応える。
青木は、「ある、ここで」と心の中で返答した。
「キス、はな……」
『うん』
まほが、青木の目を見て、
「あ、あ、あ、い、いや、その、いやー、キス、キスはな……」
まほの顔が真っ赤になって、口に手を添えて、青木とは目も当てられなくなって、けれどやっぱり青木の方を見て、
普通の、恋する女の子になっていた。
『あ、あるの?』
「え!? あ、いやー、その……」
まほが困っているのならば、いつだって自分の番だ。
だから青木は、まほの背中に手を添えた。縋るように見つめられて、「いいよ」と無言で頷いて、それがまほに伝わって、まほはドックタグネックレスを握りしめた。
まほが、小さく咳を入れる。水泳中だった目つきが、履修者そのもの真っ直ぐさを取り戻す。
「ある」
――瞬間、視線が青木に殺到した。
まほは、青木に対して小さく頷いた。しほは、慈悲深い表情で首を縦に振った。常夫は、音を立てずに大きく親指を立てた。
とてつもなく恥ずかしかったが、すぐに青木は、事態を受け止められた。
まほを抱きしめるのも、キスをするのも、黒森峰学園艦で踊り合うのも、青木とまほからすれば、必然の流れだ。
だって、まほとは恋人同士なのだから。
『……そっか』
「うん」
まほが、静かに肯定する。
『お姉ちゃん』
「ん?」
学園艦から、みほの含み笑いが聞こえてきた。
『――幸せに、なってください』
学園艦へ、まほの笑顔が届いたと思う。
「――うん」
↓
後はほんの少しだけ、みほがしほと、常夫と雑談を交わしあった。しほは「まほが何やら慌てていましたが、何を話していたのです?」と上手く誤魔化していて、みほは「何でもないよー」とだけ。姉妹同士の会話とは、いつだって秘密であるべきなのだ。
続いて常夫は、「ああ」とか「うん」としか言わなかったが、みほにとっては十分だったらしく、最後に『元気でね』と締めた。
青木に関しては――特に、書くことはない。お姉ちゃんのことが好きですか? と聞かれて、「大好きだよ」と言っただけ。
そうして、みほとの通話が切れた。
――さて。
腕時計を見てみるが、すっかり夜遅くまでお邪魔してしまった。チョコレートマウスケーキも無事に陥落したし、まほにプレゼントも渡したし、そろそろ帰ろうかなと鞄を手に取る。
「今日は、本当に楽しかったです。まほの誕生会に混ぜていただき、心から感謝しています」
「いえ、そんな。あなたはまほにとって、居なくてはならない人ですから」
青木が、ありがとうございますと一礼する。
「まほ。明日は……まあ、適当に歩こう」
「そうしよう」
まほが頷いてくれた。
これで、心おきなく、
「では、食器は私たちがしまっておきます。青木さんは、ゆっくりくつろいでいてくださいね」
常夫が、食器を次から次へと回収していく。まほが、「私も手伝う」と立ち上がる。青木が数回ほどまばたきして、
「あの」
「はい?」
しほが、疑問を顔に浮かべる。
「僕は、そろそろ帰宅させていただきます。これ以上、長居は出来ませんから」
「え? でも明日は、まほとデートをなさるんですよね?」
「え、ええまあ」
しほが、純粋無垢な母親の笑顔を浮かばせて、
「お部屋なら、空いていますよ」
意味なんて、数秒で解してしまったに決まっている。
しほさん、あなたは「また」そういうことを言うんですか。嬉しいけれど、二度とやってはいけない禁じ手なんじゃないんですか。
――ちらりと、まほを見る。
「ま、まほが……その、困りますからっ」
しほの首が、まほに向けられる。一方のまほはといえば、逃げるように食器へ視線を傾けていて、口元なんてへの字に曲がっている。
――その無言の反応を見て、青木は察することが出来た。だってまほとは、
「……青木」
「あ、はい」
「――今日は、どこにもいかないで、欲しい」
まほとは、将来を誓い合った仲なのだから。
だから、
「分かった。今日は、よろしくね」
「ああ」
「着替えは、常夫さんのもので大丈夫ですか?」
「はい。背も、それほど変わりませんし」
「よし、解決だな。後は私たちに、任せろ」
人生が、再び動き出す。
青木が食器を手にとって、「僕も手伝うよ」と提案する。するとまほから食器を奪われて、「花嫁修業だ」と力強く宣言されてしまった。常夫の方も、しほから「殿方は、ここでおくつろぎを」と手で制されている。
どうしたものかねと、常夫と目が合う。最初こそ互いに無表情だったが、一種の気楽さが落っこちてきて、自然と苦笑いがこぼれ出てきた。
常夫が、テーブルの上のリモコンを回収する。電源ボタンを押してみれば、ちょうど良く戦車道関連のニュースが目に入ってきた。今年は、知波単学園が異様な盛り上がりを見せているらしい。
食器の回収の為に、まほが居間に戻ってきた。青木はすかさず、テーブルの上にある食器を回収、そのまままほに手渡す。
「ありがとう」
常夫も負けてはいない。しほが居間に戻ってくれば、張り切った動作で食器を重ね、それをしほに手渡すのだ。
「ありがとうございます」
しほが、まほが、キッチンへ戻っていく。ちらりと常夫の横顔を眺めて、青木は何となく思う。
きっとこの先も、上手くやっていける。
近くに居たら、その手を掴もう。離れ離れでも、文を通じて支え合おう。
恋は、それだけで良いのだ。きっと。
「――ふう、終わった」
まほが戻ってくる、世界一愛している人が僕の目の前にいる。
まほの、鋭くも優しい目が好きだ。まほの、凛々しくも優しい声が心地良い。まほのショートヘアが、何よりの一番だった。まほからの手紙は、いつだって僕を熱くしてくれる。
まほの胸元で揺れ動く、ドックタグのネックレスが目に映る。
――ずっとずっと、片時も想いを手離そうとしない。そんなまほの心に、僕はずっと惹かれていく。
「まほ」
「ん?」
ゆっくり立ち上がり、軽く、そっと口づけをする。
まほは、「あ」と小さく、不安そうに、けれどもやがては微笑んで受け入れてくれて、
「青木」
「うん」
また、軽くキスをされた。
7月1日。世界的には何でもなくて、西住家にとっては特別で、僕とまほが出会える、大切な日付だ。
差出人西住まほ 青木様宛て
『こんにちは。この前は、私の誕生日を祝ってくださり、本当にありがとうございました。
あなたは遠いところで、警察官になる為に頑張っていますから、正直無理かなあと思っていましたが……やはりあなたは、私の心の支えです。
あなたから貰ったレザーグローブのお陰で、戦車戦でダージリンに勝つことが出来ました。これで勝率はイーブンに逆戻りです。
大学選抜チームとなるには、私はまだまだといったところですが……絶対に諦めません。西住流は、これからも前進し続けます。
ですから青木様も、夢をかなえる為に歩み続けてください。西住流に相応しい男になることを、心からお待ちしています。
もしも、くじけそうになったら、どこかで会いましょう。
それが、私の望みです』
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
ご指摘、ご感想があれば、お気軽にお書きください。