64話/後悔と決意
いつか、あの人が言っていた。
後悔しない生き方は理想だけど、理想は得てして実現不可能だ。
確かに、私の人生は後悔しっぱなしだった。
自分を過信して、そのくせあの人を頼って、挙句には全てを失った。
戻れるならばあの日に戻りたいと、何度思っただろう。
幾年月流れて、その思いは強くなるばかりで。
しかし、幾ら願おうとも叶えられるわけもなくて。自分の無力さに辟易する。
「いやぁ、こんな鉄の塊が動くなんて、驚きだわ」
すれ違う見物人達は、目の前に広がる景色に浮き足立った感想を述べている。
汽車と呼ばれる鉄の塊は、ここ新橋から横浜へと走るらしい。
私はこれに乗って、もう何度目かの横浜へと向かう。
席に座ると少ない手荷物を抱えて、窓の外を見る。どれだけ時代が変わろうとも、人間という生き物の根本は変わらない。一目鉄道というものを見ようと押し寄せた人並み。見慣れないもの、不可解なものに、人は興味を惹かれる。しかしながら、その全てが受け入れられる訳じゃなく、その大半は拒絶されるものだ。
それが長年生きてきた私の持論であり、この世の真理だと思う。
「お隣、よろしいですか?」
走り出した車窓を眺めていると、突然声をかけられた。紫色の綺麗な洋服を着た女性。外国の人だろうか、金色の髪がとても綺麗。
「……えぇ、どうぞ」
「ありがとう」
優雅なその出で立ちに、思わず見とれそうになるのを抑えて、私は席を譲る。
「横浜へは旅行か何かですか?」
「……いえ。人を……探していて」
何故か口から零れたセリフに、自分で驚く。なんで私は初対面のこの人に喋ってしまったのだろう。
「なるほど。どうやらその人はとても大切な方の様ですね」
「そうですね……とても、大切な恩人です」
あの日、私の目の前から忽然と消えてしまったあの人。あの人が居なければ、今の私はいないと断言出来る。
「良ければ、聞かせてもらえませんか?」
「え?」
女性は、何処から出したのか小さな蜜柑を一つ、私に手渡す。
「時間はありますから、思い出話を一つ」
「……そう、ですね」
どれ位かかるのかわからないけれど、思い出話をする位には猶予もあるんじゃないだろうか。
握られた蜜柑からは甘い香りが漂って、どこか懐かしいような気がした。
「……そう。その人はとても凄い方なのね」
「えぇ。私には出来ないような事を平気でして、とても自由な人でした」
少しずつ、私から語られる思い出は、色褪せていた私の世界に色を取り戻していくような。そんな気分になれた。
「とても、楽しそうにお話になるわ」
「そう……ですか?」
「えぇ。お話をしている間、ずっと笑顔でいたもの」
そうなのだろうか。自分でも気付かなかった。
そう言えば、最後に心から笑ったのはいつだったろう。
いつしか固くなっていた筋肉は、久しぶりに使われたからか少し痛い。
「さて、そろそろ着く頃かしら」
どうやら長く話していたようで、景色は変わり、潮の香りが鼻をつく。
港町である横浜に近づいたみたい。
「そうみたいですね。……あっという間でした」
「ふふ。では貴女の大切な思い出を聞かせてもらえたお礼をしなくてわ」
そう言うと、女性は綺麗な顔を近づけてきた。うっすらといい匂いがする。香水、というものだろうか。
「貴女の探し物、きっとこの街で見つかるわ」
「え?」
耳元で告げられた、予言とも言える言葉に私は驚く。この人は何を言っているのだろう。
そもそも、なんで私はこんなにもこの人に話してしまったのだろう。見ず知らずの、ほんの数時間前に出会ったばかりの人に。
「貴女は……いったい」
女性は姿勢を戻し、取り出した扇子を広げた。薄い紫色に染められた綺麗な扇子で口元を隠すその姿は、何処かの絵のように様になっていた。
「私の名前は……」
その瞬間、突然の風が汽車の中を吹き抜けた。
いきなりのことに驚いて目を瞑ってしまい、瞼を開けるとそこに女性の姿は無かった。
余りの出来事に、まさに開いた口が塞がらない状態の私に、何処かから声が聞こえた気がした。
『八雲紫』と。
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「さて、あとはあの人を見つけるだけね」
汽車から下りた私は、近くで待っていた式の藍と合流した。流石九尾の狐、言われた仕事を完璧にこなす。
「ですが紫様。本当にその方はココにいるのでしょうか」
「勿論。どれだけ霊力を隠そうとも、どれだけ神力を隠そうとも、私が見つけられないわけ無いじゃない」
実際は凄く苦労したけれど、式の前では少しくらい強がってみる。
ホントに、あの人が本気で隠れようとしたならば、恐らく普通の方法では見つけられないだろう。なんせ不可能を可能にするのだから。
あの人との約束が、もうすぐ果たせるところまで来た時、日本の何処にもあの人の気配がしない事に気が付いた。
今までならば、何処にいてもあの人の居所は直ぐにわかったし、むしろ探さなくても嫌という程目立つその力は、さすがと言わざるを得ない。
それがプッツリと断たれてしまった。まるで最初から存在しなかったかのように。
胸騒ぎがした私は、必死になってあの人を探したわ。だって、約束は守ってもらわなきゃ。この私を残して居なくなるなんて、絶対に許さない。
方々に手を伸ばし、あらゆる手段を用いて探した結果、どうやらこの横浜にいるとわかったのは、つい先日のこと。
「……ほんとは?」
「……かなり苦労したわ。だってあの天照ですら分からないって言うのよ?!」
あの父親大好きな娘が見失うなんて、本来ならば有り得ないはなし。
そこまでして、あの人は何がしたいのだろう。
「ま、会ってみればわかる事ね」
まったく、人騒がせな師匠だわ。これは会って一言言ってあげないと。
「あの子の為にもね」
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「……いつまで寝てるつもりよ」
心地よい眠りの世界は、頭にくらった1発で見事に崩壊して、俺は現実へと強制的に連れ戻された。
「……んぁ。おはよう」
「……もう昼よ」
どうやら寝過ごしたらしい。窓の外は眩いばかりの光に溢れていた。見れば柱に架けられた時計は昼の1時を指している。
「お昼、作ってあるわよ」
「……お前が作ったのか?」
「何か文句が?」
不機嫌に睨まれるが、目覚めにあの飯は御免こうむる。
「あー。そうだ、ちょいと用事があったんだ。出かけてくるよ」
「……食べていくわよね?」
がっしりと掴まれた肩は、有無を言わせないと物語っている。どうやら拒否権は無いらしい。
「胃薬用意してからでも……いい?」
「無理矢理流し込まれたいなら」
自分が作ったくせに、その扱いでいいのか?
「……幾らなんでも、こんだけ生きていれば自分の腕位理解出来るわよ」
「それでも作ったのは、つまりは嫌がらせか?」
「あら、よくわかったわね」
長い時間は、どうやら性格を捻じ曲げてしまうらしい。目の前にいるコイツがいい例だ。
「……はぁ。いつもの所で用意してもらってるから、早く行くわよ、霞」
「はいはい」
先を行く姫咲を追って、俺は部屋を出る。
なんとも、今日は厄日な気がしてきた。
「早くしてよ、お腹すいてるんだから!」
紫「師匠〜!?何処ですか〜!!」
藍「ちょ、紫様。そうやって叫びながら探すんですか?!」