てくてく歩く食堂への道中。
私より一歩分後ろの方では、相変わらずキュルケの
後ろに顔を向けて、ふらふらとよろけているサイトの姿を何となく確認しながら歩いていると、ふとサイトと視線が合う。
「え、えーと、その、る、ルイズ……さん?」
やめて。その呼び方はやめて。蔑称を付けられるよりも何だか距離感があるわ。まったくの他人でいたい感じが伝わってくるわ。呼ぶなら普通に、そう、普通に呼べばいいのよ。
「そうよ。この子の呼び方なんて何でもいいのよ。
頭一つ分上の高さから、せっかく整えた私の髪をくしゃくしゃに撫でてキュルケが言う。別にその通りなのだけれど、何だかその言葉に妙な言い含みがあるようで釈然としないわね。あとあんまり髪の毛いじるな。
「何を言ってるのよ
「また何か妙なニュアンスがびびっと来たわよ」
「いやぁねえ、変なこと言わないでよ
「あなたワザと言ってるでしょ!?」
「……ところで
「ちゃっかり言っても気付いてるからねタバサ!」
などと、新しい学年に上がったというのにこの二人はいつも通りだ。そんな私達を見て、サイトも後ろで小さく笑っている。
「仲がいいんだね。ルイズ……ちゃん?」
「まあね。キュルケとは幼馴染だし、タバサとは一年の時からの付き合いだから」
「私と付き合い……!」
そういう意味じゃない!急にときめき出したタバサを押さえつけながら、サイトの方を向く。
「ところで、何かあったの?急に呼んで」
「あ、う、うん。さっき、ゼロのルイズちゃんって言われてたけど……それがお名前?」
ゼロのルイズちゃん……。別に、私の名前全てをちゃん付けする必要なんてないのだけれど、まあそれはいいか。
「違うわよ。“ゼロ”って言うのは、肩書というか……なんというか、あるのよ、メイジにはそういう……。えーと、ねえタバサ、こういうの何て言うのかしら?」
「メイジの二つ名」
それよ。
「メイジにはね、みんな二つ名が付いているの」
「そう。そして、私の二つ名は“微熱”。ささやかに燃える情熱の微熱は、それでも熱く熱く輝く炎のよう……。男の子もイチコロよ」
「んで、ほら、タバサ」
「“雪風”。―――雪風のタバサ」
そして、ゼロのルイズだ。
この二つ名は、メイジの属性とか特徴から付けられる事が多い。大体はいつの間にかそう呼ばれている内に定着していくものだけど、自分からこう在りたいと願って二つ名を名乗るメイジも居るわね。
「ちなみに、私の“ゼロ”は自分から名乗ったものよ。この意味が分かるかしら?」
無論の事、前の“私”の時とまるっきり同じ意味ではない。キュルケとタバサは知っている事なのだけど、まあ、いきなり当てろというのも無理な話よね。会話のきっかけよ。こういう他愛無い所から交友は深まるものだ。
「えーと……ゼロ?ゼロ、ぜろ、0、無い、無いもの?……あっ」
サイトは何かに気付いたようにはっとして口を手で覆うと、何だか気まずそうに少し後ろずさって悲しい目を私に向けてくる。
……うん、そうね。そうだわ。この子は“サイト”だったのよね。前のサイトとはまるで違うから油断していたけど、そうか、こういう着眼点も変わらないのか。
「あ、あの、えっと……そ、そうだ!牛乳飲んだらおっきくなるってお友達が……」
「言わなくてもいいし不正解よ!もう、まったく」
「ふぇ!?あ、う、そ、そうなの?ご、ごめん、なさい……。あれ、でも、だったらゼロって……?」
別に教えてあげても良かったのだけれど、それは次の機会にまで取っておこう。何故なら、そこの角を曲がった先がもう食堂だから。レッツ食事ターイム。
「さ、到着したわよサイト。トリステイン魔法学院の大食堂、ここが、アルヴィーズの食堂よ」
・ ・ ・
トリステイン魔法学院の中央本塔。
入学以来、まだ私が一度も折っていないその建物の一階部分が学院の誇る大食堂“アルヴィーズの食堂”である。
アルヴィーズの食堂と言えば、とにかく大きい事で有名だ。それはもう。二階部分を解放すれば王族規模の大晩餐会が開けるほどに。
王宮以外でこれほどの規模の食卓を囲める場所は、ちょっと思い当たらないわね。私の家の食堂だってこんなに広くは無かった。
そんな、大きい事は良い事だという貴族的価値観の下に設計された空間の中に、百人掛けのだだっ広いテーブルが三つ並んでいる。生徒のテーブルだ。端から順に一年から三年と、学年で分かれている。
最近までは一番右端のテーブルに座っていた私達だけど、今日からは違う。学年が上がったので真ん中のテーブルが私達二年生の座る場所だ。
「ふわぁ……。すごい……」
「ほらほら、こっちよサイト」
感嘆の吐息をもらして立ち止まったサイトを促しながら、私達は食堂の中へと入って行った。
三つのテーブルにあるのは、銀の燭台に乗ったロウソクに、たった今しがた花壇で摘まれてきた花束の彩り、籠に山盛りされたフルーツと、大盛りの料理。
特に料理なんかは朝っぱらからいかにも豪勢で、ローストされた鳥に何種類ものスープ、子牛のステーキ、魚のムニエル、サラダ、ワイン、パンやその他色々たくさんたくさん。
一年も通い続けるとこの光景もすっかり見慣れたものになるけど、でもこんな物を朝食として出すのはどうなのかしら。毎日毎朝毎晩こんな食事だから貴族の肥満問題が解決しないのよ。ふくよかさが裕福の証だった次代は今は昔の話だというのに。
「す、すごい、すごい!わあ、すごいなあ~!」
さっきから語呂の少ないサイトの手を引きながら、私はテーブルに向かう。こっちこっち。あんまりキョロキョロしてると気位の低い奴と思われちゃうわよ。
サイトの手を引きながら一年のテーブルの方を見ると、集まった一年生たちの中にもサイトと同じ反応を示す生徒が幾らか居て、同級生たちに揶揄されている姿が微笑ましい。日常の所作でボロを出さない事が貴族にとっていかに大切なのかは、ああいった経験で学んでいくものだ。
「ねえねえ、ルイズちゃん。ここって、なんでこんなに綺麗なの?」
「貴族用の食堂ですもの。これくらいは、まあ、中の上ってくらいかしら?」
「……貴族?」
と、首を傾げて見せるサイト。そうか、そういえばまだその辺の説明はしていなかったわね。前の“私”はえらく主従関係にうるさかったからいの一番にそこを教えて、というか、調教していたけど。
「私達の世界に魔法があるのは教えたわよね?」
「うん。お空も飛べるんだよねぇー」
「うん、まあ、私は無理なんだけど、ともかく魔法を使うメイジのはほとんどが貴族の事なのよ。っていうか、貴族しか魔法を使えないの」
だから当然、魔法学院に通う生徒は総じて貴族の子供という事になる。
「貴族学校っていうのもあるんだけどね」
貴族としての礼節やしきたり、身に付けておくべき特技や、王に仕えたり領地を治めるに際しての高度な知識なんかを学ぶ場所だ。魔法の知識も教えているけど、魔法を学ぶ訳では無いというのが大きな違いね。功績を上げて
「魔法っていうのはね、神聖なものなの。その神聖な魔法を使えるメイジこそが真の意味での貴族であり、王に仕え国を担う高潔な存在―――らしいわよ」
それが世間一般の貴族的な常識だ。
だから、世界に幾つかある魔法学院の役割は単に魔法を教えるにはとどまらない。国を担う確かな実力とか、誇り高い矜持とか、高潔な精神とか、そういった事も教育の過程上で学ばせていくのだ。
設備がもの凄いのもその教育の一端で、私達に、自分達はこういった待遇の許される高尚な存在なのだと自覚させる役割がある。相応しい者には相応しい環境を。貴族たる者かく在るべし。そういう考え方だ。
「無駄に絢爛すぎる気はするけどね。ま、衣食住が足りてるのは良い事よ。ね、タバサ」
「食べるに困らないのは素晴らしいこと」
そう言ったタバサが一直線に歩いて座ったのは、テーブルの真ん中の椅子だ。私達もそれに続くと、まるで反発したように他の生徒がぞぞっと端の方へ移動する。避難する、と表現した方が正確かもしれない。ハブられてる訳じゃないのよ?
「わあ、わあ、すごい料理!私こんなに食べられないよ~」
嬉しそうな悲鳴だけど、多分、もうすぐこれは本物の悲鳴になるに違いない。そんな事を考えつつ、私もタバサの横に腰掛ける。サイトはその私の隣。流石に、床に座って粗末なパンとスープを食ってろなんてことは言わないわ。キュルケはタバサを挟んだ向こう側に座って、さて―――
「すごいなあ、美味しそうだね、ルイズちゃ……へ、え?何、してるのルイズちゃん……?」
なんて怪訝な声が聞こえたのも、まあ、無理からん事かしら。なにせ、私はこの朝食という名の戦いに備えている真っただ中なのだから。
まずは邪魔くさいマントを椅子に掛ける。窮屈な首元を開襟して、袖を肘口まで捲り上げて、髪も長くて邪魔なので後ろで縛る。料理の汁やかけらが飛び跳ねる事も予想されるので胸元にナプキンを付けるのも忘れない。
「いい、サイト?これから始まるのは食事ではないわよ」
「ふ、ぇ、え?な、なにが始まるんです?」
「―――戦争よ」
言った瞬間、ちりんちりん、と涼やかな鈴の音が聞こえた。学長であるオールドオスマンがロフトの中階から鈴を鳴らしながらゆっくりと降りてくるのが見えた。これが毎朝の食事を始める合図。
一階に下りてきたオールドオスマンが一言二言の朝の挨拶を済ませ、いよいよ食前の祈りが唱和される。
私も目を瞑って祈りを奉げる準備をした。精神を安らかに。身体全体から余計な力を抜いて備える。
「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝いたします―――いざ!」
開戦。