「あら、おはよう二人とも」
タバサとサイトと連れ立って部屋を出た私を廊下で迎えたのはキュルケだった。圧倒的ボリュームを誇るその胸を強調するかのように制服を着崩しているのは、彼女のいつものスタイルだ。いやらしい。うらやましい。その半分くらい私に分けなさいよ。
「おはよう、キュルケ」
「おはよう」
私とタバサは揃って挨拶をする。これももう朝の日課だ。
「あのね、ルイズ、タバサ。もう毎日の事なんだけどね、私は言うわよ。私は諦めないわ。ツェルプストーの名にかけても、これだけは言い続けるわ。いい?いいわね。あなた達が毎朝のように挨拶をしているのはね、それはね、私じゃなくて私の胸なのよ?わかる?それは私のおっぱいなの。何故あなた達は毎朝毎朝私のおっぱいにおはようをするの?おかしいでしょ?挨拶をするなら、きちんと私にして下さらないかしら」
いいじゃないの。どっちだって変わらないわよ。キュルケといえばおっぱいじゃない。そうね、じゃあ連想ゲームをしてみましょうか。はい、タバサ。
「キュルケ→おっぱい→キュルケ→おっぱい→キュルケ→おっぱい……」
ほら無限ループよ。無限に収束するんだから近似解としてそれらの両辺を等号で結んでも構わないでしょう。方程式よ。確立された理論よ。これに異を唱えるのなら相応の学術論文と研究成果を持ってきてもらいたいわね。とりあえず私たちの胸をおっぱいと呼べるほどに大きくしてもらおうかしら。お願いします。
「もう、また分かんない事言って。タバサ、もう連想はいいからやめて」
やれやれ、といった具合にキュルケが頭を振る。やれやれはこちらだ。なんでこの三人グループの中であんただけが突出してるのよ。平均化できないから少しは縮みなさいよ。
「あなたが大きくなる努力をするべきよ」
もっともな正論なんてものは私は聞きたくない。大きくなる努力なんてものは“私”の時点で諦めている。信じられないだろうけど“私”の記憶では、私のこの残念体型は今から10年以上経っても取り立てて目立った変化を見せずに背丈だけが延長するだけなのだ。“私”の絶望も大きかっただろうけど、既に未来への希望を断たれてしまった私には絶望すらないのだ。るーるーるー。
「んもう、やっかみはよしてよね。っと、で、あなたは確か、昨日ルイズが呼んだ使い魔の女の子よね?」
私の隣に立っていたサイトを見つけ、キュルケはにんまりと笑った。
「ほんと、規格外な事ばっかりよね、あなたって。流石はゼロのルイズってとこかしら?人間の使い魔を呼ぶだなんて、ねえ」
「人間だっていいじゃないのよ。逆に、私がとんでもない猛獣を呼んだらどうするつもりだったのよ」
「そうそう、それよ。あなたの事だから、もっと凄まじい名状しがたい冒涜的な何かを呼んじゃうものだとばっかり思ってたから昨日は驚いたわよ」
「私はどこの邪神官なのよ!この私の使い魔なんだから、可憐で愛らしいに決まってるじゃないの。ほら、よく見てみなさいよ」
と、私は隣のサイトの手を引いて私の前に立たせた。キュルケにその姿をじっくりと見せてあげる。どうよ、この名状も冒涜もできないほどの純粋な女の子は。私もそれで昨日は本当にびっくりしたんだから。
「いいんじゃないの、可愛くて。初めまして。えっと……、サイト、でよかったかしら?」
「あ、う、は、はい。
「ヒラガサイト?ふぅん、あまり聞かない感じの名前ね。何処から来たの?」
「どこから……」
と、サイトがキョロキョロと辺りを見回し始めたのでその後頭部に軽いツッコミを入れる。アンタ異世界から来たんでしょうが。方角見てどうすんのよ。
「は、はぅ……。そうだった……」
「異世界って……あーまあ、ルイズだしねぇ……。何が起きても不思議じゃないものね」
「アンタ、私を普段どういう目で見てるのよ……?」
異世界という単語すら私の名前を出せば呑み込めると思っているらしい。そんなに私は非常識的か。まあ確かに、入学式の前日に色々あって学園の塔を一つ潰しちゃったけどあれはノーカンよ。だってあれはウチのペットがやったんですもの。
「その次の日に、普通の魔法が使えないのを馬鹿にされてもう一本やったのはあなたでしょう?」
「あれは不可抗力よ。だって、貴族は舐められたらおしまいよ?」
「あなたのそういう旧代トリステイン貴族っぽいとこ私は割と好きなんだけど、他からしたら迷惑もいいとこよね?」
「誇り高いのよ私は。―――で、あんたの使い魔は?姿が見えないけど」
「まだ部屋よ。私に似てマイペースなの。おいでー、フレイムーー」
と、呼んだキュルケの後ろ、のそのそと歩み出てくるのは立派な
「ひ!」
その姿を目に、脅えの声を上げたのはサイトだ。
そりゃそうだろう。四足で伏してはいても、火トカゲの頭の高さは私の腰まである。臨戦状態になれば後足で立ち上がって威嚇する習性があると聞くけど、その時の大きさは完全に頭から齧りつかれるほどだ。
ハルケギニアに住んでいれば、このくらいの幻獣はそう珍しいものではないのだけれど、そこは異世界から来たサイトだ。立ち上がれば自分の背丈を超えるような大きさの、しかも見た事も無いような化け物が迫り来ている状況は、もし私が同じ立場でも悲鳴を上げている。
「ひ、ひ、火が!燃えてるよ!熱そうだよ!」
しかし私の予想した反応とはまるで違い、サイトは火トカゲに、というよりも火トカゲの尻尾に慌てて飛びついた。火トカゲの最大の特徴でもある燃え盛る尻尾を、何を思ってかサイトはペシペシとはたいている。火を消すつもりだろうか。そんなもので消える火ではないし、というか、
「あ、あのね、サイト。火トカゲの尻尾はもともと燃えてるものなのよ?今さっき急に燃え始めた訳じゃないのよ?」
「へ、え……?そう、なの?」
と、サイトは何故か火トカゲ自身に聞いた。火トカゲもサイトの言葉が分かるのか否か、うんうんと軽く頷いている。サイトは安堵したように、そっかぁ、と言ってほぅと一息を吐き出した。
「うん、まあ、それはいいんだけどね、サイト?」
「はい?」
「火を消すのにね、素手ではたくのはやめときなさい。その炎が本物だったら大怪我してるから」
「へ?……ふわぁ!ほんとうだ、熱くない!熱くないよ!」
驚くサイト。火トカゲの尻尾をわーわー言いながら撫でているけど、その尻尾の炎で焼かれる様子はまるでない。
それもその筈で、火トカゲの尻尾を包む炎は、実は本物の炎ではないのだ。上位種族の幻獣の中には、身に精霊の加護を宿しているものがある。
「そ。だから、火トカゲの価値と強さは、尻尾で決まる訳よ。ほらほら、見なさいこの尻尾の鮮やかで美しいこと。間違いなく、火竜山脈のブランドものよ。ひと昔前なら、この子一匹で小国が買えちゃったわよ」
火トカゲな頭を抱きかかえながら頬ずりするキュルケ。火トカゲを呼び出したのがよほど嬉しかったのだろう。キュルケは火属性だし、相性はいいんじゃなんじゃないかしら。
「へぇ~。すごいなー、ファンタジーだぁ~」
しかし驚くべきは初めて見る幻獣に対してあまり怖がっていないサイトだ。今も真紅の鱗をペタペタと触って撫でている。
トカゲ好きなのかしら。
そんな、自分のご主人様と私の使い魔からの愛撫を受けて気持ち良さそうに目を細めていた火トカゲだけど、しかしその内、のっそりとした動きで頭をサイトの方へと突き出した。
「?」
と、首を傾げたサイトの、その小顔くらいなら一口で丸呑みできそうなほどの顎を広げ、ベロリとひと舐め。
「ひ、ひゃあ!?」
流石にそれは驚くか。腰を抜かしたサイトに、きゅるぅ、という見た目に似合わない可愛らしい鳴き声で飛び付く火トカゲ。
「ひ、わ、や、や、た、たす、助けてぇ!」
サラマンダーに組み付かれて暴れ回るサイト。まあ、使い魔としての契約を行っている生き物が、ご主人様からの命令無しに人に襲いかかったりする事は無いから、これは単にじゃれついているだけなのだろうけど。でもこれだけ自分と大きさと体重差が著しいと、当の本人にとってはかなり恐怖じゃないかしら。
泣きそうな声で助けを求めるサイトが、程なくして本当に泣き出してしまったので私は救いの手を差し伸べるべくサラマンダーの頭をペシペシと叩いた。こら、それは私のものよ。
「あらまあ。フレイムったらどうしちゃったのかしら」
どうしちゃっててもいいからやめさせなさいよ。ほら、サイトが泣いてるじゃないの。表情がよく変わる子よね。
しかし昨日から思うのだけど、このサイトは性別だけでなくあらゆる方面で前のサイトとはベクトルが正反対だ。あまり気は強くないし、負けず嫌いって訳でもなさそう。浮気は多分というより、絶対にしないわね。きっと好きな人にはとことん尽くすタイプだろう。
「フレイム、こっちにおいで。お行儀が悪いわよ」
と、主人に諭された火トカゲは、サイトと主人の顔を交互に眺めると、名残惜しそうにサイトの顔をもう一舐めして戻っていった。どうやら躾はできてるようね。
「もう、フレイムったら。ごめんなさいね、普段はこんな事しないのにね。どうしてかしら?」
知らないわ。動物に好かれる性分なんでしょ?ちい姉さまと同じよ。ちい姉さまも部屋に沢山動物がいるもの。犬とか蛇とか熊とかキメラとか。ちい姉さまの庭にはグリフォンやワイバーンなんかもいるし。ちい姉さまはとことん動物に好かれ、そして自分も動物が大好きな人物なのだ。
ただ、竜族における最強種であるところの黒竜と白竜のそれも成竜を、
「怪我をしていたのよ。可哀相でしょう?」
と言って連れ帰った時は流石にちびった。全長120メイル、翼長100メイルは下らない凶悪な顔の巨竜が二体も突然目の前に舞い降りる光景を想像してほしい。当時10歳であった私が無様にも泣き出してしまったことを誰が責められようか。
今現在もその竜達は健在で、それぞれ“まっしゅ”と“まろん”という可愛いらしい名前を付けられたそいつらはラ・ヴァリエール領の守護竜として大空に翼を広げている。
そのおかげでここ数年は害獣の大量発生や盗賊、山賊などの被害は無い。害獣はまっしゅとまろんが勝手に駆逐してくれるし、どんなに愚かな人間でも最強種の竜二体の目の光る領内で騒ぎを起こそうとはしないのだ。
「ルイズ、そろそろ時間」
と、私がちい姉さまの尋常ではないペットについて思いを馳せていた時である。
くいくい、とタバサが私の袖を引っ張った。そういえば朝食の時間だ。長話が過ぎたようで、小柄の癖に人の十倍はぺろりと平らげる食魔人のタバサが瞳で、お腹すいたよう、と訴えかけていた。
この半年間で異常に急激にタバサと親密になった私レベルになるともう目を見るだけでこの少女の言わんとすることが分かってしまうのだけど、それが好ましい状態なのかどうかはこの際だからどこか隅っこのほうへと追いやっておこう。直視したくない問題というものはどこにでもある。
という訳で、などと言うほどでもないけど。
私は、未だ腰を抜かしているサイトを立ち上がらせると一直線に食堂へと向かう事にした。
私のお腹も、朝一番の原動力を求めているのだ。