ゼロの使い魔ちゃん   作:402

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使い魔との一日(1)

 ハルケギニアの夜空には月が二つ輝く。

 “私”の頃からそれはずっと変わらない。そりゃある日突然片方の月が消えたりもう一つ月が増えたりなどした日には、後世の歴史教典に載ること請け合いの大事件となるだろうけど、私の記憶によるとそんな大事件は今暦に至るまで一度も起きていないし、“私”の記憶によるとこれから先もそんな事件が起こる予定は無い。今日も夜空には双子の月が煌々と輝いている。

 

「嘘だ……」

 

 そんなハルケギニアの恒久的一般常識的事実を突きつけてやると、私の召喚したヒラガサイトはそんな言葉を口にして力無くへなへなと私の部屋のカーペットにへたり込んでしまった。駄目ね。そのセリフはもっと腹から声を出して四方三里に轟き渡る勢いで叫ばないと。

 

「そんな……。ド、ドッキリとか、夢とか、幻覚とかじゃ……」

 

 無い。当たり前だ。目の前に広がるのは全て事実で、現実で、本物だ。この物語はノンフィクションであり、ここに登場する人物及び団体は本当に実在します、だ。別の世界から来た身ではにわかには信じられないだろうけど、それはもう受け入れてもらうしかない。

 

「そ、そうなんだ……」

 

 しょんぼりと俯くサイト。カーペットにののの、と指で字を書いている。なかなか可愛い。初めはどうなる事かと焦ったりもしたけど、こうなると、これはこれで趣があって中々いいのではないだろうかとも思えてくる。可愛いは正義だ。大抵の事は許される。

 

「じゃあ、私は本当に別の世界に……?」

 

 来てしまったという訳だ。やっぱり女の子は理解が早いわね。前のサイトとは当私比で3倍程度の理解力だ。赤くて角付きの彗星でもないのに何というポテンシャルだろうか。流石はサイトだ。

 

「まあそう気を落とすなよ、嬢ちゃん。住めば都って言うぜ?悲観的に考えずにいこうや!」

 

 と、私とサイトしか居ない筈の部屋に、夜中だというのにやたらテンションの高い声が響いた。はっきり言って近所迷惑だけどその近所はキュルケなのでなんら問題は無い。

 

「何だって気の持ちようさ。ちょいと長い旅行に来たと思えば―――あ、そりゃ無理があるか。ま、とにかく前向きに考える事だぁね」

 

 がちゃがちゃとうるさいその声の主は、私の部屋の隅にたて掛けてある一本の剣だ。

 インテリジェンスソード“デルフリンガー”。

 何を隠そう喋る剣だ。全く隠してはいないけど、それがこの駄剣のデフォルト設定なので勘弁していただきたい。

 去年のタバサらとの冒険の際に役立つかと思ってわざわざ出番を前倒しして買ってやったのだが、その時はものの見事に役に立たなかったといういわく付きの代物でもある。捨てようかとも考えたけど、100エキューが勿体無いので取ってあるのだ。話し相手に丁度いいくらいはお喋りなので一人で居るときに退屈はしないのだけど、たまにというかけっこう頻繁に鬱陶しいのがいささか問題ではある。

 

「はうぅ……」

 

 そんなお喋り剣の言葉も虚しく。ずぐーん、と変に濁った効果音が付きそうなほどサイトは落ち込んでいる。いきなり別世界に呼び出されたのだから仕方ないのだろうけど。

 前のサイトはどうだったかしら。もう少しあっけらかんとしていたような気がするけど、やっぱりそこは女の子という訳だろうか。もしかしたら、前のサイトも同じくらい落ち込んでいたのかもしれない。省みるというのはこういう時に使う言葉かしらね。

 

「ぅぅ……。ぐすっ……」

 

 そんなサイトの心の昇降運動とは反比例するかのように、彼女ののの字を書く指は止まる気配が無い。このままではカーペットの毛がのの字に削られてしまう。どうしようかしら。私は落ち込んでいるサイトは見たくないし、安物でないカーペットに変な模様を付けられたくもなかった。

 

「まあまあ、そう落ち込まないで。とりあえず今日は寝なさい。色々な説明は明日してあげるから。大丈夫よ。悪いようにはしないわ。あなたが帰る方法も探してあげるわよ」

 

 そう言って、ぽんぽん、と落ち込むサイトの頭を撫でてやると彼女は捨てられた子犬のような潤んだ瞳を私に向けてきた。わあ、可愛い。今日何度目かも分からないときめきが私の胸を貫く。“私”ではない、私の感情だ。

 私は思う。

 “私”が何と言おうと、喚こうと、私は、大当たりを引き当てたのだと。

 

 

 

・ ・ ・

 

 

 

 翌朝。惰眠を貪るのが過去から未来にかけての私の唯一絶対のマイブームだと公言してはばからない私は、部屋の鍵をアンロックで易々と突破して入ってきたタバサにいつものように起こされる事になる。

 

「朝」

 

 これはタバサの声だ。私は夢の中でその声を聞いている。

 

「起きて」

 

 まず間違いなく私は起きない。夢の国のネズミが私の帰還をなかなか許してくれないのだ。

 

「起きないとキスする」

 

 さあ、おかしな事になってまいりました。

 そんな起こし方は無いだろうと思うのだけど寝ている私には物理的現実空間に居るタバサの行動を押し留める術は無い。

 

「では」

 

 そして目覚めのキスだ。

 このような歪な習慣が定着してしまったのはいつからだったろうか。そうだ。去年の、最後の冒険の後だ。その冒険の折、私はタバサに対して色々と親身になって悩みや問題を聞いたり、肉体言語を織り交ぜた殴り合いの対話をしたり、そして色々な問題を一緒になって解決したりしたのだ。どうも、その時にタバサの乙女回路がイケナイ領域を三段跳びに越えてしまったらしい。

 

「……ん……んんぅ……」

 

 ようやく私の声だ。唇に触れる柔らかい感触とその唇を押し開けて侵入してくる熱い感触を寝ぼけた頭で感じている内に、停滞していた脳細胞がギアを始動させ始める。暖機運転を始めた私の寝ぼけ眼にタバサの白い肌と青い髪と眼鏡の奥の熱っぽい瞳が映る。

 

「……ん、んん!?ん、んん、ん、んんんんん!!??」

 

 そして、うにょうにょと別の生き物のように蠢くタバサの舌が私の口腔内を蹂躙し尽くした頃になって、ようやく私は現実世界へと回帰するのだ。

 

「っぷぁ、タ、タバサ!」

 

 件の冒険からもうすぐ半年。

 時折、こうやってタバサはやって来る。対抗手段は鍵くらいしかないのだけど、その鍵もタバサのアンロックにかかってしまえば何の意味も持たなくなってしまうのは最初の一週間で学習済みだ。魔法を使ったロックもあるのだけど、あいにくと私はそんな魔法は使えない。そうなるともう残された手段はタバサの一般常識とか道徳心とかに頼らざるをえないのだけど、彼女は常識とかその辺りの一般通念だとかに縛られるほど窮屈な思考回路はしていなかったようで、こちらの願いはきっぱりと却下を告げられた。

 そうして最終的に私の手の上に残されたのは、やめて、というたった一言の拒絶の言葉のみとなった。だけど、この言葉を軽々しく振るう事も私にはためらわれる。何故なら、そういった拒絶の意思を見せようものならばタバサは、

 

「私のこと嫌いになったの?迷惑?」

 

 といった具合に非常に罪悪感と庇護欲と道徳心と乙女回路を刺激するような上目遣いで泣き落としにかかるのだ。

 涙が女の最強の武器であるというのは長い歴史から見ても疑いようの無い事実であって、この最終兵器が戦線に投入されればどんなに頑強な城であろうともあっという間に籠絡してしまうだろう事は言うまでも無い。

 そして、もともと感情をほとんど見せないタバサがその武器を用いると、その威力は、すわ戦術級大魔法か王家のヘクサゴンスペルかといったほどにまで膨れ上がる。虚無とどちらが強いのかという疑問はその担い手である私のこの体たらくを見れば明らかだろう。

 

 そんな訳で。

 

「あ、えと、ぅう…、その、そういう訳じゃないわよ。起こしに来てくれるのは嬉しいし、感謝してるわ。でもね、いや、違うのよ、そういう訳じゃ、いえ、そんな、嫌いなんて事は、そりゃ、えと、うう、す、好きだけど、でも、いえ、その、…………ありがとう」

 

 と言って、朝一番のタバサの笑顔におはようと言うのが私の一日の始まりを告げる日課なのだった。

 

 

 

・ ・ ・

 

 

 

 さて。

 私に非常にすばらしく無意味に官能的な目覚めをもたらしてくれたタバサが甲斐甲斐しくも私の着替えを半ば以上強引に手伝ってくれるのは、これまた半年前からの習慣となっていて、色々とアブナイ場所へと伸びるタバサの両手と巧みな攻防戦を繰り広げつつ着替えを終える技術が私の中で確立されたのは、この習慣が始まって一ヶ月ほど以上も経ってからの事だった。

 それまでの期間はそりゃもうヒドイもので、いつまで経っても授業に出てこない私とタバサの様子を見に来たキュルケとモンモランシーが、私の部屋で繰り広げられる惨状を見て、

 

「お幸せにね……」

 

 と口にして部屋を後にした時の事は忘れようとしても忘れられない思い出だ。あの時の二人は本当に優しくて遠い目をしていた。トラウマになりそうなほどに。

 

「ふう」

 

 と一息。今日も無事に着替えが終わった。隣でタバサが何やら残念そうな顔をしているが、こちらとしてもそうそう何度もめくるめく百合の花園へと押し倒されてあげる訳にはいかないのだ。

 そうして。

 

「ぅ、ん……」

 

 という可愛らしい声を上げてサイトが起き上がったのは、私が今日の授業の教科書と杖を皮の袋にまとめていた時だった。ちなみに、“私”の時とは違って今回はサイトは初めから私のベッドで一緒に眠らせている。藁を敷いた床で女の子を眠らせるほど私は鬼でも悪魔でもサディスティックでもない。

 

「あれ?ここって……」

 

 サイトは目をこすりながら部屋を見渡し、私と目が合うと、ぁぁ、だとか、ぅぅ、だといったような呻き声を上げて俯いてしまった。

 この世界に召喚されたのがよほどショックだったのだろう。本当は夢だったのかもしれない、という淡い期待が打ち砕かれたような顔をしている。もしかしたら昨日の寝る前にサイトが許してー、と懇願するまで散々胸をこねくり回したことを思い出しているのかもしれないけど、それは多分違うだろう、うん。

 

「サイト、ほら顔を洗って。もうすぐ朝食よ」

 

 ベッドの脇の桶にはタバサが空気中から抽出してくれた純度100%の水が並々と湛えられている。いちいち下の水汲み場まで足を運ばなくてもいいので水系統を操れるメイジは便利だ。水系統の魔法が一番生活に即しているのもその辺りに理由がありそうだけど、水どころか系統魔法をまるで操れない私にはそれはどうでもいい話だった。

 

「ひ、う、あ、は、はい…」

 

 若干脅え気味のサイト。私の一挙手一投足に反応してビクビクと肩を震わせている。なんだこれは。やっぱりアレかしら、胸を散々に揉みしだいたのが悪かったのだろうか?私としては新生ヒラガサイトの身体検査を兼ねた互いに打ち解けあう心温まるイベントのつもりだったのだけど。

 

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 タオルを手渡してやる。ふむう。他人行儀だ。

 前の“私”はそりゃもうプライドの塊で平民とか貴族とかそういった事に拘っていた人物だったけど、それに比べれば私はかなりフランキーな人物だと思うのだ。だから、もうちょっと気を許してくれないと使い魔とその主としての良好な関係の形成も出来るものではない。

 

「これは懸案事項ね……」

 

 使い魔召喚二日目にしてさっそく不安の種が私の胸の中に一つ芽を出し、どうやってそれを摘み取ろうかなどと私が考えている内にサイトの準備が整った。

 

「お、お待たせしました」

 

 おずおず、といった具合に若干の距離を保ちつつ、サイトは私とタバサに近づいてくる。硬いわね。私はもっと友人然とした関係を築きたいのに。あ、今日のお風呂でスキンシップを図ってはどうだろうか。裸の付き合いは両者の関係をぐっと近づけてくれる。……もっとも、タバサのように越えてはならない一線をよいしょと越えてしまう剛の者もたまに居るのが問題といえばそうだけど。

 

「それじゃ、行くわよ。サイト」

 

 まあいい。時間はたっぷりある。

 これからの、このサイトとの生活に小さくはない期待を寄せながら、私は部屋の扉を開いた。

 


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