箒は、久しぶりに剣を交えた幼なじみの不甲斐無さに怒っていた。そして少しだけ、張り切っていた。
自分の手で再び一夏を鍛えなおす。強くて格好良かった昔の一夏を取り戻すという使命感に燃え上がり、そしてときめいていたのだ。ただ、そのせいで肩に力が入りすぎ、当の一夏が早々にへばってしまった。
自分の暴走に反省する。
ここらで少し休憩を挟むべきかと箒が思案しているとき、声がかかった。
「次、お願いします」
見れば、防具を着け完全に準備の整った界塚伊奈帆が、勝負の相手を申し出ていた。
箒は一夏の様子をもう一度見て、承諾する。
「いいだろう! 相手をしてやる!」
箒と伊奈帆は向かい合って立つ。
開始の合図は取り決めていないが、試合が既に始まっていることは双方承知していた。
互いに切っ先を正面に構え、相手の出方を待つ形だ。
「……いくぞ!」
先に仕掛けたのは箒。勝利のための決断ではなく、経験者として後手を譲ろうという判断。
鋭く剣先を揺すりながら、素早く距離を詰める。伊奈帆も身体を小さく揺らしながら応戦を図る。
そして互いの剣が触れるだけの間合いに入り――。
パン!
鋭い音。観客の女子たちには何が起きたのか分からない。一夏とシャルロットだけが捉えることの出来た、一瞬の出来事。
その一瞬の間の後、伊奈帆が構えていたはずの竹刀が床に転がる。
「……ねえ、一夏。今のはなんて『技』?」
箒の竹刀の切っ先が伊奈帆の竹刀と触れた瞬間、それを弾き飛ばす。シャルロットはそれが箒の剣術によるものだと判断した。
しかし、一夏は否定する。
「いいや。今のは技じゃない。竹刀に伝達する力を、もろにくらったんだ」
「……! それって!!」
互いの剣が触れた瞬間に雌雄が決する。
それは両者の間に、余程の実力差がなければ起こりえない事象だ。
しかし、静かに安定した構えで対応していた伊奈帆に落ち度があるようにも見えなかった。
つまりは箒の実力が伊奈帆の予想をさらに上回ってたということ。
シャルロットはさっきまでの一夏と箒の試合に対する認識を、もう一段界上に改める。
「…………」
実力の差を痛感しているのは伊奈帆も同じだった。
ただ、面と向かって認識した箒の実力は、あくまで想定内。
対処を変えれば問題ない。
伊奈帆は両手を開閉しながら、
「……力を入れすぎたか」
「どうした? 手が痺れたか?」
「いや、続けられる」
竹刀を拾い、再び構える。箒もそれに悠然と応えた。
「……どうする? 先の二の舞になりたくなければ、そちらから仕掛けるのも手だと思うが?」
「じゃあ、それで」
スッ、っと伊奈帆が踏み込む。
(……ほう)
箒は少しだけ驚いた。つい先ほど得物を失った人のものとは思えない、重心の安定した完璧な
教本通りと言ってしまえばそれまでだが、逆に言うならば、その域にまで辿り着ける者のどこまで少ないか。
「……フッ!」
「はぁっ!!」
短い息と共に振り下ろされた竹刀を、箒が防ぐ。そして逆に、弾き上げた。
しかし今度は、伊奈帆の手から竹刀が抜けるようなことはなかった。
「成程。適度な筋肉と関節の弛緩が必要なわけか」
「……どうやら、一夏が休憩する時間くらいは取れそうだな」
今の箒の一撃は、直前の試合で伊奈帆の竹刀を弾き飛ばしたときより鋭い返し。だが、それを事も無げに受け止められたのだ。
冷静に振る舞いつつも、その心中は穏やかでない。
(なぜ急に腕をあげた? 実は有段者で、先のは油断が招いた事故か?)
その認識も、二手三手と攻防を繰り広げるうちに塗り替えられる。
踏み込みながら胴を狙えば竹刀で間合いを取られ、打たせて小手を返そうとすれば寸前で察知される。
だが伊奈帆に剣術に必要な身体ができてないないことは動きから見ても明らかだ。
(……なるほど。私の動きをよく観察しているようだが。……まさか技を見切るだけでなく、真似て学習しているのか!?)
剣の道はすなわち見、という言葉もある。
剣術の基本たる『見』の能力。
こいつはそれに秀でている。
試合の中、箒は次の一手で仕留めようという気持ちで加減していた力を、徐々に現していく。しかしその度に紙一重で凌がれる。そしてその直後に返される反撃の手も馬鹿にならない。
倒すために必要な最小限の力量だと思っていた力の、その僅かに上をいく。
試合開始時より明らかに、界塚伊奈帆は箒にとって厄介な相手へと変貌していた。
「ねえねえ? 界塚くんって、結構イケてるんじゃない?」
「織斑君より全然勝負になってるよー? 千冬様の弟なのに変なのー」
(……なんだと?)
極限の集中化にあったはずの箒の耳に、外野からの言葉が滑り込んでくる。
彼女たちの言葉は、それほど箒にとって聞き捨てならぬモノであった。
(一夏が弱いだと!? そんなはずがないだろう!! だいたい今だって、一夏との時の七割ほどの力も出していないのだぞ!!)
必要以上に握りしめられた竹刀の柄がギシリと音を立てる。
伊奈帆はそれすらも観察していた。
「言われてるけど、いいのか?」
「なに?」
「悔しいのなら、篠ノ之の剣術を見せればいい」
「……ほう。そういう腹積もりか」
箒は、すうっと目を細めた。
伊奈帆の目的は端から『見る』こと。自分と、そして流派を同じくする一夏の剣を知るために立ち合いを望んだのだろう。
故に、迷いなく即答する。
「いいだろう! だが、加減は出来んぞ!!」
「はい」
箒から立ち上る闘気が、一息の後に変容する。
「はァッ――」
より色濃くより鋭く。それこそ、先ほどまで見当違いの意見を交換していた女子たちすら言葉を詰まらせるほどに。
ゆらり、と殺気に倣うように構えも変わる。剣道の正眼の構えから、刀身を腰まで下げた居合の構えへ。
「一夏。これ、もしかして……」
「ああ。箒のやつ、これで決める気だ」
(どうしたんだ箒? 初見の相手に流派の技を出すなんて、らしくないぜ……)
同門の試合を心配する少年は、しかしその原因の一端が自分にもあるとは微塵も思っていないようだった。
「私はいつでもいけるが、合図でもいるか?」
「必要ない」
伊奈帆は箒の構えが居合へ変わった途端に、既に大きく距離をとっていた。
対して箒はその場から動かない。
篠ノ之流剣術は合戦の剣。あらゆる状況下に対応することが求められ、進化し続けてきた剣だ。
この程度の間合いの変化、打つ手は山とある。
「では、――!」
―― 篠ノ之流歩法『
みしり。
板張りの床が立てた音が伊奈帆の耳に届いた時には既に間合いの中。
そして技の多くは連携を以て技とする。流れる挙動に絶え間は無い。
―― 篠ノ之流剣術奥義『
「!」
衝突音とも破裂音ともつかない衝撃が響くとともに、伊奈帆の身体が道場の床に転がる。
「伊奈帆!!」
「界塚くん!?」
達人級の一撃をモロに喰らった――。そう思った一夏が慌てる。
だが伊奈帆は転がった勢いのままに、片膝をついて立ち上がった。
大きな怪我はない様子に一夏たちは安堵する。
「僕の負けだ」
しかし大きく乱れた呼吸を整えながら立ち上がった伊奈帆は、自らの敗北を宣言。
手に持っている竹刀は見事にへし折れている。その切っ先の部分は道場の端まで吹き飛んでいた。
「うわぁ」
「箒、本気になりすぎだろう……」
引いていく
しかし箒にとって自分の技を受けた竹刀が折れることは何ら珍しいことではない。
平然と言葉を返す。
「別に実戦じゃないんだ。新しい得物を選べばいい。それとも、闘志まで折れたか?」
「竹刀が折れたから試合を止めるわけじゃない。逆だよ」
「逆?」
「竹刀が破損したおかげで衝撃が吸収された。でなければ僕は今立っていることも出来なかった。武器がどうあれ負けを認めるしかない」
「そうか……。そうまで言うのなら仕方ない」
そこまで話してからようやく箒は竹刀を下す。
「では次は一夏の番だな」
「げっ! そうなるのか……」
「当たり前だ。もともとお前の訓練なのだからな。これ以上無駄にする時間は無いぞ!」
「ぐえー」
一夏と立ち代わりで、伊奈帆は道場の隅へ戻る。その足元は心なしかふらついていた。
「お疲れさま」
面を外した伊奈帆をシャルロットが出迎える。
二人は元いたように道場の壁によりかかるように座り込んだ。
「ねぇ。伊奈帆はさ……」
シャルロットが尋ねる。
「何か、目標があるの? 例えば"夢"、みたいな」
「せいッ!!」
「ぐあぁっ!!」
道場の真ん中では再び一夏が箒のしごきを受けている。
伊奈帆に本気を見せたのが尾を引いているせいか、少しだけその苛烈さを増しているように見えた。
「――じゃなきゃ、分からないよ。どうして篠ノ之さんと稽古なんてしようと思ったのか」
箒の強さは伊奈帆も十分に理解していたはず。決して好奇心で挑める相手じゃない。稽古中の伊奈帆の様子にも、静かながら鬼気迫るものがあった。
何か目的とする、大切なものが無ければシャルロットには納得出来なかった。
伊奈帆は答える。
「ISの操縦の感覚は、自分の体を動かす感覚の延長線上にある。生身での格闘能力や経験は役に立つ」
「でも、普通はあんな無茶はしない」
「僕は普通じゃない。世界に二人しかいない、男性のIS操縦者だ」
「……うん」
「例えば、今在学している生徒の目標も様々。国家代表、それ以下の競技者、軍人或いは軍属操縦者、IS関連企業への就職、ただ経歴のためにIS学園に入学することも許されている。彼女たちは何を目標とするか知っているから、その為に何をすればいいか、どの程度の努力が必要かも把握できる。でも僕と一夏は卒業後、そういった選択肢があるという保証すらない。とどのつまり、強いに越したことはないんだ」
「それは、考えすぎじゃあ、ないかな?」
「考えすぎかどうかは結果が出ないと分からないよ。例えばの話、これから新しくISを操縦できる男性が見つかったら僕たちの価値は相対的に低くなり世間の関心は薄れる。それだってリスクだ」
「…………」
「確かなことなんて何もないけど、それでも大人たちが守ってくれている。僕は臆病になっているだけかも。それが正解と思うから行動しているわけじゃない。行動しない自分が不安なんだ」
「一夏は、不安なんてなさそうだけど」
「それもいい。考えすぎる子供は大人に嫌われる。愛されるのも才能の内」
「ふふっ、そうかも」
当の一夏は相変わらず箒から滅多打ちを喰らっている。あれこそ正に、愛の鞭。
その様子を見ながら、今度は伊奈帆から尋ねる。
「僕からも、訊いていい?」
「うん。いいよ」
シャルロットは承諾した。
「シャルロットの。
「えっ……」
二人の間に沈黙が流れる。
シャルロットにとっては、それはただの言葉選びの違いであり、その言葉自体に意味はないという期待を込めての沈黙。伊奈帆にとっては、彼女のその願望を否定するための沈黙。
静寂の後、彼女が折れたのは必然だった。
「仕方ないか……。伊奈帆になら、話してもいいかな」
諦めたように、囁く。
「僕の"目的"は――」
箒と訓練をした翌朝。
一緒に部屋を出た一夏と伊奈帆が廊下を歩いていると、箒とばったりと出くわした。
「……おはよう。箒」
「おはよう。篠ノ之さん」
「ああ、二人ともおはよう。……そういえば界塚。お前、シャルロットのことは名前で呼ぶくせに私に対しては随分と他人行儀ではないか」
「文化の違いに配慮したつもりだけど」
「ただでさえお前の言葉からは感情が読み辛いのだ。周囲と合わせて距離を置いたつもりでも相手には冷たい印象を与えることもある。今後は私のことも名前で呼んでくれて構わない。他の男子ならともかく、お前は変な奴だからな」
一夏は、箒が伊奈帆に打ち解けた様子を見せたことに驚いた。
やはり昨日、一度とはいえ剣を合わせたことが功を奏したのだろう。
もしかしたら人付き合いが苦手な箒にとって、剣での手合わせは相手を理解するためには適した手段なのかもしれない。
(う~ん。でも肉体言語な女子ってのはいかがなものか。河原の番長でもあるまいし……。それに箒は"界塚"呼びなんだな)
「そうだ一夏。わかっていると思うが今日の放課後も特訓だからな」
「えっ!」
一夏は聞いていない、と抗議しようとした。
だが箒の一睨みに先手を打たれ、容易く封じられてしまう。
こうなると彼女に言うことはそう易々とは覆せない。
しかし救いの手は思わぬ方向から差し伸べられた。
「箒。悪いけど僕と一夏は先約があるから」
「むっ!?」
「えっ?」
(先約? 俺は聞いてないぞ!?)
「今日の放課後はシャルロットに専用機を使った実演をしてもらう約束をしているから、剣道を使った訓練は明日以降に回そう」
「そうか、それは仕方ないな。……だが一夏、セシリア・オルコットとの決闘までにお前を鍛えなおすという約束は忘れるなよ」
「あ、ああ」
最後に念を押して去っていく箒を見送りながら、一夏は伊奈帆に聞いた。
「なあ、伊奈帆。お前いつの間にシャルロットとそんな約束してたんだ?」
(箒に扱かれた後はそんな様子はなかったし、時間があるとすれば二人で見学をしていたときか。もしかしたらメールか何かでアポを取ったのかも)
「してないよ。そんな約束」
「へっ!? だってお前さっき――」
「昨日の筋肉痛がまだ治ってない。今日は運動は休むと決めていたんだ。だから嘘を吐いた」
一夏は感心した。
あの鬼気迫る様を前にして顔色一つ変えずに嘘を吐くなど、並大抵の神経で為せることではない。
(―― って感心してる場合じゃねぇ!)
「バレたらどうするんだよ! 箒は嘘と卑怯を目の敵にしてんだぞ!」
「今から一夏がシャルロットに約束をとりつければ気付かれない。彼女なら一夏の頼みは断らないから」
「……それは俺に、嘘の共犯になれということか」
それで嘘が箒にばれようものならどうなることか。もう春だというに、一夏の体はぶるりと震えた。
「伊奈帆、恨むからな」
「僕は一夏を信じてる。それよりも箒がもう教室に入ろうとしている。シャルロットはもう登校しているかも」
「え? ……うわあぁぁ!!」
結局のところ、一夏はシャルロットの機転のおかげで辛くも難を逃れた。
しかしそのことで浮かれたせいで箒から厳しい指導を賜ったのは、伊奈帆にとって与り知らぬことである。
剣道とか全然知識無いのに無理して書いてみた。
ふいんきだけ出せたらいいなと思う。戦闘描写は今後の課題。
更新不定期タグを付けるべきかしら。