更識簪は怯えていた。
クラス代表対抗戦一年生の部、一組対四組の試合。四組のクラス代表である彼女の対戦相手は一組のクラス代表、織斑一夏。
一夏とは面識のない簪であったが、彼女は彼に対し恨みにも似た感情を抱いていた。その理由は男性IS操縦者である織斑一夏の出現によって簪の専用機開発が遅れているためである。
当初、日本の代表候補生である簪にはIS学園入学までに専用機が与えられる予定だった。その専用機開発を任されたのが、量産機シェア世界第二位を誇るIS『打鉄』を開発した『倉持技研』。だがその『倉持』は織斑一夏専用機の開発を日本政府より最優先指令として与えられてしまい、簪の専用機開発のための人材もそのために引き抜かれてしまった。もはや簪は倉持への期待を捨て自身の手による専用機開発を進めていた。そして今日の対抗戦までには専用機は間に合わず、訓練機の打鉄で出場する羽目になっている。
普段は自身の権利や立場を声高に主張しない彼女にとっても、代表候補生であるはずの自分が四人のクラス代表の中で唯一専用機を持たないことは十二分に屈辱である。
それでも簪は織斑一夏に責任はないこと、自分の思いが八つ当たりに近いものだということを自覚し、自分の感情を抑え込んでいた。
怒りや不満をぶつける為ではなく自分を応援しているクラスメイトに応える為、そして自分が専用機に相応しい操縦者であると証明する為に戦うのだと思いながら試合の開始地点に立つ。
目の前の大地が吹き飛んだのは、正にその瞬間だった。
知覚域外からの攻撃により整備されたアリーナの地面は抉られ、その破片共々に簪は吹き飛ばされた。
「な、なにが起きてるの……!?」
辺りには土煙が立ちこめ視界が効かない。それでも打鉄のハイパーセンサーはその土煙の向こう、ちょうど攻撃の着弾点のあたりに機影を捉える。
(……なにアレ? IS?)
しかしISが情報を認識したところで操縦者が混乱していては意味をなさない。吹き飛ばされた簪は起き上がることすら忘れ、ぼんやりと打鉄から送られてくるデータを眺めていた。
その隙が致命的となる。
突如眼前に現れた鋼鉄の塊。それがISの拳だと認識するより早く、簪は咄嗟に打鉄の肩部シールドを前に突き出した。
ガギイイィィンッ!!
辛うじて拳の直撃は防いだものの、大きく吹き飛ばされ体勢を崩す打鉄。距離を詰めた敵にさらに一撃喰らうも、今度は偶然スカートアーマーに当たり致命傷を免れる。
「――がっ!!」
蹴飛ばされた路傍の石のようにアリーナの地面を転がった打鉄は、客席前の障壁に激突しようやく動きを止めた。
痛みと恐怖に支配された簪は、それを眺めることしか出来なかった。
(私、死ぬの……?)
段々と輝きを増す光を見つめながら、他人事のように自分の未来を俯瞰する。
(アニメならヒーローが助けてくれるのに……。ああ、最後までこんなこと考えるなんてダメだなぁ。ごめんね、お姉ちゃん――)
限界までエネルギーを溜めた光が、簪の視界を白く ――。
「させるかあぁぁぁぁっっ!!」
上空からの剣戟。白式の奇襲を躱したことで未知のISの狙いは逸れ、光線は簪の後ろの障壁を破壊するだけに終わった。
一夏は未だ茫然としている簪を庇うように、襲撃者の前に立ちふさがる。
「なんなんだアンタは!? 何が目的でこんなことをする!!」
一夏は駄目元で襲撃者に呼びかけながら、その異様な姿を観察する。
それは一夏がこれまで目にしたどのISにも似つかない姿をしていた。
直立したまま地面まで届く巨大な両腕。『
「くそっ! えっと四組の代表さん。動けるか!?」
「あ、あ……」
一命を取りとめた簪だったが、まだ恐怖と混乱から回復していない。むしろ今さらになって死が直前まで迫っていたという事実を認識して動けなくなってしまっていた。
その間にも襲撃者のISの攻撃は止まらない。一夏は雪片で競り合うがアリーナとの障壁に挟まれた閉所であるため存分に刀身を振るえず、零落白夜の刃を突き立てることができずにいた。むしろその巨腕によるパワーに押され一撃毎に後退していく。
しかし後ろには動けない簪がいる。これ以上は下がれない。
「このままじゃ、やられる……!」
「一夏、
プライベートチャネルの通信。その声を耳にした瞬間、一夏は許される限り後ろに飛退いた。
直後、一夏と敵ISの間に爆発が起きる。
それにより敵ISが怯んだ隙に一夏は簪を抱え上げ、アリーナの外縁に沿って逃げだす。逃亡する二機を追おうとする襲撃者を追加のグレネードが阻んだ。
「二発命中」
一夏の逃走を援護した伊奈帆は冷静に相手を観察する。グレネードの爆発による黒煙はすぐに晴れた。
「目標健在」
襲撃したISの装甲には汚れが付くばかりで目立った損傷は見受けられない。中々手強そうな敵だと、伊奈帆は認識を上方修正する。
「援護、助かったぜ伊奈帆。ところでいつの間に来たんだ?」
簪を抱えた一夏が伊奈帆に合流する。ようやく落ち着いたらしい簪はおずおずと一夏の腕から降りた。
「一夏の後を追ってね。それで、どうする?」
「どうするもなにも――」
その時、二人に割り込む形で通信が入る。発信者はモニタールームにいる真耶だ。
『織斑くん、界塚くん、更識さん!! 無事ですか! すぐに先生たちが駆けつけますから、それまで持ち堪えて下さい!!』
退避命令ではなく『持ち堪えろ』。伊奈帆はすぐにその異常に気が付いた。
「救援到着までの時間を具体的に教えてもらうことはできますか?」
『……分かりません。現在このアリーナのシステムは皆さんの目の前のISにハッキングされています。遮断シールドは特別緊急事態用のレベル4、アリーナに通じる遮断壁や扉は全てロックされています。現在三年の先鋭チームが解除を試みていますが、目処は立っていません』
「それってヤバくないか!?」
「そんな……」
「分かりました。客席の避難状況は?」
『観客用の避難通路も閉ざされていて一向に進んでいません。そちらの救助作業にも人員を割いています』
思っていた以上に深刻な事態。三人の間に沈黙が流れる。それを最初に破ったのは一夏だった。
「……山田先生。俺たちは平気です。客席の人たちの救助を急いでください」
『織斑くん!? でも皆さんは一番危険な場所にいるんですよ!?』
「ISがありますから。それに三対一ならきっと勝てます」
『でも――はい。えっと代わります』
通信が真耶からもう一人の教師に切り替わる。
『織斑。その言葉、信じていいんだな』
「千冬ね――」
『織斑先生だ。とりあえず無理をするな。逃げるだけ逃げて敵を翻弄するだけでもいい』
「わかった、やってみる」
通信が切れる。一夏は二人を見渡した。
「ごめん、二人とも。勝手に決めたのは悪いと思ってる」
「一夏の選択は間違ってない」
「私も、怖いけど逃げちゃいけないのは知ってるから……!」
「そうか、それじゃあ――」
三人は襲撃者のISを見据える。敵は三人が話してる間、観察するかのようにこちらを見ていた。不気味な相手だが怯むわけにはいかない。
「止めるぞ、奴を」
◇
「……と、いう訳だ。ここはあの三人に任せるしかない」
千冬は落ち着いた様子でプライベート・チャネルの通信を切る。だが冷静でいられないのはこの場にいる生徒たちだった。薫子はハッキング解除のための助力に向かったため、この場には箒、鈴、セシリア、シャルロット、韻子がいる。これだけの人数がいるモニタールームは中々に騒がしい。
「そんな! 一夏さんたちが危険ですわ!!」
「待ってください! 伊奈帆のスレイプニールはさっきの試合のダメージが回復してないんです!!」
「先生、僕たちに出来ることはないんですか!?」
「ちょっ、ちょっと落ち着きなさいよアンタたち。山田先生からも何とか言って――」
「ど、どどどどうしましょう織斑先生ぇ!??」
「山田先生……」
「まあ落ち着け。コーヒーでも飲むといい。糖分が足りないからイライラするんだ」
そう言って千冬はコーヒーに白い粒子を入れて攪拌し、真耶に差し出す。しかしその一部始終を真耶はしっかりと見ていた。
「……あの織斑先生。いま入れたの塩でしたよ。砂糖は隣です」
「……なぜこんなところに塩がある」
「さあ? ……あ、でもやっぱり弟さんのことが心配なんですね! だからそんなつまらないミスを――」
「違うな。私が入れたのは砂糖で塩というのは山田先生の見間違いだ。という訳で飲め。これは砂糖入りのコーヒーだ」
「……はい」
真耶は押し付けられたコーヒーを受け取る。世界にはコーヒーに塩を入れる飲み方は存在するが、それはあくまで隠し味。砂糖たっぷりのつもりで塩を入れたコーヒーは苦みと塩味の折り合わないコラボレーションだった。
「ううっ不味い……」
「先生! 遮断シールドを破壊することはできないのですか!?」
「そうよ! 私の甲龍のパワーなら――」
「残念だがそれは無理だ。確かにIS競技用アリーナの遮断シールドの原理はISのシールドエネルギーと同じだ。だがその役割は絶対防御を持たない観客をISの攻撃から守ること、おまけに今は非常用コンデンサーを利用しシールド発生装置に大きな負荷をかけるレベル4に設定されている。並みのISの攻撃では歯が立たないだろう」
「……《零落白夜》なら……」
千冬の話を聞いたシャルロットがぽつりと呟く。
「エネルギーを無効化する白式の零落白夜なら、遮断シールド破って救援を招き入れることができるんじゃないですか!?」
「!! そうだ! 一夏の白式なら出来るはずだ!!」
「……それも難しい。現状、外部からの侵入を拒んでいる遮断シールドは同時に敵ISのエネルギー兵器から客席の生徒を護るシェルターの役割を果たしている。そのどこか一ヶ所を破れば影響はシールド全体に波及し客席に危害が及ぶリスクがある。破るとすればここ、ピットからの出入りを塞いでいるシールドだが、そのためには一夏が敵に背を向け戦線を離脱しなければならない」
「三人いるのでしたら一夏さん一人が抜けても大丈夫なのではないですか!?」
セシリアの言葉に他の四人も賛同する。
「…………」
だが戦いの様子をモニターで観戦していた千冬には、そうは思うことができなかった。
◇
「ウオオォォォ!!」
スレイプニールの援護射撃によって回避先を封じられた敵ISに、零落白夜の刀身を掲げた一夏が斬りかかる。だがあと数十センチで刃が届くという瞬間、敵ISの全身に設けられたスラスターが稼働し回避行動をとらせる。
「チッ!!」
初撃を空振った一夏が二の太刀を繰り出そうとするも、敵ISが姿勢を立て直す方が速い。闇雲に腕を振り回すような攻撃に回避を余儀なくされた。
「踏み込み過ぎ。下がって」
一夏は伊奈帆の援護射撃に支援してもらいながらその腕の範囲から離脱する。直線での機動性では白式が上。振り回される腕から発射される熱線を躱しながら一夏は距離を取った。
これでアプローチは三度目の失敗。
「悪い伊奈帆。またミスった」
「大丈夫。焦らないで一夏」
「焦るなっつっても……!」
数の上では三対一だが状況はあまり良くなかった。
戦いが始まった時点で万全と呼べる機体は一夏の白式のみ。スレイプニールは直前の甲龍との試合のダメージが残っているうえ使用した銃火器を整備に回してしまったため装備・弾薬不足。打鉄も襲撃直後の攻撃によってシールドエネルギーを大きく削られてしまっていた。さらに悪いことに簪が未だ恐怖から脱しておらず、敵のターゲットにされることを恐れ、近づくことも積極的に援護することも出来ない状態にいる。
遠距離の攻撃手段を持たない白式が前衛、スレイプニールが後衛という形で何とか均衡を保ってはいる。
だがそれも
(伊奈帆のISの弾丸も残り少ない。四組の代表……更識さんも早く逃がさないといけないのに!!)
「一夏はピットのゲートに向かって。ここは僕が食い止める」
「食い止めるったってどうするつもりだ!? あいつがスレイプニールの攻撃で止まるのは一瞬だけだ!」
「遠距離ならね。近接戦を挑む」
「……っ! ダメだ。スレイプニールの防御力じゃ危険すぎる。武器だって、あの折れやすい刀しか残ってないんだろう!?」
「確かに戦線維持なら打鉄が適任だ。でもあの娘には任せられない」
一夏は簪を振り返った。危険な役割を強要するつもりはない、ただ仮にも代表候補生なのだからという期待を込めての視線を向ける。
「ひっ!?」
しかし簪はその視線にすら怯えてしまう。これでは伊奈帆の言う通り前衛を任せることはできないだろう。それどころか一夏が離脱すると知っただけで恐慌してしまいそうだ。
(彼女を責めるな。あんな攻撃を喰らったんだから怯えて当然だ。ここはやっぱり、俺がやるしかない……!)
一夏は四度目の突撃を覚悟し雪片の柄を握りしめる。その時ふと、あることを思いついた。
「なあ二人とも、あいつの動きって何かに似てないか? ……なんつーか機械染みてるって言うか……」
「えっと、ISは機械だから……」
「そうじゃなくて……。そう、ロボットとかプログラムみたいな感じがする。まるで人じゃないみたいだ」
「そんな……!? ISは人が乗らないと絶対に動かないはず。人が乗ってないなんてあり得ない!」
「一夏が言うことは理解できる。各アプローチの度に奴の回避運動はその精度を増している。その動きから基本パターンを排除すれば、浮かび上がるのは機械的アルゴリズム。人の脳による学習行動は出てこなかった」
「本当に、無人機だって言うの……?」
「『人が乗らなければISが動かない』というのは人類が共有している経験則でしかない。無人機の可能性もある。もっとも、IS稼働のための搭乗者と操作する機械部分の両方が乗っている可能性も捨てきれないけどね」
「なあ伊奈帆。仮にあいつが無人機だとしたら、何か策はあるか?」
「あることはあるけどすべては可能性に過ぎない。一つずつ試していこう」
「分かっ―― 来るぞ!!」
地上にいる敵ISから放たれる熱線を、三人は散開して躱す。
「大人しく話を聞いてると思ったら――」
左右に散らばった白式とスレイプニールは反撃に打って出る。スレイプニールが二挺のアサルトライフルによる銃撃を浴びせ、敵が回避や怯んだ隙に白式が切り込む。この戦いにおける定石だったが、それは敵ISの思わぬ行動によって崩れた。
襲撃者は散らばった二機には目もくれず、一直線に打鉄に突撃する。今までになかった襲撃者の行動に簪は意表を突かれた。
「キャアァァァー!」
「更識さん!!」
「姿勢制御を! 立て直して!!」
拳に打ち据えられ地上へと落下する打鉄。満足に抗うことも出来ず、そのまま地表に叩きつけられてしまう。襲撃者はその打鉄の上に跨り、両腕の砲口を向けた。
「やらせねぇ!!」
瞬時加速で追いついた白式が零落白夜の刃を振り上げる。
「違う!! 罠だ!」
だがそれを予期していたかのように、襲撃者はスラスター制御により振り返った。エネルギーを充填完了した両腕は直線運動しか執れない白式に向けられている。
白式がいるのはスレイプニールと襲撃者を結ぶ直線上。伊奈帆の位置から援護射撃をすることはできない。
一夏は直感的に自分の危機を察知した。
(―― やられる!!)
『―― やらせないわよ』
突如飛来した一本の槍が、襲撃者の腕に突き刺さる。正確には装甲が薄い熱線の砲身付近。エネルギーを充填していた右腕は暴走し、爆発を引き起こした。
「な、なんだ!?」
「なんだとは失礼ね。せっかく助けに来たのに」
思わぬ事態に混乱する一夏の後ろに、一人のISを纏った少女が降り立つ。倒れていた簪はその少女を見た瞬間驚きの声を上げた。
「―― お、お姉ちゃん!?」
「お姉ちゃん?」
「はーい。そうでーす。更識簪の姉、更識楯無! よろしくね、一夏くん♪」
増援に来た少女はひらひらと手を振って挨拶をした。
更識楯無、あっさり登場。
原作だと二学期以降の登場なのでだいぶ早いですね。シリアスな展開には使い勝手のいいキャラです。