艦これ的怪談   作:千草流

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2.船幽霊

「手が伸びてきたのです」

 

その言葉から語り始めたのは電であった。部屋の中では未だに蝋燭の明かりだけが優しく輝いている。

 

「その頃はまだ司令官も着任したばかりで、人手もまだまだ少なかったので私も一人で遠征や出撃をすることが何度かあったのです」

 

昔を懐かしむように、電は静かに瞼を降ろした。当時を思い出すために幾分かの時間を掛け、再び瞼を上げた。

 

「その日も私は一人で鎮守府の近海に遠征に出ていたのです。ただ不思議なことにその日は深海棲艦の姿が全く見えなかったのです」

「おかしいなあ、と思いながらも深海棲艦がいないなら順調に遠征が行えると思ってあまり気にしてはいなかったのです。それで高速修復材も手に入ってそろそろ鎮守府に帰投しようと思った時にそれは現れたのです」

 

―――パシャ

 

水が跳ねたような音が、聞こえた気がした。締め切った室内に水気の物はなく、そもそも誰もが身を固めて語りを聞いている中でそんな音が聞こえる筈は無かった。

 

―――パシャ

 

「スゥっと手が海から伸びてきたのです」

「私は初め、それが何なのか分からず呆然とその手を眺めていたのです。でもやがて白く蠢くそれが手であることに気が付いて慌てて砲を向けたのです。深海棲艦の潜水艦が現れたのだと思ったのです。勿論、いままで鎮守府の近海で潜水艦が出たという報告無かったので私は慌てました」

「その手は何かを探すようにフラフラと動いていたのです。砲を構えたまま少しして、その手の主が姿を見せないことをおかしいと思い始めました。それになんだか、その手は凄く悲しいそうだと思ったのです」

 

―――パシャ

 

また水が跳ねた。誰かが水を撒いた。

 

「攻撃してくるわけでもなく、ただフラフラ、フラフラ、そんな様子を見て、理由も分からずにただ可哀想だと、そう思ったのです」

「私はどうしていいか分からずに一人で海の上でオロオロ、オロオロ、していたのです。そうしているといつの間にか手の数が、一本から二本へ、二本から三本へとどんどん増えていったのです。それで更に混乱していた私に誰かが声を、掛けてきたのです」

「静かな、低い声で誰かは私に言ったのです」

 

―――パシャ

 

―――パシャ

 

一人が水を撒いた。二人が水を撒いた。或いは一人が何度も水を撒いていたのかもしれない。

 

「柄杓をくれ」

「その声が確かに聞こえました。驚いて周囲を見渡しても、そこにはいつも通りの海と、その海から突き出ている手があるだけだったのです」

「私はそこで、初めて恐怖を感じたのです。おかしなことにそれまでは海面に伸びるその手を全く怖いとは感じていなかったのです」

 

―――パシャ

 

誰だ、誰が水を撒いている。音が、水の音が静かに部屋の闇に吸い込まれる。

 

―――パシャ

 

幾人かが、自分の身体に水が掛けられているように錯覚した。冷たい、冷たい、身体が冷たい。

 

「そこからひたすらに、柄杓をくれ、柄杓を、柄杓を、と声が私に語り掛けてきたのです」

「やめて!怖い、嫌、沈むのは嫌なのです!そう思って耳を塞いでも声は私の頭の中に、直接響かせるように語り掛けてくる!逃げなきゃ、逃げなきゃいけないのです!思考とは反対に身体は凍り付いたように動かない!」

「そこで私は耳と目を閉じて、その声が聞こえなくなるのをじっと待ったのです」

 

―――パシャ

 

蝋燭の暖かさがだけが、凍り付きそうな身体を癒してくれるように感じた。

 

「それでも、いつまで待っても声は鳴りやみませんでした。柄杓を、柄杓を。柄杓なんて持っていなかった私にはどうすることも出来なかったのです」

「でも、どうにかしないとこの声は消えないと思って、柄杓の代わりに高速修復材の入ったバケツの中身を捨てて、その手に差し出したのです。その手がバケツを受け取った途端、ピタリと声は止んだのです。そこでホッとして彼が満足して消え去るのを待ったのです」

 

―――パシャ

 

―――パシャ

 

―――パシャ

 

そこで一息、電は間を置いた。誰かが自分の身体を抱いている、寒い、冷たい。

 

「彼らはそこで、空のバケツに水を汲んで、そのまま私に水を掛け付けてきたのです」

「冷たい、そう思った時には手はバケツにまた水を汲んでいたのです。まさかまた、と思っていると想像通りにその手は水を掛けてきたのです。いったい何がしたいのか分からないまま、手は私にひたすら水を掛けてきたのです」

「逃げよう、そう思っても身体は震えてまるで動けなかったのです。何度も何度も水を掛けられ続けている内に、私は寒気を感じてその場に蹲ってしまったのです」

 

―――パシャ

 

語る電の瞳には恐怖の色が見えなかった。恐ろしい体験をしてきた筈、なのにその瞳は揺れ動く蝋燭のように優しく暖かだった。

 

「冷たい、冷たいがいつの間にか悲しい、悲しいに変わってたのです」

「悲しい?何故?私が悲しい?違う、そうじゃない、悲しいのはきっと…」

「そう思った時、海面から伸びる手が泣いているように見えたのです」

 

―――パシャ

 

「泣いている!」

「その事に気が付いた時、私は考える間もなくその不気味な手に自分の手を伸ばしていたのです。その時もずっと水は掛けられ続けていたのです」

「でも、掛けられた海水に混じって、自分の目からも涙が零れていたのです。なんで泣いていたのか、自分でも全く分からなかったのです、でもとても悲しくて、寂しくて、そんな気持ちになったのです」

 

―――

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、私は意味も分からず泣きながら謝り続けていたのです

 

寒くない、水の音はいつの間にか消えていた。

 

「泣いて、泣いて、謝って、謝って、身体に掛かる水が自分の涙だけになっていることに気が付いた時、手はいつのまにかいなくなっていたのです。水を掛けられ続けていた筈なのに身体には涙と波しぶきで軽く濡れた跡しか残っていなかったのです」

 

「その場には中身のないバケツだけ、浮かんでいたのです」

 

「あれが誰の手だったのか、それは今も分かっていないのです。でも私が手を差し伸べたこと、それは間違いなんかじゃなかったと、きっとそうだと確信しているのです」

 

沈黙が広がり、電は語りを終えた。

 

―――パシャ

 

最後に一撒き、水が跳ねたような気がした。

 

怪異の夜はまだ続く。




船幽霊:船とその乗組員と思われる幽霊や亡霊、海上で行き会うと柄杓を要求してくる。この時に正直に柄杓を渡すとその柄杓で水を船に入れられ船を沈めようとしてくる。海で死んだ人たちが他者を道ずれにしようとするのである。沈んだ艦娘が深海棲艦となる設定がよくよく見られるが、こういった怪異が元ネタに近いと考えられる。

対策、そもそも柄杓を渡さない
   穴の空いた柄杓を用意してそれを渡す


全国的にみられる恐ろしい怪異だが、穴の空いた柄杓で水を汲もうとして穴の空いていることに気が付くと大人しく撤退する。なんか可愛い。

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