どうしよう、誰か助けて。
目の前で少女が泣いている。しかもただの少女じゃなくてかなりの美少女である。しかしほんとに可愛いなこの子。
そんな子を泣かせてる罪悪感が半端ない。いやまあ流れ的にこれは嬉し涙であって俺は悪くないはずなんだけどさ。
一緒に来ていた女の子二人――これまた美少女――に助けを求めて視線を送る。が、二人揃って「お任せします」と言わんばかりのジェスチャー。
ああ、そうですか……。
そんな感じで軽く絶望していると乱入者が現れた。
「あー、お兄ちゃん女の人泣かせてるー」
唯ちゃんのその一言で子ども達の感心が一気にこっちへ向く。
「意地悪したの?」「ダメなんだー!」「ちゃんと謝らなきゃいけなんだよ」「勇気さんの彼女ですか?」などなど全員が騒ぎ立て始めた。全部聞き取れる俺マジで聖徳太子。言ってる場合か。
このままじゃ落ち着いて話もできないと、騒ぐ子ども達の追及をなんとか
「何もないところだけどどうぞ」
「し、失礼します」
三人に窓際のソファーを勧め、俺はベッドに腰かける。俺と女の子三人が向き合うような形になった。
さて、これで腰を据えて話ができるな。
「さて、じゃあ改めて自己紹介でもしようか。俺の名前は綾部勇気。歳は十九。今日はお見舞いに来てくれてありがとう」
「高森藍子、十四歳です。私の方こそ危ないところを助けていただいて本当にありがとうございました」
ようやく泣き止んでくれた高森さんがそう言いながら深々と頭を下げる。なんというか言葉遣いや所作が丁寧な子だ。どこかのお嬢様だったりするんだろうか。
「ど、道明寺歌鈴といいます。わたしは藍子ちゃんのお友達で、だからその、わたしもお礼が言いたくて……藍子ちゃんを助けてくれてありがとうございましたっ!あ、歳は十六歳でひゅ!」
(噛んだ)
とはさすがに突っ込まないけど。
「アタシは北条加蓮、十四歳の中三だよ。今日はまあ藍子の付き添いってやつかな」
一番砕けた態度の北条さん。これくらいフランクだと俺としても会話がしやすい。
「高森さん、道明寺さん、北条さんだね。あ、飲み物どうぞ」
冷蔵庫に入れっぱなしになっているお茶やらジュースを適当に取り出して三人に差し出す。
定期的に武内さんや孤児院の院長――熊倉さんが見舞いに来たついでに色々持ってきてくれるので冷蔵庫の中身は潤沢だったりする。ありがたや。
ありがとうございます、と言いながらそれぞれ飲み物を口にする彼女達に向かって俺は早速切り出す。
「ところで高森さん。それと道明寺さんも」
「なんでしょうか?」
「は、はい!」
「もしよかったらこれにサインお願いします」
へへー、と土下座をする勢いで、俺はインディゴ・ベルのデビューシングルと一本のサインペンを取り出す。
すると三人がポカンとした表情を浮かべ、ちょっとの間動きが止まった。その中で一番早く再起動したのは高森さんだった。
「あ、あの……綾部さんは私達がアイドルだって知っていたんですか?」
「知ってたというか武内さんから君達がアイドルだって聞いてさ。これも何かの縁だからファンになろうかなって」
つまりはニワカもいいところだが。
ちなみにこのCDは、俺がインディゴ・ベルのファンになると言ったその二日後に武内さんが再生機器と一緒に持ってきてくれたものだ。あの人いい人すぎない?
悲しいかなちょうど俺の病室に遊びに来てた小児病棟の子達には怖がられてたけど。見た目で損しすぎである。
「あはは、何それ。そんなきっかけでファンになる人初めて見た」
ケラケラと北条さんが笑う。それにつられて俺も笑い出した。
「はは、やっぱりそう?武内さんにも驚かれたよ」
ただまあ、なんと言おうと縁は縁だ。
記憶喪失中の俺にとってはどんな繋がりでも大事にしたい時期なのである。……あれ、やっぱ俺、少し弱ってんのかな?
結構センチなこと考えてるなぁと思いつつ北条さんと二人して笑っていると、高森さんと道明寺さんの顔もほころんだ。そしてサインももらえた。
「ありがとう、家宝にするよ」
いかにも
そんな二人に癒されていると、今度は北条さんがバックの中から何かを取り出す。
「あー……もしよかったらこれもいる?」
「ん?」
北条さんがくれたのはこれまたCDだった。タイトルは『薄荷‐ハッカ‐』、歌っているのは……
「おお、北条さんもアイドルなのか」
クレジットされているのは『北条加蓮』の文字。
いやまあなんとなく察していたというか、アイドルやってる高森さんや道明寺さんと同レベルの美少女具合だからそうだろうなとは思っていた。すでにCDデビューしているというのはびっくりだけど。
「まだまだ新人だけどね」
「それでもCD出してるんだからすごいって。当然、ありがたく頂戴するよ。あ、サインもね」
「はいはい」
アイドルの直筆サイン入りCD、二枚ゲット。本物のファンからしたら垂涎ものだよな。俺みたいなニワカがこんなもの頂いちゃっていいのだろうか。
……ああ、俺がガチのファンになれば解決するわ。順序が逆だけど別に構わないだろう。
しかしお見舞いに来てくれた三人全員がアイドルとは。不謹慎だが事故った甲斐もあるというものだ。なんて吞気なことを考えていたら病室のドアがノックされた。
「綾部君、いるかい?」
「はい。野川先生ですか?」
スライド式のドアが開かれ、少し腹の出た中年の男性、野川先生が現れる。
先生は病室内の様子を目にするとわずかに目を丸くする。そして苦笑いを浮かべながらこんなことを言ってきた。
「両手に花とは羨ましいね。お邪魔だったかな?」
「おっしゃる通り……って言いたいとこですけど、この子達はアイドルなのでそういうのは冗談でも禁句です」
「アイドル?ああ、武内君のところの」
得心が言ったように先生は頷く。
「あ、あの、何かお話があるのなら私達は……」
「いやいや、構わないさ。雑談ついでに立ち寄っただけだからね。むしろ綾部君と色々話してほしいくらいだ。その方が彼の刺激にもなる」
喪失した記憶を思い出すためには会話や体験から脳に刺激を与えるのがいいらしい。とはいえリハビリ中の身なのであれこれやることは難しく、かつ家族が付き添ってくれる環境でもないので、野川先生が忙しいだろう時間の合間を使ってこうして俺と会話をしに来てくれているのだ。
だから俺としても可能な限り病院内をうろつき回って脳に刺激とやら与えている。今のところ成果は出てないけども。
「治療の一環とはいえ所詮は雑談するだけだ。綾部君からしてもそっちの方が楽しいだろう?」
「そりゃまあ中年のおっさんとマンネリ気味のトークしてるよりは可愛い女の子とおしゃべりしてる方が楽しいに決まってますよ」
お互いに、にやり、と笑いながら言葉を応酬する。頻繁に顔を見せてくれるおかげでこうも気安く接することができるのは、野川先生がいい医者だという証明なのかもしれない。
俺自身はあまり実感ないけど、冷静に考えて記憶喪失の上に親に捨てられて天涯孤独の身とか結構重たい環境である。実は気が付かない内にメンタルに負担がかかってるのかもしれないし、それを観察する意味合いもあるのだろうとは思うけど。
「そういうことだ。今日は君達に綾部君を任せるよ」
「心外な。その言い方だとまるで俺が手のかかる人間みたいじゃないですか」
「まさにその通りだよ。私としては彼女達に一任したいくらいさ。どうだい?もしよかったら定期的に彼の世話を焼きに来てくれると助かるんだがね」
何言ってんだか、と苦笑する俺。まあ野川先生としても軽い冗談で言っただけなのは明白だ。
そう、冗談。軽口。ジョークである。
しかしこの発言がただの冗談で収まらなくなってしまったのは、俺と先生が何かを見誤ったからなのか、それともそれ以前の問題だったのか。なんにせよ覆水は盆に返らないわけで。
思えば言葉を交わしてすぐに真面目な子だなぁ、という印象は抱いていた。けどそれは、裏を返せば思いつめやすい子だとも言える。というか、実際そうなんだろうさ。
「はい、そういうことなら私がやります。いえ、やらせてください!」
ものすごく意気込んだ様子で高森さんが俺のお世話係なる内容不明の役職に立候補したのは、彼女の真面目さ故である。助けてもらったことに対する恩返しだとか、思いつめていて冗談だと認識する余裕がなかったとか、他にも要因はあるかもしれないけど。
後々にして、俺はこう思う。もしかしたらこの瞬間から、俺と高森さんの運命と呼ばれる類のものが明確に絡まり始めたのかもしれないな、と。
藍子達の年齢に関してちょっと解説。
プロフィールでは藍子と加蓮が十六歳、歌鈴が十七歳ですが、この小説ではそれをアニメ時間の年齢と設定しています。
今はアニメ開始の一年前の五月。
なので藍子と加蓮はまだ中学三年生で、二人とも誕生日が来ていないので十四歳となっています。歌鈴も右に同じ。
この小説の中で七月を迎えれば藍子が十五歳、年が明けて四月(アニメ開始時)になれば高校一年生、となります。