頬を撫でる風は生暖かく、けれど決して優しくはなく時折吹く強風に、決して長いとは言えない男の髪が流される。それでもずっと室内にこもってデスクワークをしていた矢口にとっては、外の空気は気分転換とつかの間の息抜きになった。
高層ビルの屋上から見渡す眼下には、崩壊したビル群と全壊し押し潰れた住宅街が広がっていた。四方から絶えず聞こえるのは瓦礫を撤去する重機の音。日本の総力を挙げてゴジラによって深刻な被害がでた神奈川東京復興に取り掛かっている。
これが夜になれば、電気がまだ復旧しておらず、部分的に暗闇に閉ざされてしまうせいで被害地域をはっきり視認できる。
つい先日、日本を陥れた未曾有の危機は戦争と言っても差し支えないものだった。
戦後初めての自衛隊による武力行使。
世界の歴史に刻まれた一大事件だ。
「各国がこぞって支援を申し出てきているわね。支援規模の差はあっても、普段なら先進国に支援されている側の国々もだわ。もしかしたら世界中に存在するすべての国かもしれない。日本はほんと愛されてるわね」
矢口の隣に立ち、同じように東京の有様を眺めるカヨコの言葉に、どこか他人事のような響きを感じたのは、自らの些細な傷心に過ぎないと受け流す。
カヨコは日本人のクォーターであるものの、国籍はアメリカであり現在も米国大統領特使として日本に滞在している。そして今後の支援とゴジラの共同管理について駆け引きの真っ最中であるわけだ。
「支援か……支援はもちろん受ける。ただし期待されるほどの見返りは保障しない」
戦争なら戦う国と国があり、勝った国と負けた国に分かれ、双方に利益損害の影響が付随する国々が存在するわけだが、今回に関しては戦った相手は国(人間)ではなく巨大生物:ゴジラだった。
その点だけは通常の戦争とは異なる点となる。
敗戦国に遠慮することなく援助を申し出ることができるのだから。
もちろん日本としては支援はありがたい。ゴジラによる被害規模はまだまだ膨れ上がる一方だ。亡くなった人だけでなく生き残った人、家を失った、仕事を失った国民への支援と援助を国として行っていかなくてはならないのだから。
金はいくらあっても足らない。
巨大生物の襲来は全世界にあまりにも大きな衝撃を与えた。
とりわけ最も支援と援助に積極的かつ支援額も他国と比較しても巨額で、その支援規模に比例してゴジラの共同研究を要求しているのが太平洋を隔てた隣国だが。
実際ヤシオリ作戦では一機何百億する無人機を撃ち落とされると分かってて何台も提供してくれたので、その無償提供に対する<見返り>は国家として求めてしかりだろう。
ヤシオリ作戦が成功しゴジラを凍結した今、隣国だけでなく体内で核融合を行いエネルギーを生み出す超生物の生物情報を世界各国は欲しがっている。
遠くに見えるゴジラの影。
東京に凍結したゴジラがそびえるこの風景が日常化するのは、矢口にはそれほど遠くない未来のような気がした。
泉が以前言っていた<スクラップアンドビルド>
第二次世界大戦後、焼け野原となった土地の上に日本は家やビルを建てた。そんな建造物らはゴジラによって無残にも破壊されたのだが、再び<スクラップアンドビルド>で立ち上がっていかなくてはならない。
「ねぇ、少し雑談、でもしない?」
雑談と言うからには矢口の内閣官房副長官やカヨコの米国大統領特使としての立場を離れての<オフレコ>ということだ。
常にエリート政治家らしい言動しか見当たらないカヨコに珍しいと内心思いつつ、矢口はその雑談に付き合うことにした。
「なんだ?」
「尻尾の部分、あれがゴジラの進化……第五形態だと思う?」
政治の外は専門外だ。矢口が事務局長として兼任している<巨大不明生物特設災害対策本部>に召集された専門家なら、その豊富な知識に相応しい返事が出来ただろう。
となると、矢口には直感であの尻尾の形状を例えるしか出来ないのだが、
「第五形態かどうかは分からないが、この地球上に存在する生物の中で最も近しい生物で例えるなら『人間』だな」
初めてその映像を見た時の直感そのままに言う。
それも一体ではない。複数の人型をした何かがゴジラの尻尾から、正に分裂しようとする瞬間、注入した凝固剤の作用で固まっていた。
「人間の姿をしたゴジラ。大統領に進言していた専門家たちの中にも、あの進化を予測した人は誰ひとりいなかったそうよ」
「次の進化は羽根を生やし、空を駆けるというのが多数意見だったらしいな」
「ゴジラの進化は地球の生物の進化ルートに沿ってるわ。エラ呼吸、エラ肺を使った両生類、そして肺呼吸と二足歩行。羽根が生えるのはその進化の線上にあって最も確率が高かった」
「最初に体内で核融合でエネルギー生み出すところが、人間の進化との差か」
「でも巨大な体を持つゴジラだからこそ体内で核融合を行いエネルギーを生み出し蓄積することができていたのよ。それがあの小ささになってしまえば単体で核融合できるかすら怪しいところよ」
否定的なカヨコの意見は、恐らく誰か専門家のレポートでも読んだのだろう。
本来の進化に反する進化。
ゴジラは人間の8倍の遺伝子情報を持ち、超スピードで進化していく。
ゴジラの進化はその進化スピードを別視すれば、カヨコの言うとおり地球の生物進化のルートに沿った進化をしているというのは矢口も否定しない。
現に米国だけでなく各国の有識者たちが次の進化ではゴジラ本体が羽根を生やし、海を越え、被害が全世界に広がる恐れがあると警鐘していた。その被害を最小限に食い止めるために、多国籍軍は日本のそれも東京に熱核兵器を落とす決断をしたのだ。
ゴジラが凝結された現在でも多国籍軍による熱核攻撃のカウントダウンは一時停止であるため、ゴジラが活動した時にはカウントダウンは再び動き始め、熱核攻撃で即時ゴジラ殲滅の体制が継続している。
超スピードで進化するゴジラに対し、進化をさせる時間を与えない為であり、日本も安保理加盟国としてこれを承認している。
「あの尻尾の形状を本当にゴジラのネクストステージとするなら、進化ではなく退化とも受け取れるわ。仮に人間のカタチをした自らのコピーを作り、攻撃してくる人間に対抗しようとしていたとしても」
「敵としてではなく、退化してでもゴジラが得たかったものが他にあるとするなら?」
「え?」
矢口の問いかけに、それまでまっすぐに前を向いていたカヨコは思わず隣を振り返った。
それを視界の端に捉えつつ、矢口は前をまっすぐ向き、大気に輪郭がうすらぼやけるゴジラを見続けた。
ゴジラは超巨大単体生物であり、超スピードで進化する。
外部環境に対応して、急速に体を作りかえる。
ゴジラに本当に知性があったのか今となっては、今後有識者たちがどれだけ意見を出そうと決して憶測の域を出ることはないだろう。
だが、ゴジラが見せた超進化スピードを踏まえるなら、進化の過程で知性を得ていた可能性は十分にあると矢口は考える。
何千、何万年と海中奥深くでたった独り生き抜いてきた生物が、恐らく初めて海の上へと出て、陸に広がる世界を見た。
初めに海から上陸した時の映像や写真から、素人の考えで判断するに、眼の造りは魚類のソレに酷似している。
薄らと白く濁って見えるのは、魚の目と同様にタンパク質が多く含まれるため、水中では透明だが水揚げし、熱で白く濁ってしまった所為と考えられる。
陸上と水中の生物では、取り込んだ光を屈折させ映像として処理する目の水晶体のカタチが違う。楕円形の水晶体を持つ人間に対し、球体の水晶体を持つ魚は、空気中では光の屈折で酷く近眼なのだとどこかで聞いたことがある。これは人が水中で目を開けてもよく見えないのと同じ原理だ。
きっと陸上に上がってもほとんど周りの景色は見えていなかった。
だが進化に伴い一度海へ戻り、再び陸へと上がったゴジラの視界には何が映ったのか。
深海で何万年生きてきた世界とは全く違う、未知の世界が広がり、それこそ空の蒼さを知った。
けれども――――個で進化を遂げていたゴジラにとって、自らを取り囲み攻撃を加えようとしている群体生物、それこそが驚きだったのではないだろうか。
意思疎通を行う群体生物たちと、個体であるからこそ意思疎通を必要としなかった単体生物。
そこで生まれて初めてゴジラは自らが独りであることを認識したのだと仮定するなら、
「きっとゴジラは人間と友達になりたかったんだ」
生き物は進化し知性を得ることで他者を認識し、<サビシイ>という気持ちを得るんじゃないだろうか。
そうして、それまでは身を守る為の進化を遂げていたのに、最後は人間に進化しようとした。
放射物を取り込み、体内で核融合を行い巨大なエネルギーすらも自ら作り出すという超進化を果たしたゴジラが、最後に辿り着こうとした進化が、進化の集大成である核融合を捨て、小さな人間になろうとしただなんて皮肉以外の何者でもないだろう。
もちろんこの考えも、なんの根拠もない矢口個人の憶測に過ぎない。
これを有識者に言えば妄想だと一蹴されてしまうのが目に見えている。
当たり前だが、閣僚の前で声高に提言する気もない。
「自分を攻撃してきた敵と友達に?」
矢口の答えがあまりにも予想外だったのだろう。きょとんと目を丸くさせたカヨコの表情に、これが見れただけでも収穫があったとは、矢口の胸の内だけにとどめておく。
「誰だって独りぼっちは寂しいものだろう?」
何万年も深海の底で独りぼっちだったのなら猶更に。
都合の良い解釈を更に付け足すなら、ゴジラは人間に対し身を守るための反撃しかしていない。その巨体で街を壊しても、ゴジラから先に人間を攻撃はしなかった。
そんな矢口にカヨコは腕を組み呆れたように溜息をついてから、
「見かけによらずロマンチストだったのね」
「ただの馬鹿だよ」
矢口自身もそんな妄想を真面目に考えてしまった自分を馬鹿野郎だと思ったのだから。
徹底したリアリストかつ、政治家思考のカヨコが呆れてしまっても当たり前だと、言った後で思っていると、
「でも、そんな馬鹿、嫌いじゃないわ」
くすっと笑みながら『馬鹿』を否定しないあたりがカヨコらしい。
だが初めに『雑談』の前置きがなければ、誰に話すこともなかっただろう与太話だ。
しかし、そろそろと右腕の時計を見て時間を確かめる。
「そろそろ戻ろうか。部下がいい加減探し始める」
仕事は山のようにあるのだ。一時の気分転換は仕事の効率を高めるとはいえ、それで仕事が減るわけではない。
「せっかく話が盛り上がってきたところだったのに、そういう時間に馬鹿真面目なところが日本人のいいところで空気読めないところよね」
と言うだけ言って、カヨコは矢口を置いてけぼりにしてさっさと屋上から降りようとしている。その転換の速さに苦笑しつつも、矢口はもう一度ゴジラを振り返り、その姿を目に焼き付けてから仕事へ戻るべくその場を後にする。
シン・ゴジラを観た余韻に浸って勢い書いてしまいました。最後のシーン(尻尾)が自分には友達になりたかったのかなと。
一回しか見ておらず映画の設定や専門用語が分からず、出来るだけ調べて書いてみたのですが間違ってたらごめんなさい!