ひとまず魔物の襲来が落ち着き、周囲の安全を確認し、小休憩がてらしばらくぶりに剣を収められたアーミアスさんは口を開きました。袋から聖水を取り出して皆にふりかけながら。聖水を。ええ、一瓶の聖水を。天使さまが行ったならもはや祝福では……? 守護天使さま直々の祝福なのでは……?
……いえ、わかっているんです。これが町の道具屋で買ったただの聖水だということも、効用が魔物避けだということも。アーミアスさんに他意がないことも。しかしアーミアスさん手ずから撒いた聖水を浴びているのですよ、私たち! これはもはや祝福なのでは! もしかして、これは洗礼なのでは?
本物の、慈悲深く美しい守護天使様による聖水の下賜ですよ! 祝福なのでは! 洗礼なのでは! 少年はぴんときていないようですが兄さんは魂が召されそうな顔をして喜んでいます。僧侶だった時より信仰心に満ち溢れた顔をしていますね! わかりますよ!
不肖メルティー、やる気チャージ完了です。必殺チャージもこの分ですと、速攻でしょう。お任せください! ミラクルゾーンしますよ! やる気があれば魔力なんてどこからでも湧いてくるのです! そしたらヒャダルコ連発してやりますよ!
ところで……教会で人間の神父やシスターが祈った水よりアーミアスさんが祈った清らかな水の方が効果があるのでは? アーミアスさんは戦闘後に必ず祈っていらっしゃいますが、もはやその手に握られた剣は聖剣ではありませんか? いえ! もちろんアーミアスさんの天使さはどこを探してもこれ以上の天使さまはいらっしゃらない、とほかの天使さまを知りもしないのに確信しておりますが!
「これから戦闘になる可能性が非常に高いでしょうから、先に打ち合わせをしておきましょう。最も重要視するのは女王の安全確保。彼女が戦闘に巻き込まれることのないように配慮しなくてはままなりません。隙を見て俺が助けますから、援護をお願いします。場合によってそのまま逃げることも考えていますが、恐らくは追いつかれてしまうでしょうから、最終手段ですね。安全な場所まで移動させ、そして俺も戦闘に復帰します」
「わかったよ! ……それで、アノンちゃんは思いっきりやっつけてもいいの?」
「女神の果実であれだけ姿が変わっているので戦闘力が上がっていることは間違いありませんし、言葉が通じるか、そして話を聞いてくださるかはわかりませんから……おそらく命を奪わないように気をつけて攻撃することになるでしょう。女王にとって大事な存在でしょうから、出来れば元の姿に戻して返して差し上げたいですね」
「それでは焼いてはいけませんか? 凍らせるのはいかがでしょう」
例えば殺さないように、と想定すると、とても手加減できるような相手には見えませんが。アーミアスさんも同じ意見のようです。
「あの巨体を魔法で一撃でというわけにはいかないでしょうし、手加減も難しいでしょうね。トドメにならなければ問題ないかと……俺は人命を優先します。存分に戦ってください。これまでの例で言えば耐久力も並ではないでしょうから」
「わかりました。みなさん怪我などないですか? 今のうちに治せるものは治し……そうだアーミアスさん、あんなに高いところから飛び込んだのです、遅くなりましたがお体に問題はございませんか?」
「ありませんよ。大丈夫です。高さをわかって飛び込みましたから身構えることが出来たので」
兄さんの探りにも特に反応なさらず。構えベホイミは霧散しました。明らかに落下した時のダメージよりも傷跡の心配なのがありありと透けて見えましたがアーミアスさんは無反応です。
というよりもアーミアスさんにとってはやはり傷跡を気になさっていることではないのでしょうが……傷自体は完全にふさがっていますからね。アーミアスさんなら、既にふさがっているのに気にすることがあるのか? と首をかしげかねません。少なくとも今のアーミアスさんがお元気なのでそれを素直に受け止めます。ええ、あんな高さから飛び込んでも平気とは、流石です。同じ経験を積んだパラディンであってもできない芸当です。
「みなさんは大丈夫ですか? 大丈夫そうですね。……それでは下へ参りましょう」
アーミアスさんは周囲の暗さから一旦外し、袋に仕舞っていた兜を取りだし、被りました。そしてバイザーをぱちんと下ろし、その美しいかんばせを覆い隠してしまわれ、先頭を行きました。
おそらく地下水路の最下層につき、女王と元凶のトカゲを発見……したのはいいのですけど! なにやら話しているような声が聞こえるので皆で隠れながら聞いていますが、なかなかよくわかりません! メルティーが話を聞いているうちに杖を握りしめながら首をかしげ、少年は最初から理解を放棄したようです。
ええと、どう表現すべきなのか。座学はそう苦手ではなかったのですが、どうも感情の機微については苦手としておりまして……? 言葉の通りなら色恋のたぐいでしょうか。トカゲが人間を、というのが不思議なところですがそういうこともあるのでしょう。いえ、目の前にあるので疑っても仕方ないのですが。
「……」
「なあユリシスはん。わてと一緒にこれからスイートな人生を……」
「……?」
アーミアスさんがぽそり、と小声で言いました。
「……アノンちゃん、女王を口説いていらっしゃる?」
「トカゲが人間を? 好きなのに怖がらせてたらダメじゃないの?」
フルフェイスの下のアーミアスさんの表情は分かりません。が、静かな声で答えてくださいました。
「自覚がないのかもしれませんが……いえ、とにかく合図したら突入します。もともと小さいトカゲがあのサイズになっているのですから、力加減ができずに大惨事になるかもしれません」
「そうだね、なんか、ぎゅって、ハグでもしそうな勢い……」
「いけませんね、俺には最悪の予想ができてしまうのですが……」
「おれも潰れちゃうと思うな!」
「突入します!」
女王が深紅に染まる嫌な想像をしたのか顔色を悪くした少年が矢のように素早く飛び出し牽制します。怯え震える女王にはアーミアスさんが向かいます。
助けて、と小さい声で女王が言ったのを目の前のトカゲは聞いていないようでしたがアーミアスさんには聞こえているのです。私は援護のために死角に留まり、メルティーは魔力を集中させながらいつでも呪文を放てるように暗がりの方へ駆けていきました。
「なんや?」
間に割って入ったアーミアスさんに気づいたトカゲは威嚇するように鋭い爪を持った両腕を振って見せました。ちょっとでも触れたら危ないので私は矢を構えてアーミアスさんに害をなそうものならその腕射抜く所存ですが! 刺さるかちょっと分かりませんが!
トカゲを通り越して金色の大きなドラゴンという様相、人語を解する知能、かなり危険な相手でしょう。
「おまん……長年想い続けたユリシスはんと一緒になろうっちゅうわての夢を邪魔しに来たんか?」
「黄金の果実で変身したあなたを放置することは出来ないのですよ」
アーミアスさんはさりげなく女王の肩に左手を置きました。隙を見て腰を抜かしそうな女王をひょいと抱えて下がるおつもりのようです。
「黄金の果実? もう食ってしもうたわ! わてはあの果実に人間にしてくれって頼んだんや、そしたらほら、二本足で立ってな、しゃべれるようになってな、力も強うなってな! どや、イケメンやで! これでユリシスはんを寂しくさせることもないわ! やっぱりちっこいトカゲやったらお喋りもできへんし……同じ人間やったらこんなにええことはないわ!」
「人間になりたかったと? 願ったのですか?」
「せや、城の中でユリシスはんはひとりぼっち! 親父はん亡くしてひとりぼっちなのにみーんなユリシスはんの悪口ばっかり言いおってからに、寂しい気持ちを理解せんと、ならわてだけでも味方にならなあかんのや! だから人間になったんや! わてが人間ならユリシスはんは寂しくないんや、わてがトカゲやと所詮はトカゲ! 話は聞けても答えることは出来へんのや……。
分かったやろ、別に城の人間になにかしようっちゅうわけやない、ただユリシスはんとスイートな人生を送って、ユリシスはんには笑顔で日々を過ごしてもらおうっちゅうだけのことや、邪魔しんでな!」
「動機は理解しましたよ、アノンちゃん……言わんとすることはとても理解出来ました。しかし女神の果実を取り返さないわけにはいかないのです。申し訳ありません……本当に……」
さっと女王を抱えて飛び退いたアーミアスさん、気づいて腕を伸ばすトカゲの爪を剣で受止めた少年。私は鱗に覆われた額目掛けて矢を放ち、こともなげに叩き落とされたのを見ながらアーミアスさんの指示を聞きました。
物陰に女王を下ろし、こちらに剣を振り抜きながら駆けてくる勇ましい姿であるのに、どうにも悲しそうな声だと感じながら。
「攻撃してください!」
人間に恋したトカゲは、女王を取り戻さんと周囲を揺さぶるような大きな声で吼えました。空気を震わす咆哮をものともせずに、アーミアスさんは剣を振りかぶりました。
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幼少期、天使(異変前)時代
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旅の途中(仲間中心)
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旅の途中(主リツ)
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if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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