闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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76話 懇願

「これはなかなか……入り組んでいますね……」

「はい。いつも以上に気を引き締めなければ」

「うす暗いね、アーミアスさん」

 

 外にいるだけで乾いていく砂漠のど真ん中だし、井戸の下に地下水路がある……ってのは別に想像できないわけじゃねえが。こんなに広いとはな。でかいあまりに無理やり水路を越えてよじ登ったり飛び降りたりするのは危険すぎるから素直に水路に沿って動かないと足を滑らせて落ちたりすれば危険だ。

 

 しかも地下水路は魔物の住処でもあるらしい。そこかしこにあるひんやりとした暗がり。そこに光る無数の眼。お前たちの住処にずかずかと足を踏み入れたのはこっちだから出て行けと襲われても文句は言えねえけど、今は従えねえし、こっちにこなければいいな……。いちいち相手にしている時間もないはずだ。

 

 これだけの空間ならぶつからずに飛べるだろうから、翼があれば探索が楽だったろう。ないものねだりをしてもしょうがないが、たまにそういうことは思ってしまうよな。いや、たまにって頻度かよ? ああ……翼があっても人間たちと話せるなら良かったかもな。俺には無理だが、もっと翼の大きい上級天使なら人間を抱えて空を飛べたかもしれない。旅を思えば便利だな。いや! この姿ならオート天使バレさえなければ人間のフリしてその辺の町で人間たちと暮らせるかもしれないんだぜ? ゆっくり老いるのはそのへんを転々と移動さえすれば……なんかむなしくなってきた。

 

 ともかく、俺たちには翼はなくとも立派に二本の足があるので歩いて移動するわけだ。まあ暗いし、魔物がいるから大きな音を立てるわけにもいかない。これじゃあツォでの洞窟のようにサンディに先を行ってもらうように頼み込んで道案内を頼むのも危険すぎて無理だしな。てか今サンディいねえし。どっかに行ってるみたいだし。グビアナで彼女の探し物が見つかればいいんだが。

 

 とにかく変身したアノンちゃんは見上げるほどにデカかったから、足跡でも残ってないか目を凝らすも、夜目が特別効くわけでもない一般天使な身体能力の俺には全然あるのかないのかすら判別できねえ。

 

 幸い、特別足場が悪いわけでも無いければ、この水路は昔使われていたものなのか、今は水に満たされていて進めないわけでもない。注意すれば問題なさそうだ。

 

「このフロアにはいないようです、アーミアスさん。あれほどの大きさの魔物と無防備な女王の気配であれば、音が響きやすいこの構造で私たちに察知できないはずがありません」

「兄さんの言う通りです。アーミアスさん、進むにあたって明かりは必要でしょうか?」

「火をつけたら魔物が寄ってくるかも」

「その通りですね。ですが足元の危険もあります。どうしましょうか?」

「そうですね、もっと暗い場所まで行くようなことがあればお願いします。今は少しでも戦闘を避けましょう」

 

 小声で会話し、なるべく足音を立てないようにして進む。確かに無数の魔物の気配はあるものの、明らかに非戦闘要員で気配を隠すことができそうにない女王はいなさそうだ。……彼女が気絶していなければの話だが。

 

 とりあえず下層を目指そう。女王の気配がわからなくてもアノンちゃんらしき気配がないならいないってことだろ、多分。

 

 入り組んだ水路はそもそも歩くための場所じゃないから分かりにくいが、点検のためか梯子がついている箇所もあるし、階段もある。やれなくはないだろう。剣を構え、足音をなるべく殺しながら俺たちは奥へ奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんな、冷静なつもりです。兄さんは珍しく呪文を唱える時以外はだんまりですし、剣を強く握ったまま俯いている少年もそう。私だって、冬の冷たい水のように黙っています。放置されて、波一つ立たないカップの中の水のように、さざなみをたてないように。

 

 私は静かにしています。私は冷静に進んでいます。私はいつだって、先頭をゆくアーミアスさんの背を追いながら、着実に歩いています。

 

 ですが、脳裏に、網膜に、はっきりと焼き付いている光景を、反芻するのをやめられないのです。

 

 まばゆいばかりにしろく、ほっそりとしたアーミアスさんの背を見たことを。濡れた衣類が邪魔だという理由だけでアーミアスさんは脱ぎ捨て、躊躇なく背を晒しました。えぇ、事実として、アーミアスさんにとってはそれは大したことではなかったのかもしれないのです。しかし、私たちには、忘れられない、たいへん重大なことでした。

 

 顔や腕と同じように透き通るほど白い背中に刻まれていた、目立つ二本の大きな傷。そこはかつてアーミアスさんが翼のある天使さまだったころ、おそらくは翼が生えていた場所だったのでしょう。神聖なる背に不遜な誰かがよく切れるナイフを力ずくで突き立て、無理やり皮膚と肉を引き裂いたような大きな傷跡は生々しく、とうにふさがっているというのに痛々しいものでした。

 

 まるで翼を失った背中を無理やりひらき、新しい翼を取り出そうとしたかのような、不自然な傷跡でした。ええ、背中ですから腕を回しても届きはしませんから、アーミアスさんが、少なくともご自身でやられたものではありません。どういった経緯であったとしても、アーミアスさんは誰かに背に刃を突き立てられ、真紅の血を流され、痛みを感じられたという点では違いありません。

 

 しかしその傷は、跡こそ生々しく残ってはいましたが、しっかりと治療した跡がありました。熟練の回復師の治療痕であったからこそ、傷跡に沈着した色はなかったのです。そんな熟練の腕をもってしても大きすぎる傷は塞ぎきれず、肌はなめらかになることもできず、肉が盛り上がった傷跡は痛々しくはありましたが、いっそ不自然な程に白い肌の色をしていました。

 

 しかもアーミアスさんにあった傷跡はそれだけではありませんでした。次に目を引いたのは背中、いえ、腕にまで及び、体の全面を覆うただれた傷跡でした。そういえばアーミアスさんはごく普通に顔や手といった部分の肌は露出していますが、腕や足などを出しているのは見た事がありません。もちろん、アーミアスさんは聖騎士たるパラディンで、その前は鎧を身につける戦士でありましたし、そもそも旅人は魔物との戦闘と隣り合わせですからそれは不審なことではありません。

 

 ですが、ただれたような広範囲のその傷にはうっすらと色がありました。通常、皮膚の変色がある傷は時間をかけて自然治癒させたのか、魔法による回復が余程下手だったのか、単純に治療が遅れたのか。引き裂かれた傷跡の見事な治療痕を思えば天使さまの世界、あるいはアーミアスさんを治療した方は並の人間よりもはるかに優れた回復魔法使いでいらっしゃるのでしょうが、背中や腕まで及ぶ大きな傷を負った時、アーミアスさんはすぐに適切な治療を受けることが出来なかったという事実が読み取れます。

 

 いつ負われた傷なのか。私は回復魔法のスペシャリストではありません。どちらの傷が古いのかは付き方から分かりますが……ただれた傷の方です……魔法で治癒した傷が何年前のものかだなんて、わかりはしません。だけど、だけど、いつだって先頭に経ち、私たちに攻撃が及ばぬように立ち塞がるアーミアスさんにあんな傷を負った過去があったということは、重大なことなのです。

 

 アーミアスさんは天使さまであり、慈悲深く、人間を愛してくださっても。自己犠牲の精神を持っていらっしゃっても。間違いなく、傷を負います。痛みを感じられます。傷つきます。ひどいダメージを受ければきっと、死んでしまう。実は天使さまが不死だとしても、傷に苦しまれることには違いありません。

 

 これは好奇心でしょうか。だた知りたがっているだけなのでしょうか。アーミアスさんは聞かれることを良しとしてくださるでしょうか。アーミアスさん。優しき天使さま。

 

 私はお役に立ちたいのです。アーミアスさんのお役に立つということは、その崇高なる使命を果たす際にお手伝い差し上げるということだけではなく、アーミアスさんに何一つ苦痛になることがないように……という願いです。まだ、私は、私たちは未熟ですべては叶えられはしませんが。私、きっと賢者になって、アーミアスさんの前に立ちふさがるすべてを吹き飛ばして差し上げたいのです。

 

 今の私にできることは敵対行動をとり、私たちの前に立ちふさがった魔物が何か騒ぎ立てる前に燃やし殺すことだけです。私は黙々と呪文を唱えながら、それでもすべての魔物の焼け焦げた跡に膝をつき、魂の安らぎを祈ってくださるアーミアスさんの慈悲深き姿を見ながら、杖に寄りかかりました。

 

 ああ。無垢なる天使さま。ああ。私を導いてくださる美しき天使さま!

 

 私は不遜な想像をしました。翼を失った天使さまの背から翼を引きずり出そうとする同じ美しい天使さまの姿を。あるいは、アーミアスさんを見て天使さまであると気づいた人間がアーミアスさんから翼を奪おうと傷をつける様子を。何が真実であるのかはわからず、ただの、ひどい、不遜な妄想です。

 

 アーミアスさんを傷つけるもの。それすなわち大罪人。滅せられるべき存在です。ああ、だけど、その現場に居合わせてさえいればその大罪人に向けて業火の魔法を唱えることができたのに。

 

「ああ神よ。お慈悲を。魔物であったあなたがたの来世が、我らとともに歩むものでありますように。次に会ったときは友として手を取り合うことができますように」

 

 ああアーミアスさん。ああ天使さま。あなたを傷つけるものすべてを焼き焦がすことができますように。力を得たいのです。それを叶えるために。

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