階段を上る前にあの侍女を見つけた。泣きそうな顔をした彼女に捕まえたトカゲを見せると、ほっとようやく肩の力を抜いたようだ。
「旅の方、あぁ、ありがとうございます! これでユリシス様もきっとご安心されます!
ああ! 申し遅れました。私はジーラと申します。名乗りもせずに探すのを手伝っていただいて……大変失礼しました」
「いえいえ、お気になさらずに。アノンちゃんは……貴方にお渡しすれば良いでしょうか?」
「……私はこの通り、アノンちゃんを逃がしてしまいましたから。そのまま大臣の元にお届けください……。もちろんお取次ぎします。こちらへどうぞ」
そう言い、すっかり自信を失った顔をして、俯いちまった。
俺はユリシス女王の人となりを俺の目で判断したわけじゃねえから何とも言えねえけど。こんなに主君のことを思いやれるなんていい家臣なんだろうとは思うんだが。健気で働き者の女の子はすべからくかわいい。こんなに他者のことを思いやれる人間は尊いものだ。
多少の失敗は俺が手伝ってなんとかやりてえ。やっべ、こんないい子を見てたら俺の天使リッカたんに会いたくなってきたぜ。
ジーラからはそこはかとなくリッカたんみを感じる……。ペロリティの高さが将来を期待させる素晴らしいポテンシャル。いい子だ。
「メルティー、町にいるガトゥーザとマティカを呼んできてくれませんか。大臣と話している時間もあるでしょうから間に合うでしょう」
「はい! わかりました!」
優雅に頭を下げたメルティーが足早に出ていった。
うまくいけば謁見出来るかもしれないなら呼んでおいてだな。ダメならダメでそれまでだが。……ここに女神の果実があるのがわかってる以上、引き下がれないからな。なにがなんでも謁見してもらえなきゃ非合法的で人間たちにも俺たちにも優しくない方法をとることになっちまうが。
俺はそんなことしたくねえ。だがそうは理が許さねえ。天使の理をだましだまししながら天使界にもどり、人間たちに姿が見えない健全で一般的な天使に救援要請して盗み取ってもらうとか、やっちまうだろうから。まあそれは時間的猶予があればやることだが……今晩、いや今すぐ黄金の果実は食べるから! とか言われた場合は一体どうすればいいんだろうな?
そんな最悪のパターンを考えておく。ジーラに連れられて玉座のほうに向かいつつ、グビアナの近衛兵たちをちらりと見る。甲冑姿の女兵士。しっかりと鍛えられているようで、一糸乱れぬ構えに伸びた背筋。職務に忠実なのは好ましいことだ。いい子たちだなあ……。
そうじゃねえ。つまり怪しいことは見過ごさず、しかも強そうってことだ。駄目じゃねえか。一方、俺はただの駆け出しパラディン。旅芸人や戦士の時はひたすら剣スキルしか上げてなかったから、経験してきたノウハウは「かばう」以外はほぼ皆無。
パラディンのくせに剣を使うってことは意表を突くのに役立つかもしれねえが、そもそも剣を帯びている俺がパラディンだってことのほうが意表をついている。そう、盾持ちだし戦士かな? と思ったら練度の低いパラディンだった。うわざっこ。俺捕縛。はい終わり。って感じだろ。
ああ、黄金の果実をここでかすめ取れたらいいんだが。おそらく不機嫌な女王が、いくら愛しの家族が帰還したからって完全に不安から解消されるわけでもねえし、黄金の果実をなくしたってジーラが罪に問われたらと思うとどうにもできねえよなあ。
きちんと女王の目の前で返したうえで、頼んで、交渉して、駄目なら手段を問わずに奪い取る。うう、ほかに思いつかない……。
あー、仲間たちの手は絶対に汚させないのはもちろん大前提で。罪に問われるのも、白い目で見られるのも俺だけでいい。天使が人間界の安寧を守るために女神の果実を集めてるんだからな。人間に犯罪行為を頼んじゃ本末転倒になっちまう。……ぶっちゃけ違法行為の理由を説明したら手段を問わなそうな仲間たちではあるんだが……たまたまそういう仲間たちってだけで、やらせる気はない。これからもだ。
だが、なんにせよ、無理だ。手伝ってもらったとしても正面突破なんて無理で……だが女神の果実を放置するのはいろんな意味でもっと無理だな。
すべてがただの杞憂で済めばいいんだが。
いざとなったらこの身を犠牲にしてでも果実を……手にさえできればこっちのもんだよな。サンディに託して届けてもらうとかできねえかな? 彼女は相変わらずバイトのテンチョーとやらを探して基本的に別行動だから今すぐ伝えるってのは無理なんだが……。呼べば来るだろうか? 呼んだこともないんだけどな。
まともな策が浮かぶ前に取り次ぎは終わってしまった。しっかと捕まえていたアノンちゃんを専用のクッションに降ろす。彼女……彼? 彼はかなり不満げに見えた。可愛がられてるみたいだがそれはそれとして外に出たいのかね? そのへんは家族間のコミュニケーションを上手いことはかってほしいものだが、トカゲの言葉はちと天使には専門外なものですまねぇ。
大臣はアノンちゃんを見てそれはそれは安心したようだ。
「旅の方、本当にありがとうございました。女王も安心されることでしょう」
「いえ。それは構わないのです。ところで、一つ頼みたいことがあるのですが」
「あなたは恩人です。何なりととは言えませんが、かなえられる範囲であればお聞きいたします」
「では女王ユリシス様に謁見させていただけないでしょうか。このアノンちゃんが……しっかりと握りしめている黄金の果実。俺はこれを求めて旅をしているのです。であれば、女王に求めるのが正道でしょう」
怪訝な顔をされたが、いい。大臣は謁見をかなえてくれることを約束してくれた。女神の果実を譲れるかどうかは女王の心次第と釘も刺されたが……仕方ねえ。
女王が帰ってくるまで俺は城の一階で仲間たちを待っていることにした。
「アーミアスさん、ただいま戻りました」
「はい。おかえりなさい。女王との謁見が叶うそうですよ。待っていましょう」
パラディンに転職なさり、新調した魔法の武具が大変よく似合っていらっしゃいます。静謐なる騎士……そしてまばゆい天使のかんばせ。メルティーの話では女神の果実は女王の家族のトカゲが持っているのを確認したとか。私めが女王なら天使さまが望むものならばなんでも差し上げてしまいそうですね。
ええ、はい。天使さまが望まれているのに断るなんて道理は地獄の果てでも通用しないことでしょう。この世に価値観は数あれど。とはいえ、相容れない価値観の持ち主というのはいつの世、どこにでも存在するのですからアーミアスさんの手に女神の果実をそろえきるまでは油断せずに。
聞けば、女王はかなりわがままな方だとか。美しさをも讃えられておりましたが、こと美しさという点に関しては本物の、天上の美が地上におわす以上、本当に些細なことです。人間の範疇の美しさが、聖書や壁画、石像として称えられた天使さまにかなうはずもありません。しかも本物の天使さまは人間の想像よりも美しいのですから。
気になるのはわがままな方であるということ。あの女神の果実というのは……私にはよくわかりませんが、おいしそうなんですかね? 今までの被害者たちは結構な確率で食べていたような気もします。そして高価そうに見えますし。なんせ黄金の輝きですから、成金どもなら目の色を変えそうですし、私欲に私腹を肥やす連中がいかにも好きそうな感じです。
私は「天使さまのおわす世界からアーミアスさんと共に地上に落ちてしまった神の恩寵」だと分かっていますから神聖な気配や強大な力こそ感じとれてもそれまでなんですけどね。精霊たちがざわめいて、決して口にするな、なにも願うなと口をそろえて警告しますし。人間ごとき、地上の生命ごときの手には余るものなのでしょうね。
「女王が戻られました。こちらへどうぞ」
「はい。ではみなさん、粗相のないようになさってくださいね」
アーミアスさんがおっしゃるならば清貧な神父のような顔をして大人しくしておりますとも。
「女王陛下、ご機嫌麗しゅう」
アーミアスさんが笑っ……いえ、もちろんリッカさんに見せるほど明るいものではありませんが。ちょっと微笑まれるだけで私どもはうれしいのに。社交辞令、社交辞令です。アーミアスさんが社交辞令できないはずはありません。それだけのことです。
「ユリシス女王様、この者がアノンちゃんを見つけた旅人のアーミアスとその一行でございます」
アーミアスさんが目的のためとはいえ、微笑んで挨拶なさったので私は頭を下げながらもアーミアスさんから目が離せません。メルティーもマティカもです。私どもはある種の護衛として雇われているので当然のことですね。依頼主を守ろうとしているのであって、それ以上の何かではない。つまり、問題ありません。
このガトゥーザ、すっかりよそ行きの笑顔がどっかに吹っ飛んでいきましたが問題ありません。なにせレンジャーですので、僧侶ではありませんので、清貧な神父のような顔をするなんて無理があります。突然暴れださない程度のレンジャーとしてここにおります。
「ふうん……」
女王はいかにも興味なさげ、と。こちらを見もしません。
「この者たちは黄金の果実を得るために旅をしているとか。アノンちゃんが持ち出していた黄金の果実をぜひ譲ってほしいとのことです、女王様」
女王はちらりとトカゲを見ました。果実をしっかと隠そうとする様子を見て、本当に興味のない様子でジーラが持ち出したのではなかったのね、とつぶやきました。
ジーラさんは大変真面目な方ですし、そんなことをなさるとは思えないのですが。すっかり目が曇っておられるのか。私は先ほどまで城下町で聞き込みを行っておりました。グビアナは砂漠の国。水が大変貴重です。であるというのに、女王は貴重な水を沐浴に大量に使い、無駄にしているとしか思えないという不満が多く聞こえました。
民に目を向けず、豪遊し、……利権に目がくらんでいないのは彼女がすでに最高権力者だからにほかなりません。
「そう。わたくしに黄金の果実を譲れとおっしゃりたいのね。そんなことを許すはずないでしょう。黄金の果実はこのあとスライスして沐浴場に浮かべると決めたのだもの」
ユリシス女王は興味なさそうにようやくこちらを見ました。正確には、アーミアスさんを見ました。
玉座から降り、アノンちゃんと黄金の果実を抱き上げた彼女は眉を上げました。
「……あなたが見つけたの?」
「俺と、こちらのメルティーが見つけ、捕まえたのは俺ですが」
「あら、あなた男なのね」
「ええ、それが、なにか?」
アーミアスさんの口調は優しいのでどんな言葉遣いでも心地よく響きます。
「女なら沐浴場に招待くらいはしてあげようかと思っただけ。あなたの探している黄金の果実が有効活用されるのを目の前で見るくらいは許してあげてもよくってよ。でもあなた、男なら駄目ね。
さあアノンちゃん。お外に行って汚れちゃったかもしれないわ。一緒にお風呂に入りましょうね」
好意を踏みにじり、あまつさえ目の前で探し物を破壊する様子を見せつけるのがいいことだと言わんばかりに。天罰が下ればいいのですが! 私が天罰となって下ればいいのでしょうか! 雷の精霊をけしかけてみましょうか! もちろん、アーミアスさんが望めばの話ですが!
唇を噛み、何も言えない様子のアーミアスさん。さすがに想定外だったのでしょう。女王はそして、侍女を連れ立って沐浴場に行ってしまったのです。
振り返り、俯いたアーミアスさんは、小さな声で止めないといけません、とおっしゃりました。どうなるかわかりません、と。
止めないと。でも、どうやって?
「気は進みませんが……沐浴場に押し入るしかないですね。女神の果実を何かの拍子でだれかが口にしたり、なにかを願ってしまい、惨劇が起こる前に。一階の入り口は兵士がいるでしょうから……ほかにどこか」
どこか。アーミアスさんが願っているのです。私も願います。精霊に、解決策はないかと、尋ねます。口を開く必要はありません。私の心のうちは常に読まれているので。
『屋上からなら入れるけど、飛び込んでいくのかな、守護天使』
『そうそう、水を引きこんでいるところから流れに乗っていけばいいんじゃない? 守護天使なら多少の高さから落ちても大丈夫』
『ガトゥーザは人間だから一緒にいったらダメだよ』
『風の精霊が受け止めたらいいんじゃない?』
『ほかの人間、守護天使が飛び込んだらびっくりするんだからその時に正面突破すればいい』
『邪魔な人間を燃やせばいいんじゃないかな』
『ガトゥーザ、やってあげようか?』
『ガトゥーザをくれるなら全部やってあげる。精霊の目をちょうだい。ちょっと貸してくれるだけでもいいんだよ。そしたら』
『全部助けてあげる』
『ちょっとだけ貸してくれるだけでいいんだよ。目を失うこともない』
レンジャーになった私には過度な誘惑を払いのけることができました。以前の私ならどこでうなずいていたかわかったものではありません。メルティーが手を引っ張ってくれなくてもどこかに迷い込んでしまうこともありません。
貸したら、貸している間しばらく目が見えないではありませんか。あんまり耳を貸すものではありません。
「アーミアスさん……どうやら屋上の水場が沐浴場につながっているようです」
「……なるほど」
「あの高さから飛び込んでも、アーミアスさんならきっと無事です。私たちは騒ぎになれば一階から突入できるはずです。そう精霊たちが言っています」
「ありがとうございます。時間がありません。決行しましょう」
そうして、私たちは二手に分かれました。
心配しなくても空から落ちても生きてたんですよ、とアーミアスさんは微笑みました。
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幼少期、天使(異変前)時代
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