闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

84 / 103
閑話 幼天使

 俺はずっとずっと人間になりたかった。いつからそう俺が思うようになったのか、正確な時期は覚えていない。ともかく、愛しい愛しい人間たちと共に歩みたかったからだ。

 

 俺は天使なのに。人間たち地上の生命と相反する、輝きのない、非生物的な存在なのに。

 

 あぁ、あの命あふれる緑の台地を。翼に頼ることなく己の足だけで踏みしめて、思いっきり駆けて、風の中を歩めたら。空を知らずに。走れば邪魔になる翼を持たずに! あのいとしい少女たちの系譜と、笑い合えるならば……。俺も、一緒に老いることが出来たならば!

 

 あぁ、いとしい人間たちと触れ合い、会話し、心を通じ合わせることが出来るのなら、俺は。天使として、姿見えぬ守護者としてではなく、ただの「アーミアス」として言葉を伝えられるなら。

 

 俺は、かの幼き者たちを、この目で初めて見た時から、そう願っていた。

 

 母親の胎内から生まれでた訳では無い、天使に親は存在しない。万物の父たる創造神の偉大なる力から機械的に「遣わされた」のみである、「天使」という名の「機構」であるというのに、だ。

 

 俺はまず、本物の人間たちを見て、好きになって。そのどうしようもない「違い」にいてもたってもいられなくなって、短気にも、邪魔な己の翼をもぎ取ろうとして、失敗した。

 

 その後は、中途半端に確信できる考えもなく手を出すから失敗したのだと思って、人間たちのことをさらに学ぶかたわら、今度は光輪を砕く方法を画策していた。しかしまあ、天使が遣わされてから長い長い時間の中でも人間になろうとする天使とかいう酔狂なのはいなかったらしい。成功例を学ぶことはなく、失敗の代償の方が大きいととれるものしか思いつかず。

 

 それでも焦がれるように人になりたかった。俺はまだ知らねぇ、天使界から無抵抗に堕ちさえすれば、願い通りに翼を失い、光輪を砕き、人間たちと言葉を交わせるようになっるのだと。そして……そうなったとしても、俺が天使であるという事実は、どうしようもなく変えられないことを。

 

 性根から、あぁ根本から、忌まわしいことに最初から。俺はいくら似せても、人間のようには在れないのだ。

 

 だが、だが、それを知っていたとしても、俺は願ったろう。

 

 人に近づくことを。人の子が無邪気に欲しがる翼よりも欲しかったんだ。

 

 可愛い可愛いあの子たちと話すことができるなら。何を差し出しても良かった。

 

 いつからかは分からねぇ。俺は強く強く人間たちに惹かれ、求めていた。

 

 瞬く間生きる者たちへ。鈍く、長く、使命を遂行するだけの生物もどきの見る夢だった。

 

 眩しい太陽の下、生命あふれる大地で、笑顔で駆ける姿を見て……俺は心底羨ましくてしょうがなかったのか。

 

 それとも、それとも、「あの」瞬間こそが、初めて見たときこそが初恋だったのか……。

 

 天使が人を好きになる。それは堕天することとほとんど同義かもしれなかったが。実際のところ、そうはならなかったし、つまり恋することすら出来なかったという証明なのだが。

 

 俺は今日も、愛しい人間たちへ、触れることも出来ない。自己満足ならできる。向こうは風の囁きだとしか思えないだろう。それは、果たして俺が悪戯な風ではない証明になるだろうか?

 

 あいしていた。それは、間違いなく。届かぬ想いは、共に歩みたかった人間の人生よりも長く続いた。

 

 老い、この世から去っていく愛おしい人間たち。俺はただ祈り、魂が安らかであることを願うことくらいしか出来なかった。愛おしい人間たちは、たまに肉体を捨てて初めて俺と会話してくれたが、それはつまりこの世に未練があって幽霊になってしまったということ。

 

 俺はあいする人間たちの憂いをたつ。せっかく話せた人間たちをこの世から解き放つ。それこそが使命であるからだ。もっと話していたくても、未練を持ち、さまよう人間たちの苦悩を解き放つ方が大事だったのだ。

 

 そうして、俺は、天使だった。

 

 どこにいるの。天使さま。

 

 人間の、敏感な子どもたちの疑問の声を真隣で聞きながら、俺は優しく頭を撫でたが、子どもたちは風に髪の毛をかき混ぜられたようにしか感じないのだ。

 

 ぼくは、天使と、呼ばれていたから。

 

 でも、人間になりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、ししょー」

「ああ、おはよう」

 

 早朝、高度のある天使界にて。ひんやりとした中、身だしなみを整えた我が弟子が部屋に入ってきた。ここはアーミアスにとっての教室である。上級天使がよく過ごしている空き部屋だが、礼儀正しく素行のいいアーミアスがいる分には誰も咎めないだろう。

 

 多少、舌っ足らずなのは相応に幼いので仕方の無い事だ。

 

 片手には彼愛用の小さなノートがあり、おそらく今日もその几帳面な字がその中に増えるのだ。

 

 勤勉なアーミアス。我が愛弟子である。

 

「本日も、よろしくお願いします」

 

 年齢を差し引いたとしても丁寧すぎるほどだ。その上にさらに丁寧に頭を下げると、未だ幼い彼の体には大きすぎる椅子の上に座った。よく出来た弟子であり、よく気が回るが幼い。こっちが心配になってくるほどであるが、そつなくこなすアーミアスにそれを指摘して困らせるのもまた良くない。

 

 私たち「大人」がよく見てやるべきなのだ。その健やかな成長を見守り、必要に応じて手助けするべきだ。

 

 つまり、アーミアスが幼くとも、習熟段階に達しているのなら本来もっと年上の天使が行う学習を前倒しにするというわけだ。もちろん、細心の注意を払って。

 

「うむ。アーミアス。今日はノートとペンは片付けてきなさい。落とすといけないから、荷物は特になくてよろしい。服装はそのままで、部屋に置いてきたらまたここに戻ってきなさい。本日は守護天使になるための実地訓練を行うのでな」

「じっちくんれん……ですか?」

「そうだ。オムイ様のところにご挨拶をしてから行うので、急がずに準備をしてきなさい。前もっての連絡が出来なかったが、これはようやく許可がとれたという訳なのだ」

「はい、ししょー。……あの」

「なんだ?」

「それは、どのような実地、訓練なのでしょうか……」

 

 不安そうなアーミアス。そのあたりは年相応である。

 

 しかし、私はある種、意地悪な大人らしい。アーミアスの反応がみたくてわざわざ言わなかったようなものなのだ。

 

 真面目な彼の驚く顔が見たかった。

 

「下界へ行く訓練だ。前から許可は降りていたが、本日ということになった」

「え……!」

 

 静かな黒い瞳に途端、光がさす。きらきらと、瞳に宿る星々が輝きを増していく。白い頬に赤みがさして、子どもらしい無邪気な笑顔に変わる。

 

「もちろん一人前と認められるまでは私が付き添う。さぁ、準備なさい」

「はい! いますぐ! いえ! まちがいなく!」

 

 飛び上がるほど喜んで、珍しいほどの笑顔でアーミアスは部屋から飛び出していった。やはりまだ幼い見習い天使。喜ぶ姿は可愛いものである。

 

「あらあらあらあら、何かしら、あなたの弟子があんなに喜んでるなんて珍しいことじゃない」

「ラフェットか。本日、実地訓練として人間界に行くという話をしたのだよ」

「やっと許可が降りたのね。あんなに真面目に頑張っているんだもの、それが実ったら嬉しさも大きいわよね」

「ねぇ今! アーミアスくんが可愛かったのだけど!」

「今度は……エレッタか。いつもそう言うな」

「だって可愛いじゃない! ピンクのほっぺに目をキラキラさせて! ねえラフェット、そう思うでしょう?」

「そうね。あの子が笑顔なのはとても素敵なことだわ。エレッタ、アーミアスくんは今日初めて人間界に行くらしいのよ。ずっと楽しみにしていたものね。嬉しいでしょうね」

「なんだって! それはめでたいこと! 是非お見送りしたいわ!」

 

 みるみる部屋の中の天使の数が増えていく。大人の天使が三人もいれば多少の狭さを感じるほどだ。アーミアスが戻ってきた時に興奮する上級天使どもに怯えなければ良いのだが。私は、自分に多少の威圧感が、ことに見習い天使に対してあることを理解している。アーミアスはとても聡明で、怯えたりするようなことはないが……。

 

 二人は柔らかい雰囲気の天使だが、上級天使だ。天使には理がある以上、威圧感があってもおかしくない。

 

 しかし、この二人は同時に、自分の弟子でもないのにアーミアスのことをよく気にかけてくれる存在。一種の関門である初人間界の訪問の見送りにこれ以上ふさわしい天使もいないだろう。堪えてもらうか。

 

 やいのやいの言い合う二人の声を聞きながら、アーミアスの成長に思いを馳せる。

 

 私とアーミアスの出会いは……正確には、忌まわしい事件のあとだ。それ以前は私が一方的に存在を知っていたくらいだろう。

 

 言葉を交わしたのは彼が灰にそまったあとだ。間違いなく天使であり、堕天しているわけでもない奴から発せられたことが違和感があるほどの、強烈な悪意にあてられたあとだ。

 

 一時は無垢な子が一体どうなるものかと注意深く見守っていたが、いざ弟子としてみれば大変勤勉で意欲もあり、何事にも手を抜かず真摯に励む良い天使だ。私は弟子を誇りに思う。

 

 たった、神の手により遣わされてから三十年と少しの経験で、人間界へ降り、守護天使となるべく第一歩を踏み出す優秀なこの子を。その努力に敬意を。

 

 控えめなノックとともにアーミアスが部屋に帰ってきた。すぐさま二人の女天使に褒められ、素直に頬を少し染めた愛弟子に私も褒めたいが、ここは努めて厳格に振る舞うべきか。それとも便乗して……こういう時、私は己の性格が恨めしい。他者の前で素直に褒めるのが少し、気はずかしいのだ。

 

「さぁアーミアス。初めて地上に赴く天使としてオムイ様の元へ挨拶に行くとしよう」

「頑張ってね」

 

 二人の友は先に一階で待っているらしい。

 

 私は、アーミアスの小さい手をいつものように掴もうとしたが、地上に赴くことが許されるような、一人前ではないが相応に認められた天使をいつまでも子ども扱いしているかのようで少し迷った。

 

 しかし、何もアーミアスがたった三十かそこらの、天使としてはようやく幼児の域を抜けたばかりの幼い子どもであることが変わるわけではないのだからと言い訳して、その手を引いた。

 

 私の足よりも背が低いほど小さな天使だ。飛翔能力も相応である。訓練はしてきたが、実際の空を飛んだことはない。場合によっては抱えて飛ばねばならないかもしれない、とその小さな手を握って思うのだ。

 

 とはいえ、今日のことは人間のことに大変関心を持ち、人間界にいち早く降り立つことを許可されたアーミアスにとって素晴らしい経験となるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「いってらっしゃい!」

「いい経験を積んできてね!」

 

 ラフェットさまとエレッタさま、それから一階にいた何人かの天使にお見送りされて、つめたい雲におおわれた空にぴょーんと飛び込んだ。空って、足元にあるのはぼく……おれにとっては普通のことだけど、人間たちにはそうじゃないらしいんだ!

 

 しばらくしろい雲の中をつっきって降りていくんだ。翼はちいさくたたんで、おちるままにする。ひゅーって耳元で風がうたう。()()は、ししょーに言われた通りに舌を噛まないように気をつけて、口をぎゅっととじた。目は開けてるけど、水がとびこんできたからたまらずとじちゃった。

 

 しばらくそのままにしてると、ぱっと周りが明るくなったから目をあける。

 

 すると、下のほうにちいさく、下界がみえた! 今度は羽ばたきながらゆっくり降りていく。するとだんだん緑と、青と、茶色と、灰色の地面が近づいていく。

 

 ご本で知ってたけれど、天使界の何倍あるんだろう! とてもひろい!

 

「アーミアス、あの緑豊かな土地がわかるか?」

「はい、ししょー! あそこがウォルロ村ですか?」

「そうだ。私の担当区域だ。そしてアーミアスが一人前になれば守護天使を継ぐ土地になる」

 

 緑がいっぱいと、すこしの青にしか見えなかったウォルロ村はどんどんどんどんちかづけば、川があることがわかった。川と、滝と、緑と、たくさんの、別々にあるおうち。天使界みたいにひとかたまりの建物があるわけじゃなくて、地面に別々に建ってるんだ! 本当だったなんて! あぁこれこそ、人間たちの住む「村」だ! もちろん本物で、ご本のさし絵じゃない!

 

 なら、本物の人間たちも住んでいるんでしょ!

 

 おおきくくるくる回るようにししょーが降りていく。ぼく……俺も、真似して回るように降りていく。

 

 そして、川の近くに着地。ううん、足はついてないけど、地面の近くをふわふわ飛ぶ。

 

「さて、我が弟子アーミアスよ。初めて地上に降りてみて何か問題はなかったか?」

「なにもありません、ししょー!」

「うむ。では、行きは問題ないわけだな。帰りにまた聞くとしよう。いや、不安そうな顔をしなくてよろしい。前例がないのだ。ここまで幼い身で降りたというのは」

「大丈夫です、ししょー!」

 

 ししょーは頷いて、俺を滝のそばの守護天使像の前へつれていってくださった。ししょーにちっとも似てない像だ。だけど、守護天使イザヤールってきちんとししょーの名前が書いてある。

 

「守護天使のいる人間たちの村、町、城などにはこうして守護天使像があり、守護天使の名前が刻まれている。住人の信仰心が薄いところでは像の手入れが甘く、朽ちているところもあるが、ウォルロ村は皆、大変信心深く、きちんとした手入れがなされている」

「それはすばらしいことです!

ところで、どうしてこの像は、ししょーの像なのにししょーに似ていないのですか?」

 

 像はししょーより、腕とか特にほそくて、なんとなく頼りないし、そんなに強そうじゃない。使っているのはしろくてとってもきれいな石だけど、本物のししょーの方がずっとかっこいいな! もっと強そうにしたらいいのにな。ししょーみたいにかっこいい天使の方がまさに本物の守護天使! って感じ、しないのかな?

 

 これだと人間のための聖書の中の天使みたい。あんな天使、本当はいないのに。あんなひらひらしたしろい服を着て、ほそい腕で、優しく笑っているだけの天使。弓を持ってる天使はいるかなぁ。

 

 俺はね、安心させるために笑うのはいいと思うけど、剣を持って、誰よりも先に前にいって、人間たちを守るような守護天使になりたいな。

 

 ふわふわなだけの天使なんてかっこよくない。

 

「守護天使像は代々、刻まれている名前が変わるのみで最初から像の姿は変化していないのだよ。初代守護天使の記録は天使としてもかなり古い記録であり、名前はもしかすると帳面に残っているかもしれないが、顔はもはや分からないので想像でしかない。定かではないが、最初の守護天使の顔なのかもしれないな」

「そうなんですね……」

 

 もし、本当に最初の守護天使の姿だったら悪いこと考えちゃったかな……。でも、絶対、俺のししょーの方がかっこいいからね! 俺のししょーが一番! すごいんだ。

 

 同じくらいの年の見習いぴよぴよ天使だって、俺のししょーより「怖い」天使なんていないって言うよ。「怖い」なんて、ぼく……じゃなくて、俺にはそんなことないけど、つまりかっこよすぎて怖いんだね!

 

 怖いくらいかっこいいって、かっこいい! 俺もそうなりたいな!

 

「ではこれからウォルロ村を見て回るが……私は先に村の周りを見てくるとしよう。魔物が村になにか悪さをしようと企んでいないかを確かめなくてはならないからな。

 アーミアスはまだ戦闘訓練が十分ではないので、村の外にはくれぐれも出ないようにして、見て回っていなさい。

 これまで学んだとおり、人間たちには私たち天使の姿は見えない。たとえ目の前で扉を開けたとしても、風かなにかの仕業だと思ってしまう。気づかれることはない。彼らの生活を妨げない範囲で好きに回るように。もし、誰かが困っていたら出来る範囲で助けてももちろん構わない。

 それから……今は昼なので見えないが、夜になれば人間の幽霊が見えるかもしれない。彼らは生きていた頃と違い、私たちを見ることが出来るが、幽霊になっている人間は己の死に気づいていないか、この世に未練があるのかのどちらかだ。その未練を解きほぐし、解き放つことも守護天使の使命のひとつだが……まだ荷が重いだろうから、もし見つけるようなことがあれば呼びなさい。

 なにか質問はあるか?」

「ありません」

「うむ。それでこそ我が弟子だ。それではあとでな」

「はい、ししょー!」

 

 危ないから外へ出てはいけない。それをしっかりおぼえる。天使のことわりがあるから絶対に破れないことだけど、ちゃんと約束をおぼえてることが大事だっておもうんだ。

 

 ししょーは自分の剣を持ってるけど、俺は持ってないし、使えないから危ないんだね。剣の訓練はもっと大きくなってからじゃないとダメなんだって。同じ見習い天使でも、もっとお兄さんなら自分の剣を持ってるけど、俺は持ってない。

 

 ししょーになぜですかって聞くと、ちいさいうちから訓練するとおおきくなれないからなんだって。ちいさいうちからやると体がうまくおおきくならないかもしれないからって。人間だったらそうらしいんだ。天使ならそうなるかわからないけど、ちいさいうちから剣のお稽古をしたことがないからしないんだって。

 

 俺、ししょーみたいに身長が高くて、ムキムキで、眉毛の太いイケメンになりたいからもちろん、ししょーの言葉にはちゃんと従ってる。かっこいいからやってみたいけど、かっこよくなるためには仕方ないことなんだね!

 

 ひくくひくく飛びながら、人間の村、ううん、ししょーの守っているウォルロ村をゆっくり見て回った。綺麗な水が流れる滝がすごくいいところ。天使界よりも綺麗かもしれない。清く、すごく澄んでいてすごくいい気分。

 

 人間たちのおうちを見て回る。お年より、大人、男、女、子ども。男の子、女の子、飼い犬。いっぱい住んでる。もしかして、犬には天使が見えるのかな? 何となく見られている気がするけど、犬とはおしゃべりできないなぁ。

 

 大きな怪我をしている人はいないし、今まで学んできた人間にとっての厄災である、「病気」とかもなさそう。さすがししょー! すごく人間たちが幸せに穏やかに暮らしてるって俺でもわかるんだもの!

 

 いいところだなぁ。それに、天使界よりずっと太陽から遠いのになんてあったかいところなんだろう。高いところは寒いって、本当なんだなぁ。

 

 まぶしい緑の植物は、ぼくが水やりしているお花たちよりずっといきいきしてる。あったかくて、ぽかぽかして、翼があって、輪っかがあることしか外見は違わないのに、天使よりずっとずっと表情豊かな人間たちがいっぱいいる。

 

 困ってる人はいないかな。こんなに平和ならそうそうないと思うけど。

 

 ぼくは、きょろきょろしてたけど、やっぱりすごく穏やかでなんにもなかった。それはとってもいいことだけど、初めて人間界にきて、はりきってたから、ちょっとだけつまらなかった。

 

「こらこら、ナツミ、走らないで!」

「お母さん、お母さん、こっちこっち!」

 

 楽しそうな声が聞こえて、ふよふよそっちに飛んでみる。そこはちょっとした原っぱで、青い髪の女の子とその「母親」らしい女の人が草の上にシートを広げてご飯を食べていたみたい。

 

 女の子が滝つぼのへりにお花が咲いているのを見つけたみたい。そっちに向かって走っていって、それで、あっ!

 

 あのままじゃ、つんのめって、水に落ちちゃう!

 

 ぼくは急いで飛んでいって、落ちる寸前に女の子を捕まえた。ぼくよりほんの少しだけ年下に見える、本当はずっと年下の女の子。間に合った。

 

 ふわふわしてて、あっかくて、小さな体をそっと地面に戻す。女の子はびっくりしちゃったのか、それとも落ちそうになって怖かったのか、とても大人しかった。

 

 ぼくは、ぼくはといえば、その子が天使界にいるどんな天使よりも、可愛いって思ったんだ。

 

 すごく可愛い子だった。一瞬だけだったけど、さらさらした青い髪と、くりくりした目と、ばら色のほっぺたの小さなその子がすぐに好きになった。人間ってとってもいいものなんだって。

 

「ナツミ!」

「お母さん……」

「危ないじゃないの、踏みとどまれなかったら治ったばかりなのにまた風邪ひいちゃうところよ」

「ふみとど……まってない……今ね、お母さん、誰かが受け止めてくれたみたいだったよ」

「誰かが?」

「今ね、優しく、ふわって!」

 

 座り込んだその子の前に、水面のぎりぎりに飛んで、目を合わせようとしてみた。触れることができたんだから、頑張ったら、すこしくらいは見えないかなって。

 

 もちろん、無理だってわかってたけど。

 

 可愛くって、元気で、ぼくの胸の中もぽかぽかした。太陽よりもずっとずっとあったかい。

 

「不思議な風かしら……いいえ、それはきっと守護天使様のおかげよ、ナツミ」

「しゅごてんしさま?」

「まだナツミはちいさいからよくわからないかもしれないけど、ウォルロ村にもね、守護天使様がいらっしゃって、私たちを見守ってくださっているの。そして、こうしてたまに助けてくださるのよ」

「じゃあいま、落ちなかったのはしゅごてんしさまが受け止めてくれたの?」

「そうよ。そういう時はね、いつも見守ってくださり、ありがとうございますってお祈りするのよ」

「する!」

 

 女の子……ナツミちゃんがお祈りすると、緑色のきらきらしたものが現れて、ぼくの方にふわふわ飛んできた。これが、星のオーラ。本物をししょーに見せてもらったこともあるから間違いないや!

 

 あったかいそれを手で包み込む。

 

 祈りのポーズをやめたナツミちゃんの頭をそっと撫でてみる。なんの反応もなく、ただすこしだけ首をすくめた。俺はくすぐったい風でしかないんだなぁ。

 

 もう、この子には俺のことはわからないみたい。さっきもあんな、人間から見たら不思議な動きをしたからわかっただけ。

 

 人間。年下の可愛い子。この子を守れるのが守護天使かぁ。

 

 守護天使って、とってもいいものだ!

 

 ぼくは、ニコニコ笑ってナツミちゃんに話しかけた。

 

「また、今度会おうね! ぼく、強くなって君を守るよ!」

 

 もちろん、返事はない。

 

 分かってたけど、今度は胸に突き刺さるみたいに悲しさが襲ってきて、人間と一度でもいいからおしゃべり出来たらなぁって。悲しかった。

 

 

 

 

 

 村にはまだまだ人がいる。別のところも見てこようかなって思って、村の他のところにふよふよ飛んでみたけど、行くさきざきでナツミちゃんを見かけた。人気者なんだ。そうだよね、ナツミちゃんがいるだけで胸がぽかぽかするんだもの。

 

 いろんな村人とおしゃべりしてるナツミちゃん。楽しそうで、うれしそうで、笑って、幸せそう。ナツミちゃんが幸せでぼくも嬉しい。

 

 だけど、ぼくだけしゃべれない。あの子とおしゃべりしたいのに!

 

 夢中だった。もう、すぐに夢中になった。だけど、ぼくはおしゃべりできない。ナツミちゃんとしゃべっている神父さんとおしゃべりしたくてもできない。ナツミちゃんの「母親」と話すことも出来ない。

 

 見てるだけ。見守ってるだけ。ぼくからは触れるけど、向こうにはわからなくて、ぼくの言葉は絶対に届かない!

 

 我慢できない。もう耐えられなかった。何がいけないのか考えた。ぼくが天使だから? それはわかってた。お話で聞くよりも、ご本で読むよりも、実際の人間たちはとっても魅力的で、「天使」であることが嫌になっちゃった。

 

 ぼくも人間として生まれていたら良かったのになぁって思ったんだ! あぁ、神様!

 

 でも、ぼくは、ぼくは、いてもたってもいられなくなって、どうやったら()()()()()()()()を考え始めていた。神様にお願いして、天使として頑張りなさいって「ことわり」で言われたらどうしようもなくなっちゃうんだもの!

 

 一生懸命、考えた。人間と天使なんて、ほとんど外見が変わらない。翼があって、わっかがあって、それだけ。それだけの違いなのにおしゃべりできないんだ。

 

 翼が憎かった。飛べても、ナツミちゃんと話せない。ぼくはこんなにいっぱいお話したいことがあるのに、ねぇ、おしゃべりしてもいい? って聞くことすら出来ないんだ。

 

 悲しくて、悲しくて、ぼくは一生懸命、一生懸命考えた。

 

 どうしたらいいのかなって。翼が邪魔だった。ふわふわにした翼を引っ張ってみたら、ぶちぶち何本が羽根が抜けたけど、それだけ。それだけじゃあ何も変わらないよ。自分で見ても何が変わったのか、ちっとも分からないんだもの。

 

 時間はすぎて、気づけば夕方になって、ししょーが迎えに来る少し前に思いついたんだ。翼をどうにかする方法。俺は自分の剣を持ってないけどししょーは持ってるって。

 

 ししょーが剣を装備してない時はあんまりないけど、ししょーの部屋にはナイフがあるのを思い出した。

 

 ね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。なら、切り取ってしまえ。

 

 ぼくは、じゃあ明日って挨拶し合う人間たちの笑顔を見た。

 

 胸がぽかぽかした。俺もその中に入りたかった。

 

 そして、俺は決心した。

どの閑話が読みたいですか?

  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
  • その他(メッセージとか活動報告コメントとかください)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。