旅の途中、夕飯の後の語らい。よくある、いつもの穏やかな時間だが、まだ人間の物差しでも幼い少年であるマティカにとっては眠気の方が上回ることもあることだろう。しばらく前からうとうとと船を漕いでいたが、とうとう机につっぷした。
それを見る仲間たちの目は優しく、だが、ルイーダの酒場の雇われ冒険者の中でも俺の仲間はいっとう真面目だった。
「ああ、眠ってしまいましたね」
「そうですね。しかしながら、まだ幼い少年とはいえ、雇われの身であることにもっと自覚を持ってもらわなくては。アーミアスさん、遠慮はいりません。起こしますか、それとも私が運びましょうか」
「大丈夫ですよ、ガトゥーザ。俺が部屋まで連れていきますから」
「あぁ、そんな! なんて慈悲深い!」
ガトゥーザは相変わらず大袈裟だな。感激のあまり両手を組んでもはや拝みの姿勢だ。
マティカは俺より少し小柄だし、結構年齢の割に華奢だ。だから比較的簡単に背負うことが出来た。寝室に連れていき、寝かせ、布団をかける。
すぅすぅと穏やかな寝息。力の抜けた寝顔。今日も結構戦ったし、疲れたんだろう。
なんとなく、俺はその時リッカたんがどうしているのかと思った。今穏やかに眠るマティカのように安らかに眠っているだろうか。
毎日あくせく真面目に働き、敬虔に祈りを捧げるリッカたん。
リッカたん労りてぇ。
ということでマティカの疲れを見るに仲間たちには休みが必要だという判断を下し、俺は近々休みの日を作ってリッカたんをどうにかして労わろうと計画した。
えーっと、そういう「労り」ってなんて言うんだったか? えーっと……なんだ? まぁいい、それを学ぼう。俺は今まで人間たちに触れることすら心霊現象になっちまうんでまともに出来やしなかったが今は違う。
こっそり風のように掃除しておいて仕事を減らして休んでもらう、みたいな間接的な事じゃなくて、リッカたんの前にスマートに現れて疲れを癒す男に俺はなるからな。
仲間たちはタフだからほっといても回復するだろと思ってるんじゃねぇぞ。俺の全てはリッカたん最優先なだけで……リッカたんの練習台にするほど失礼な天使のつもりはないが、リッカたんに対してぶっつけ本番もどうかと思う。
つまり、それはもう自分を実験台にするしかないな。
とはいえそろそろ夜も遅い。どうせならもう休むべきだ。ガトゥーザやメルティーにもおやすみを言って、考えをめぐらせながら寝室へ向かう。ここはリッカたんの宿屋じゃねぇけど、手入れの行き届いた部屋に着いて、何が疲れた者の癒しになるのか考え、考えて。何も考えずにベッドに乗っかった。
そしてふと、靴を脱いだ足が目に入った。歩いて走って疲れきった足。
両手でおもむろにふくらはぎを揉む。あー、……これは痛気持ちいという感覚だ。なんつうか、これ以上ないってくらい凝ってやがるな。俺は天使だ、なんだかんだ言ってこの百三十年ほど翼に頼ってきたからな、こんな長期間歩くのにはまだ慣れていないらしい。
ふむ。リッカたんは働き者で、ウォルロ村にいた頃から父親から継いだ宿屋を一人で切り盛りしていた。俺みたいな軟弱な足じゃねぇだろう。リッカたんのおみ足ぺろぺろ。ぺろぺろ! んん、心の中は自由である! ぺろい! ぺろすぎるんだ! リッカたん!
軟弱じゃなくても立ち仕事だ。疲れは当然あるはず。癒しをリッカたんに。癒しといえばマッサージ。これだ! んんっぺろ!
決して! 決してリッカたんの足に触れられるから選択したんじゃねぇからな! そのために俺は自分の中にある下心という下心をすべて焼き払って星にしてでも……無理だろうが! できる限りな!
そもそもリッカたんがそんな怪しい申し出を断ることだって有り得るんだぜ、冷静にならなきゃな!
よし調べる。調べたら俺が試す。
なお、俺は相当なヘタレである。
ヘタレでなければ、もうとっくにハッキリとしたアプローチをしているはずなんだ。
俺が天使とか、リッカたんが人間だとかそんなことは俺にとってどうでもいいことで、だがリッカたんにとってはどうでもいいわけはない。……そういう言い訳を沢山考え出すことができるタイプのヘタレだ。
もちろん本人を前にすると照れとあまりのペロさに訳の分からない言動になるところとかもヘタレが過ぎる。それはリッカたんが可愛くて、健気で、真面目で、ぺろくて、ぺろっぺろだからなのだが、本人としては無自覚も良いところで、自覚していなくても当然のことだ。
全部俺が悪い。
ということで自分の足を犠牲にし、時に両手がつるまで練習したマッサージを持ちかけるのは、いくらリッカたんがお疲れであろうとも「これはイエスぺろぺろノータッチにおもいっきり反するのでは?」と思えば不可能だ。
下心のある男が、好きな女の子の足に……あるいは肌に……どうにか知恵を搾って合法的に触れようとしたが、どうにも妙案が思い浮かばなかったゆえの浅知恵という感じだ。どう考えてもリッカたん目線じゃ嫌だろ。俺はリッカたんとお付き合いをしている仲ではないのだから、そういうことは不快であると考えたほうがいい。
つまり、つまるところ、リッカたんと俺は友人とかそういう範疇の仲でしかないんだから。烏滸がましいのだ、言い出すのも。リッカたんが申し出を聞いて不快に思う可能性が欠片でもあるのなら、もうやめておいた方がいいだろう。
なぜって、そりゃあ俺はヘタレだからだ。リッカたんが嫌な思いをするなら俺は今すぐ星になりたい。安全策に走るぜ。ということで、仲間の野郎なら多少は不快に思わないだろう、まだしも同性だしな。マティカとガトゥーザ、どっちがマッサージをご所望だろうか。
俺は狙いを定めつつ、さりげなく、本当に当たり障りなく、ともすれば誰も気づかないくらいさりげなくリッカたんの宿屋にルーラした。我ながらさり気なさすぎて、リッカたんの宿屋にルーラで戻ってまで泊まることが当たり前すぎて気づきもしないくらいさり気ないな。
うん、習慣こそ大事なのだ。習慣なら当たり前だから気づかないからな。リッカたんも俺が帰ってくることを習慣に思ってくれていたらいいな。
「あらおかえり、アーミアス! 今日もお疲れ様!」
おかえりだって! 嬉しすぎて口から何かが出ていきそうだぜ。リッカたんの笑顔が眩しすぎてペロい。目玉が焼き切れそうなほどの眩さ。ぺろぺろ! 目は焼け落ちようが閉じねぇからな! リッカたん今日もかわいいぜ!
「リッカこそ、今日もお疲れ様です」
「ありがとう、アーミアス。じゃあ四人分、部屋を案内するね……あっ! 今日ね、一人部屋が二つと二人部屋がひとつになっちゃうけど大丈夫?」
「もちろんですとも」
ふむ。繁盛しているのはいいことだ!
メルティーは当然一人部屋として、あとはじゃんけんで決めるか。そう思って仲間たちを見る。ってなんだ、なんだ野郎ども。仁義なき睨み合いをするとは大人気ない。そんなに一人部屋のがいいのかよ?
たしかに気を抜けるのは一人の方だが。俺とか特に。
ほら、俺はよお、心の中から寝起きの行動まで清らかな天使様じゃねえからよ、うっかりヨダレ垂らして寝てるかもしれねぇし、おはようございますの挨拶の後に寝ぼけて「師匠」とか口走るかもしれねぇ。うっかりうっかりしちまうことがあるだろ、いろいろな。そういうのが幼き人間たちにもあることかもしれねぇよな。
……うーん、雇用主と同じ部屋で寝るのはやっぱ嫌かもしれねぇよな。その辺はもちろん、本人の意思を尊重するが。
だからって明らかに一人部屋のが部屋代としても高い以上俺が率先して取っちまったらそれはそれでどうよ? その……一人部屋がいいって言ったらよ、俺が雇用主ゆえに反論できないっていう、権力の盾みたいなことになっちまうしな?
さて、いつまでもリッカたん……カウンター前を占拠してるわけにはいかねぇ。リッカたんの手から鍵を受け取り……俺はかなり気持ち悪い天使なので鍵越しに体温を感じとりたかったが無情にも冷たかった……晩飯がてら部屋の分配をする訳だが。
「部屋割りどうしましょうね? 二人部屋の方の割り振りが……」
「是非とも! ご一緒したいです!」
「あっずるいぞっ」
「戦いにおいて速度ほど大事なものはありませんよ、戦友よ」
「ぐぬぬ……」
そんなに二人とも一人部屋より二人の方がいいのか。案外一人は寂しいとかそういうことなのか? 競って名乗りを上げるほどなのか……それも、謙虚なガトゥーザがだぞ? よし、よしよし。なるほどな。決めたぞ。
「なるほど。ではおふたりが同じ部屋ではどうでしょう?」
こうだな! これがいいんだな! なるほどなるほど。
マティカに鍵を渡し、オレは二人同時に願いを叶えられた喜びで思わず笑顔になった。
「では、ゆっくり休んでくださいね。おやすみなさい」
「お……おやすみなさいませ……」
「おやすみ……なさい……」
二人は随分疲れていたのか大変大人しく引っ込んだ。うん、よく休んで欲しい。
手に入れてしまった一人部屋で、習慣になってきたマッサージの練習をしてから俺も早く休もうと思う。リッカたんに施すのは夢のまた夢かもしれないが、愛すべき人間である仲間たちにはいつか披露できるかもしれないとひとり、夢見て。
図らずもそれなりのマッサージの腕を手にした俺の、手腕の披露の結末は、また、夢の向こう。
強気になれない天使は、普通の人間と同じように愛に振り回されていた。
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幼少期、天使(異変前)時代
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旅の途中(仲間中心)
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旅の途中(主リツ)
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if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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