闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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67話 宿霊魂

 アーミアスさんにお慈悲をいただいているというのに未だ泣き止まない少年の頭を優しく撫でていたアーミアスさんですが……正直、天使様としての使命を全うするためだとしても、あんなに手ひどく傷を負われていては、私どもの心の方が辛くなってきて泣きたくもなるという点では見解が一致しているようですが……あの無礼な誘拐犯の悲鳴に、そうとうびっくりした顔をなされました。

 

 化け物。そう、彼女を罵った言葉に自分の事のように顔を歪め、悲しまれたのです。自分の事のように悲しんでくださる。なんて慈悲深く、なんてお優しいのか。

 

 人間だけでなく、魔物の死をも悼み、人形の魂にまで寄り添われるなんて。素晴らしき天使様、いいえ、アーミアスさんだからこそ。

 

「化け物……知っているわ、絵本に出てくるの。悪者、みんなの嫌われ者……」

 

 お嬢さん、いいえ、人形マウリヤは、ようやっと「まるで人間のように」嘆きました。その嘆きはとても化け物とは思えませんが、彼女は素直でした。素直すぎました。人間らしからぬ精神を持ち、表情も変えずに、しかし、嘆きました。

 

 ええ、私のように、あるいは妹のように、家の方針に幼い時から反骨精神を持ち、跡取りであってもとっとと見切りをつけて高飛びするくらいの気概があるようには見えませんので。

 

 見ず知らずの、それも自分を誘拐したような身勝手な男の言葉なんて、何も知らない信者から金を巻き上げる聖職者くらい胡散臭いです。えぇ、複製した免罪符の紙っきれになんの意味があるというのです? 神への祈り? 神は助けては下さりません。神は見守っておられるのです。祈るならばこの美しき天使様へ! 今ならそうはいえますが。

 

 ですが彼女にとっては、心に深くナイフが突き刺さったようなもの。そして彼女には共に寄り添うメルティーはいない。あんな男の言葉を鵜呑みにして、嘆く。

 

 ざわめく精霊たちが興味深そうに彼女の周りをくるくる回ります。精霊に人間のような感情は……ないわけではないのでしょうが、薄いので、ただ面白がっているだけでしょう。

 

 えぇ、私のような人間に付き纏って、私のような人間の手助けをするような精霊たちですから、薄情でしょう。アーミアスさんのように清く美しく真っ当な心の持ち主ならばもっと情に厚い精霊が来るのでしょうね。

 

 残念ながら彼らは、溺れるほど惜しみなく私を愛してはくれますが、視界を埋め尽くしてきてまっとうな視野すら、いまだ新鮮という有様ですので、こっちの事情などどうでもいいのでしょう。波長か何かが合っただけではないのですか?

 

 私の周りをくるくる回りながらくすくす笑う彼らには私の考えなど筒抜けです。ですがまぁ、どうでもいいことですね。私が何を思っても、彼らは私を見切ってくれはしなかったのですから。

 

「本当はわかってるの、うまくできないの……みんな、物をあげる時だけ来てくれるの、本当は私はいらないの、マキナのために、友達を作りたかったけど、私、私、化け物だから上手くいかないのね……」

 

 淡い光が、少女の形をとりました。

 

『違うわ、マウリヤ、あなたは大切な私のお友達』

 

 精霊が私の耳元で囁きました。精霊はともあれ、幽霊を見ることは適わない私に通訳をしてくださっているのです。マウリヤの前に不思議な緑の光が煌めいて、人間の少女の姿……らしく、もやもやと光っています。

 

 レンジャーとなり、力の制御が適ったおかげでしょうか? アーミアスさんには遠く及ばないでしょうが、私にも僅かながら幽霊の姿を見ることが出来るようになったとは!

 

 お役に立てるでしょうか? いいえ、霊魂との会話は為せないでしょう。しかし、アーミアスさんと同じ景色を見ることが出来る……そう思えば! あぁ、この眼を愛しく感じます! 

 

 あぁ感謝します! かつては本物の聖職者、本物の聖人を輩出した家系に! 今はもはや堕落しきり、まったく力も信仰もありませんが、我が身に流れるこの血は精霊と波長を合わせたわけです! 

 

 ええ、これまでこの目を疎むこともありました、今は兜に隠されたアーミアスさんの顔も、メルティーの微笑みも、少年の涙も全部新鮮です。これまでは半透明で光り輝く精霊越しでしか見てこなかったわけですから。

 

 アーミアスさんと出会う、という素晴らしい運命! そしてそのアーミアスさんのお導きで天職を得! そして私は美しくも慈悲深く、最も優れた天使様と同じものを見られる!

 

 おっとよだれが。嬉しすぎて。

 

「あらマキナ! 御機嫌よう、お久しぶりね。今日は遊べるのかしら。おままごとをする? それとも……」

『マウリヤ、ごめんなさい。もう遊べないの』

 

 光に包まれた少女は首を振りました。

 

「マキナ?」

『マウリヤ、私の大切なお友達。もう無理にマキナにならなくていいの』

「……わたしのこと、きらい? きらいになったから、もうあそべないの……?」

 

 少女は、いえ、マキナお嬢さんの表情までは見えません。人間の感情なんてどうでもいい精霊たちは教えてくれはしないでしょう。私は情に薄く、アーミアスさんやメルティーのように本当の意味で他者へ心を砕くことなどできないからです。

 

『一人ぼっちだった私を、あなたはこれまで支えてくれた。でも今は、あなたが一人ぼっち』

「なぁに?」

『私を幸せにしてくれたあなたを……、私は』

「えぇマキナ、わたしはあなたがいてくれるならいつでも幸せよ!」

『ごめんなさい……マウリヤ。もう私の願いに縛られないで。もう自由になっていいの、マウリヤ』

 

 マウリヤの大きな目が、ゆっくりと瞬きしました。

 

『私はマキナ、あなたはマウリヤなの。

私は天使様と共に、その御許へ、遠い遠い国へ旅立ちます。だからあなたも、偽物のマキナから、人形の、私のお友達のマウリヤにもどって……。ありがとう、私の、大切なお友達』

 

 もやにつつまれる少女の姿がだんだんと淡くなり、ゆっくりと霧散していきました。恐らくは未練を失ったことによって言葉通り旅立ったのでしょう。

 

「マキナ……」

 

 マウリヤは、その場に立ち尽くし、何やら考えていましたが、そのうちアーミアスさんになにやら告げて、帰っていかれました。

 

 アーミアスさんは、ゆっくりと兜を外し、私たちの目を見て帰りましょう、と静かにおっしゃいました。

 

 白磁の肌、星を宿した黒い瞳、薄桃の唇の、尊く美しき天使様。

 

 彼はもちろん私なんぞよりも長く生き、欲望滴るたくさんの人間を見てきてもなお、慈悲深き方。つまり、多くの死を見送り、天使様は魂をあのように見守ってきたのでしょう。

 

 ですが、アーミアスさんの瞳にはわずか、悲しみがありました。

 

 アーミアスさんは慣れていてもおかしくないのです。慣れのままに、また一人見送ったという感想だけを抱いてもおかしくないのです。麗しき天使様。

 

 しかしながら、アーミアスさんは何時だって、死者を見送りどこか悲しそうです。

 

 なればこそ……そんなアーミアスさんだからこそ。私たちに手を差し伸べてくださり、導いてくださり、夜空の星々のように美しい姿であらせらるのでしょう。天使様、その中でもこうもあたたかく、地に降り立って救いをくださる優しい方。

 

 アーミアスさんは天使様ですが、精霊とは根本的に違うのか、あまり声も聞こえていらっしゃりません。私の周りに歌う精霊よりもずっと清らで人情を理解する精霊たちが、歌い、踊りながら「悲しいの?」と問いかけていますが、彼は私たちを安心させるためにうっすらと笑みのようなものを浮かべただけでした。聞こえているようには見えません。

 

「俺は、生きとし生けるものすべてに、どのような生を受けたとしても死の救いがあり、ゆえに来世の友であると考えていました。しかしこれからは認識を変えなければなりませんね。

誰かの想いを受け取った全てのものが、魂を宿し、動くことは出来なくともあのように想うのです。女神の果実がたまたま、彼女を本当に動けるようにしましたが。

実際に魂というものはなんであるか……」

 

 そっとアーミアスさんは胸を抑えました。

 

「ここにも、あるいは、幼き人間たちのように、魂があるのかもしれませんね」

 

 そのように他者の有り様に心を痛めるアーミアスさんに魂がないわけありません! ですが、儚く、悲しく告げる様子に何も言えませんでした。

 

 死の救い。その言葉の意味を、私は少しだけ、ほんの片鱗だけ理解出来たからです。

 

 その若い姿で、私たちよりずっと長く生きるアーミアスさん。天使様に死はあるのでしょうか? 天命を全うする、という言葉がありますがアーミアスさんは天使。天の使い。

 

 その天命は? 

 

 「アーミアスさんに死の救いはない」、そう読み取った私は、情知らぬ精霊たちの歌を聞きながら、あまりにも情け深いお姿にじっとみとれるほかありませんでした。

 

 夜の星々の静かな煌めきは、白く輝く兜によって隠され、その静かな悲しみを覆い隠したようでした。




アーミアス「やっべ、俺のリッカたん日記にも魂あるかもしれねぇ」

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