巨大な蜘蛛が俺たちを品定めしながら舌なめずりでもしているようだ。実際は、蜘蛛の表情なんてわかりゃしないし、分かったとしてもそれは、天使の俺が人間の感情を理解するのに手探りであるように、曖昧なことだろうが。
魔物だろうが、人間だろうが、共に歩むべき尊い魂であることには違いないが、必ずしも対話できるとは言っていない。対話が出来なくとも隣人であることには違いないが、彼らの名前すら知ることすら出来ずに、単なる「美味そうな肉」に見られることもまた仕方の無いことだ。
共に歩むべき命であり、食う食われるの食物連鎖の上下でもあるのだから。
ところでよ、天使の肉って美味いのか? 生命力なくて不味そうじゃね? 栄養もなさそうだし、外見は若くとも基本百年物だし。まぁ、食われる必要があるって言うなら、幼く未来ある仲間たちを逃がして俺が食われるってのは当たり前のことだが、みずみずしくも幼い仲間たちの方が食べごたえがあるってことで、囮になってもスルーされたら悲しくね?
連続して噴出される、粘つく糸に絡め取られないように駆け回って逃げる。なんとか隙を見つけなくてはならないが、追い払えそうにもないこの感じでは、あいつ、空腹なのか? ならもう、生きるためには倒すしかなくなる。追っ払えるならそうしたいんだが。
執拗に打ち込まれる弾っぽいものはいかにもな色で、毒が入ってそうに見える。当たるとやばそうだ。
「散らばってください!」
常に寄り添うきょうだいたちが弾かれたように左右にばらけた。そのおかげか、二人に向いた粘つく糸は地面に当たっただけで済んだ。マティカは駆け回りながら一撃を入れる隙を見計らっているらしい。闘魂打ちの研ぎ澄まされた魔力が指先を煌めかせる……のはいいが、剣の存在忘れてね?
俺はと言うと同じく駆けずり回りながら攻撃のチャンスを伺っている。マウリヤには、悪いが相手は肉食の魔物。かばっている暇はない。てか、庇うまでもなく奴はマウリヤを眼中に入れていないようだ。嗅覚がどの程度あるのか知らないが、布と綿の体では食欲が湧かないのも当然だな。
吹き飛ばされ、動かないマウリヤを守るのも、こいつを追い払うのも諦め、俺は無事に仲間たちを帰すことを一番にすることに決めた。こいつの毒とか、もしも食らったらキアリーで治せるかもわかんねえし。こいつに噛まれたことがある実例を探すのは難しそうだ。
剣を腕の回転に合わせて鋭く一撃。いつものように剣を振り抜く間もなく、蜘蛛の牙が眼前すれすれの空気を切り裂いていく。思わず盾を持った方の手で顔をかばいそうになるが、そんなことをしていればねばつく糸の餌食になっていただろう。
隙を見せてはならない。後ろに飛び退く。だが、隙を見せるのが致命的なのは向こうも同じだ。俺に構っている間に背中をメルティーに焼かれ、目をガトゥーザの弓に狙われ、痛みに怯んだ瞬間にマティカに闘魂打たれる。
そして俺からターゲットを外した瞬間に俺にもまた斬られる。
完璧なコンビネーションだ。
これがしたかっただけだし? 俺が囮になって仲間たちにド突いてもらうっていう、きっと師匠にも褒められる完璧な作戦ってだけだし? 違うけど、そう心の中で調子にでも乗らなくてはちょっと……気弱になりそうなほど外見のインパクトが大きい相手だ。
俺に攻撃を引きつけることを完全にできるわけじゃねぇけど、向こうにとってムカつくことをしてりゃ自ずと俺に向かってくる。例えば目を狙うとか、攻撃を俺に逸らすとか、似たようなやつでは割って入るとかな。
そうすることによって俺の身が危険に晒される分には仲間にあたるより圧倒的にマシだしな。どんな状況下でも幼い方が護られるべきだ、そうだろ?
俺は天使、天の使い。生命あふれる地ではなく、風と雲だけが渦巻く天に住まう、守護機構。いっちょ前に呼吸し、食べ、「あいする」が、生みの親はいないし子どもも持てない。そんなものは生き物ではないのだから、生きとし生けるものを優先するのは当然で、そんな中で贔屓の強い俺は言葉を交わし、愛しいと思った者たちを選んで守る。
こんな生き物未満でも愛しく幼い子らを護れる。
そろそろ板についてきた連携、慣れつつある職業。それらは俺たちの、いや、「俺の」慢心を招いた。
前へ少々出過ぎたか、狙われたマティカを俺は庇う。しかし、奴の腕は俺と違って沢山ある上に、尻から噴出する毒弾を撃つのに牙も脚も関係の無いことだ。
メルティー!
翼があったら、飛べるのだから、いつものような安定した「かばう」が間に合ったろう。きっとメルティーのところまで飛んでいって、真正面から受け止めた。それが出来なくて、俺は、護るために横に跳んだ。
盾で受けるでなく、腕で受けるでなく、比較的柔らかい脇腹に毒の弾が直撃した。だが、だけども、俺は護り切ったのだ。
痛みと、点滅する視界。
毒が身体に回る。
今までも傷を受けていたから、堪え切れなくなり、俺は間抜けにも地面に転がったまま動かない手足に叱責する。この間にも仲間たちが狙われるじゃないか、と。
熱い、寒い、熱い、息苦しい。だからなんだ、俺は幼くない。その程度で、膝をついて、止まっていいわけじゃない。俺は守護天使なんだ。守護天使なのだから、いや、天使だから、いいや、本当は理由なんて必要ない、俺はそうあるべきなのだ。
本で読んだ人間たちのなんと色鮮やかで、生き生きとして、魅力的だったことか。実際に見た人間たちのなんて、本よりもよほど、眩しかったことか。初めて言葉を交わした時、俺はどれだけ嬉しかったか。
俺は護るために、いいや、俺は大好きな人間たちと過ごす時間がかけがえのないものだと知っているから。短い生の、魅力的な者たち。
毒が体力を奪っていく。関係ない、俺は立ち上がって、剣をとる。油断はもうしない。
ガトゥーザのベホイミが、キアリーがキラキラ光って、俺の傷を塞いでいく。毒を消し去っていく。俺たちを見て獲物を狙う肉食性の生き物の本能を見せ付けてきた巨大な蜘蛛は、俺をターゲットにしたのか、都合よく俺に向かってくる。盾を構えたが、衝撃までは逃がさず後ろに吹っ飛んだ。
その期を逃さない大蜘蛛が、その巨体でのしかかってくる。
頭からバリバリって雰囲気ではないな。柔らかな脇腹から食われるか?
毒で上手く暴れられないが、剣を振り回して激しく抵抗しつつもそんなことを思う。
いやいやいや、俺旨くねーし。ヒョロいもやしだぜ? 引き締まった筋肉も脂肪もねぇ。無駄に百年もので新鮮とは言い難い。てかそれ抜きにしても辞めとけ、退いとけ、ほら、後ろによ。
鬼のような形相のマティカが剣振り抜いてるから。とっくに俺の腕力なんてもやしなものを抜いてった天性のバトルマスターが。残念なことに、俺は蜘蛛と会話することが出来ない。
俺は祈る、それだけだった。蜘蛛は、マティカに体を両断され、魔物特有の黒い光に包まれて消えていった。
マティカは、剣から手をすぐに離して、子どものように俺にすがりついて、泣きだした。いや、子どものように、では無い。マティカはまだ、子どもなのだ。
幼く、愛しき人間は、俺の身を案じてくれていたんだと、俺は理解して、優しさに感動しながら、泣かせてしまったことに胸をちりちり焼かれながら、金髪の頭をぽすぽすなでた。
「し、死んでる……」
化け物に手酷く吹き飛ばされたらしいお嬢さん。誘拐して、身代金を請求して、その後は穏便に帰ってもらうつもりだったのに。お嬢さんを殺す気なんてなかった。そんな度胸はなかった。
地面に叩きつけられたのか、ぐったりと倒れ伏し、ビクともしない姿に歯がカチカチとなる。ここの化け物に同じ目に遭わされたなら、もちろん俺は死ぬだろう。お嬢さんを連れ戻しに来たらしい街の連中も、化け物と戦ってボロボロになっているぐらいだ。
あいつらを置いて逃げよう、と思うのに足がすくんで動けない。まさか、まさか、お嬢さんが死んでしまうとは。
だが、街の連中との戦いで元凶の化け物は倒されたのか姿はない。その点だけは助かった、そう頭の片隅で思いながらも罪悪感が胸に染み付く。
けほ、と一際傷まみれになった少年が咳き込んだ。それ以外、誰も何も言わない。傷まみれの少年にすがりついて泣く子どもかしゃくり上げる声だけが、そこにある。
「あぁ、びっくりした」
その場に不釣り合いな、甘やかな少女の声。背後で起き上がる音がする。まさか、お嬢さんは死んでいた。箱入り娘のお嬢さんが、魔物にあんな攻撃をされて生きているなんて、ありえるか? 生きていたとしても、もっと、そう、思わず間の抜けたことを言ってしまっただけで、満身創痍のはずだ。
振り返った先にいたお嬢さんは、傷らしい傷すらなく、攫った時と同じように何も理解せずに微笑んでいた。
「ひぃ! ば、化け物! ズラかるぞ、こんなところにいていられるか!」
俺は仲間と逃げた。あんな化け物がお嬢さんだったのか? お嬢さんは化け物が成り代わっていたのか? どうでもよかった。病弱で、甘やかされ、なんでも周りに与えるようになった世間知らずの女の子の正体をそれ以上知ろうとは思わなかった。
化け物から逃れるために、あんな、恐ろしい場所から逃れるために。一心不乱に引き返した俺たちはあの街の連中が化け物を少しでも引き止めてくれることを願いながら逃げた。
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幼少期、天使(異変前)時代
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旅の途中(仲間中心)
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旅の途中(主リツ)
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if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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その他(メッセージとか活動報告コメントとかください)