闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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閑話 慕師弟

 天使界に、ある一人の天使が降り立った。

 

 辺りがキラキラ輝くほどたくさんの星のオーラを纏った天使が、人間界から帰還したのだ。

 

 かの天使は翼を素早くたたみ、堂々とした足取りで上層を目指す。彼に興味津々の幼い天使たちの視線に気づかず、もはや気安く接することが戸惑われるようになった同年代の天使たちの眼差しに一瞥すら向けずに、ならわし通り、真っ直ぐに長老オムイへ報告しに向かう。

 

 彼は見習い天使アーミアス。齢百ほどの若い天使である。人間でいえば百にもなるならばいつ亡くなってもおかしくないが、天使としてはまだ子どもだと言っても良い。

 

 だが、彼は普通の見習い天使ではない。師の守護する村を引き継いで守護天使になることは間違いないとまことしやかに囁かれ、そのことは厳格な上級天使である師イザヤールでさえ否定するものではない。

 

 非常に勤勉、真面目な彼の信頼は厚く、職務に背くことは決してなく、学ぶことに常に真摯で、物腰は柔らかく、常に丁寧な口調で態度は穏やか。目上を敬い、幼子たちには親切であり、なにより人間を愛し、慈しみ、守護する。

 

 天使の鏡とも言える彼は、もう百年前のように悪意に晒されることは無い。

 

 ……極一部の例外はまだいるのだが。

 

 唯一、そんな彼に汚点があるとすれば、邪魔にならないようにしっかり折りたたまれてもなお目立つ片翼の大きな傷だろう。ぼろぼろになり、部分的に皮膚が剥き出しになっている翼は飛翔能力こそ問題ないが、どう見ても欠陥である。

 

 彼のそれについて触れることはタブー視され、誰も表立って本人に何か言うことはないが、常に噂がつきまとう。

 

 その「事件」があったとき、まだ幼かったり、生まれていなかった天使たちは事実を知らないゆえに好き勝手な噂を流すのだ。

 

 いわく、天使の模範であるゆえに悪魔に囚われた時の傷だとか。いわく、例の異端者に傷付けられた跡だとか。いわく、元々彼は翼に傷を持って生まれた天使なのだとか。いわく、いわく、いわく……。

 

 流れる噂に一つたりとも真実に近いものは無い。彼は傷つけられた、あるいはそういうものだったのだ、という噂は果てしない尾ひれとともにいくらでもあったが、まさか己の手で純白の翼を毟り、切り取ろうとナイフを振り上げ、それにしくじって無残な有り様にしたとは真実を目にしていなければ思えない。

 

 だが、事実を知る上級天使たちは揃って口をつぐむ。いや、つぐまざるを得ない。師イザヤールは今の彼……見習い天使アーミアスが、再びあのような月に魅入られることはないだろうと考えていたからだ。

 

 イザヤールは上級天使として名高く、また彼の意に沿わないことは大抵彼の旧知であるラフェット、エレッタ、そして妹であるラヴィエルにも大抵当てはまるため、四人の有力な上級天使相手に下手なことは言えない。また、長老は静観の構えを崩さないのも後押しした。

 

 あの「事件」はアーミアスにとってはごく幼少期の癇癪のようなもので、記憶ももうおぼろげであってもおかしくない。下手に触れなければ当時、そういう狂った考えに至ったことを思い出したりしないだろうという考えだったのだ。

 

 よもや、その目上の存在に従順な顔の裏で、当時と変わらぬ、いや、むしろ増していく人間への想いがあるとは知らず。当時のことをある意味反省しているとはいえ、翼を失うためにいろいろと考えを巡らせることはむしろ以前より頻度が高い。

 

 天使たちは気づかない。いや、気づけない。あの狂った行為が、自分たちが無意識的に見下している人間に、誰よりも天使らしい規範の天使がまさか、なりたいと、少しでも近づきたいと、心底願ったゆえの行動だとは。

 

 それは、誰よりも無垢ゆえに。

 

 白き天使は、天使の拙い悪意にすら染まった。その純白の髪を掴まれて。星を宿さぬ瞳を濁らせて。嫉妬という、人間じみた感情の真似事の矛先になって。

 

 しかし、その事とは関係なく、彼の中身が外見とは大いに異なることは、神すら知らないことなのだ。

 

 天使は神にとってはただの間に合わせの道具に過ぎないからだ。その心のうちをわざわざ読み取らなくとも、理に縛られた彼らは、どんなに反抗したい気持ちを持とうとも上の者に意のままに使われる。

 

 判断材料は普段の態度からのみなのだ。とはいえ、大抵の天使はいかに猫を被ったとしても幼い時の行動までは誤魔化せない。いくら取り繕ったとしても狭い天使界で見破られることがないことはまずありえない。

 

 気づかれないままなのは、誰よりも無垢だったゆえに。

 

 幼い頃の彼の性格は本物だった。無垢で、穏やかで、真面目な彼は目上を敬う態度にも真摯だった。そこに一片たりとも嘘はなく、ただ、その態度のまま中身が成長して、おかしな方向にひん曲がったことに誰も気づかなかっただけなのだ。

 

 あぁそれも、無垢だったゆえに。

 

 真っ白な天使が強烈な個性を浴びればそれに染まる。厳格な師のもと、彼はとても真面目だった。異端者の悪意に晒されて、彼は灰に染まる。白を捨てさせられて、だが誰よりも天使であったから、本性から逸れることもまたない。

 

 人間への大きな「あい」ゆえに。「あい」という意味において、嘘はなく。生命を慈しむ心は真実で。すべての生命を救えるように真に願う。「あいするこころ」を真に持った天使だったから。

 

 天使らしい天使は、今日も地上で出会った人間を慈しみ、守護する。

 

 彼の灰色を疎むのは彼だけ。誰もがその灰髪を悪いものだとは思わない。

 

 彼の本当の中身を知っても、案外受けいられるのかもしれないが、彼は……相当な何かがない限り、丁寧で柔らかな態度を崩すことはないだろう。

 

 彼は作り上げた丁寧で柔らかい態度のまま怒る、喜ぶ、悲しむ。だがどれも天使としての例外にならない。常に丁寧に、いかに激昂しようと敬語すら崩さない。寝ぼけていようが同様で、そこに隙はありはしない。

 

 天使としてはまだ幼くとも、百年という歳月は「うっかり」の余地を作りはしない。

 

 もしも、その心のうちをそのままに吐露することがあるならば。それはもう、彼は天使ではないのだろう。念願叶って人間にでもならない限り、彼は態度を崩さない。

 

 堂々と闊歩する彼の背からふわりと舞う、抜け落ちた一枚の羽根を。かつての彼のように無垢な天使はそっと拾いあげた。その色は彼の本当の髪の色のように真っ白だった。

 

 羽根を見て、その背中を仰ぎ見て、幼い天使は柔らかくも熱い憧れを胸に抱く。

 

 だが、残念なことにすっかり「今の」アーミアスの人格が出来上がっているので、その憧れの先輩天使は歩きながらも今のお気に入りの少女のかわいい寝顔に内心身悶えていたのだが、誰も知る由もなく。

 

 一人静かにぺろぺろしている変態。心のアルバムを埋め、まだ見ぬ人間たちを愛する。だがどこまでも天使の少年は今日も、無垢な天使だと勘違いされる。

 

 なぜなら。

 

 幼き子らよ、無知なる人間たちよ、どうかその命、安らかなれと。祈りの部屋で誰よりも真摯に一人祈るのもまた、アーミアスなのだから。

 

 真摯な天使で、かつ変態天使なのである。

 

 まだ物を知らぬ、もっと若い頃の話なので、女の子のローアングルにはテンションが上がらない程度には健全な天使ではあったのだが。

 

 

 

 

 

 

「さぁ、世界樹へ向かうが、準備はいいな?」

「はい、師匠」

「よろしい。見習い天使ゆえに、自分で集めた星のオーラも私の同伴がなければ世界樹の元へ捧げることは許されないが、この調子であればアーミアスを『ウォルロ村の守護天使アーミアス』と呼び、一人で世界樹へ赴く日も近いかもしれない。わずか百三歳でここまで良くやることはなかなかないことだ。

これからも慢心せずに励みなさい」

「もちろんです」

 

 冷静な返事と表情と裏腹に、ほんの少し嬉しそうに瞳を輝かせる弟子。私の弟子となってから少しの慢心も怠慢もなく励んできたのだから、褒めることくらいはある。

 

 だというのに、何故か通りすがりのエレッタに信じられないと言わんばかりに顔をまじまじと見られた。噂されるような冷血な指導をしているわけではないのだが。

 

 ごくごく普通にこの弟子を伸ばす指導をしているまでのこと。

 

 エレッタは同年代で、また同格である。理の発動することのない対等な関係だ。それはつまり……上級天使の中でも実力者に数えられるだろう。

 

 懲罰の執行天使であり、同時に癒しの天使であるのだから守護天使とはまったくの畑違いであることだし、仕方ないのかもしれないが。今日も脱走した異端者を捕縛して世界樹から引きずり下ろしているのはご苦労なことだ。

 

 私の弟子に仇を為すのだから、あの異端者は軟禁処置ではなくもういっそ休眠処置にならないものか。繭になっていれば二度と変な気も起こせまい。

 

 とはいえ、懲罰を決めることができるのはオムイ様のみ。私に口出しできるものではなく、執行天使のエレッタも希望程度のことしか進言できない。癒し手として当時の治療を担当した天使としての進言を合わせても、あの気の強いエレッタが「参考にしてくださいませ」と言うことしかできないのだ。

 

 天使の上下関係に不満はないが、弟子の身を案じると不安ではある。

 

 これはまだ子どもの時分の我が弟子を守るのも師の務めである、という神の試練なのかもしれない。出来のいい弟子ではあるが、見習い天使であるうちはよく見てやらねば。

 

 道中、アーミアスと同年代の見習い天使とその師がなにやら話しながら私たちとすれ違っていく。おそらく、世界樹を麓から見ていろいろと知識を授けたのだろうが。

 

 優越感など、くだらないものである。だが。

 

 一人、飛び抜けて優れているよりも、天使全体が優れていた方が効率もよい。だが、まだまだ子どもらしく幼く、地上も見たことがないようなその天使と、星のオーラを単身身に纏わせて持ち帰る天使。

 

 どちらが優れているのか明白であり、それは私にとって紛れもなく誇りだった。

 

 真面目すぎるきらいのあるアーミアス。だが、目をきらきらさせて表情を引き結ぶ姿にもう少し褒めるべきだと考える。調子に乗るような性格ではなく、また褒めてしかるべき実績であるのだから。

 

 ゆえに、私は誰も見ていないことを、何故かよくよく確認してからそのふわふわの髪の毛のうえに手を置いた。

 

 不思議そうに私を見上げるアーミアスに、想像以上に柔らかい触り心地に驚いたことを察されないように、撫でてみた。私とて褒めるために頭を撫でることくらいは知っている。

 

 ……師エルギオスは、私の剃りあげた頭をよく気に入っていらっしゃって、よくこうやって……いや。

 

 髪型は自由である。いくら剃っている方が性に合っていると私が考えていても、アーミアスは別の個人であるのだから。この触り心地がなくなるのはまた、損失だ。

 

「師匠、どうされましたか」

「いやなに、最近は本当によく頑張っていると思っただけのことだ」

「褒めて……くださっているのですか?」

「そうだが」

 

 ふわり。アーミアスは嬉しそうに微笑む。

 

 表情の少ないアーミアスは、感情が薄い訳では無い。ごく普通のいまだ幼き見習い天使としての内面も持ち合わせていて、そして公私を混同しない、つまり真面目すぎるだけのことである。感情が豊かすぎることをはしたないと考えているのかもしれない。

 

 そして、その考えには私にも責任があるのだ。私も似たような考えの持ち主であるのだから。

 

 だが、まだまだ未熟で幼い天使であるのだから、年相応に笑って過ごしていても叱責することはない。むしろ、私は好ましいと感じる。

 

 よく師を慕い、よく指導に従い、よく天使として尽くす。まさにその容姿のとおり、天使の鏡である我が弟子は、だが私の弟子であり見習いであることには代わりない。

 

 私は、そんなアーミアスの師であることを、師エルギオスの弟子であることと同じくらい誇りに思っている。

 

 ゆえに、こうして慕ってくれる弟子を褒めることは私の誉れでもあり、護ってやり、導いてやらねばならぬとますます決意を強めるものなのだ。




天使10歳まで→赤子同然、言葉から教える アーミアスが灰髪になったのはこのあたり 自我形成前
天使30歳前後→3-5歳(個人差あり) 天使で天使な天使
天使80-100歳→10歳前後(個人差あり) 子ども
天使130-150歳→14-17歳(個人差あり) まだまだ子ども ←アーミアスここ
天使200歳前後→20歳前後 そろそろ1人前、若い天使
天使250歳前後→22-25歳 もう1人前
天使300歳以降→いい大人 ←イザヤールここ
天使数千歳とも数万歳とも→オムイ長老

という感じで書いてます。イザヤールの年齢は調べましたが出てこないので考察します。
エルギオスの悲劇(ナザム村へのガナン侵攻)が300年前で、その時点でイザヤールは既に弟子であり、そんなに弟子になってすぐ(若い時)にいなくなったとは考えにくいので悲劇時点で、450歳くらいということになります。
少なく見積もっても、天使と人間がある程度まで同じような成長をするとしても、イザヤールは315歳以上ではあります。
ということはエルギオスは600歳くらいではあると思います。
オムイ長老が数千歳とかちらっと言われているのに、全く理的に歯がたっていない後半の描写を考えると天使の序列は年功序列ではないようです。
でも、分かりにくいことになるので、概ね年功序列で考えて書いてます。外見年齢ではなく。

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  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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