61話 不安
「おかえりなさい、アーミアス!」
「!」
リッカたん!
リッカたんが俺におかえりなさいって! ぺろ! リッカたんかわいいぺろぺろ! 青いおかっぱは今日もさらさら! 結んだバンダナは働き者のリッカたんらしさのあらわれ! 俺はそんなかわいいリッカたんのエプロンになりたい! 四六時中ぺろぺろできるからな!
いけねぇ、うっかり嬉しさのあまり返事が遅れちまった。あまりにもペロリティが高いおかえりなさいだった。
「ただいま戻りました、リッカ。何か変わったことはないですか? 俺にお手伝い出来ることは?」
薄味で残念な顔面に満面の笑みでお目汚しすまない。俺が師匠の様なイケメンなら良かったのだが。それか、武器屋のムキムキの男のような……素晴らしいマッスルボディなら顔にコンプレックスもなかったのだが。
だが、リッカたんを前にした俺に笑顔を止められそうにないし、リッカたんはいい子すぎて不快にも思わないらしい。リッカたんがいい子でよかった!
で、で、俺のやることはなにかないのか? ちょっと日も空いたからな。リッカたんがなにか不便してないか気になる! 疲れ? そんなものはリッカたんのぺろくてキュートな顔と可愛い声聞いたらどっかに消えたわ。
リッカたんぺろぺろ! うん、顔色いいな、良かったぜ! 成長して丈夫になったとはいえ、もともとは病弱だったリッカたん、ウォルロから出ても大丈夫そうでなによりだぜ!
リッカたんがそこにいて元気で可愛い、それだけで俺はあと何百年か頑張れる。いやもう人間になれるならその寿命そっくりそのまま返すから人間と同じ速度で老いさせろって話だが。
「お手伝いなんて! いいのよ、疲れてるでしょ、ゆっくり休んでね」
「えぇ、では、明日お伺いしますね」
そう言われちゃもう甘えるしかねぇ。早く休んで何の憂いもなくなったところでなんでも手伝うしかねぇ。気を遣わせたくないからな!
だが引かないぞ俺は。リッカたんのお手伝いなんて、なんだろうがペロリズムがすぎてぺろっぺろだ。掃除? 炊事? 呼び込み? 案内? なんでもやる。リッカたんが好きだから! まぁ、重い男にならない程度にな。
さっそくパーティを一時解散し、腹ぺこらしいマティカにテーブルに引っ張って行かれる。当然のように着いてくる兄妹も。解散した意味はあるのか?
ともあれ、ゆっくり休むために食事もそこそこに俺は部屋に引っ込んだ。人間でいう軽食で腹いっぱいだ。そもそも作りが違うからな。それでも人間並みに食う奴もいるだろうが、個人差だ。俺は小柄だし。
そんなに食わなくてもいい、そんなに寝なくてもいい、もちろん人間と比較してだが、そんな天使でも全くやらなければ繭になって、そんで星になっちまう。
ゆっくり休む必要はねぇ。人間たちの笑顔こそ、俺の原動力だから。
だけどもなによりも俺が尊重したいのはリッカたんの労りの言葉。俺のことを考えて言ってくれた優しい言葉だ。贔屓上等。
まぁ、休むことは一概に眠ることだけじゃねぇだろうけど。ともあれ寝たらなんでも良くなることだろう。起きたらきっとさっぱりすべてを吹き飛ばし、また幼い者たちの助けができるだろう。
翼があった時の癖でうっかりうつ伏せで寝た俺は、くっきり布団のあとを顔につけ、せっかく早々に目覚めたというのに鏡の前で硬直した。
こんな小さい子どものような情けない格好ではリッカたんの前に出られないという理由で、早朝から部屋の中で何も出来ずに硬直するハメになったが……まぁ、もうやらなくていいかつての習慣が出るくらいには疲れていたらしい。
それを見破ってくれるなんて! 流石の慧眼だ、リッカたん! ぺろぺろ!
父になんて言いましょう。母になんて言いましょう。そしてガトゥーザの両親には? 花の溢れる故郷にて、力を高めるための修行に出ると書き置きを残し、誰にも言葉で告げずに飛び出して行った娘のことをどうしようと思っているのしょう。
そんな自分勝手な娘なんて、勘当されるでしょうか? それならむしろこちらからお願いしたいくらいです。干渉されないなら良いのです。それなら憂いなく気持ちよく眠れるでしょう。兄も。
問題は、私たち二人は所詮は親戚ですらなく、他人だということ。私がガトゥーザを兄だと思っていても、弟だと思っていても同じことです。
私たちには、それぞれ血の繋がったきょうだいがいるわけではなく、また、あの人たちは積み上げて来た偽りの名誉と金を維持する為に、きっと後継者を求めていることでしょう。
私は……彼らの価値観からしても不出来な娘だった訳ではありません。いつだって、家を飛び出すまで、言いなりでしたから。そうしなければ、生きていけませんでしたから。
あぁ。うっかりペテンのボロを出したなどで家が滅んでいたらいいのに。
しかし、いくらそのような事情でサンマロウへ帰郷したくなくとも、私の事情なんて崇高な使命を持つアーミアスさんには関係ありません。そして、私がお供することをやめる理由にもなりません。
えぇ、父になんと言われても、母になんと囁かれても、私は胸を張ってこれこそが素晴らしい行いであり、世界で最も名誉なことであると言えます。
それでも。憂鬱なのです。不安なのです。
宿屋のフカフカのベッドの上で、私は悶々としていました。耳はもちろん、ぴったりと隣の部屋を伺うべく壁につけていましたが。えぇ、お隣は愚兄でも格闘少年でもなく、アーミアスさんの泊まってらっしゃる部屋です。
アーミアスさんは、いつも、少し書き物をしたあとに早々に就寝されます。寝息までは聞こえませんから、もう聞こえるものは何もないのですが。
レンジャーは魔法使いよりも耳がいいのでしょうか? ガトゥーザ兄さんならなにか聞こえるのでしょうか? いえ、この特等席を渡すなんてことは出来ませんけど。
少し冷たい壁に寄りかかり、私は膝を抱えます。
口から出まかせな嘘っぱちの占いと、手品程度の魔法。そして演技。それだけしかない薄っぺらな両親をおもって。それだけで莫大な財産を築いたのはある意味賞賛に値するでしょうが、罪のない人々を騙していることに違いなく、悪人でしょう。
私はあの人たちのようになりたくなかった。でも、未だに恐れている。
私は、かつてより強くなりました。一介の魔法使いとしても、きっとそんなに劣る訳ではありません。あの人たちより余程戦えます。ですから、今の私が負けるわけがありません。
心も、きっと強くなりました。信念を持てましたから。
アーミアスさんの手助けになりたいという太い柱を持ち、そのために賢者を目指すこの意思は、以前のように神へ救いを求めたいという安易な考えから、少しでも敬虔な職である僧侶を目指していたようなものでもありません。
ですが、私は魔法使いの身でも敬虔です。そうあり続けます。
本物の神を見たことはありません。見た人を見たこともありません。ですが、私は神のお使いである天使様に従っているのです。彼のお導きのもと、少しでもお役に立てるように尽力するというこの世で最も徳の高い役割にあずかっているのです。
それまで私は兄の手を離しませんでした。それは、精霊に愛されて、目や耳が悪いのと同じことになっていた彼を哀れんでいた訳ではありません。
自分が心細かったからなのです。手を握って欲しかったのです。私の気持ちと同じおもいを抱えていました。いわば同族で、同じように家のことを憂い、あんな詐欺師たちと同じになりたくないと願ったもの同士、傷の舐め合い、慰め合いをしていただけなのです。
今は違います。レンジャーになり、力を制御できるようになった兄はもう私の手がなくても歩けます。いいえ、もっと前から私の手を離していました。そう、アーミアスさんと出会った時から。
ほかの何も見えなくとも、アーミアスさんを見失わない兄は、私の手を必要としなくなりました。そして、私もきっと、兄が支えてくれなくとも歩けるようになっていました。
天使様のお導きのおかげです。
あぁ。私にさらなるお導きを。慈悲深く偉大な天使様。美しく誰よりも真摯な天使様。
いえ、いえ、お導きには従いますが、これは私の問題。アーミアスさんのもとで成長した私は、もう甘えることなく解決しなければなりません。
そもそも会わなければそれまでです。私は二度と戻りません。会ったとしても戻りません、もちろん。私には、自分で見つけた道があるのだと言ってやりましょう。
美しき天使様に従う私をきっと彼らは羨むでしょうね。でも、譲りませんし、そもそもお見せするつもりもありません。きっとアーミアスさんに邪な気持ちを抱いて、何をしでかすかも分からない人たちなので。
なんだ、恐れることなんてなかったのです。
私はお導きに従うので、お導きの邪魔をする存在に気をかける必要もないじゃありませんか。胸を張りましょう、堂々としていましょう。
そして彼らのことなんて気にせずに、アーミアスさんのお役に立つことを考えれば良いのです。
さぁ、眠りましょう。明日からは忙しくなりそうです。かたん、と隣の部屋から音がしましたが、私は眠ることに集中しました。
アーミアスさんが起きたことも、きっと一番にランプをつけるためにかたんと音がするのだと分かったことも、全てかじりつきたいようなことですが、それよりもお役に立つことの方が大事なのです。
あぁ、お着替えのための衣擦れが聞こえるような気がします……。つまり、アーミアスさんは今……。お召しを脱いでいらっしゃる? つまり、つまり、そう、いつもよりセクシーでいらっしゃる?
アーミアスさんがセクシーですって?
天使様に邪なことなんてございません! どんな格好でも、たとえ全裸でもこの世の何よりも清らかです!
えぇ、汚れているのは私の心です! アーミアスさんの防御力が下がっていることに興奮するのはどんなときでも私たち人間の方で、アーミアスさんにとってはなんということもないことなのに! あの白い肌の露出が増えていると思うと胸がときめいて仕方がないのです!
あぁ、至福のひととき。えぇ、至福です。私は幸福なのです。
なにはともあれ、おやすみなさい。
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幼少期、天使(異変前)時代
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if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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