闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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54話 霊

 目を見開いて自分を凝視する彼は、天使様のように見えた。私のことが見えているのかしらとも思った。でも彼は声をかけてこなかったし、視線の先には、行き倒れたような男性が転がっていたのでそちらを見ているのだろうと勝手に納得した。そう思いたかった。

 

 かつてのエルギオスのように、強い意思を持った目をしている。星を宿した目だ。キラキラ光る星ぼしのすぐしたで育ってきたような、目。

 

 あぁ、懐かしい。思わずその手を取りたくなる。おかえりなさいって言いたくなる。別人だと分かっているのに、違う気配が確かにするのに、顔だって全然違うのに……よく似ている。

 

「……人間を天使と見間違えるなんて」

 

 私が知るエルギオスにも天使様の光輪はなかったけれど、まさか翼すらないこの少年が天使様のはずもない。仲間らしき普通の人間が訝しそうに少年を見ているのだし、人間と行動を共にする天使様なんて……いるはずもない。

 

 私はそう信じ込む。私をはっきり見ている目を見ないふりして、過去の未練を断ち切るように。私はエルギオスに会わなくちゃいけない。他の存在を気にかける時間ももう、ない。

 

 すれ違う。何もなかったように通り過ぎる。あぁ、懐かしい気配がする。

 

 間違いなく、あの少年からは懐かしい天使様の気配がするの。そんなことありえないはずなのに、美しい白い羽根が散る時のような儚さと、私たちをその翼で包み込むように守護してくれる優しさの両方が感じられる。

 

 彼はその場で、しばらく物言いたげな様子で突っ立っていた。そして、ゆっくり振り返って、やっぱり私を、こちらを見て、まだそこに留まっている私のことを意外そうにしていた。

 

 手が伸びる。彼の手はエルギオスの手じゃないのにどうにも重なって仕方ない。

 

「あの、そこの娘さん……?」

 

 私は、逃げた。この天使様と話せばエルギオスを止める前に解き放たれて、空へ旅立ってしまうような気がしたから。そんなことあるはずないのに。

 

 とにかく、立ち去らないと。翼も輪っかもない天使様のようなその少年の瞳に囚われるしまう前に。

 

 人間のように振る舞うあの天使様が地上でわざわざ何をしているかなんて簡単に想像がつく。あの異変によってきっと空から落ちてしまった天使様は、かつてのエルギオスのように人のために戦おうとしてくれているのでしょう。

 

 ほかの天使様を私は知らない、それでもあの瞳の優しい光は二人とも似通っていたのだから。

 

 彼の仲間が、かつての私たちのように……裏切りの形を示さなければ、良いのだけど。願わくば、二度と悲劇が起こらないように。

 

 

 

 

 

 

「アーミアスさん?」

「……あぁ、行ってしまいましたか」

「一体どうなさりました?」

「あぁ、特にもう何も無いですよ。ただ女性とすれ違っただけなので」

「い、言い方が怖いよう」

 

 人ならざる者が目の前にいるってのに、しっかり俺の服の裾は握るってのに、幽霊は怖いのかマティカは。まぁ見えないものって得体がしれないから怖いよな。見えたらあんなべっぴんさんの虜になっちまうかもしれねぇけど。

 

 その手のことを気にしないらしいメルティーはちょっと怯えたような顔をしたガトゥーザに縋られて迷惑そうな顔をしているし、さっさと戻るか。

 

 セントシュタインでリッカたんの優しさと温もりに包まれて一晩休んだら次は……そうだな、カラコタで一応ちょっと聞き込みでもして、それで次の街へ行くか。

 

 幽霊の女の子はもうここには帰ってきそうにないし、この街ってか橋におかしな異変は起きてなさそうだから、一応だ。

 

 てかよ、世界中にバラバラに落ちているはずの女神の果実だぜ? この大陸には一つもなくたっておかしくねぇんだ、のんびりはしていられねぇけど、先は長そうだしな。慌てず堅実に進んでいったほうが賢明だろ。

 

 行き倒れっぽいが、もしかしたら本物の追い剥ぎかもしれないから今日はカラコタの住民に話しかけるのはよしておく。

 

 すべての人間が、いや、すべての魂が魔も光も関係なく救われるべきであったとしても、俺が救いたくても、それは仲間の三人の安全を確保してからの話だ。雇い主の俺にはその義務があるし、三人には確かな恩と感情がある。

 

 悪いが俺は、初対面の人間より知り合いの方を取る贔屓バリバリなひよっこ天使だからな。許さなくていいから、俺を恨んだっていいから、そういうものなんだよ。

 

 じゃあとっととルーラで退散しよう、まず何より先にリッカたんに会いたい! 先走って、フライングペロをしてしまう! ペロペロ! まだ上空なのに! リッカたん! 今日も元気か? 元気だよな?!

 

 やったぜリッカたん! ただいま! 今日も健康そうで何よりだぜ!

 

 ところでなんか変な気配しねぇ? え? 釜?

 

 こいつ喋ってね?

 

 天使? こいつが? 何つったけ、カマエル?

 

 天使かー……無機物の天使とかいるのか。初耳だ。俺の身体も自分ではわからないだけで木から出来た人形とか、ガラス玉で目ができているとか言わないよな? 大丈夫だよな? 腕つねったら痛かったから大丈夫だよな?

 

 とりあえず、それより俺は天使よりもリッカたんの用意したふかふかベッドに興味があるから今日はもう寝るわ。また今度な。てかお前の主人になった覚えはねぇ、懐くな懐くな、つい可愛くなっちまうだろうが、情を抱かせるな!

 

 俺がカマエルと揉み合っているあいだ、リッカたんがニコニコしていたのが救いだった。おかしな心霊現象だとは思わないリッカたんの懐は深く、メルタルが強い。流石だリッカたん!

 

 てかよ、今日もラヴィエル様の視線が痛いんだが。だが、俺は前を通り抜ける時に会釈するのにとどめた。

 

 リッカたん含めこの宿屋の人たちに見えない住民がいることを知らせて驚かせるのは酷だし、彼女はここの守護天使ではないから中途半端に期待を抱かせるのも良くないだろ。というのが人間たちへの建前だ。

 

 何でここにいるのかちっとも分からねぇけど、こっちに用もなさそうで、ただカウンターの隅に座っている。師匠の双子だからきっと俺なんかよりとんでもない天使パワーで色々できるんだろうが、頼る時でもないしな。

 

 師匠の居場所を聞きたくて聞きたくて、もし話しかけたでもしたら問い質してしまいそうだ。それは迷惑だろうし、不敬でもあるだろうし、ともあれ天使界にハゲ師匠がいなかったということが俺への回答で、すべてなんだ。

 

 

 

 

 

「あのストロスの杖、いいと思いませんか? 二人ともに持っていただけたら麻痺を恐れることはありませんね」

「アーミアスさん、その、装備を更新してくださろうとするのはとても嬉しいのですけどこの前も買っていただいたばかりじゃないですか」

「この前? そうでしたっけ。防具も武器もあるにこしたことはありません。命に関わりますからね、それだけで解決できるならば買っておいた方が良いのではないでしょうか。金があっても腹は膨れませんが、武器があれば身を守れます」

 

 アーミアスさんについて最近発見したことがあります。彼の金銭感覚は私たち人間のものとは少し違うということです。

 

 彼は教会の肥太った司祭のように贅沢をしたり、無駄な物を買うことはありません。食べるものも身につけるものも少しの贅を尽くそうとしたりもしません。

 

 しかしながらことに身を守るということになると財布の紐がとても緩いのです。そしてそれらは自分よりも私たちに向いています。

 

 あぁ天使様。私たち人間を守ってくださろうとするその思い、感服いたします。天使様はやはり救い主。助けてもくれない存在とは違う。

 

 ですがその使い方は少々行き過ぎではないですか、ストロスの杖を二本も買って、ほかの防具まで買おうとして、財布が持たないのでは? なまじ質素なことに慣れていらっしゃるので財布の中身がカラに近くとも気になさることがないというのが裏目に出ています。

 

 このガトゥーザ、節制には少々自信があります。少しばかりなら進言してもよろしいですよね? メルティーも頷きましたし。

 

「アーミアスさん、たくさん購入されるのは……」

「ガトゥーザにはこれが似合うそうですね、こちらにすればどれだけ頼もしくなるのでしょうか?」

「このガトゥーザ、誠心誠意尽くさせていただきます、ますます頼りにされるようなヒーラーとして……」

「兄さん、まったく頼りになりませんね」

 

 何を言うのです、妹よ。

 

 アーミアスさんに頼られるような存在になれるなんて素晴らしいことではありませんか。徳をダイレクトで積めるのですよ。

 

 私に諌めるなどの不敬な行動はやはりできません! えぇ、すべてのその行動には意味があり、有難くも守護されている我らが口を出すなんてよくありません!

 

「兄さんは一貫性がありませんね。

アーミアスさん、そんなに買うとこの先にある町、サンマロウでの買い物ができなくなるかもしれません。サンマロウには靴の専門店もあり、個人にあった装備を整えるのには最適です。最低限にすべきかと」

「そうですか、忠告感謝します。では……そうですね、減らしましょうか」

 

 聡明なメルティーが間違っているはずもなく、天使アーミアスさんが間違うことなんて有り得るはずもない。何が正しくて、何に従えばいいのか。一貫性のないとはまさに私のことでしょう。

 

 しかしながら、私は、そういう人間なのです。メルティーが間違っていないから、私はもう口出ししませんし、アーミアスさんは絶対なのでメルティーの言葉を受け入れたことも絶対なのです。

 

 自分の指針がないのです。何も信じられないのです。でも、輝くような存在が近くにいるので、私はそれにすがるしかないのです。年下の、金髪の少年が呆れたように見ているのも、私は反論しないのです。自ら考えることが出来る人間こそが正しいので。

 

 ですから、ですから、天使様に従うのです。その超越した存在に救いを求めて。

 

 ところで不埒な気配を感じたのですが、ご存知ないですか? あのような美しき方に醜い私欲を剥き出しにしないで頂けますか?

 

 見ていただけ? ……私は一応神に仕える者ですから、無益に血を流すのはよしておきましょう。

 

 しかし次はありませんから。血を流さずに腕を失うのは嫌でしょう?

 

 ……ごろつきを見送りました。カラコタは相変わらず治安が良くありません。

 

 このようなことに、優しく強くなったメルティーに手を汚させることはありません。無垢な子どもに手をくださせるほど腐った人間ではありません。アーミアスさんの視界に収めることはそれよりもあってはなりません。

 

 人の欲望を、天使様はきっと私よりご存知でしょう。ですが少しでも、私は見て欲しくない。

 

 自己はなく、エゴがあり、私は臆病で、根無し草。変われる日は来るのでしょうか。

 

 ただ、風の声だけが聞こえます。泣き叫ぶ子どものような声で、孤独な老人の死を伝えます。人形の悲哀を教えます。それが本当でも嘘でも、私は聞こえないふりをして、妖精たちの囁きをなかったことにします。

 

 私にふさわしいことはなんなのでしょう。

どの閑話が読みたいですか?

  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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