闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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閑話 子天使

 宿にもどると酒場の住人が揃いも揃って部屋に引き上げていて、静かな酒場という不思議な光景が見られましたが、そんなことよりもぽつんとテーブルに残り、ぼんやりとした目をして、頬杖をつくアーミアスさんに見つかってしまったことが問題です。

 

 えぇ、私、ドアから入った瞬間に見つけられ、にこやかに手招きされてしまってはもう、逃げも隠れもできませんよ。

 

 てっきり部屋に戻っているとばかり。しかし、恐らく私たちほど眠らない天使様にはもう、朝も同然なのでしょう。眠そうな様子はありません。目元には僅かな赤も残っていませんから、あの涙は幻なのかしらと自分に問い直すことになりました。

 

「メルティー、夜の散歩ですか? 今日は月が明るくて綺麗ですよね」

 

 普段よりもどこか柔らかい口調のアーミアスさんは私にホットミルクをくださいました。あなたの尾行のために夜更かしをして、そしてバレないように戻ってきたところ、発見されてしまったのだと口が裂けても言えません。

 

 曖昧に頷いて、甘いミルクをいただきました。甘くて美味しい。ですがそこそこきついアルコールの風味もするような。私は成人ですが、アーミアスさんはよろしいのでしょうか。

 

 いえ、愚問ですよね。それこそ、何倍も年上の方です。

 

「なんだか不思議な味がしますね。ふわふわして、なんだか……綿のような心地になります。こういう時、雲を例えに使うのでしょうが、現実の雲は冷たくて、湿っていて、ちっともふわふわしていませんから、きっと綿の布団が一番ふかふかしているのでしょうね」

「……」

 

 ふわふわしているのはアーミアスさんでは? 急に不安に駆られました。こんな……可愛いことを言う人、いえ、天使様でしたか?

 

 思わずお顔を凝視しましたが、幸いほとんど無表情で、私の心臓は守られました。これで笑顔でしたら命が危ないところでした。

 

「こんな種類のミルクもあるのですね。あまくて、温かくて、綿みたいな心地で、なんだか不思議な香りがします。ふわふわですね」

「……もしかして、酒をご存知でない?」

 

 まさかと思いながらつい言ってしまいました。するとゆるゆると首を振られました。

 

「酒? 酒のことは知っていますよ。お酒は、ダメです。ええ。師匠もダメだと言っていました。俺は竜ではありませんから捧げられる理由もありません。ですから嗜んだことはありません。

……これ、入ってるんですか?」

 

 アーミアスさんの顔とカップを見比べました。頬に僅かな赤みすらありません。呂律もきちんと回っています。きっと酔っ払ってはいません。休みの日だからふわふわしているのです。そうに違いありません。

 

 私に特別な知識はありませんが、清らかな天使様をだまして酔わせたとなると、えぇ、それもこんな、神がその手で丹精込めて作り上げたような素晴らしく美しい天使様を酔わせたとなると神罰によって街が滅ぶ、くらいの神話くらいなら結構ある気がします。背筋が凍りつきました。

 

 師匠もダメと言っていました。と、おっしゃいましたね? アーミアスさんのお師匠様。天使の中でもきっとかなり偉い方なのでしょう。えぇ、その方が禁じたのですか。私にはちっとも酔いが回りそうにありませんね。そうですか、ダメなのですか。天使様。

 

 アーミアスさんがなんともなくて良かったです。本当に。……酔っていないならセーフですよね、神様。お願いします。まだアーミアスさんの使命をお助けしたと言い張るにはお役に立てていません。

 

「えぇ、かなり、いえ、少し……」

「そうなのですね。酒というのはこんな不思議な心地なのですね」

 

 そこで微笑まないでください。いえ、ご褒美には違いありませんが、今はこの国の命運がかかっています。酔っていませんよね? ね?

 

「あの、これでセントシュタインの街並みが雷によって焼かれるということはありませんよね?」

「は?」

「ええと、お酒はダメ、なのですよね?」

 

 アーミアスさんはまず、雷の魔法は使えないと前置きしました。えぇそうでしょうとも。アーミアスさんは戦士です。戦士というものは魔法が使えないのです。

 

 ……ルーラという不思議な魔法をお使いになっていましたね。どうしましょう。潜在能力はあるのでは? 自覚していないだけで、神罰の雷を落とすことが出来るのでは?

 

「……子どもが酒を飲んではならないのと理由は同じですからね。ご心配なさらずとも、俺が酔っ払っていきなり暴れるとかそんなことはありませんよ。俺はこの通りまだ大人ではありませんから、師匠は禁じたのです。

それに、理性というものは想定しているよりもずっと弱いもの。我慢しているつもりでも溺れ、体を壊す姿を見てきましたから、積極的には飲みたくないというだけのことですよ」

 

 そうして、ぐいっと残りを飲み干しました。食べ物を粗末にしない方が大切なようです。この国が滅ばないようで安心しました。

 

 もちろんアーミアスさんがそのような意志を持っているとは思っていませんよ。ですが、清らかなる天使様になんてもの飲ませているのか……という意味です。滅んだ方が人間が悔い改めることができ、もっと良くなれるなら滅ぶしかないのかと、思考が跳躍してしまいましたよ。

 

 アーミアスさんはそれなりに機嫌よく、また頬杖をついて微笑みました。なんだか本当にふわふわしてますね。

 

「もう少し、背が欲しいのですけど、これで止まってしまうのですかね……」

 

 それくらいで止まるはずないじゃないですか。それに気づかれないなんて、顔色の変化がないわりには結構回っているのでは? その口調の本気さに、つい慄いて私はウェイターに水をしこたま持ってくるように言いました。

 

 というか身長を気にしてるんですね? 天使様も背が伸びるんですね? その、大人とも子どもともとれない姿、中性的な顔、声、それらをもって天使様だと思っていたのですが、単にそれくらいの年齢の天使様なのですか。私はそんなアーミアスさんに出会えて運が良いのですね。えぇ、もっと大人になったアーミアスさんを見ることが出来ないのは残念ですけれど。

 

「あれ、水ですか?」

「醒ますために必要かと」

 

 運ばれてくる水のわけがわからないのか、明らかに今、笑って誤魔化しましたね? こんなにアーミアスさんがわかりやすいこと、あるでしょうか。いつも、私たちにはその心を容易には読ませないミステリアスな部分がすっかり形を潜めています。

 

 もうダメです。神罰はおのおので下すべき段階かもしれません。この純真無垢な、可愛らしい天使様になんてことをしくさっているのか! と怒られてしまいます。神はなぜ今、見ていないのですか? セーフなのですか? 粛清のタイミングではないのですか?

 

 お酒がダメなんですよね? アーミアスさんのお師匠様がダメだと言っているのですよね? これは危険なのです。

 

 実はダメだということで、アーミアスさんのお師匠様が突然飛んできて、アーミアスさんを天に連れ帰ってしまうかも知れません。人間界は野蛮だとおっしゃるかもしれません。

 

 ダメです。そんなのダメです。まだ一緒にいたいのです。天使様の微笑みを受けてなお、こんなに生きた心地がしないなんて初めてです。

 

 私は水が運ばれてくるまでのあいだ、アーミアスさんがこれ以上ふわふわしないように質問をすることにしました。ぼんやりしているからふわふわしているのでは、と思いまして。

 

「ダメ、なのは発育に悪影響であるから、ということなのですか?」

「えぇ。もちろん、大人だからといって呑んだくれているようでしたら、それは堕落ですから、それなりの処罰はくだされるでしょうけど。俺もこれがバレたらお説教でしょうね」

「お説教……」

「師匠にお説教させるなんて、何時ぶりでしょうか。師匠が前にお説教をしたのは何だったか……師匠……」

 

 お説教ということは、やっぱり天使様の世界に連れ戻されてしまうということではありませんか! ダメです! まだ天に戻らないで欲しいのです!

 

 ですから、アーミアスさんに私は、ウェイターから奪った水の入ったグラスを握らせました。アーミアスさんは酔うとこんなにふわふわして、ちょっと泣きそうな顔をする天使様なようです。いけません。それに見とれてしまいそうになりましたが、幸い振り切りました。

 

 人間の不注意で天使様に悪影響があってはなりません。これが清めの水でないことが残念ですがそうも言っていられませんね。えぇ、これはダメなことです。

 

 天使様、高潔な天使様。天使様にも秘めたる思いはあるでしょう。しかし、いつも導いてくれる天使様なのです。秘めたる気持ち、それを堕落の毒で吐かせるような、恩を仇で返す真似はしたくありません。そしてまだ一緒にいさせてください。天使様は純真です。ですから、これは事故です。流しましょう、水で。

 

「お水、いっぱい飲みましょう。たくさん飲めばきっと醒めます。……気づかれなきゃ、良いのです」

「メルティー……悪い子ですね」

「悪い子? アーミアスさんに悪い子と言われるなんて光栄の極みですよ。この喜びを噛み締めるためにもアーミアスさんに顔を見られるわけにはいきません。さぁ、さぁ!」

 

 アーミアスさんは困ったように微笑むと、水を飲みました。まず一杯。

 

「……ふわふわしますか?」

「まだ少し」

「ダメです! もう一杯ですよ! 誰ですかアーミアスさんに飲ませたのは! もっともっとお水を飲んでくださいね!」

「もう飲めないですよ……」

 

 あんなに晩御飯が少なかったというのにですか。やはり天使様は沢山召し上がらない。胃が小さいのかもしれません。

 

 しかし、ダメです! やめないでください! あと三杯は飲んでくださいね!

 

「メルティー?」

「ダメです、ダメです、まだ、お空に、帰らないでください!」

「居ていいなら、ずっと地上にいますよ。どうしたのですか?」

「お説教のために、お空に帰るのかと思ったのです!」

 

 まるで駄々っ子のように言うと、くすくすと笑われてしまいました。そして、宥めるように言われました。

 

「帰りたいとも思いませんよ。大丈夫ですからね」

「本当ですか?」

「えぇ。俺はここが好きなんです」

 

 その優しい笑顔を私は信じました。もちろん、疑うなんてあるはずありません。天使様を信じないなんてそれこそ神罰の対象です。アーミアスさんが水を飲むのをじっと見ていると、流石にちょっと顔を背けられました。凝視は恥ずかしいですよね……すみません。

 

 さて。私にはやることができました。アーミアスさんを尾行するよりも大切なことかもしれません。

 

「アーミアスさん……このミルクはどのようにして、ここに来たのでしょう?」

「さっき、親切な男性がですね、夜遅くに外から戻った俺をみて、眠れないならと下さったのですよ。えぇ、よく眠れるように二杯。ですがそんなに飲めませんから、メルティーにも」

「その方はどちら様でしょう?」

 

 アーミアスさんは、年齢だけは見るからに未成年です。そんなもの飲ませようとするのはどういう了見ですか。そもそも、天使様であると分からなかったとしても問題があります。

 

「さぁ……ここの宿泊客のようですが」

「なるほど、ありがとうございます」

 

 しかし、直接手をくだすなんて、他でもないセントシュタインでやってしまったならルイーダの酒場を解雇になってしまいます。よろしくありません。ですから、なんとかしましょう。解雇にならない範囲で。

 

 そのために私は、お先に失礼いたしました。

 

 えぇ、その男性が邪な心を持っていないなら何も致しません。ちょっと行き過ぎた親切なだけなのです。それならいいのですよ。

 

 私は杖をさりげなく構えながら階段をゆっくり登っていきました。そして、廊下につくと顔を上げました。あら、いましたね、不埒な輩。アーミアスさんは天使様ですから非常に中性的です。短い言葉を交わしただけでは性別、分からないでしょうね。

 

 そして間違いなく言えるのは、そのお顔の美貌にはだれだって魅了されてしまうということ。そのまま信仰心が高まれば良いのですが、不埒なことを考える人間は残念ながらいます。いましたね。えぇ。これからは私がなんとしてでもその火の粉、払ってみせましょう。

 

 不埒な輩は滅んでしまえばよろしいのです。

 

 不自然に廊下にいるお方に近づくと、私は微笑みました。杖には小さな炎が点しています。これくらいなら明かりで済まされます。炎に揺らめく私の顔は、きっと謎めいていて、どこか恐ろしいことでしょう。

 

「あら、こんばんは」

 

 さて。胡散臭くとも、私は「呪術師」です。「呪術師」、わかりやすく言うならば占い師のようなものでした。本物の呪術師と違って、呪いはできませんが、反対に魔法は使えます。ですが「呪術師」はどっちもできませんから、私には「呪術師」の真似事は余裕です。えぇ、嫌というほど見てきましたし。

 

 そして胡散臭くとも本当に家だけは悪名高い、いえ、高名なのです。

 

 どうやってこの方を悔い改めさせるか。簡単です。軽く占って差し上げればよろしい。それだけです。思うに、胡散臭い呪術師である我が家は、胡散臭い呪いによって大成したのではなく、その演技力によって成功したのでしょうね。最初は本当の呪術も使えたのでしょうけど、それはもう欠片も残っていませんし。

 

 その日、久しぶりに占いをして差し上げたのですが、その結果にご満足されたらしく、次の日には旅立たれたようです。えぇもちろん、べクセリアに。病魔が去ってから観光客が、減ったようですからね。逃げるついでにお金を落としてらっしゃいませ。

 

 そして翌朝、一睡もせずにルイーダさんのところに向かった私は、アーミアスさんは未成年ですからお酒はダメですとしっかりとお伝えしました。天使としては未成年なのですよね? えぇ、ふわふわした可愛い天使様よりも、私は凛々しい天使様であってほしいです。連れ帰られないでほしいので。




こちらの閑話は「休日の日常」後編です。

信奉者視点では読み取れないことが多いので補足

墓場の幽霊→ゲームで話せる幽霊老人のことではありません。若い女性をイメージしましたが読み取れる要素はどこにもありません

アーミアスの涙の意味→アーミアスの視点でしかわからないことなので理解不能が正解 成仏した相手によってエリザを思い出した、人の儚さを憂いた、リッカが夭折したらどうしようという恐怖、無事に成仏したか本当のところはわからないゆえに無力を悔いた、この辺ならなんでもいいです

墓場に残った何か→特大の星のオーラ

二人が飲んでいたもの→カルーアミルクリキュール増

親切な男性→ペロリスト・邪

未成年者の飲酒は法律で禁止されています
※アーミアスは百歳を越えています

Q メルティーが何もしなかったらアーミアスはどうなったのか?
A アーミアスはリッカがカウンターに出てくるまで出待ちしているのでどうもありません

どの閑話が読みたいですか?

  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
  • その他(メッセージとか活動報告コメントとかください)

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