闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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閑話 導業

 天使様の存在を疑うなんて、この目であの美貌、あの慈悲、あの献身、あの瞳を目にした今、ありえません。それでも、こうして見るとはっきりと、かの方は「ヒトではない」のだなぁと、思うのです。

 

 天使様はヒトではない。天使様は天使様だから。えぇ。そうでしょう? ですから、つまり、彼ら……少なくとも彼は、私を慈しんでくださり、同時に私を通して人間を見る。

 

 それは悲しいほど大きな距離であり、私たちはそれゆえに守られてきたのでしょう。神はどうして天使様を創ったのでしょう。どうして人間には使命を与えなかったのでしょう。天使様は、いいえ、アーミアスさんは、今日も私たちにその手を差し伸べ、救いと導きを与え、そして微笑むのです。

 

 その微笑みは父や兄の愛情ではなく、もっと大きな、慈悲です。きっと、愛ですらなく、それは慈悲なのです。

 

 それでも、彼は愛そうとしてくれます。

 

 

 

 

 

 

 今日も道を誤りそうな兄の首根っこを掴み、集中力のない少年が迷子にならないように見張る日々。あぁどちらが兄で、どちらが姉なのでしょう。年齢は実は同じです。少年は明確に年下ですからまあいいでしょう。

 

 はい、今日も今をときめくメルティーです。

 

 今はときめいていますが、なにぶん今日は、というよりも明日はやることもなく休みなのです。アーミアスさんは私たちには身に余るほど優しい。ですからこうして休みを定期的にくださいます。ルイーダの酒場に登録された人間としても破格の待遇です。

 

 休みだから、何をしてもいいと言われます。一応セントシュタインの中にはいてほしいとは言われましたが、それだけです。

 

 休むことなく私たちを護衛に使ったり、延々とメタル狩りをさせたりする……そんな依頼主もいるらしいのですが、優しさと気遣いに溢れているアーミアスさんは違います。

 

 曰く、この待遇はその分未知数の死闘を経験しなければならない可能性もあるからだそうですが、私はその程度試練でも苦でもないですね。兄さんもそうでしょうし、少年もそう思っています。ですから過ぎたる厚遇なのです。

 

 しかし、確かに皆さんくたびれ果てていますし、アーミアスさんが休まれるなら反対する余地はありません。休んでこそ力を発揮できるのです、そう言われたらもう反論できませんよ。

 

 何をしても良いならば、アーミアスさんの秘められた私生活についてつい、気になって張り付いても仕方ないのではないでしょうか。やはり私、聖職者にはなれそうにないですね?

 

 というのは冗談です。半分ほど。ストーカーをしたいわけではありません。これは真っ当な、至極もっともな探求でございます。

 

 アーミアスさんが天使様であるということに疑いはございません。しかし、天使様というのは、具体的にどう人間と違うのでしょう? あのありかたを見るに、相当何か、根本的なところから違うのでは?

 

 聞きこみ調査の結果、アーミアスさんは大地震の際に天使界からウォルロ村に落ちてきて、その際大怪我を負い、翼と光輪を失われたことを知りました。輪がないので私たちにもそのお姿を拝むことが出来るのです。

 

 翼なき天使様、つまり外見は一応、私たちと同じように手足がある姿なのです。

 

 えぇもちろん、お顔を拝見しただけで天使様と間違いなくわかるのですが、二本の脚、二本の腕、二つの目、という意味です。その点では人間と変わりがないのです。

 

 であるからして、その普段の生活に、どのような違いがあるのでしょう? 具体的には、天使様とはいえ同じくらいの年齢の肉体の持ち主に見えますから、同じように食物を摂取し、眠り、成長するのでしょうか?

 

 しかし、アーミアスさんの言動はたかだか十五、十六、十七程度の人間のものではありません。当然のことですが。恐らく外見に一切の変化がないか、とてもゆっくりと歳を取られるのだと思います。食べ物だって沢山はお召し上がりにならないし、朝、彼より早く起きられたことはないのです。私は早起きなんですけどね。

 

 つまり、同じような見た目の体を持っているのに食べる量も寝る時間も違う。それはもう、根本的な違いがあるからなのでしょう。例えば、その寿命も……そうです、そもそも死の概念がないのでは?

 

 いくら「慈悲深い」からといって、死を恐れる生き物が自らの命を張るような真似ができるのでしょうか? 私はとても怖いのに。これはアーミアスさんが素晴らしいから、と思考停止してはいけないことです。きっと、慈しまれる心を誰よりもお持ちです。でも、私たちは要因を知るべきなのです。

 

 なので、張り付きます。明日の休みをすべて使って。

 

 えぇ、ですから私は強くなるのですよ。強くなって、きっと、アーミアスさんが私たちを守らなくても安心して穏やかな日々を過ごされるようにしなくては。

 

 今まで散々守護をされてきたのでしょうから、人間は報いなければなりません。その為には事実を知らなければならないのです! だから秘められた私生活について覗き見をすることはストーカーではないのです!

 

 えぇ、兄さんにバレたら同行者が増えるでしょうね、ですから道を誤っているのは私の方なのかもしれませんけどね!

 

 さて理由はもう十分でしょう。私はこの日のためにアーミアスさんの隣の部屋を陣取り、眠気覚ましの濃いコーヒーをしこたま用意しました。眠るのは明日の夜です。今日はずっと張り付きましょう。

 

 物音ひとつしない隣の部屋。きっと早々にお休みになられているのでしょう。私は魔法の修練のためにいろいろと書き物をしながら、隣の部屋の音に気を配っていました。

 

 静かです。下の酒場からの喧騒が僅かに聞こえていますが、この宿泊のフロアはとても静かです。勉強も捗りますね。えぇ、アーミアスさんもお休みですからきっととても穏やかな時間なのです。

 

 じりじりと揺れるろうそくの火に照らされ、整えられた部屋の中、繰り返し繰り返し炎の魔法をいかにして業火に変えるかをイメージトレーニングし、理論を書き取ります。これをものにできればきっと私は役に立てるでしょう。

 

 私はしばらく、集中しました。

 

 そして、おそらく、アーミアスさんが眠りについてから三時間ほど経つと、ようやくかたん、と小さな音が聞こえました。

 

 私は素早くペンを置くと、くすんだ色のフードの服を被り、身構えます。夜闇に紛れて尾行するためです。

 

 ガチャンと隣の部屋の開く音。階段を降りていく小さな足音を聞いてから私もそっと部屋を抜け出しました。コーヒーをあおるのももちろん忘れません。眠気は既にありませんが念には念を入れましょう。

 

 外は深夜。静まり返るセントシュタインの町並は故郷サンマロウと同じく整然とした美しさを持っています。郷愁めいた感情を覚えながら、月の光に輝く銀の光を追います。アーミアスさんの髪は光に透かされるといつも言い表せないくらいにきらきら輝いていてとても綺麗です。これぞ天使の奇跡なのですね。

 

 そして……着いた先は、墓地でした。

 

 アーミアスさんはウォルロ村の守護天使様ですから、見知った人がここに葬られているとは思わないのですが。まぁ憶測ですので、翼がある頃にはここに飛んでいらっしゃったのかもしれません。

 

 周囲の遮蔽物といえば民家くらいしかありません。窓側でなく、アーミアスさんから見えず、大通りからも見えにくい位置なんてありませんが、とりあえずアーミアスさんにバレなれけばよいのです。私は足音を消せるだけ消してこっそり近づき、隠れました。

 

 幸いにもアーミアスさんは目の前の「なにか」との会話に集中なさっていたので気づかれませんでした。

 

 私はその会話を聞こうとしましたが、なにぶん距離があります。これ以上近づいては隠密が得意な盗賊ではない私では、流石に気づかれてしまうでしょう。

 

 しっかりとフードを被り、アーミアスさんからは決して見えないように気をつけながらも目はしっかり開きます。銀の光に照らされると、月の翼を背中に持っているような、そう幻視してしまうほど神々しいお姿になることを知れたのは素晴らしいことです。えぇ、貴重な機会ですから、しっかり見つめることに専念しました。こんなこと、普段はできませんからね。貴重なチャンスなのです。

 

 えぇ私、ストーカーではないですから。普段からこんなことをしていて寝不足になれば、魔法のキレが悪くなってしまいます。お役に立てないならば私が同行する意味はないではありませんか。その辺りは心得ておりますとも。

 

 と、アーミアスさんが話すのをやめた途端、緑色の清浄な光があたりに溢れ、「なにか」が解き放たれた、と直感しました。

 

 えぇ、これはベクセリアでもあったような光。ここは墓地です。そして天使様なら人間も、死者も同じように見える……と、私たちは思っていました。こうして誰もいないところでの会話を見ると、妖精だけではなく、死者も見えるということがはっきりわかります。

 

 天へ導いてくださったのでしょうか。彷徨える者に、安寧を与えてくださったのでしょうか。道を指し示し、安心して天へ昇っていった幸福な人の感謝の光なのでしょうか。

 

 息をするのも忘れて、その光が闇に溶けていくのを見つめていました。跪き、祈りを捧げる姿を神々しく、眩しく。

 

 あぁ、私もああやって溶けるように消えてしまいたい。あの美しく優しい天使様に導かれて、見守られて、罪から解放され、刹那の光となって、そして終われたらどれだけ幸せでしょう。

 

 しばらくそのまま、風の音だけが聞こえていましたが、しばらくして立ち上がり、足取りがどことなく重いアーミアスさんが、私のすぐ横を通り抜けていく時は流石に緊張しました。

 

 せめて、気づかれないようにとさらに小さく縮こまりながらもその月明かりに照らされた横顔を見つめていると、どうしてか泣いているように見えたのです。

 

 いいえ、「よう」ではなく。私は、たしかに、涙のしずくが顎を伝って落ちるのを見たのです。乾いた石畳に音もなく落ちていったしずくは溶けるように消え、誰もいなくなった墓地には淡い不思議な光だけが残っていました。

 

 その光は小さな羽根のようでした。ええ、きっと、天使様の今は無い翼からこぼれ落ちた涙。私はそれを尊いものだと信じて触れずに、宿に戻りました。




こちらの閑話は「休日の日常」前編です。

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  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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