ノックの音が控えめに響く。あたしが急いで扉を開けると、アーミアスさんと仲間の女の人が並んでいた。紫のショートカットのその人は冷たい眼差しをしていたけれど、あたしを見るとちょっと微笑んでくれた。
二人とも、装備は軽装になってたけど、武器は持っていた。でも全然怖くない。なんだか二人とも修行の旅をしているというよりも護身用のために武器を持ってるって感じだから。
「こんばんは」
「こんばんは、アーミアスさん! それから……」
「メルティーと申します。ええと、オリガさん?」
「はい!」
二人を家にいれた。夜の火に照らされたアーミアスさんの目がキラキラ光っていて、綺麗。かぶとを被っていないとアーミアスさんは間近で見ると案外若い人だなって思った。でも、それは外見だけで、なんとなく雰囲気はかなり年上の人のような気もするし、掴みどころがない。
昼間俺って言ってたし、男の人だよね? 声を聞いても、よく分からない。そんな人ここにいなかったから。メルティーさんとも背があんまり変わらないような。
「お邪魔にならないようにお話が済んだら宿に戻りますね、アーミアスさん」
「待ってください、防犯の関係で連れてきているのですが」
「防犯?」
メルティーさんがまったくもって理解できないといった様子で首を傾げて、あたしも首を傾げた。
「なにか良からぬ噂でも経てば面倒ですからね。お気にならさず。俺もすぐに宿に戻りますよ」
「……」
良からぬ噂。なるほど、防犯ってアーミアスさんが男性だから言ってるんだ。……やっぱり男性なのかな。そう知ったって何も危険なようには思わないのだけど、きっと優しい人だからそう配慮してくれてるんだよね。
「ところで話というのはどういうものでしょう?」
「あ! はい! あの、昼間、ご覧になったと思うんですが、あたし、お父さんが嵐で帰ってこなくなってから『ぬしさま』を呼ぶことができるようになったんです」
「ぬしさま。魚を打ち上げていたあの大きな影の持ち主ですか?」
アーミアスさんは少し思うところがあるみたい。目を細めて、笑顔が少し引っ込む。あんな大きな影を見たら最初はびっくりするよね。それにぬしさまは、恵みをもたらしてくださるけれど、でも。
「はい。あたしがあぁやって祈ると、来てくださって、魚とか、昆布とか、海の幸を恵んでくださいます。村のみんなはあたしがお父さんを失ってひとりぼっちになったから、哀れに思って助けてくれるんだろうって言います。それからみんな漁をしなくなりました。全部、ぬしさま頼りにしてるんです」
「……時に海は危険でしょうからね」
「はい、それは分かっているんです。でも、あたし、それは良くないって思ってるんです。今までのツォは、漁のあとの賑わいがありました。みんな頑張って、そして魚をとって、暮らしてきたんです。でももう、みんな好き勝手にしてるだけで、もう、好きだったツォじゃないようにすら……」
メルティーさんが目を伏せて、それから、あたしの言葉にはっきりと微笑んでくれた。分かってくれた。そう分かって嬉しくなる。
「こんなのおかしいですよね?」
「……俺の主観で答えてよろしいですか?」
「えぇ!」
アーミアスさんはあたしの目を見て、はっきり言ってくれた。
「村人の人々はおかしくありませんし、またオリガさん、あなたもおかしくありません」
村の人はおかしくないのに、あたしもおかしくないの? どうして?
「……え?」
「人間というのは、楽な道があればそれに流されてしまいます。ましてや命の危険を冒していたならばなおさらです。しかし、このように堕落し、オリガさんの得た不思議な力に頼り切りになってしまっているということは間違いなくおかしいことです。ですから、そうですね……俺はこの浜の人たちのことをよく知りませんがオリガさんとは言葉を交わしましたから」
アーミアスさんはひときわ優しく微笑んだ。
「あなたの気持ちの方を支持したいですね。所詮は部外者の現状も知らない無責任な意見ですが、以前の村を取り戻して活気のある村に戻したい。そういう心を持ったオリガさんだからぬしさまは力を貸してくださるのでしょうか。
もう少し出来すぎたことを言いますと、その堕落具合が長く続くとこの村から完全に漁が失われます。するとどうなるか。簡単です。オリガさんがおばあさんになって、いつの日か亡くなったあと、ここは滅ぶのですよ」
だからあなたは正しい、とアーミアスさんは言い切った。はっきりと、未来にここが滅ぶと言って。
確かにそうだ。あたしがここにいる限りぬしさまが力を貸してくれる……そう自惚れたとしても、あたしがいなくなったあとはどうするんだろう。あたしはまだ子どもだし、子どもは漁のやり方をほとんど知らない。漁を知らない人間の孫とかひ孫がどうして漁のやり方を知ってるだろう。
「ありがとうございます。勇気が出ました。明日、村長さまにそう言ってみます」
「……えぇ」
アーミアスさんは立ち上がって、そろそろ失礼しますと言った。そしてメルティーさんと小屋から出ていこうとしたとき、突然やってきた村の人が村長さまがお呼びだと。
ちょうどいいから、今、言おうかな。
あたしは二人に丁寧にお辞儀して、足取り軽く村長さまのところに向かった。きっと聡明な方だもの、今は良くても未来がないってはっきりわかればもうぬしさまを呼ばないでいいって分かるはず。
こういう力は本当は、ちゃんとしたタイミングで使うべきなんだよね。お父さんが亡くなった時のような嵐の日に食べ物がない時とか、ちっとも魚が取れない時とか……。
そういうときにぬしさまを呼ぶなら、いいのかもしれないね。普段から呼んじゃダメなんだ。
「やっぱりアーミアスさんは正しい方です」
「……そうでしょうか。今のは完全に、ごくごく普通の人間には受け入れられない言葉です。正論かも知れませんが、人間というものは常に正論ばかりでは生きていけない。実際ツォでは漁で死人が出たばかりです。漁をしなくて良いならしたくないと思って当然のこと」
いいえ、それは分かっているのです。でもアーミアスさんは言ってくださった。腐敗の先には破滅があると。天使様は人間を守護し、見守ってくださっているのだから知らないはずはないのです。
ですが、きちんと言ってくださった。それが嬉しくて。
それは私が肯定されたことと同義なのですから。
「私、家で魔法使いの真似事だけやっていけば生きていけたんです」
「真似事ですか?」
「まぁせいぜいメラとかが使えればいいくらいってことですよ。昔はそれなりに高名な魔術師の家系でしたが、とっくに堕落しきって名声だけになっていました。
私は兄さんがいましたから、それから目覚めることが出来ましたが、親はもうだめでしょうね。金持ち相手に本当に効くかもわからないまじないをして、そして、のうのうと生きているんです」
「なるほど……」
私はかつて自らを恥じました。ですから僧侶になって悔い改めたかった。しかし今はそうではありません。アーミアスさんの力になることが出来ればそれでいいのです。それこそが懺悔かもしれません。いいえ、それこそがつぐないなのです。
月のあかりがアーミアスさんの髪の毛に反射して、陽の光を浴びた時のように銀色に輝いていて、私はうっとりと見つめます。あぁ天使様。お導きをくださる天使様。
夜空よりも美しいその瞳を縁取る銀のまつげが、ゆっくりと瞬きました。私はそれを見逃すまいと必死になります。
「確かに未来はないでしょうね。メルティー、あなたは正しいです。とても。そのような定められたような道から向き直ることのできたあなたは強い。俺だってそう生まれついたならそう生きてしまうかもしれません」
「そんなことはありませんよ!」
まさか! アーミアスさんはわざわざ地上に来て下さっている、そして救いの手を差し伸べて下さっている! ほかの天使様はどうなのです! 明らかに飛びぬけて慈悲深く、徳の高い天使様じゃありませんか! そんなアーミアスさんが、まさか!
「天使というのは、上の存在に決して逆らえないのですよ。まさしく神の僕です。死ねと言われたら間違いなく死ぬでしょう。そう生まれついているのです。違う生き方をしようとは普通考えないものなのです。ですからメルティー、あなたは強い」
アーミアスさんはそう言いながらも、祈っても助けてくださらないほかの天使様と違って直々に人間界に降り、私たち人間を救ってくださっているじゃありませんか。私を導いてくださり、人々のために動いてくださる。ですからその普通には当てはまっていないのです。
しかしアーミアスさんは謙遜がお上手ですから、私はもう何も言いませんでした。
今日の昼間だって、転職したてで慣れていないというのに何度かマティカをかばっていましたね。だから私は魔力を思う存分解放しましたよ。さっきだって、迷える少女に適切なお言葉を掛けました。きっと彼女の言葉は村長には受け入れられないでしょう。でも、助けを求められたら助太刀に行くのでしょう?
あぁなんて素晴らしい方。ご自分に厳しい方。
静かな海を見つめながら、アーミアスさんはぽつりと言いました。
「しかし、この村の現状は守護天使としてはある種の理想なのですよ」
「……」
「死の危険なく糧を得ている。魔物が襲ってくることもない。栄養状態がいいですから病気にもそうそうならないでしょう。悲しい死はあまりありません。人々は穏やかに過ごせます」
「……そうですね」
理想だと語りながらも、アーミアスさんの目は悲しみで染まっていました。
「これはいつの時代かわからない話なのですが、完全な守護をおこなった天使がいたのですよ。食べ物も、水も、服も用意して、魔物の退治もすべてやってのけたのです。人々は天使に感謝し、神に敬虔になり、争いもなく幸せになりました。しかし、そこはあっけなく滅びました」
「天使様が、そこを堕落だと断じたのですか?」
「いいえ。何百年もそこにいた天使はとうとうある日、天使界に戻らなければならなくなりました。食べ物も、水も、服も用意できるだけ用意して、結界を厳重に貼って帰ったそうです。ですが、あの理想郷はたったの十年だけ天使界にいただけなのに滅びました」
十年あれば滅ぶのには十分なのですが、アーミアスさんの感覚からすれば十年は瞬きのようなものなのでしょうね。食べ物だってそんなに持ちませんのに。
えぇ、堕落し、生きるだけになり、天使様の助けを受けるだけでお導きに従って自らを研鑽しない人間なんて私は滅んでしまえと思います。だってそうでしょう、天使様はその身を張って私たちを守護してくださるのに人間はその背に隠れるだけだというのですか?
美しく優しい天使様の手を煩わせることがなくなることこそ理想なのでは?
「彼ら人間は何も出来なくなっていたのです。結界は無事でしたが、食べ物をどうやって作るかも知らない、井戸が枯れた時どのように新しい井戸を掘ればいいのかも知らない、身にまとっている服が何で出来ているかも知らない彼らはそのまま緩やかに死に絶えていました。
天使はそれからひっそりと人間を守護することに決めました。特に食べ物については鳥やイノシシを追い払う以上のことはしませんね。天使はあくまで守護者であり、彼らを雛鳥に無理やり仕立て上げる親鳥ではないのですから」
アーミアスさんは話しすぎましたと言って、宿屋の扉を開きました。
私は、私はといえば、その慈愛と悲哀の瞳にすっかり心を奪われながら、美しい天使様のかんばせをしっかり目に焼き付けておやすみなさいをやっとのことで言っただけです。その悲愴な事実に心を打たれることすらできないのです。
美しく、慈悲深く、人間を守護し、見守ってくださる天使様。かの行動は天使の使命なのだとおっしゃいますが、ではなぜ、アーミアスさんは地上で仲間の方と出会わないのでしょう。私たちには見えないかもしれませんが、アーミアスさんにそうではないはずなのに。少なくとも妖精とは話すのですから天使様同士でも話すのでは?
やはり、ここにいらっしゃるアーミアスさんが最も天使として素晴らしいからなのでは? そのお導きに預かっている今はなんて素晴らしいのでしょう!
私は確信し、布団を蹴飛ばしているマティカに布団をかけてから眠りました。兄さんも蹴飛ばしていましたが、分からず屋なのでお腹にだけかけておきました。
どの閑話が読みたいですか?
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幼少期、天使(異変前)時代
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旅の途中(仲間中心)
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旅の途中(主リツ)
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if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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その他(メッセージとか活動報告コメントとかください)