闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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35話 転

「……エリザ、さん」

 

 アーミアスさんの、悲しげな声が静かな路地に響きました。何も無いところを見て、声をかけている。そんな風にも見えましたが、いいえ、いいえ。何も見えていないのは私たちの方なのです。天使様の、天使様たるお力で亡くなられたエリザさんの霊魂を捉えているのでしょう。

 

 事実、アーミアスさんの瞳には不思議な緑の光が映り込んでいます。ええ、もちろん不遜に瞳をのぞき込むことなんて出来ませんし、きっとそうしても彼女を見ることは出来ないでしょうが、きっと揺らめく光が今の彼女の姿なのです。美しい、夜空に星が浮かんだような不思議なきらめきを持つ漆黒の瞳に……本で見たことがある、冬国のオーロラを思わせる光がまたたいているのです。

 

 サンディというらしい姿見えぬ女性と会話しているときは、心なしか声を潜めて、こちらを気遣っているような様子があったアーミアスさんでしたが、今は私たちの姿が微塵も目に入っていないようで、はっきりとした声で、そして浮かべる表情は私たちが見たことがない、そう、言うならば普段の割増しで柔らかく見守るような優しい目、というべきでしょう。

 

 ええ……私たちが、いつも目にする姿ではなく。翼と光輪をお持ちになっていた頃の、本来のお勤めをなさっているときの態度なのでしょうね。

 

 それも、天使様が地上をさまよう霊魂をお迎えに来てくださるときの……。不謹慎ですが、本来死してからでしか拝めないお姿を生きてみることが出来るというのは非常に貴重な経験なのではないでしょうか?

 

 決して邪魔をしないように拝むことにしましょう。これが神々しき偉業、これこそが奇跡。神のお使いがなさる救済なのですね……。ああ、神に祈りを捧げ、このめぐりあわせに感謝しなくては。

 

 ……感動に打ち震えるわが身ですが、できることならばあんなに人の()い、健気で若い方に向けられているのではなかったら良かったのです。

 

 もし、これが、天寿を全うしたご老人であり、その未練の理由も穏やかな微笑ましいものであればよかったのに、と。魔法で、人を傷つけることしかまともにできない私が……人を治す魔法が使える人間ならば。あるいは。こんなことにならなかったのでしょうか?

 

 いいえ、いいえ、あの病魔と対面したから分かります。僧侶であろうと、賢者であろうと、天使様であろうとも、病魔そのものを封印しなくてはこの呪いを打ち破ることは出来なかった。それほど、邪悪で強力な存在だったのです。悔しいですが。

 

「ノックを? ……それが、夫婦の合図なのですね。分かりました」

 

 しばらく「彼女」と話し込んでいたアーミアスさんはゆっくりとこちらを振り返りました。少し、気遣うような表情を浮かべて。

 

 天使様として、というよりも恐れながら、仲間としての態度で。えぇ、魔物と対峙したり、先程の姿は紛うことなき天使様。翼がなくとも、光輪がなくとも、その神々しきお姿を見間違えることはありません。美しいので、拝ませていただきましょう。

 

 しかし、このようにアーミアスさんはこちらを仲間としての態度をもって気遣ってくださる。どこまでお優しいのか。そしてその時は神の使いとしてではなく仲間として接してくださる。やはり……はぁ、素晴らしい。なんと慈悲深いのか。尊いのでさらに拝みます。

 

「戸惑ってしまわれましたか。……恐れますか、それならば、宿にでも……」

「な、何故です!アーミアスさんは天使様のお力を行使しただけではないのですか?」

 

 ガトゥーザが何を恐れることがあるというのか、と言わんばかりに答えます。無神経な幼馴染はこちらを気遣ってくださるお優しいアーミアスさんに、そんな当たり前のことを答える無神経さで返すなんて……。

 

 アーミアスさんが美しいあまり膝を地面について見上げる少々変態的ながらも敬虔な姿でなければ杖で魔力を吸い取っていたところです。ですがアーミアスさんが話しにくそうなので立ってください、今すぐに。

 

「ええ、……そうです。そう言ってしまうのならば、そうです。もっと、俺が……」

 

 いいえ、とアーミアスさんは言葉を切り、首を振りました。考えても仕方がない、とおっしゃっているような仕草でした。

 

「おっしゃりたいことがあるのではないのですか。アーミアスさん、私、私……お話を聞くことぐらいは出来ます」

 

 思わずこんな恐れ多い言葉が出ていました。少し俯いたアーミアスさんは、こちらを何故か見ませんでした。そして、そのお言葉は……ご自分に刃を突き立てるような、そんな突き放したような口調で、自分を責めるようでした。

 

 あぁ、違うのです。ご自分を責めないで。天使様、天使様は今エリザさんを救おうとしていらっしゃるじゃありませんか。貴方様ははすべてをお救いになろうとしてくださる! しかし、それが叶わないのであればその魂を救おうとしてくださっている! 神に祈りを捧げようとも、神の御前で救いを得た人間を見たことがありません、ほかの天使様が明確に救いの手をさしべてくださったことはない!

 

 ですが、アーミアスさんは! そうではないのです!

 

 ええ、ええ、もし、このことを口に出してしまったら……天へ帰ってしまわれるかもしれません。そうではない、とおっしゃるかもしれません。ですが……少なくともこの私には、貴方様ほど尊い存在を見たことがない!

 

「こうして死者を導くとき……思うのです。この俺の命は、空の上でただ生きているだけならばほぼ絶えることはないでしょう。人間としての視点なら。

しかし、生きながらえるだけの力はあっても誰かの命を救うことは……もし、分け与えることが出来るのなら、と思わない日はありません。見送ってきたたくさんの村人たちにも、エリザさんにも……。

いえ、聞かなかったことにしてください。ええ、すべては女神のご加護が私たち神の僕に与える試練、すべては、そのお導きのままに。願わくば、悲しいことだけは、ないのなら、よいのですが」

 

 そう言って、アーミアスさんは路地の奥の扉を叩きました。独特のリズムで。

 

・・・・

・・・

・・

 

 エリザと同じ、夫婦の合図。

 

 弾かれるように扉を開いた。もうあの笑顔に会える日は来ないというのに。分かっている、分かっていたのに、体は止まらなかった。自分があの遺跡の調査にかまけている間に、エリザは死んだのだから。

 

「エリザ!」

「……すみません、俺は、エリザさんでは、ありません」

 

 目の前にいたのはあの旅人の一行。リーダーの少年の顔は光の当たらないここではよく見えない。声色は優しげだったが、憐れまれているようで癇に障った。誰かの差し金で妻を亡くして一層引きこもった陰気な研究者を引っ張り出して来いと言われたのだろう。そうでなければ、余計なお節介すぎる!

 

「こんな質の悪い冗談はよしてください!」

 

 路地に僕の大声が反響した。これで帰ってくれ、一人にしてくれ。偏屈でどうにもならないんだと理解しろと。

 

 その瞬間、きらりと目の前の少年の目が光ったような気がした。それに少し、ひるんで扉を閉めるのが遅れた。その光は、幼い時、覚えていないような子供の時に確かに感じていた説明のつかない「何か」の存在によく似ていた。

 

「ルーフィン先生じゃないか!」

 

 ひるんでいる間に頭上から声が降ってくる。そこにいたのは……見覚えのある、筋骨たくましいこの街の住人の男。彼は不甲斐ない僕に向けて……街を救った礼を言う。沢山の人が救われたと。

 

 エリザを奪った病は……若いエリザが、死んだくらいだ、きっと多くの人間が苦しんだ病だったのだ。そして僕がそれを取り去ったと。彼はひたすら感謝して、そして元気を出してくれと不器用に言って去っていった。

 

「僕は、何も知らなかったのかも、しれないですね」

「……知りたいですか?」

「はい。僕を病気だった人たちのもとへ連れて行ってもらえませんか……アーミアスさん」

「もちろんです。……まずは、宿屋に向かいましょう」

 

 路地の影から出たアーミアスさんは、薄く微笑んで了承した。その背にある剣が、思い返せば熾烈だった戦いの痕跡を示すように傷がついていて……ああ、僕は何を見ていたのだろうと、自嘲した。

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  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
  • その他(メッセージとか活動報告コメントとかください)

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