闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

39 / 103
閑話 原点

 ぺろい。

 

 その言葉を知ったのは何時だったっけな? もう覚えてちゃいない。記憶力に自信はあるが、いくつの時だったか、という正確なことは覚えていることの方が少ない。この生はわりと長いんでな。まぁ、もちろん、一人前の大人とは言い難いが。

 

 天使と人間の体の構造の違いなんて、その道の学者じゃあるまいし詳しくなんて知らないが、多分脳みその出来ってやつはそう変わらないと思う。せいぜい、時間感覚の違いぐらいだろう。

 

 その違いがなきゃ気はとっくに狂っているのは間違いないだろうが、そうはなっていないからな。で、俺たちも記憶ってやつはいろいろとすっ飛んでいく。あらゆる過去の出来事を記憶している、なんて絵空事……長老ならあり得るかもな。

 

 ただ、都合よくきっちりと覚えていることはある。ぺろい。俺にとって運命の言葉と出会ったことだ。それから、その、言葉を発した人物のこともな。

 

 ん、あぁ、言葉の主は人間だった。まさか、天使の訳ないだろ。そんな俗物的すぎることに染まる天使が俺以外のどこに存在するっていうんだ? なんで俗なことを本当の意味で天使らしく純真無垢だった時代の俺が聞いたかって?まず前提として、俺は自称だが人間を天使界で一番愛している天使だぜ?とりあえずどんな言葉も聞くだろ。それだけのことだ。

 

 彼はとても変わった人間だった。他の人間と同様に……今考えてみれば幼く、分別がついていないなとたまに感じることには変わりはなかったが、俺は尊敬に値すると、幼心にも思ったことを強く覚えている。

 

 俺にとって尊敬できる人間は数多く存在するが、……そうだな、ハゲ師匠とは別の意味で今でも「師匠」だと思っているくらいだからな。もちろん、俺が幼い時の話だから故人だが。彼の魂の行き着く先には神のご加護があり、今は穏やかに幸せであることを強く祈っている。

 

 彼は、一途な男だった。すさまじく一途だった。あぁ、だが愛する人に死ぬまで想いを告げることはなかったぜ。愛する者には、自分ではない想い人がいることを見抜いていて、身を引いた謙虚な人間だったからな。当時の俺はどうして、せめて想いだけでも伝えないのか不思議で仕方がなかった。

 

 だが、今ならわかる。リッカたんにもし、本当に心の底から愛する者が出来て、相手が誠実で、そのまま順当に結ばれればリッカたんが幸せになる。それがもう決まり切っている段階ならば。俺がたとえ生まれた時から人間で、しかも最高に男前な顔つきで、もっと腕っぷしも強いとしても、当然身を引くだろ?

 

 別に今生の別れでもなく、そして何よりも大切なリッカたんは幸せになるのは分かっているんだぜ? そりゃあ、身を切り刻まれるほどに悔しいだろうが、俺はリッカたんが幸せになるほうが大切なんだぜ?

 

 もしそんなときに「俺も好きだ」とかふざけたことを抜かせばどうなる? 幸せ絶頂期で、俺の心のリッカたんアルバムが笑顔で埋め尽くされて、パンパンになったアルバムで俺の心が埋まって、心の中でぺろぺろするのも追いつかないほど輝く笑顔のリッカたんに、ほかならぬ俺が笑顔に影をさす真似をするってことになるだろ?

 

 そんなこと、できるわけがあるか!

 

 人間ならばとっくに死んでいる年齢の俺でやっと理解できることを短く儚く、そして眩い生を送っていた彼は命の途中だというのに気づいていたらしい。

 

 彼は毎日、働きながら同じウォルロ村に住んでいるゆえにそこそこの頻度で顔を合わせる度に、決して既婚者の彼女に不用意に近づくこともなく、そして今まで通りの友人の態度を崩すこともなく接し続けた漢だった。

 

 そして、生涯独身を貫いた彼は家の中では彼女への愛を抑えることはなかった。まあ、不用意に伝えて相手を困らせなきゃいいだけの話だから、近所迷惑には細心の注意を払って家の中で独り言をつぶやいていた分には何の罪もない、と俺は思う。

 

 ……あぁ、見ていて、少し、少しばかり……いや、なんでもない。俺は彼を第二の師として認めているが、独り言の癖だけは絶対に真似をしてはならないと心に深く刻み込んでいる。だから俺はなるべく一人の時は口を引き結ぶことを心掛けている。

 

 まあ、軽く説明するとだな。俺が彼の立場だったとしたら、姿の見えない存在に愛を叫ぶその声を聞かれていたと知った瞬間に卒倒するだろうってぐらいだ。

 

 まあ、おかげで俺は「ぺろい」という概念にたどり着き、それを理念に今生きている訳だがな!

 

 長年、なぜか彼をそっとしておくように言ってきたハゲ師匠をスルーしてこっそりと師事してきた俺にはわかる! 今日の彼女のどんな姿がぺろかったとか、いっそぺろすぎて視界におさめた瞬間愛しさがこみあげてきて表情を無に保っているのが精いっぱいだったとか、心のアルバムが今日で五万冊を超えたとか、そういう話には全て愛が絡んでいるのだと!

 

 もちろんあわよくばという打算が欠片もないわけではないだろう、だが人間を守り、愛おしむことに打算がある天使もそれは同じじゃね? と俺は気づいたわけだ。つまり、愛だと。そして特別好きになった相手の、好きな部分が好きすぎてどうかなっちまいそうになって、言葉じゃ到底言い表すことが出来ない。その、もどかしくも言い表せない部分。それが、それこそが「ぺろい」だと!

 

 そしてだ、決して、決して相手に理由もなく触れたり、干渉したり、少しでも悪影響を及ぼすようなことはしないがせめてその心の中だけではその愛おしい存在に触れていたい、そして愛して、この心が求めるままに慈しみ、守りたい! その心の荒ぶりこそが「ぺろぺろ」だと!

 

 リッカたんぺろぺろしたい! もちろん、本人を舌で舐めるということじゃないだろ? そして、確かにあの最高に可愛くて健気で努力家な姿は天使像に供えられた菓子のように甘そうに見えるが、本当に舐めたら絶対に不快に決まってるだろ? だから本当の意味では舐めるということは絶対に許されないことだ。ありえてはならねぇ。

 

 だが! 心の中はどうだ? 心は自由!自由すぎてなんだって許される! そう、あれだ、もっと分かりやすく、良く聞く似たような言葉で表現すれば「食べたいほどかわいい」だな。

 

 食べる、ということは俺にとってはそんなに重要なことではない。だが俺の愛する人間には極めて重要だ。食べることで人間は、生きとし生ける存在は、健やかに成長できる。それだけじゃない、食べるということは食べたものを自分の血肉にするってことだ。つまりそれはずっと一緒にいられるってわけだろ。

 

 きっと、「食べたいほどかわいい」を最初に考えた偉大なる先人は、その対象を愛し、ずっと共に居たかったんだろう。しかしそれは叶わない。双子だとしても、親友だとしても叶わない願いだ。だからこそ、あくまでも「ほど」なんだぜ。叶わないことだからな。

 

 好きな相手とずっと一緒にいたい! なんて、かわいい考えだよな、まったく人間の発想力には目を見張る。ずっと一緒になんていられないと、知識ばかりはあった故に分かっているものだから幼い俺にはそんな発想はなかった。人間は俺がどっかでドジ踏まない限り先に死んでしまうものだから、見送らなければならない。そんな凝り固まった考えから脱することが出来たのはやっぱり「師匠」のおかげだぜ。

 

 たとえ無理でも。それを願う、ただ願うことは、絶対に悪いことじゃないよな。

 

 翼をもいで、人間になりたい。光輪をなくすことができるならば、目を見て、そして話すことが出来る。

 

 ああ叶った。ほら、叶ったぜ。どうだ。そしてリッカたんは今日もぺろい。ああ、ぺろっぺろだ。ぺろぺろしたい。

 

 ずっと、共に生きることが出来るならな、もっといいんだが。天使の力を失っても俺は天使としての行動をやめないように、きっと寿命までは人間のようにはなっていないだろうが、それでも、関係あるか? リッカたんの眩しい笑顔のもとにいたいって思い続けたいだろう?

 

 今日も、一日中心の中でぺろぺろした。リッカたんが笑顔を見せてくれたその時は、ぺろぺろするのも忘れてちっとばかり見惚れていたりもしたが、それはまあ、仕方ないだろ!

どの閑話が読みたいですか?

  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
  • その他(メッセージとか活動報告コメントとかください)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。