闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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34話 手遅病

「!」

 

 ほこらの封印を解いた先にいたのは……そうですね、ベクセリアの状況などを顧みれば「病魔」というのが正しいでしょうか。そのおぞましい姿は形容しがたく、恐ろしい臭気をまき散らしながらどこか溶けたような体をゆらゆらと揺らしていました。

 

 ええ、矮小な身で、こんなに間近に病魔がいるというのに病気にならずに済んでいるのは間違いなく一番前に立ちふさがってこちらをかばってくださる天使様のご加護そのものでしょう。薄暗い中でも、翼のない背中は非常に頼もしくはっきりとして見えました。

 

「古来よりベクセリアの街を襲い、封印を受けし病魔と見受けました。魔性の者よ、あなたがどのような意味を持って病気をまき散らすのか。また、どうして病魔が生まれ落ちたのか……この身をもってしても、理解できることはないでしょう」

 

 学者が、病魔がアーミアスさんに釘付けになっているうちにそれを封印してあったであろう壺の修復にかかりました。

 

 ええ、意思がある者なのかはわかりません。このガトゥーザ、天使様のような人ならざる者のご意思と同じようにおぞましい存在の思考を理解しようとも思いません。しかし、アーミアスさんは、ええ、平等でした。

 

 きっと病魔の被害者がいなければ、そう、別の道をも模索されたのではないでしょうか。ですが、今はそうは言っている場合ではありませんでした。今この瞬間にも苦しむ者がいて、もしかしたら死者が出ているかもしれない。それをもちろん分かっていらっしゃるのでしょう。

 

 彼は高潔です。しかし現実は慈悲深い方にも優しくはない。切り伏せる選択肢以外は病魔は与えず、また、壺の修理をもって封印するほか方法はないのです。

 

 アーミアスさんの剣はどこか悲しく煌めきました。真っすぐで、そして、傷つけるために本来あるのではなく、神聖で、誰かを守るために振るわれる剣。心優しい天使様が、心を痛めて振る剣です。誰もが敵対することのない天使様の世界のようになれば、喜んで剣から手を放すようなアーミアスさんらしい、剣です。

 

「……斬ります」

 

 星を宿した黒き瞳が、あげられました。

 

 次の瞬間、瞬間移動といってよいほどの速度でメルティーが病魔の手に囚われ……かけました。えぇ、天使様がお見過ごしになるはずはないのです。切っ先の鋭い勢いは病魔の腕を一瞬切り落とし、その隙にメルティーごとアーミアスさんは後ろに飛びました。

 

 切り落とされたはずの腕、もちろん腕とはいっても何とも言い難い溶けたような部位の一部ですが、それは見る間に病魔の体にくっつき、再生しているように見えました。

 

 ええ、あれは何かを言っています。それは分かります。しかし、この耳にはなにか意味のある言葉には聞こえません。耳障りの悪いひび割れたようなうなり声、といえばいいのでしょうか。聞いているだけで不愉快になります。

 

 存在を目にしているだけで不快で、声まで聞けばこの場から立ち去りたくなる嫌悪がわきでてきます。私はメルティーのように真に清廉潔白な人間ではないので。ええ、この臭気を肌で感じながらの三重苦ならば、誰だってそう思いそうなものです。

 

 しかし、麗しき天使様のかんばせは、歪んでいました。……もちろん、不快にではなく。

 

 そしてその唇から血が滴り落ちるのを見て、慌てて回復呪文を唱えました。

 

 次の瞬間にはおぞましいあの病魔の懐に飛び込んだアーミアスさんが深々とその胸元に剣を突き刺していました。病魔が捕らえる前に素早く間合いから抜けた時にはマティカの鋭い蹴りが炸裂し、マティカをかすめて炎や氷が殺到しました。

 

「魔性よ、あなたは嘆きと苦しみを感じたのでしょうけれど」

 

 重い一撃を与えながら、しかしこちらをかばい続けているために白い肌に鮮血が散り。しかしアーミアスさんは一歩も退かずに病魔を見据えていました。

 

 語りかけている声は沈痛といってもよいほど悲壮感が漂っています。あの、病魔の言葉を聞くことが出来たということなのでしょうか。そして、心優しいアーミアスさんは心を痛めた?

 

 ……あぁ、ご試練を。神は試練を与えなさる。

 

 あの病魔側にある事情を、慮ってしまう方にその解決をするようにお導きになるなんて。

 

・・・・

 

「……危篤の者はいませんか! 時間がかかりすぎたのです! 早く、今はもう病魔はいません! こちらに危篤の者を!」

 

 まだ研究したいというルーフィンとかいう学者はほこらに放置してきた。本人がそうしたいのならそうすりゃいい。奥さんが明らかに危ないっていうのにのんきな奴だと腹が立たないこともなかったが、相手は幼い人間。まだ、分からないんだろうと思ったまでだ。

 

 あぁ、昨日まで元気に走り回っていた子供や、元気そのものの若者が様々な要因で惨たらしく死んでいく。止めることは出来ない、予測もできない。自分の無力だけを痛感するってやつをな。それを経験していない、俺の望んだ、真に穏やかに生きてきた人間なのだから。

 

 まあ、しばらくしても戻ってこなかったら迎えに行かなきゃならないが!

 

 今はそれどころじゃないが。パンデルムが最後にあがいて誰かを死へといざなった可能性が高い。明らかに最後のあがきは、たまにいる愚かしく幼い人間の、……そうだな、俗にいう「悪人」と呼ばれている奴らが最期にすることに似ているように思えた。

 

 「悪人」はまだいい。いや、「悪人」は善良な人間を傷つけるという意味でなら少々仕置きが必要な場合もあるんだが、そうなってしまった要因をもっと幼い時から取り除いてやることが出来ればそうはならないことの方が多いはずだ。

 

 だが、「病魔」パンデルム。あいつが生まれた時の原因も、情勢も多分俺が生まれるよりは前だろうから分からねぇ。聞こえてきたのは理解不能な叫び、言語的には理解できるが理性を感じさせない言葉の羅列、そしてそれらに混ざった胸糞の悪い呪詛。

 

 すべての生き物の命が一つ残らず救われることを願う身として考えてはならないことなのだろうが、あれは、違う。

 

 元が例えば罪もない人間で、外部的要因によってパンデルムに変貌したのだとしても、元の存在にならともかく今の存在には早急に封印される必要があると感じた。封印が原因で、悪逆を尽くした者とはいえ、永遠ともがくはめになるのだ、と理解していても、だ。それに引っかかりはもちろん感じるが、それ以上に。

 

 ああ、あれこそは、あれこそが。

 

 俺たち天使と対としてよく語られる存在だ。悪魔、悪魔と呼ぶにふさわしい。魔物の悪魔系とは話が違う。そういう外見、特性を持つのみで心を持つ魔物はあれに比べれば人間と同じく愛おしく感じるほどだぜ。

 

 あれは。ベクセリアという都市の人間を、すべて憎む者。そして、そのためにならば、どんなに苦しんでも、どんなに救いを求めていても愉悦しか感じないような装置。呪いそのもの、そうなるべく作られたもの。

 

 ああ、俺は思うさ。あれは、ベクセリアを恨んだ愚かな誰かが作ったものだ。

 

「……あぁ」

 

 そして、俺は間に合わなかった。自宅のベッドに静かに横たわる年若い女性。眠っているかのように、静かに目を閉じている姿。進行が早かったのか見た目はそこまで死を感じさせない。

 

 だが、残念なことに俺は人間じゃない。沢山の死を、見てきた。

 

 死の香りが鼻につく。涙がこぼれそうになって癖で堪えた。つい涙を落して天使の居場所を知らせてはいけないからだ。今は、そうではないが、こぼしてはいけない。

 

 俺がこぼしちゃ、ならねぇ。

 

「ただいま、帰ったよ」

 

 幼い人間、愛しい人間、まだ、ひととしても年若いルーフィン。たとえ研究に没頭していたとしても、妻への想いが偽物だったわけではないのは見ていればわかった。ああ、彼こそが最初に涙をこぼすべきなんだ。ここにいるべきでない俺よりも。

 

 どんなに、どんなに想っても、守護天使となったとしても、人の死、それだけはどうやったって、訪れて、そして。

 

 俺はどうにも傲慢な、どうしようもないやつだと実感する。

 

 師匠、師匠なら、彼女に息があるうちに、病魔を消し飛ばすことが出来たのでしょうか。

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