闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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32話 天使違

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 蔓延する良くない空気は本当にクソまずいとしか言いようがねぇな。今まで味わった中で一番不味かったホコリっぽい床の味より不味いなんて相当だろ。空気に耐えかねたマティカが街の外に飛び出しちまったぐらいだ。不思議なことに街から出たら何ともねぇんだぜ? ま、外に出ても嫌な感じはするけどな。

 

 ちなみに優しいメルティーがマティカについていったんだが、やっぱりこの空気はあんなに清ら……、ガトゥーザよりも普通のベクトルで信心深いと普通より効くのか?信仰心とこの手の悪って互いにカウンターブローが相場だもんな。

 

 だがそれはともあれ……そうだな、嫌な気配は「街」からするんじゃねぇな。空気はこの場に漂っているように見えるが、違う。瘴気と言ってもいいほどのこの空気がどこから生み出され、どこから沸き出ているか、分かるほど俺に特殊能力はねぇが、「住人」からどうも気配がするんだよなぁ。

 

 でだ。要するに「ベクセリアの人間」が対象の呪いなら旅人まではかからないように思うが、さっきも言ったように空気が相当悪いわけでな。街人を媒介して空気を澱ませ、その場にいる者を無差別に病気にする。そんなところじゃねぇのか。胸糞わりぃ。

 

 さてどうするか。そこらのベンチに腰掛け、考える。この手の文献に関しては人間より長い生があるわけだからそこそこ詳しいつもりなんだが、絶対的な記憶力があるわけでもなんでもないから、必死で引っ張り出す。愛しい人間たちの命がかかっていると思えばなんとでもなるだろ! 思い出せ、膨大な資料に記された死と嘆きの記憶を。

 

 それにベクセリアとセントシュタインは隣にあるんだぜ? リッカたんになにかあったらどうするっていうんだ、俺! リッカたんに降りかかる火の粉はどんな手段を使っても、俺の何を犠牲にしたって全力で振り払わないと気が休まんねぇ!

 

 ……場を媒介してこうなってるんだから街人全員を別の場所に移せばいいんじゃね?

 

 いや、それだと既に病気の人に移動という負担をかけるし、移動したからといって治るわけじゃないだろうしな……。それに可愛く幼い人間たちは合理的に物事を考えることは出来てもそれを実行できるわけでもない。

 

 原因不明の病気が蔓延している街からやって来た人間をあたたかく受け入れるマジ天使な人間はいるだろうが、嫌な顔をしても受け入れるツンデレな人間もいるだろうが、石を投げて追い払う奴もいることだろう。まぁその辺りは人間だし……そもそもこの状態を放置している守護天使も悪いからな。

 

 なんで管轄外の、見習いひよっこ天使という街の異物が来ても来ねぇんだよ。可愛い人間たちが苦しんでいても天使界に引き篭もってんだよ。俺と同じく地上に羽根なしパラシュートして、しかも落ち方が悪くて別の大陸で足止めされてるとかなのか?それなら同情しかないが。

 

 ベクセリアに行きたくて行きたくて堪らないのに行けないのは……な。神の試練はむごいもんだ。俺みたいに管轄地域に落とせばいいのによ。

 

「そこの……旅人の方」

「はい?」

 

 たしかに俺の存在は不審者に見えねぇこともないだろうが、声をわざわざかけられるほど不審だったか……。これからは鉄仮面やプラチナヘッドのように顔を隠す装備で安価なやつを探すしかないのか?うっかり心に根付くリッカたんぺろが滲み出てたか?

 

「……、悪いことは言わないですから、早くここから出ていった方がいいですよ。貴方みたいに若い人がまた倒れるのは見ていられないんです。親切心を出したって何も変わりはしませんから」

「優しい方、ご忠告痛み入ります。目的を達すればすぐに出ていくつもりですから大丈夫ですよ」

 

 普通に優しい人間だったとか、俺の汚い心が露見するだけじゃねぇか! ますますこの街を見捨てるわけにはいかなくなったぜ。借りれるものならなんだって借りたいし、何も足りちゃいないが、少しでも現状をマシにしねぇとな。

 

「……誰を連れていかれるつもりですか、天使様」

「俺たちは常に連れていくのではなく、人々の健やかな生を至上とし、長きを生きる者として見守り、陰ながら時折お節介をするのみです……よ」

 

 まったオート天使バレしてるし、しかも無意識に天使たる当たり前のことをわざわざ言う嫌味ったらしいことになっちまったし、やっべえな。もう……なんで天使バレしてるかはどうでも良くなってきたような、いや全っ然良くねえが。

 

 あぁもう! 要するにそう天使を勘違いするなってだけなんだが!

 

 死神を見たことはねぇから、そういう仕事の存在がいないとかそんな安易なことは言えねぇ。だが少なくとも天使とはそういう存在じゃねぇからな。可能か不可能か、だったら天使が人間を殺すことはできる。首をへし折るにしても剣で刺すにしても普通に出来るからな。

 

 それから魂と話すことも出来る。だからってもちろん魂を引っ掴んで無理やり成仏させることは出来ないし、物理的に触れずに、魔法を使わずに人間に干渉することもできない。

 

 見えないだけ、飛べるだけ、長生きするだけ、自分は若干呪いが効きにくくてそれを少し味方に適用することが出来るだけで人間とほぼ一緒だから。呪いのやつも呪いの装備品ぐらいなら直接的に食らうから無効化できねぇしな。そう、天使が選んで殺してるみたいな言い方されるとムカつくってだけだからな!俺は全力で生かしにかかっているのによぉ……。

 

「失礼、しました。はは、そうですよね……守護天使様を、捕まえてわざわざこんな恨み言を言ったって……」

「俺はここの守護天使ではありませんから」

 

 あ、やべ。走って逃げたいことを口走っちまった。やべ、逃げてぇ。こんなの言われたら嫌だよな! どんな理由で俺の正体を悟ったのかは知らないが、頼れる守護天使……? がそうじゃないとか嫌だよな! 嘘は良くないが、誤魔化した方が絶対よかったよな! てかどんどん俺から言ってどうする。これからは口にチャックでもつけて黙らなきゃなんねぇな。

 

「……、どちらの天使様か、お聞きしても?」

「清水流るるウォルロより」

 

 もう俺はいたたまれないから行くからな! 黙礼を一つしてさっさと俺は戦線離脱した。師匠にバレたら普通に殺されると思うんだが、気のせいじゃねぇ。さて、原因はどう考えても外だ。怪しいものがないか街のえらいさんにでも聞くか。

 

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 濁った空気の中、気を強く保ちながら店番をしていた。今日も客は少なく、道行く人も少ない。見かける人間も疲れたように歩き、目に光を持つ者はいない。

 

 常連の奥さんも流行り病で伏せってしまい、数日に一度の世間話が無いことがこんなに店を静かにするのかと思うとひたすら辛かった。まだ死者こそ出ていないものの、治った者すらいないのだ。いつ誰が天使様に連れていかれるかもわからないのに威勢よく商売をする気にもなれなかった。私は丈夫が取り柄だったが、こんな気持ちではいつ病になってもおかしくないだろう。

 

 そんな時、ふと顔を上げると近くのベンチに少年が座っていた。見慣れない姿に旅慣れた服装を見れば駆け出しの冒険者だとすぐに分かる。俯いている様子からここに来たのは無鉄砲ながら後悔しているのだろう。それでも即刻逃げ帰らない辺り、まだこの街の深刻さが理解出来ていないのか。

 

 さて、被害者を少しでも減らすためにも背中を押さなければ。帰りそうにないなら脅してても若い命を守るべきなのだから。それがベクセリアの人間に許された最期の定めなのだろう。

 

「そこの……旅人の方」

「はい?」

 

 今気づいた、とばかりに顔を上げた少年と視線がかち合った。そしてそのままでは伺い知れなかったその美貌を真正面から受けることになる。どちらかといえば美貌よりも滲み出る清浄な気配に心を奪われたのだけど。

 

 まさに想像していた天使そのものの容姿だったのだ、その少年は。いや、少年だろうか。背格好こそ少年のものだったが、声は高く、性別がまるで分からない。さらりとその艶やかな髪が揺れ、はっと私は我に返った。

 

「……、悪いことは言わないですから、早くここから出ていった方がいいですよ。貴方みたいに若い人がまた倒れるのは見ていられないんです。親切心を出したって何も変わりはしませんから」

「優しい方、ご忠告痛み入ります。目的を達すればすぐに出ていくつもりですから大丈夫ですよ」

 

 彼はなんてこともないようにそう言う。あぁ目的、とは。苦しむ病の者をこれ以上苦しませないということなのだろう。たしかに彼が天国に連れていってくれるのであれば幸せだ。どうして今、病気になっていない私に姿が見えるのかは分からないが、天使様がいるということはそうなのだろう。もしかして、死者にのみ翼と光輪が見えるのだろうか。

 

 あぁ、天使様からすれば寛大なご慈悲。苦しむ生を終わらせてくださる優しい行為。しかし、私たち人間はそれでも生きる方を選択してしまうから人間なのです。

 

「……誰を連れていかれるつもりですか、天使様」

 

 言った瞬間、後悔した。天使様は虚をつかれたようにぱちりと瞬きして心底不思議そうな顔をしたのだ。何故そんなことを言うのか全くわけがわからないというように。

 

「俺たちは常に連れていくのではなく、人々の健やかな生を至上とし、長きを生きる者として見守り、陰ながら時折お節介をするのみですよ」

 

 天使様はそして痛ましげな顔をした。どうにか救ってやりたい、そんな表情だった。なんてことを。この状態でも守護天使様は諦めてなぞいないのに、私は。

 

「失礼、しました。はは、そうですよね……守護天使様を、捕まえてわざわざこんな恨み言を言ったって……」

 

 言ったって、人間が諦めていたって、貴方様は諦めてなんていないのに、無駄なことでした。その言葉はなんてこともなく天使様が紡いだ言葉の前では口にすら出なかった。彼からすればなんてこともなかったのだろうが。

 

「俺はここの守護天使ではありませんから」

 

 薄く安心させるように微笑んだ彼が守護天使様でない。ならばどんな天使様が守護天使様なのだろう。彼が守護天使像の姿でない、ということで理解はできたが……。つまり、彼は救いに来てくださったが、我らの守護天使様は私たちを見捨てた、ということ……?

 

 まさか。しかし、彼がひとりでいるということは。いや、たまたま、ふた手に分かれているだけなのかもしれないのだし、こんなに寛大な天使様にこれ以上当たっても仕方ない。

 

「……、どちらの天使様か、お聞きしても?」

「清水流るるウォルロより」

 

 あぁ、そういうことか。商品の仕入れの時に薄らと聞いた覚えがある。セントシュタインが黒騎士で騒がれている時に同じく騒がれていたことを。街に天使様が現れ、救ってくださるのだという話を。

 

 ウォルロ村の天使様がどうして他の街に現れて救ってくださるのかはわからないが、あの大国だけでなくこの街までその手を差し伸べて下さるのか。

 

 背に翼はなく、まっすぐ背筋を伸ばして立ち去った天使様。その姿が、濁ったように淀んだこの空気が立ち込めるこの街で唯一輝いているように見えて、私はようやっと、救われるのだと悟った。

 

 私はまだ知らなかった。天使様は考えているよりもずっと心優しく、救いを差し伸べたゆえに苦しむのだと。

 

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