闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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閑話 翼落天使

・・・・

 

 布団の中にちんまりと収まってすやすや寝息を立てるアーミアスくん。当然翼があるからうつ伏せ。その寝顔はとても穏やかで……安らかな眠り。起こすことを誰だってはばかるような眠りよ。いつもだったらなんて可愛いのかしらって、そっと抱きしめたくなるような、穏やかな眠りなの。

 

 そんな天使で天使で天使なぷにっとしたほっぺたの赤みが今日は弱い。それどころか少し、血の気がなくて、むしろ青白いの。

 

 それは……昨日他ならぬアーミアスくんが自分の手でその背に生えるふわふわの翼を切り取ろうとしたから。

 

 私はね、第一発見者ではないの。最初に発見したのはやっぱりというか、アーミアスくんの師匠であるイザヤールだったから。イザヤールはホイミぐらい使えるんだからあの時点では結構傷は癒されていたみたいで、私が見たのはそこまでひどい光景ではなかったはず。

 

 でも、目に焼き付いているの。

 

 可愛らしく、天使然としていて、庇護の対象そのものだったアーミアスくんの小さな体が……自ら流した深紅の血にまみれ、ぐったりとして……長い天使生の中でも見たこともないほど泣きそうな、必死な顔をしたイザヤールの腕に収まっている姿が。

 

 どうしてアーミアスくんがあんなことをしたかはわからない。聞くより前に今は……オムイ様の決定に、彼の回復を最優先にすると従っているから。癒しの魔法が得意な私は……皮肉にも大好きな見習い天使の顔を存分に眺めることが出来ているの。

 

 アーミアスくんは優しい子。誰よりも天使らしい愛くるしい見た目で、見た目通り人間が大好きでいつでも力になってあげようとするような……天使の中でも珍しい、天使らしい天使。

 

 悪意にも気づかないほど無垢で、悪意に晒されてもそちらに堕ちる事はなく、優しく微笑んでいるようなそんな子。誰よりも努力して……たったの三十歳で人間界に行くことを許された、天使界の長い歴史を塗り替えた子。

 

 私が三十歳の時、まだ師匠の背中にくっついていることだけしかできなかったのにね。アーミアスくん、どうして……どうして。

 

 とっくに傷の消えた彼の背中。でも傷はなくても、傷跡は残っちゃった。私の実力不足と言いたいところだけど、残念ながらそうじゃない。傷が、深すぎたの。小さく華奢な体には不釣り合いな大きすぎる、鋭すぎる傷は……癒しの力をもってしても治し切れるものではなかったの。

 

 血を丁寧に洗い流され、以前と同様にふわふわの右翼。なのに、彼が傷つけた左翼は……あぁ、見るも無残に、ボロボロなの。大きな傷跡は白い翼の中にあっても目立つほど。毟られた羽根のせいで余計痛々しいの。

 

 どうして、どうしてなの、アーミアスくん。

 

 ぽろぽろ涙が零れて、天使の服を濡らしてしまう。駄目ね、私は上級天使なのに。弟子はまだいないけど、見習いの前ではいつだって規範となる存在として……すまし顔しとかなきゃいけないのにね。

 

 アーミアスくんは、それでも幸せそうに眠っている。それは救いってことで、いいのかしらね。

 

・・・・

 

 あの悪夢の日から数日。血を失いすぎたアーミアスが目を覚ましたのはたまたま訪れていた朝早くだった。

 

 目覚めたアーミアスはいつも希望の光に大きな瞳を煌めかせていた姿はではなく、ただ幸せな夢から覚めてしまったというような顔でぼんやりと私を見上げていた。見慣れた星の瞳に光はない。

 

 ぞくりとする。

 

 天使らしい姿をしているアーミアス、天使らしい善なる心を持ち、いつでも努力を怠る事はなく、期待に応え続け、私の言葉に逆らったこともない見習い天使に、私が。

 

 恐る恐るのぞき込んだアーミアスの目にはわかりやすく落胆が浮かんでいた。落胆、落胆を。翼をもげなかったことが、いつでも楽しそうな笑顔を浮かべていたアーミアスにそんな顔をさせるのだ。どうしてアーミアスがそのような行動に走ったのか。どうして……天使としての象徴を捨て去ろうというのか。

 

 そういう心境に至ったきっかけ……考えられる事は、あの日……私は初めてアーミアスを人間界に連れていったことしかない。

 

 人一倍人間への関心も強く、本の中と私の話ぐらいでしか人間を知らないというのにアーミアスは既に正しき道に人間たちを導き、安寧を維持し続けようという意志がはっきりと感じ取れた。だから、異例の年齢で連れていったのだが……早過ぎたのか。

 

 地上でアーミアスは、とても楽しそうだった。初めて見る人間たちを見てきょろきょろと周りを見、転びそうな老人を支え、走り回る小さな子どもの近くで飛びながらアーミアスは笑っていた。天使界で見せる笑顔よりも輝いて。

 

 ……だから違う、と私は思う。少なくとも、原因だったとしても……人間を見たというきっかけは悪い理由ではなりえないだろうと。

 

 それどころかアーミアスは、いくつになっていたとしても同じ行動に出たと私は言いきれる。なにしろ、勝手に上級天使の、しかも師匠の私物を持ち出すほどの覚悟だ。天使の理に縛られなかったことから命令に反しているとは露にも思わなかったらしい。

 

 純粋に、普段のアーミアスと同じく……正しいと思って、最善を行くために、アーミアスは翼をもぎ取ろうとした。

 

 その事実が、エルギオス様がいなくなってから久しぶりに私の心を抉りとるように突き刺さるのだ。大切な者をまた人間界でなくしてしまうのではないか、と。

 

 馬鹿らしい危惧だ。アーミアスは結局翼をもぎ取る事はなかったし、天使界にいる。まだまだ幼い天使なのだから私の監督なしに人間界に行くことは出来ない。私がそれこそ人間界では四六時中付いてやらねばならなくて当然なのだから、失うはずがない。

 

 ……アーミアスは、寝起きでぼんやりとした瞳を私に向けながら……何を考えているのだろう。わからない。私には、わからない。分からないが……少し、不満そうだな。後でじっくり話す必要がありそうだ。

 

 だが幸いにもはっきりしていることは、もうアーミアスがそんな無茶をしないことだろうか。

 

 アーミアスは失血によって意識を失う間際、いつものようにこう言ったからだ。大量の血を流しながら、いっそ静かななんともないような声で。

 

「この方法は、駄目ですね」

 

 アーミアスは決して、決して、間違っていることをしない。だからこそ正しいと思ったからアーミアスはナイフを手に取ったのであり、あの瞬間にアーミアスは間違っていると気づいた。だからナイフをすぐに手放し、私の指示を待った。

 

 だから、もう心配いらないのだ。

 

 アーミアスは二度と翼を自らの手でもぎ取ろうとするなんてことはしない。ナイフだろうが、他の方法だろうが。それは間違いなく、しない。

 

 そうわかりきっているのいうのに……どうして、私の胸騒ぎは収まらない? いつの日かアーミアスが私の手を離れ、一人前の天使となる日が来るというのに……アーミアスならうまくやっていけるだろうに……そんな気がしないのは、何故だ?

 

 どうして、あの日、翼をもぎ取ろうとしたアーミアスを美しいと思ったのだろう。

 

 どうして、血を流しながら諦めたアーミアスに……どうして、自らの弟子に……きっと翼も光輪もない姿の方が似合っているなんて、思ったのだろうか。

 

 アーミアスの背中には翼がある。天使なのだから当たり前のことだ。アーミアスが天から遣わされた日からずっとある。当たり前のことだ。当然アーミアスには翼と光輪があるべきであり、あって然るべきで、今もある。昔もある。そしてこれからも。

 

 なのに、私は、どうして……。

 

・・・・




タイトルは「ようらくてんし」とでも読んでください。造語です。

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  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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