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「少し、お話しませんか」
耳が痛いほどの静寂の中、不意に甘やかに高く、なおかつ優しげな声が私に向けられた。彼の羽のように軽やかな足音は、考え事をしていた私には届かなかったらしい。
覚悟をまだ決めていない中、恐る恐る振り返ってみれば、やっぱりそこにいたのは守護天使様で、彼はあの茂みの下から掘り起こしたらしい私のトロフィーを手に真摯な瞳をまっすぐ向けていた。
相変わらず、思わず救いを求めてすがりつきたくなるようなお姿だな、と思う。娘ほどの年齢の外見だろうと、天使様は天使様なのだ。気後れするほど美しい顔、瞬きすら心を奪いかねない神の芸術が目の前にあっても、天使様を見ると安心してしまうのだ。
翼を生やして空を舞う姿を見ていなかった村人たちですら天使様だと信じるほどのお方なのだから。感じる雰囲気から穏やかで、善なる心と一心に思う気持ちがひしひしと伝わってくる、そういうお方がアーミアス様なのだ。
「……ロベルトさん。貴方がこんなに長い間さ迷っているなんて、知りませんでしたよ」
彼は酷く悲しそうに唇を歪め、私の方へまっすぐ歩いてくる。そりゃそうだろう、私は彼からひたすら
『いやぁ、お恥ずかしい限りで。アーミアス様直々にこうやって引導を引き渡して貰えると思うとうれしいですよ』
「……俺は死者を成仏させる力を持っているわけではありません。貴方の未練を晴らす手伝いをすることだけです」
『アハハ。そのトロフィーが未練の塊なんですよ。だからもう……』
「俺には、あなたが苦しんでいるように見えるのですが……」
星を宿したように光を宿した瞳に私の姿が薄ぼんやりと映っている。誰かの目に映ることがこんなに嬉しいことだなんて、久しぶりに感じること。何もかも見透かしているのだろうか、彼はそっと私にトロフィーを差し出した。
刻まれた文字は昔のまま、見ているともう存在しない心臓が高鳴るような錯覚すらある。私の夢が目の前でキラリと輝いた。
『あぁ懐かしいなぁ。そのトロフィー、貰った時は本当に嬉しかった。宿を世界一に出来たことも、認められたことも……何もかも』
土に埋もれたままの姿ではなく、天使様直々に軽く磨かれて金色に輝くそれに手を伸ばす。勿論、私には触れることなんてできない。何の感触もなくトロフィーはすり抜け、天使様の手すらすり抜けた。何も感じないのに、触れた手は温かいような気がするのは、アーミアス様だからだろう。
「……」
『それ、どうするんですか?』
「明日の朝、リッカに見せようと思いまして。彼女の道に光があるならば示さねばと」
『……光』
「私の目には、ロベルトさん……貴方のウォルロ村での生活は未練はあっても、後悔は」
『ええ、ありませんよ』
矛盾した言葉に困ったようなアーミアス様。でも正しくそうとしか言い表せないのだから的を射た表現でしょう。
母親に似て病弱だったリッカをきれいな水のここで育て、こうして健康で丈夫に育った。そのことがとても嬉しくて、ここに来てよかったと心底思っているのだ。母親のように娘までも
だが、捨てたわけではなく、ましてや犠牲になったわけでもない私の道は閉ざされた。そのことが心の奥底のしこりとなっているのなら……こうしてさ迷っているのも当然なのだ。
「リッカが進む道を決めます。断ろうと、受けようと、尊い選択が明日です」
『見ていろというわけですか?』
「そうですね。それがロベルトさんにとって、見守るという大切なことなのです」
安心してください、と天使様の言葉は続く。
「少しだけ後押しすることが俺にはできます。彼女の選択を見守っていてくださいね」
私の未練は大切そうに天使様の腕の中に収められ、窓から差し込む月明かりにきらきら輝いていた。
彼が静かに立ち去った後、そっとのぞき込んでみたリッカの寝顔は私の知っているリッカよりもずっとずっと大人に成長していたのだ。
娘の寝顔を見ながら流れもしない涙が、存在もしない体の中を波打っている気がした。もし、都合よく、リッカが私と同じ夢を追うならば。間違いなく私にもう未練はないと、そう感じた。
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「おはようございます、リッカ。おはようございます、お爺さん」
朝早くから家の外で何か……多分、掃除とか……をしていたらしいアーミアスが帰ってきた。ここ数日は見なかった天使様の服を着ていて、それがやっぱり当たり前だけど似合ってるものだからいつにもまして眩しい。ひらひら揺れる裾がアーミアスの動きすべてを風みたいに軽く見せるんだよ。
それにアーミアスは桜色の唇を綻ばせてにっこり笑うから心臓にも悪いんだ。彼はよく笑うのだけど、それに慣れる日は本当に来ないんじゃないかなって思うぐらい。花の舞い散る背景が見えるぐらい笑顔が輝いているし。
「おはよう、アーミアス」
「おぉおはようございます、天使さ……おっとうっかり。アーミアスさ、様」
「……無理しなくてもいいですよ」
いろんな人になるべく天使様と呼ばれたくないのだと言ったアーミアス。それを叶えた人はなかなかいないみたいで今日も苦笑が顔に浮かんでいた。おじいちゃん以外もこうなっちゃったんだろうって簡単に想像できる。
それから朝ご飯を並べるのを手伝ってもらい、席についてからもこんなふうに穏やかに話すのはとっても幸せ。気後れするぐらい綺麗なのに隣にいると安心するアーミアスをいつまでも独占しちゃ、村のみんなに悪いなって思うけどこの立場は譲ってあげたくなかった。
アーミアスは自分がいてもご利益はないとか言っていたのだけど、そういう問題ではないと思う。喋っているのが楽しいんだし、むしろ見てるだけでも楽しい。それから商売繁盛のご利益は間違いなくあると思うし。看板娘……ううん、看板天使として。お客さんは今、ルイーダさんしかいないけどね。
朝ご飯を食べながら、今日も幸せオーラを撒き散らしながらこの上なく美味しそうにご飯を食べるアーミアスをチラチラ見る。眼福って多分これのことだよ、ね?
私の作った朝ごはんだけど、彼が食べると作った私ですらとんでもないご馳走に見えるぐらい美味しそうに食べるんだもの、作り手としての幸せまで噛み締められるんだ。
小さいシンプルなパンをちぎって一口、とってもゆっくり味わうように咀嚼しているだけなのに彼はすごく幸せそう。おかずの卵料理も一口一口すごく丁寧に口に運んでいて、ちょっと焦げちゃった切れ端がだんだん申し訳なくなってくる。
アーミアスが来てから私の料理はそういう小さな失敗がどんどん減っていっているのだけど、彼は気づいているんだろうか。恥ずかしいから気づかないでいて欲しいけど。
「今日も美味しいです、リッカ」
「そう?よかった」
その言葉にアーミアスは全身全霊を込めてるんじゃないかって思うぐらいいつも力を込めている気がする。それからアーミアスはスープをひとさじひとさじ香りまで楽しんで口に入れて……って、私はさっきから見すぎだよね。
これじゃあアーミアスが食べにくいじゃない。急いで目をそらせば、おじいちゃんまでニコニコしていてとっても恥ずかしくなっちゃった。
「あの、リッカ。食後にちょっと見せたいものがあるんです。少しだけ時間いいですか?」
私の気持ちを知って知らずか、アーミアスはとっても真面目な顔でスプーンを置き、私をまっすぐ見ていたものだから……本当にこの綺麗な天使様は、すっごく周りのことが見えているようで見えてないんじゃないかって勝手に心配してしまう。
私が勝手に耳を赤くしていたのに気づかないでくれたのは嬉しかったけど……。
その後律儀にも片付けも手伝ってくれたアーミアス。彼がその後部屋から持ってきた金色のトロフィーは……知りもしなかったお父さんの過去を教えてくれた、私の人生の分岐点であり始まりの象徴になる。
私のせいで夢を諦めたお父さんを、私の体が丈夫な理由も知って。アーミアスが決断した私を見て微笑んで、ちょっと寂しそうにしていた理由はわからなかった。でも、何もない方向へ優しい微笑みを向けていたから……そこにいたのはお父さんだったのかもしれないと、聞けはしなかったけど思ってるんだ。
あと、ルイーダさんに決意を伝えた帰り、何故かアーミアスがニードと向き合ってなにやら話しているようだった。アーミアスの顔は見えなかったけど、ニードの顔がやたらと引きつっていたから不思議だったなって。
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サンディ「」
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