草原をぬけ、妙に暗い山岳部を分け入り、獣道になりかかっている街道を行く。周囲は魔物の気配こそ濃厚だが、人の気配はとんとない。カズチャ村というのは魔物の襲撃で今は亡く、再興していないのはつまり今も魔物の危険が去っていないという証左でもある。
魔物側にどんな思惑があったのか分からないが、せめて村の人間たちの魂が慰められていたらいい、と思う。当時の守護天使は滅びゆく村をどう思ったのだろう。
状況から推測するに、カズチャ村が滅んだのはナムジンの母パルが嫁いでからだろう。パルはナムジンの母親だからどれだけ多く見積っても二、三十年くらい前の出来事、ということになる。俺の時間感覚が天使然としてズレてなきゃな。
つまり、当時の俺もウォルロ村の守護天使であり、見習いだった。俺は自分の村でいっぱいいっぱいだと周囲に思われていただろうし、自分の担当区域が魔物の毒牙にかかろうとしているとしても……俺が上級天使でも戦力になるのかも分からない見習い天使より師匠のような実力者に助太刀を頼む。
ひよっこに下手に別所の危機なんて伝えて突っ走られたくないし、俺から他の見習いたちに話が漏れて不安が蔓延しても困る。だから、俺が知らなかったのは理にかなっている。
だが。
マジで、当時の天使界に特別な空気はなかった。村ひとつ滅ぼされたってのにもう少し剣呑としてていいんじゃないか? 内々に済ませたのか? 結果滅んだのか? カズチャ村の守護天使はどうなった? ココ最近どこかの守護天使が死んだとか聞いちゃいねえけど。
なんて、今更ほじくり返したってどうにもならないことだが。近年、人間の村落が滅んだなんて……俺が天に遣わされる前じゃねーんだぞ。なんで俺は、知らなかったのか。
「随分、毒沼が増えてきましたね」
「魔物の様相もなんだか草原の方とは違いますね、兄さん」
「カズチャ村は魔物の襲撃で滅んだ村。今も村の内部には魔物が多く潜んでいるでしょうし、魔物よけのなくなった人間の村など格好の根城でしょう。みなさん気を引き締めていきましょう」
「うん、気をつける」
オムイ様は偉大な方だし、師匠は言わずもがなだし、ラフェット様やほかの上級天使もみんなその役職に恥じない立派な方なのを知っている。
不信感、など。持つはずもねぇ。人間に対する感情の強さなんて俺ごときじゃ敵わないくらいあるに違いねぇし、人間大好きアピールをしているひよっこ天使に人間の村がひとつ滅んだなんてわざわざ教えていいことなんてねぇし、ウォルロ村は平和だったし。
ぐるぐる考え込んでも仕方ない。
向かって来る魔物のみを撃破し、そしてようやく。たどり着いた村の入口。生き残りがいたのか、それとも全てが滅んだあとにカルバドの人間がやったのか分からねぇが、そこには結界が貼ってあった。
「魔法でこじ開けましょうか?」
「叩けば壊せるかもしれません」
「斬ろうか? できるかな」
「ええと」
なんでお前たちはそんなにやる気なんだよ。まずは穏便にだな。
『旅の方。今お開けいたします』
誰かが先走る前にパルが開けてくれた。武器を構えていた物騒な奴らは結界が無くなったのを見て俺の事を見てきたが違ぇ。天使に結界を破る特殊能力なんてねぇよ。出来るやつもいるかもしれねえけど、それは人間と同じで訓練の結果だぞ。
「今のは俺ではなくて、パルさんの力ですよ」
「そうなのですね! 死者の協力まで仰げるとは流石はアーミアスさん!」
「まったくです!」
天使信者どもには曖昧に頷いておき、とりあえず中の気配を伺ってみる。
明らかに魔物がいるな。素人ではないが凄腕って訳でもない俺でもわかるんだから沢山いるんだろう。
「外より警戒した方がいいかもしれませんね。それでは皆さん、アバキ草らしきものを見かけたらすぐに報告してください」
「うん!」
どんな見た目なのか想像もつかないが。見たらわかるものであることを祈ろう。
荒れ果てた集落、我が物顔でかつての人間の家を根城にする魔物たち。
俺は成立理由からして人間寄りの存在だから、どうにも悲しくなっちまう。襲撃に参加していない二世以降の魔物からしたら襲撃者は俺たちの方なのにな。だが、どれだけの人間が死んだのか想像もつかない以上同情するわけにもいかねぇ。向かってくるならば天に送って来世に期待するしかねぇ。
家に入った途端こちらに殺意を向けてきた魔物を斬り捨てつつもそう思う。
「まったくキリがありませんね」
「いくら焼き払ってもここを魔物から解放するのは難しそうです……」
「そこまでは望みません。目的を達成すればすぐに離脱しましょう」
「アーミアスさん! こっちからもっと奥に行けるみたい!」
正義感バッチリの兄妹とやる気満々のマティカ。長い目で見れば時間に余裕がある俺はともかく、幼い人間たちがそんなこと気負わなくてもいいのにな。全部解決したら天の方舟に乗って神の国に行くなんて寝言言ってねぇで天使で徒党を組んででここをどうにかしようぜ。……きっと、ナムジン以外にもあの集落にはここの血を引く人間がいるだろうからな。
幸い、ここは魔物の根城になっているとは言ってもボス的な存在が束ねているわけではないようで、統率もなければ特別な攻撃を仕掛けてくる気配もない。
なるべくすり抜けるように奥へ奥へ向かい、そして程なくして周囲とは気配の違う横穴を発見した。
「ここが最深部のようですね。どこか不思議な……神聖な気配を感じます」
「魔物もいなそうだね」
とはいえ警戒しない訳にもいかんだろ。剣を構えつつ突入すると、そこには。
『あれ、お兄ちゃんだぁれ?』
『おや旅人さんかい? 魔物の襲撃があったってのに訪れるなんて運が悪いね。でもここまで来れば安心だよ』
『そうだべ、ここはアバキ草が護ってくれるからな!』
「おびただしい、折り重なる骨が、」
「怨念はないのに、たくさんの、気配が、子どもの骨も!」
「みんな、みんな、ここで死んじゃったってこと?」
俺には骨は見えない。死体の山なんて見えない。ただ、そこにいたのは、そうだ。この規模の集落として平均的な数の人間の幽霊たち。自分の死すら理解出来ず、ここで魔物が過ぎ去るのを待ち続けて死んでしまったたくさんの亡霊たち。淡く青く輝く魂たちははっきりとその姿を映し出し、死に気づく気配のなさを示しているかのようだ。
「失礼、俺は旅の者なのですが。ここにはアバキ草という神聖なものがあるそうですね。ご利益に与りたく、一度拝んでみたいのですが。それはどちらに?」
『奥にあるよ、お兄さん』
『アバキ草が護ってくれるからな!』
『心配しないで、大丈夫よ。すぐにカルバドが助けてくれる』
『パルがすぐにカルバドを説得してくれるべ』
『カルバドに助けを呼びに行った若いのは無事だといいけど』
『お兄さん、都会の人? 肌が真っ白くて、日焼けしてなくて、いいなぁ。なんだかお兄さんの傍は落ち着くなぁ』
たくさんの幽霊たちが口々に言う。無垢な目で、俺の事を見ている。
三人の生者たちのことに気づきもしないで、まっすぐと俺だけを。
きっと本当は理解しているんだろう。だから三人の言葉は耳に入らないし、見えねえし、天使である俺のことを本能的に理解してしまっている。あくまで推測だが、悲しいことに否定できねえ。
「アバキ草は奥にあるそうです」
『んだんだ。お兄さんも見ていくべ』
『ちっとくらい触っても平気だからなー!』
彼らの楔になっている、なってしまっている、アバキ草を摘み取ってしまえば、あるいは。
アバキ草の護りのお陰でここには魔物が入って来れなかった。だが、きっと、助けは来なくて。彼らは苦しんで死んだかもしれないし、アバキ草が慈悲をかけたかもしれないし、もしかしたら、もしかしたら、護りきれなかったここの守護天使がせめて慈悲をかけたかもしれねえ。
そんなものは、後から来た責任のない俺が勝手に言ってるだけだけどな。
「アーミアスさん、」
「こちらです。着いてきてください」
ピッタリと俺の俺の後ろにくっつけて三人を誘う。きっとここの人間たちは道ずれになんてしないだろうけどな。それでも、きっとここまでの死者を目の当たりにするのは初めてだろう。
奥にあったのは、明らかな魔力を感じる薬草だった。目のような特徴的な花を咲かせた……不思議なそれ。光も当たらぬこんな場所で不気味な程にしっかりと存在している。
だが、きっと。それは祈りで成立しているのかもしれなかった。霊体のエネルギーには事欠かんだろう。
それを俺は摘み取る。迷わずに手を伸ばし、根元からブチリともぎ取った。そうしなくてはならなかったからだ。
そうしなくては、ならないからだ。
『てんしさま』
子どものような声を聞いて、俺は振り返りたかったが、そんな資格はない。
『ありがとう。パルによろしくね』
パルも、もはや、葬られたあとだというのに、それも知らない。知れない。こうも長く魂だった死者はもう現世で起きた新しい出来事を理解できないだろう。
だから、きっとこれでよかった。
ひとつずつ消えていく気配を感じる。あるべき場所に召されていく魂たち。ようやく進めるようになった魂たち。
俺たちはリレミトで即座に脱出した。