緋弾のアリア 独奏曲とモンテクリスト   作:叛流

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#1『Returner』1/2

 さて、これから始めようと思うのは、今からそう遠くない未来。

 未だ年号は平成から変わらず、リーマン・ショックも件の大地震も原発事故も発生しなかった世界の話だ。

 

 

 

 

 その日もまた雨であった。首都東京から少し離れた場所に位置する射場に、一台の黒い、三菱・ランサーが停車した。エンジン音の収まった後、車から無精髭を生やし、ヨレた灰色のスーツを着たどこか胡散臭い香りのする中年男が降り立ち、雨に濡れぬよう、すぐさま手近の傘を差した。

 車にキーを掛け、射場の中へと向かう。しとしとと降りしきる雨のせいか屋根付きの射場といえども、人気(ひとけ)はまったくといっていいほどなく、ガラガラだった。

 男が踵を返しかけたところ、突然、凄味の利いた銃声が射場を震わせ始めた。それも、一発ではない。何発も連続して発射しているのだ。

 二発、三発と数え終えたところで男は轟音の根源へと足を向かわせた。その間にも射撃は続いている。

 しばらく射場を横に進んで行くと、この雨の中で一人黙々と撃ち続けている希有な射撃手の姿が見えた。しかも、女だ。

 外観からすれば年齢は二十歳前後のようだが、セーラー服やブレザーを着れば未だ女子高生と言っても大丈夫だろう。長い黒髪は白紐で器用にポニーテールに結わえており、服装はジーンズに黒のシャツという簡素な組み合わせ。加えて、その上にオリーブ・ドラブのジャケットを羽織っている。耳には鼓膜の防護のためか、ヘッドフォンタイプのイヤーマフを装着していた

 そんな彼女がランダムに飛び出すクレー目がけて撃ち続けているのはイタリアのフランキ社製のコンバーティブル・ショットガン、スパス12だった。

 しかし、どうも仕様がオリジナルとは違うようで、ストックは通常の散弾銃のような外観のスポーターストック、リアサイトはゴーストリングではなく、フル・アジャスタブル可能なオープン・サイトへと改造済みらしかった。

 快調なセミオートでの回転を見せ、全弾撃ち切った女は銃を射台に置くと、男のすぐ側に置かれたベンチへと腰掛けて四肢を投げ出して、一つため息をつく。

「先に言っとくが、当分リムジン・ドライバーは無理だ———停職中の身なんでね」

 どこか疑うような冷たい視線を、女はその怪しげな男へと送った。が、男は特に気にする様子もなく、女の身体を這うような視線で観察している。

 ふむ、と言葉を漏らし、軽く頭を下げ、男は言った。

「いや、君個人に依頼があるんだ。とりあえず、先払いとしてこいつを渡させてもらう」

 と、男が懐から一万円札を輪ゴムで束ねたものを取り出し、女の膝へと置いた。軽く、五十万は下らなように思われる。

「こいつはアレか。依頼を受けなくても、渡してもらえるのか」

 間髪入れずに「あぁ」と頷いた後、男は煙草をくわえ、火を点ける。

「報酬は?」

「最低でも君の月給五ヶ月分程度、だ。期間は標的すべての排除、および拘束が済むまで。五ヶ月を超えた場合、一月経つごとに君が今現在支払われているであろう基本給の二倍を加算する。ただし、成功すればだが」

 女はしばし無言のままだった。が、その沈黙を突き破るように「オーケイ」

「いいだろう。ところで、一応書類もあるんだろうな? なかったら受けられんぞ」

 すると、男はスッと懐から小型のUSBメモリを差し出した。男の吐き出した紫煙は消えることなく辺りを漂っている。

「口頭で話すと情報が漏洩しそうでね……詳細はその中に書いてある。報告は後日そっちを訊ねるからそのつもりで——じゃあ、頼んだ」

 それだけ言うと依頼主は火の点いた煙草をくわえたまま、ヒラヒラと手を振りながら去って行った。

 一人残された女はUSBメモリを左手でもてあそびながら、再びため息をつく。

「こんなとこまでデジタルか——六、七年前まではまだVHSと一眼レフ主流だったくせに……まったく、時間の流れっつうのは……」

 その後、続けてため息が自然と口からこぼれた。

 

 

 

 明くる日、自宅のベッドで眠っていた女はけたたましく鳴り響く目覚まし時計を壁へ投げつけた後、ようやく身体を起こした。ここ最近でいったい何台もの目覚まし時計を破壊してきたのかは想像もつかない。いや、むしろしたくないのが女の本音である。

 相模東。容姿から推定するに20代前半で、未だ身体は瑞々しさを失わずに、成熟しきっていない。昨今にしては珍しく、髪は染めておらず、黒い地毛のままだ。

 職業はライトスタッフ・エージェンシーなる民間警備会社に勤務するエージェント兼リムジン・ドライバー。現在はわけあって停職中。

 ベッドから跳ね起きた東はその足で洗面所へと向かうと蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗った。その後、朝食の支度を済まし、それにありつく。とは言っても、茶碗に炊飯器で炊いた白飯を盛りつけ、味付け海苔を副食にして胃に放り込む質素なものではあるが。

 先に停職中と書いたが、さらに正確に言えば“自宅謹慎”に当たる。理由は実にシンプルかつ明瞭なものだ。リムジンに乗せた客の一人が文句しか言わず、東は思わずカッとなって殴ってしまった結果、後日課長に呼び出され、怒鳴られるとともに自宅謹慎を命ぜられた——。

 そして、その矢先にあの依頼人である。元より、賞金稼ぎもしているのだから依頼する相手は間違いではないが。

 日本もまた、米国と同じように 賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)制度を近年採用した。裁判所命令が出ている犯罪者を捕まえれば報酬が出る、そういった仕事の内容である。

 が、こういった仕事をしていると時折、脱獄の手伝いを、とかそういった何ともダーティな依頼も舞い込んでくる。何でも屋と勘違いしている節もあるのかもしれないが、しかし、時としてそういった仕事にもありつかないと飯が食えないのも現実だ。

 話を戻し、賞金稼ぎになるには厳粛な審査と試験をパスしなければならない。が、事実上現職や退職した警察官、あるいはそういった技術のある者ならば八割方合格できる。そして、許可証が下りたその日から鉄砲の所持も認可される。

 銃刀法も少々変更された。賞金稼ぎに関係する事柄としては『最高裁からの賞金稼ぎの認可を受けた者はライフル類、または散弾銃等の弾倉には銃刀法に規定された弾数以上の実包を装填してもよい。また、拳銃の携帯および所持も違法とされない』。

 ただし、そういった鉄砲類はすべて自腹になる。しかし、有り難いことに賞金稼ぎの制度が国内で制定されるより遡ること数年前、ある職業とそれを養成する学校が東京湾内にある人工島に設立されたため、鉄砲類の関税が下がっており、非常に購入しやすい価格となった。例を上げれば、米国では362ドルするスタームルガー社製の.22口径プリンキング・オート、Mk.IIIスタンダードモデルが約3万円の購買価格となっている。これには言うまでもなく、円高も大きく関係している。

 食事を済まし、髪をポニーテールに結わえるなど身支度を整えた東は手元にある銃器“すべて”が保管されているコレクション・ルームに入った。中は多数のガンロッカーが所狭しと設置され、その一角には作業用のデスクとデスクスタンドが置かれている。

 内一つのガンロッカーの中から取り出したのは、6インチ銃身のデイヴィス・スモルト――その高精度さで今なお伝説として語り継がれるコルト・パイソンのバレルと確実なアクションに定評のあるS&W・M19のフレームを組み合わせた理想的な六連発リボルバーである。口径はM19そのままの.357マグナム。

 グリップには東の好みでパックマイヤーのSKS・クラシックスタイプ——俗に言うオーバーサイズ・ラバーグリップを装着し、加えてフロントサイトにはレッドインサートが入れられ、視認性が向上している。リアサイトはオリジナルのままのフル・アジャスタブルだが、日本国内で生産されているエアガンやモデルガンなどの模造銃とは違い、しっかりとホワイトラインが入れられている。

 そのスモルト6インチををシャークスキンのビアンキのショルダーホルスターへと納め、ベストのように袖を通す。射場通いはかれこれ三年ほど続けており、もはや毎日の日課だ。

 普段ならばその上に愛用のM65・フィールドジャケット2ndモデルのレプリカを羽織り、愛車のフェアレディ・Zをカッ飛ばして射場へ急ぐところだが、ふと昨日依頼主から受け取った資料に目を通していないことを思い出し、来た道を引き返して自室へと戻った。渡されたUSBメモリはPCの置かれたデスクの上で放りっぱなしになっていた。

 すぐさまオンボロのiBookの電源を入れ、椅子に腰掛ける。ブァーン、という独特の起動音の後、しばらくしてすぐさま青いデスクトップ画面へと変わった。

 そこでUSBを端子に差し込み、中身を確かめる。入っていたのは言わずもがな『Microsoft・Ward』で編集された依頼内容の詳細資料だった。

 軽く読み流し始めたところ、ある一文で東は思わず言葉を失った。

 そこに書かれていた一文は『東京武偵高校』。

 レインボーブリッジ南方に存在する人工島内にて運営されている武装探偵養成のための特殊高等学校である。


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