001.『平穏な学校生活(前)』
鉄筋コンクリートの壁に囲まれた活気に溢れる教室中に、ぱちぱちと手の平を小気味良く打つ音が響く。
「みんな、席に着いて~! 注目~!」
てんでばらばらにお喋りを繰り広げていた生徒たちは、ある者はしゃきっと、ある者はかったるそうに、ある者は慌てて自分の指定席に着席し、教卓と黒板の間で晴れやかに微笑む女子学級委員長に注目する。
教卓の真横で分厚く束ねられた資料を数えていた男子学級委員長は、窓際から順に足を運び最前列の生徒に五、六冊ほどの束を直接手渡していく。
沖縄の旅・三泊四日の修学旅行――中学生にしては、随分と豪華な旅行だ、と小桃は思う。見渡す限り青い海の見える宿泊ホテル、輝くような浜辺、沖縄料理。もちろん観光スポットだって有名なものばかり。美ら海水族館、首里城公園、宮古島、琉球斑、ひめゆりの党、それに沖縄と言えばさとうきび畑――先の大戦で米帝と唯一の地上戦が行われた地と言うことで(今日における大東亜共和国の歴史書(旧日本史)を簡潔に参照すると、血迷った米帝による自滅行為であり旧日本軍の完全たる圧勝に終わった戦い)、年頃の女子としてはいささか不似合いだが、そのどれもが小桃には興味をそそるものだった。
修学旅行は沖縄がいいな、それは小桃が宍銀中に入学して以来、幾度となく口にしてきた台詞だ。宍銀中の修学旅行は、恒例と呼ばれるものがあまりなかった。今回の沖縄の旅も、聞けば五年ぶりと言う。自分たちの代でまさか念願の沖縄に行けるだなんて――小桃は恐らくこのクラスの誰よりも今回の旅行を楽しみにしていた。
女子学級委員長の
その後ろでは、男子学級委員長の
「みんな、どっちから決めたい?」
「はーい、委員長、部屋決めがいいでーす」
悠長な口調でそう言って手を上げたのは、多分このクラスで一番発言率が高い男――もっともそのほとんどが普段はただの茶々入れなのだが――
晶の右隣の席で、野球部の四番バッターで爽やかな坊主頭の
「部屋なんてほぼ決まってるようなもんだろー、自由でいいんだよな?」
「そうね」
千恵梨が緩く編み込まれたふんわりした印象のおさげ髪を揺らして微笑む。
「でも、次の学習班決めはくじ引きだからね」
「えー! くじとかやだー、全部自由でいいじゃなーい!」
サラサラとしたストレートのセミロングを揺らしながら立ち上がって抗議したのは
まあ、私立中学の割に規則が緩いと地元でも話題の学校なので、その程度のことでは改善は当然されなかったのだが。
「渡辺さんの言う通り全部自由でもいいんだけど。でも、せっかくの思い出作りなんだから、たまにはあまり話したことがないクラスメイトとも交友できたら、最高じゃない?」
可愛らしく人差し指を立てながら、千恵梨が相変わらずの華やかな微笑を浮かべ提案する。衣替えに際しておろした染み一つない茶色のブレザーに、清潔な赤いチェックのスカート、長は膝上五センチくらい。
千恵梨はあまり制服を着崩さない生徒だったが、華やかな彼女はきっちりと着こなしたこのスタイルがとてもよく似合っている。
「はーい、あたしは委員長にさーんせい!」
次に声を上げたのは
美海はにこにことアイドル顔負けの可愛い顔で笑いながら、彩音に振り向いて小首を傾けた。
「その方がきっと楽しいよ、アヤちゃん」
「んー、美海ちゃんがそう言うなら、まあいいけどー」
彩音は仕方なしに唇を尖らせたが、なんやかんや美海に笑顔で答える。美海が千恵梨に向き直って茶目っ気たっぷりにウィンクすると、千恵梨は嬉しそうに頬を綻ばせ頷いてみせる。
「オッケー、反対意見はもうない? なら班決めはくじで決定だからね!」
「いいから早く部屋きめようぜー」
剣道部所属の金髪の少年(ほぼ幽霊部員だ。高等部に上がってもどうせ続けないのだから早く引退してやれと、まことしやかに囁かれている)、
「俺さあ、もう眠くてしょうがないんだよね。早く終わらせて少し寝かせてくれー」
「こらこら、授業中だっつーのに」
惣子朗が苦笑し困ったように頭を掻く。そもそも、全く話が進んでいないのだ。
「じゃあ部屋決めるぞ。えーっと、男子も女子も部屋の数は同じで、十人部屋が一つと、六人部屋が二つな」
「えー、お部屋、三つしかないのー!?」
「みんなの部屋荒らし回ろうと思ってたのにぃー!」
今度は天然ボケでムードメーカーの
「三部屋のなにが不満なのよー? 言っとくけど、あたしたちは問答無用で大部屋だからね。わかった?」
「おお、じゃあ夜は枕投げね! 十人で枕投げなんて燃えるわー!」
柔道部に所属する知佳子は力勝負はなにかと血が騒ぐのか、ガッツポーズを作り豪快に笑う。塔子が「よっ、ナンバーワン!」と茶々入れるのを見て、クラス中から笑いが起こる。
「じゃ、泉沢たちは大部屋でいいんだな?」
「ええ、ありがとう、筒井くん」
惣子朗が確認を取りながら、黒板に名前を書き連ねていく。
【女子大部屋:泉沢、香草、佐倉、田無、七瀬、羽村、深手、武藤、幸路】
「一人足りないな」
「あ、じゃあ、誰か私たちのグループに入ってくれる人いるー?」
千恵梨が両手でメガホンを作るようにして声を掛けると、「あ、はーい」と言って手をあげようとしたのは白百合美海だ。
「バカこら、美海はダメに決まってるだろ!」
慌てて美海を制したのは
「いたっ、果帆~?」
「あんたはあたしらと同じ部屋だっつーの」
「そうそう、美海、裏切っちゃダメよ」
美海から二つ斜め前の席で、黒いベストの華奢な背中がくすりと微笑んで振り返る。彼女は
「う……、でもサキちゃん、どっちにしたってあたしたちも一人分空いちゃうよー?」
「まあ、確かにね」
岬は軽く相槌を入れてすぐに顔を前へ戻してしまう。その、右から二つ隣の席で、岬と特に親しい
美海は困ったように果帆を見詰める。
「いや、あたしに目で訴えられても……」
「あ!」美海は今度はするりと左後ろを振り返った。
「紗枝子ちゃん、一緒にどうかな?」
「え……」
いきなり話を振られて
紗枝子はこの春に宍銀中に編入して来たばかりのクラスメイトだった。彫りが深くはっきりとした顔だちで、とても同じ中学生とは思えないような大人びた雰囲気を持っていた。そのため、なんとなくクラスにはまだあまり馴染めていない印象である。もっとも、彼女自身、積極的に交友するタイプではないのだが。
美海が可愛らしく小首を傾げながら紗枝子に微笑むと、紗枝子はじっくりと(なにを考えているのか読めない表情で)その顔を見詰めて、ややして、唇の端を持ち上げながらふっと息を吐いた。
「白百合さんたちがいいなら、お願いしようかしら」
「やったー、決まり!」
美海が嬉しそうに手を叩く。ピンク色のカーディガンの周辺を、美海のふわふわとカールした長髪が動きに合わせて跳ねる。
「委員長ー! あたしたち決まりましたー!」
「了解~」
千恵梨と惣子朗が頷いて、黒板に新しく名前を書き足していく。
【小部屋①:小日向、白百合、間宮、水鳥、八木沼、和歌野】
「女子はほぼ決まりだな」
「そうねー。萠川さんや朝比奈さんたちは、どうする? どちらかが妥協しなくちゃいけないけど……」
「えー、アヤ、絶対マリアたちと一緒がいいー」
オレンジのグロスが塗られた唇を尖らして、またしても不満声を上げたのは渡辺彩音である。
「ねえヒナ、マナ、同じがいいよねー?」
「えー、そりゃ、うん! もちろんだけどー!」
急に話を振られた
「渡辺ー、お前さっきからうるせーぞー!」
そうガヤを飛ばすのは
彩音は旬に抗議の視線を向けたが結局はなにも言わず、すぐに
「あたし、別に委員長たちと同じ部屋でもいいけどー?」
「本当!?」
千恵梨の表情が嬉しそうに輝く。
「うん。だって、朝比奈さんたちのグループ離すの、なんか可哀想だからさー」
「えーやだよー、アヤ、マリアも一緒がいいー」
聖がはあっとため息を吐いて面倒臭そうに彩音に視線を向ける。
「ワガママ言うなっつーの、委員長困ってんぢゃん?」
「あ、あたしたちは別に大丈夫よ」
千恵梨が困った顔に愛想笑いを張り付けると、それが少し気に入らなかったのか聖は僅かに顔を顰め、押し黙ってしまう。百七十センチもあろうかと言う長身と、インクのような真っ黒のアイラインでクールに整ったつり上がる目尻。あまり騒がないタイプなだけに、中々の迫力である。
「ねえ、やっぱりあたし委員長たちの部屋いこうかー? そしたらマリアちゃんたち、二組に分かれられるでしょー?」
「大丈夫だっつーの、美海はもう決まってんだから、気にしなくていいのー」
困った人は放っておけない気質の美海がまたしても提案するが、聖はそれを不機嫌そうに頑固拒否する。バーカと、美海の後ろで果帆がやはり彼女を小突く。
「じゃ、じゃあ、萠川さんは大部屋でいいのかしら?」
「うん、いいよー」
「ちょっと待って」
聖が答えるや否や、今まで沈黙を貫いていた問題のもう一つのグループのメンバー、
「逆に申し訳なくなっちゃって。私、大部屋に行きたいなって思うわ」
「はあ? 別に榎本さんたち三人は固まってればいいと思うけどー」
「別に、一緒の部屋にしようね、なんて話は特にしていなかったし。それに私、一応風紀委員だから、寝る時以外あまり部屋にはいれないと思うの、だから」
それは聖の意地っ張りな妥協(としか見えなかった)より、余程筋が通っているように思えた。千恵梨の表情が軟らかくなって、聖と留姫を交互に見比べた後、留姫を見据えた。
「榎本さん、お願いしてもいいかしら、歓迎するわ」
「ええ、よろしくね」
そのやりとりを見届けた聖が、降参したと言うようにふっと不適に笑んで、異論はないと言うように無言で手を振るう。これにより女子の部屋の割り当ては以下で落ち着くこととなった。
【大部屋:泉沢、榎本、香草、佐倉、田無、七瀬、羽村、深手、武藤、幸路】
【小部屋①:小日向、白百合、間宮、水鳥、八木沼、和歌野】
【小部屋②:朝比奈、鈴茂、都丸、野上、萠川、渡辺】
* * *
「それじゃあ次、男子決めるぞー」
筒井惣子朗がチョークを持ち直して黒板に向き直る。その傍らでは泉沢千恵梨が今し方取り決めとなった女子の部屋の割り当てのメモを教卓で書き写している。
「俺もうマジで眠い! 寝かせろー!」
「授業中だバカ、少し我慢しろ!」
膨れっ面で音を上げる目黒結翔を叱咤しつつ、惣子朗の頭の中では部屋当てのおおよその図形は完成していた。と言っても、女子ほどグループの構造は複雑ではないので、各種グループで割り当ててしまえば自然とこの形に収まってしまうのだが。
「なあ筒井、とりあえずグループ毎に書き出して適当にまとめちゃえばいいんじゃねえか?」
そうして声を上げたのは
「なんなら筒井が勝手に決めちゃっても、誰も文句言わないと思うけどな」
「まあ、それでいいなら俺決めてもいいけど……」
「はいはい、筒井くん! 俺らは小部屋な!」
福地旬である。顔にも耳にもピアスを散りばめた、どちらかと言えば問題児の部類に入る旬の周囲には、やはり同じ部類とも言うべき少し不健全な面々がグループを形成している。
「ああ、福地たちはそれで――」
「いやいや、福地くーん、君たちは大部屋にしてよー」
話を遮ったのは道明寺晶だ。なにかと曲者の口達者、恐ろしく頭が切れるのと女性関係で破天荒な噂の絶えない彼は、クラスの女子にはやや敬遠されているが、整った顔立ちとミステリアスな雰囲気は一見異性には魅力的らしく、先輩・後輩問わずにやたらとモテている男である。
「えー、なんでだよ道明寺ー?」
「いやー、俺らもまぜてくれるとすげえ有り難かったりしちゃって?」
「なんだよそれー」
晶はケラケラと笑いながら、両手を鼻の前でこすり合わせ、頼み込むポーズを取っている。
「あー、アキラ、またなにか悪いこと考えてるんでしょー?」
白百合美海が悪戯っ子のようなチャーミングな笑顔を浮かべて、晶に耳打ちする。とんでもない、と晶は大袈裟に手を振ってみせる。
「美海、憶測でものを言っちゃいけないよ?」
「あはは、あとでこっそり教えてね」
人差し指を唇に当てて、美海が小悪魔のように微笑む。後ろの間宮果帆も意味ありげに晶に目配せしている。
「おいおい、お前ら、男の問題に女が首を突っ込んじゃいけねえんだぜ?」
どんな問題だそれは――惣子朗は心の中でこっそりとツッコミを入れる。多感な時期の健康児としては、男の問題、と言う単語になんとなく心惹かれないわけではないのが、なんとも歯痒い。
「なあ御園、どうするー?」
旬も似たようなことを感じているらしく、グループのまとめ役のような存在になっている御園英吉に答えを求めている。
「俺は別に構わない」
大して興味もなさげに英吉が答えると他のメンバーも頷き、口々に言うのだった。
「いいぜー道明寺、歓迎するよ」
「よろしくなー」
「おう、サンキュー。朔也や直斗も構わねえだろ?」
「ああ、問題ないぜ、よろしくなー」
「ってことで筒井くん、大部屋でよろしくー」
「……一人分空くのは」
「ああ、それは」と言ったのは乃木坂朔也だった。
「なあ如月、お前入るだろ?」
こちらも紗枝子と同じようにクラスに馴染むのが不得意な様子で一匹狼でいることが多く、またあまり表情を変えず仏頂面でいるため、なんとなく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。だが、乃木坂朔也等一部の生徒とはそれなりに会話することも多いらしく、完全な一匹狼でもないので惣子朗もあまり心配せずにいるのだが。
「ああ、そうだな。俺はそこでいい」
仁が頷いたことで、男子の部屋決めは必然的にこのような結果を作ることになる。
【大部屋:秋尾、有栖川、如月、高津、千景、道明寺、乃木坂、福地、御園、譲原】
【小部屋①:金見、菫谷、関根、新垣、本堂、森下】
【小部屋②:小田切、筒井、桧山、目黒、与町、竜崎】
2013/10/06 PM14:06~