我愛羅とナルトの尾獣同士の巨大なチャクラの衝突は、本元の争いが止んでしばらく経った後も、その余韻はすぐには収まらなかった。
わずか数秒の出来事であったが、その衝撃は木の葉隠れの里にいたすべての忍の身に戦慄を走らせたほどだ。
それに中てられた血気盛んな若い忍たちの一部が、木の葉の里中で大小様々な揉め事を引き起こしていた。
「ったく、またあの九尾のガキか…………」
中忍選抜試験開催決定にあたって急遽、増員された警備の忍の一人である年嵩の男は、余計な仕事を増やされた苛立ちを吐き捨てるように、小さく悪態をついた。
ただでさえ今は他国の人間が多数里の内外へ出入りしている現状は、想定外のトラブルも多く、現場で作業している人間は休む暇もなく動き回らなくてはいけないというのに。
今回の暴動一歩手前の騒動の反響は、確実に今夜の警備の仕事にまで響くのは確実であった。末端には騒動の詳細な情報は届いておらず、ただ、人柱力どうしで一触即発の状態であったことを又聞きしただけであったので、そういう意味では彼の不満は正当だった。
自分の衝動すら制御できない未熟な忍たちが起こすだろう無用のトラブルの処理のことを思うと、今から溜息が出るというものだ。
「──そもそも、本当に三代目は九尾のガキを中忍試験に参加させるおつもりなのか」
嫌悪感を隠さずに男はぼやいた。隣に立っていた同僚は静かに答えた。
「今回は砂隠れの方が一尾の人柱力を参加させているからな。……そういうことだろ」
「化け物には首輪をかけておけばいいものを。余裕のない砂と違って、木の葉は人柱力を現場に置く必要はないだろうに」
「三代目は九尾のガキに少し甘いところがあるからな」
「だからあいつは図に乗っているんだよ。忍になったところでちっとはマシになったのかと思えば、結局ろくでもない奴のままじゃねえか」
彼らの口調は滑らかで、明らかに話慣れた話題であることがわかる。
実際、こういった、『九尾のガキ』に対しての誹謗は決して珍しい光景ではなく、彼らのこれも木の葉では日常的に行われていることの一つに過ぎなかった。
今回の件に関していえば、必ずしもナルトが騒動の原因とはいえず、どちらかといえば巻き込まれた形であることは少し調べればわかることだ。
けれど、彼らは実のところ、その事実にはあまり興味がなかった。
ただ、自分たちの仕事が増えたことに対する不満のはけ口として、『九尾のガキ』という存在がひどく便利であっただけのことだった。
文句を言ったところで誰も咎めないし、むしろ木の葉の共通の憎しみの対象として再確認することで、ナルトを迫害してきた自分たちの過去の行いを正当化することもできる。
『ほらみろ。やっぱりアイツはろくな奴じゃなかった』、と。
嫌いな上司の悪口で日々のうっ憤を晴らすように、彼らは日常的にナルトという存在を便利に使ってきたし、そういう意味では好んで、親しんですらいた。
けれど、彼らは決してただの馬鹿でも、愚か者であるとも言い切れなかった。
うずまきナルトを、本当に九尾の狐そのものだと勘違いしている、わけではない。
人柱力という存在が里にとってどのような意義があるのかも、理解はしている。
木の葉にはかつてより九尾の人柱力がいたことは察しがついているし、その人物への心当たりもある。
ナルトが生まれた日に、九尾が暴走したことの理由も、そこから少し思考を掘り進めればわかることだ。
おそらく、四代目が失態を犯して、自分たちがその尻拭いをさせられたことも。
誰も口には出さなかった。
表向きは里のために殉死したことになっている四代目火影への非難はできない。
なにより、彼らは心の底から、四代目火影という存在を尊敬し、慕っていた。
だからこそ、淀んだ行き場のない怒りや悲しみが残った。
彼らは四代目火影を憎むよりも、その命を奪う原因となった存在を憎むことを選んだ。
人柱力といういつ爆発するかも分からない爆弾に対する恐怖も、それに拍車をかけた。
彼らがナルトへ行った迫害に正当性はなかったが、内心で自己を正当化できる程度には正しかった。
けれど、それももう昔のことだ。
いくら大きな被害を被ったとはいえ、十年以上も前のことを強く怨み続けられる人間は、そう多くはない。彼らも言葉で言うほどには、ナルトが憎いわけではない。
ただ薄っすらとした敵意と恐怖が残っているだけだ。
不満を吐き捨てるときに便利だから使っているだけで、極論を言えば不満を言えさえすれば、別に『九尾のガキ』でなくともいい。
もし、ナルトが大きく里に貢献するような事をして、周りの評価が変われば、彼らも抵抗することもなく掌を返してナルトへの評価を改めるだろう。
そうして、どこか小さく後ろめたい気持ちを抱えながらも、新しい英雄の誕生を祝福するはずだ。
『ごく普通の良心的な人間の一人』として。
そう、彼らは確かに良心を持っていた。
少なくとも彼らは、この憎しみを受け継がせないことを選び、そしてそれはもう半ば成し遂げつつはあったのだ。
「ま、どうせ、アイツなんかが中忍になれるわけがないけどな」
「違いない」
やがてひとしきり文句を言って気が済んだのか、彼らの険しかった表情も徐々に和らぎ、陰口への後ろめたさを隠すように殊更に明るい話題に移っていった。
ひっそりと吐き捨てた悪意の行く先は、これまでもこれからも、どこでもない場所に違いない。
月が沈むと、日が昇るのと同じように、彼らはそう信じ切っていた。
ナルトがそれに気が付いたのは、中忍選抜試験当日のことだった。
会場へ向かう途中で、ふと、違和感を覚えたのだ。
理由は、視線だ。
周りの忍から向けられる視線。
当初は、試験前なのでそういうこともあるだろうと気に留めていなかったが、流石に、その数が多すぎた。
忍にしてはあまりにあからさまなソレは、いくらなんでも勘違いとは思えなかった。
そしてその違和感は、試験会場に到着することで、解消されるどころか、更に膨れ上がっていった。
会場の敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の気配のざわめきを、肌で感じた。
待ち合わせの場所に向けて、粘つく空気の中を進みながら、ナルトはこの状況への心当たりを探した。
おそらくは、昨日の騒動がおおまかな原因なのだろう。
そしてナルトは、この視線をかつてより、よく知っていた。
化け物を見るような、恐れを帯びた視線。
ナルトは静かに強張った息をはいた。
昨日の我愛羅とのイザコザが、想像以上の反響となって返ってきたようだった。
相変わらず、未来はナルトの手には負えないままだ。
あのたった一つの騒動だけで、こうもあっさりと姿を変えてしまうのだから。
三代目や大蛇丸の件を考えると、あまり注目されたくないんだけどな、とそう考えて、同時に少し可笑しさを覚えた。
前の時は、まったく逆のことを考えていたからだ。
周囲を窺いつつ、目的の場所に向かう。
「──ナルトっ」
待ち合わせ場所に近づくと、先に到着していたサクラが手を振ってきた。
昨日の騒動のショックからは立ち直っているように見えたが、反動で気負った顔に逆戻りしているように見えた。
ナルトがサクラの様子を観察しているのをどう捉えたのか、サクラはむっ、と眉を寄せた。
「なによ。来ないとでも思ったの?」
そう言われて、ナルトようやくその可能性もあったことに思い至った。
中忍選抜試験の参加は強制ではない。昨日の一件でサクラがまだ自分には無理だと判断していたのなら、試験を辞退する、という選択も有り得たのだ。
あいにく、大蛇丸のことで頭が一杯で、他のことを考えている余裕がなかった。
「──いや、そんなこと考えもしなかった」
「そ。…………ならべつにいいけど」
サクラは、逆に少し照れたように頬を赤く染めた。
べつに殊更に褒める意図はなかったが、ナルトはサクラが心の強い忍であることは既に知っている。
いくら実力差を見せつけられたところで、一度も挑戦もしないまま終わるとは思っていないのは事実だ。
けれど、実際のところ、サクラが思っている以上にこの試験は過酷なものになる可能性が高い。
三代目からは肝心な情報を一切伝えられていないナルトは、そのことをもどかしく思いながらも理解はしていた。
今となってはナルトこそが三代目の足手纏いになりかねないからだ。
三代目に任せると決めた以上は、ナルトは目の前のことに集中するべきなのだろう。
出来る限り危険な相手は自分が対処しよう、とナルトは決意した。
サスケはまだ来ていないのだろうかと思ったところで、その姿を見つけた。
どうやらナルトが一番最後だったらしい。
「よう」
「…………ああ」
集中していたのか目を瞑っていたサスケは、背を預けていた壁から身を放すと、ナルトの方を一瞥することもなく、試験会場に向かって歩き出した。
相変わらず、いちいち動作が気取っているよう見える奴だ、とナルトは思った。
それが普通に格好良く見えてしまうことが、一番タチが悪いのだが。
サスケは、昨日から少し口数が少ない。
リーや我愛羅やネジといった格上の存在が現れたことによって焦りのようなものを感じているのだろうか。
実力差は昨日の一戦で痛いほど理解しただろう。
怖気づいている、というわけではないはずだ。
むしろ格上のライバルが多い方が挑む価値は高いと、そう思っているに違いない。
あまり喋らないのも、中忍選抜試験に強く意識を向けて集中しているからだろう。
そう解釈して、ナルトは一旦、サスケの事を意識から外した。
視線を感じたからだ。
ソレは周囲の窺うような視線とは違い、か弱くもハッキリとナルトに向かって伸びていた。
気配を辿ると、やや離れた場所に紅い髪をした眼鏡の少女が立っていた。
髪は少し前の自分みたいにボサボサで、格好も身綺麗とは言えない見た目だ。
じっと、静かにナルトを見つめていた。その視線がどこか昏く、浮かぶ表情からは怯えと敵意を、わずかに感じた。
わずかと感じたのは、少女の雰囲気があまりに弱弱しいからだ。まるで周囲の全てを怖がる小動物のような様相で、そのせいか、その少女から漏れる敵意もどこか吹けば飛ぶようにか細く見える。
少女の額に、紅い髪に半ば覆われた草隠れの額当てが見えた。
脅威は感じないので無視しても良かったはずだが、ナルトはその少女の紅い髪と自分に向ける表情の意味が、妙に気になった。
けれどナルトが何か行動を起こすよりも早く、少女の連れらしき忍が横合いから現れ、少女に向かって乱暴にがなり立てた。
慌てたように紅い髪の少女はナルトから視線を切ると、引きつった媚びるような笑みを張り付けてその忍の方に走って行った。
「………………」
「──ナルト、どうかしたの?」
サクラが足を止めたナルトを不思議そうな表情で見ていた。
視線を戻すと、そこにはもう草隠れの忍の姿は無かった。
「………………いや、なんでもないってばよ」
明らかに重要度は低く、わざわざ伝える意味もないだろう。
けれど、忘れてしまうには妙に印象的な出来事だった。
ナルトは今見た紅い髪の少女を意識の上から取りのぞきながらも、なんとなく頭の片隅に置いておくことにした。
中忍選抜試験は例年通りに行われると三代目が言った通り、昨日の騒動があったにも関わらず、受験者の面々はすでに問題なく試験会場に集まっているようだった。
少し驚いたことにナルトの同期は全員参加を決めたようだった。
昨日の様子から、もしかしたら猪鹿蝶のトリオは参加を取り止めるような気がしていたからだ。いのはああ見えて現実的な思考ができるくノ一だし、シカマルに関しては言わずもがなだ。そしてチョウジはそもそもあまり受験したいという意思もなさそうだった。
ナルトの意外そうな顔を見たシカマルが言った言葉が印象的だった。
『別にお前が参加するからじゃねーぞ』、と。
それはそうだ。ナルトが中忍試験を受けることと、シカマルが試験を受けると決めることには、まったく関連性がない。
シカマルはライバル云々とか言うような性格でもない。
さらに意外なことに、シカマルはナルトが何か言う前にさっさと会話を切り上げてしまったことだ。
見た目よりもけっこう律儀なこの友人が、相手の返事も聞かずに会話を終わらせたりするような真似をする姿を、あまり見たことがなかった。
いのは軽く手を上げて謝る動作をして、何時も通りののんびりとしたチョウジは軽く手を振ってから、シカマルの後に続いて去って行った。
変な奴だ。らしくもなく緊張でもしているのだろうか、とナルトは少しだけ心配した。
それに立ち替わるようなタイミングで、ヒナタとシノが近づいてきた。
キバはいない。いや、正確には居るのだが何故か若干遠くに離れて、こちらに背を向けている。
この三人も、どうやら参加することに決めたらしい。
シノが昨日は災難だったらしいな、と切り出してきて、そのときの状況を聞いてきたので、少し情報を交換する。ヒナタはいつも通りもじもじしてから、変なタイミングで挨拶をしてきたので、それにも返事をした。
ただそのせいで、会話に妙に間が空いてしまった。
しょうがなく、アイツはなにをしているんだ、とナルトがキバの方を向いて訊ねてやると、ヒナタはよくわからなさそうに首を振った。
シノは少し沈黙してから、突然、意味が分からないことを言い始めた。
「そもそも薄々わかっていたことだ。…………なぜなら、犬は好きなものにほどちょっかいをかけるものだからだ」
ヒナタはそれを聞いてどこか驚いた様子だった。
大方、突然意味不明なことを言いだした同じ班の仲間にびっくりしたのだろう。
シノが回りくどいことを言いだすのは珍しくもないので、ナルトは深く考察することもなく受け流すことにした。
しかしそのナルトの様子が気に入らなかったらしいシノは、再び口を開くと言葉を続けた。
「つまり──」
その続きが紡がれるよりも速く、シノの後ろから手を伸びてきて、喋りかけの口を塞いだ。
何時の間にか背後に忍び寄っていたキバが、真っ赤な顔をして必死な様子でシノの喋りを妨害していた。
「おいブスっ、ちょっと強い奴に注目されてるからって調子に乗るんじゃねーぞ!」
相変わらずのマウントを取ることしか考えない思考回路に、ナルトはどこか安心感を覚えた。この三人は、少なくともキバ一人に限っては、前のときとあんまり変わっていない。顏が赤い理由は不明だが。
ナルトが言い返してやろうとしていると、ヒナタが恐る恐るといった様子で横から口を挟んだ。
「キ、キバ君。ブスはよくない、かも」
シノはもがいて口元からキバの手をどかすと、また口を開いた。
「ヒナタに同意する。そういう言い方は感心しない。なぜなら、悪態をつくことは、好む相手へのアプローチの仕方としては最悪の部類に──」
「黙れっ」
キバに引きずられるようにしてシノが連れていかれる。抵抗していたが、存外に強く引いているようだ。その姿が人混みに紛れていく。ヒナタは軽く会釈をしてから、その後を追っていった。
騒がしい三人組(主に一人)のせいで、どうやらさっきとは別の意味で周囲の視線を集めてしまっていた。
試験に向けて集中していたい奴らにとってはいい迷惑だろうし、そうでなくても血気盛んな奴らを刺激しかねない行為だ。
──ま、いいけど。
どうせ前のときは自分からやっていたことだし、注目に関しても今更だ。
絡まれたら、そのときはそのときだ。よっぽどの相手でもない限り、問題はないと思う。
例外といえば、精々、二人ぐらいのものだ。
その内の一人である我愛羅は、この部屋の中に気配は感じるが、今のところ近づいてくる気はないようだ。
我愛羅は前のときから妙に理性的なところもある不思議な奴だった。
暴走しないように自制しているのかもしれない。
もう一人の方も、どうやら今のところ寄ってくるつもりはないらしい。
ありがたい。正直、あの男が傍にいるだけでどんどん神経が擦り減っていくような心地がする。
ナルトは静かに、試験開始の時刻を待った。
帰宅した瞬間は「そろそろ書くか……♠」って顔してPCに向かうのに、結局一ページも進まずにトイレに籠ってナナチの鳴きまねするしかなかったりするけど、――でもこんな暮らしもまあ、悪くはない、かな?