あとツインテール信者の方にはあらかじめ謝っておきます。
まことにごめんなさい。
喉の渇きと寝苦しさに目を覚ますと、薄暗い部屋と襖が目に飛び込んだ。
上体を起こし、しばし頭を掻きつつボンヤリと周囲を眺める。
やがて脳が起動し始めたが、ここがどこなのかが、どうも分からない。部屋の造りを見る限り、お世辞にもあまり上等な場所ではないようだった。
まだ朝日が昇る前の時間なのか物音のしない静まり返った室内。
服装がいつの間にか寝間着に変わっている。身体には包帯が巻かれ、顔には湿布が幾つも貼られている。誰かが身体を拭ってくれたであろう感覚はあったが、ところどころに汗でべた付く不快感が残っていた。
水が飲みたい。
まずはそんな原始的な欲求が浮かぶ。
布団から起き上がり、少し伸びをする。
血行が巡ってくると、もう少し思考が回り始める。
最後の記憶は倒れるナルトを、カカシが抱きとめてくれたところまでだ。
包帯を解き、湿布を剥がし、部屋の隅のゴミ箱に捨てる。怪我は既に治っているので必要ない。
あれからどうなったのだろうか。
少なくとも、第七班は全員、無事のはずだ。
普段着に着替えて部屋を出て、寝静まった家を音を立てないように歩く。イナリ、タズナ、ツナミ、サスケ、サクラ。順繰りに部屋を巡って、様子を窺う。起きている人間はおらず、皆疲れ切って熟睡している。唯一、カカシだけがどこにも見当たらなかった。
そのあまりの疲弊ぶりに起こすのも憚られ、結局、ナルトは誰も起こさずに台所で水を飲んで一息吐いた。
少し経って洗面台を見つけた。鏡に映る顏はもう腫れが引いている。寝方が悪かったせいか、涙が乾いた跡が頬を這っているぐらいだ。体の痛みも、疲労感もない。
音を立てずに静かに顔を洗って諸々を洗い流すと、少しすっきりとした。
カカシはどこに居るのだろうか。家の中には気配を感じない。
外に出ているのかもしれない。
(なにか知らねえか?)
【さてな】
そうだろうとも。ナルトは苦笑した。一応、聞いてみただけだ。緊迫した様子はないので、焦ることはない。
これから寝直す気にはならず、一度この家から出ることにした。
外に出ると東の空が白んでいた。もう夜明けは近いようだ。
湿った空気と、薄っすらとした朝靄が立ち込めている。
海岸にほど近い場所にある家らしい。海の匂いがする。思いっきり息を吸い、胸いっぱいに新鮮な空気を取り込んでいく。
「起きたか」
声がする方を向くと、家の横に小さな丸テーブルが一つポツン、と置いてあった。そこに腰かけていたカカシが、振り返ったナルトに小さく手を上げた。
態度は何時も通りのカカシだが、至る所に巻かれた包帯がそうではないことを告げている。
近づいていく過程でカカシが『イチャイチャパラダイス』を広げて読んでいることに気が付いたが、特に反応はしなかった。
「カカシ先生、…………体は平気なのか?」
なんともなく、隠された左目を流し見た。写輪眼を行使した後のカカシは、動けなくなってしまう印象があった。しかし、今のカカシはそうではなさそうに見える。疲労感は隠せてしまうにしても、行動不能な様子ではないことは確かだ。
「…………はぁ」
カカシは何故か溜息をついた。
心配したのに酷い対応だ。
本を閉じて胸にしまうと、カカシはなにもかも諦めたような様子で小さく言った。
「…………ま、オレのことは気にするな。全員が眠りこけるわけにもいかないでしょ」
「そっか。ここはどこだ?」
「タズナさんのご友人の漁労長さんの家の一つだそうだ。タズナさんの家は昨日壊されてしまったからな。親切にも寝る場所を借してくれたのさ」
「なるほど……じゃあ」
「まあ待て。一度、すべて順を追って話そう。その方が効率がいい。……オレも聞きたいことがあることだしな」
聞きたいこと、それはあるいは普段のナルトなら緊張してしまう言葉だったかもしれないが、今は妙に落ち着いていた。昨日色々あったせいかもしれない。なるようになる、という感覚があった。
素直に頷く。
「うん」
「……眠気覚ましに少し歩くか。あまり遠くまでは行けないが」
「じゃあ、―――海が見たい」
「……………………………………ま、どこでもいいけどね」
頷き立ち上がったカカシを見て、ナルトはふと、あることに気が付いた。
あの遅刻魔のカカシにこんな朝早くから会ったのだから言わなくてはいけないことがあることに。
ナルトはなんとなく達成感を覚えながら告げた。
「おはよう、先生」
歩きながら、カカシはナルトが気絶して倒れた後の出来事を時系列順に語ってくれた。
あの後、小規模の闘争があったらしい。……そう、小規模だ。
ガトーとその手下のゴロツキどもは皆、片腕の再不斬にすらまったく歯が立たず、簡単に薙ぎ倒されていったらしい。結果として戦いは長く続かず、戦意を喪失したゴロツキの面々はガトーを置いて勝手に方々に逃げていったらしい。それを自国の地理に明るい波の国の面々が虱潰しに各個撃破していった。というのが顛末のようだ。まだ幾人かが森の中に潜んでいるのだろうが、それらがいなくなるのも時間の問題だろう。
何故なら全ての元凶であったガトー自身が、もう既に捕縛されているのだから。
敵味方含めて重傷者も軽傷者も出たが、死人は一人も出なかった。
ガトーも含めて。
結局、ガトーは殺されなかった。
カカシ曰く『死んだ方がマシかもしれない』状態であるが、とにかく辛うじて命だけは許された。
再不斬に嬲られながら全力の殺気を間近に浴びたガトーはあまりの恐怖に気が触れてしまったらしい。今までの悪事を全て洗いざらい告白し、どうか自分を再不斬の手の及ばない場所に連れていってくれと、監獄に行くことを自ら要求しているとのこと。
波の国の人々は、ガトーのその有様を見て、それ以上の報復をすることはなかったそうだ。
タズナが私刑を止めるように説得したのも理由の一つだっただろう。
それではガトーと同じになってしまうからだと、そう言ったそうだ。自分の持つ暴力の力を利用したガトーと変わらない、と。
かくしてガトーは法の下に裁かれることになったそうだ。
金と暴力で成り上がった男の、悲惨な最期といったところか。
けれどここまでくれば、もうナルトには関係のないことだ。興味もない。
再不斬はガトーを殺さなかった。その事実だけで十分だ。
その後、再不斬は意識の無い白と、他の部下を引き連れてどこかに消えたらしい。
ガトーが無力化したからにはもう脅威ではないとカカシは判断し、それを見逃した。
その後はゴロツキどもの残党狩りを夜が明けても続けているのが現状、だそうだ。
「―――ま、こんなところだ」
カカシは一通り話し終えたところで、一旦そう締めくくった。
流石だな、とナルトは思った。聞きたいことが一度の説明だけで全部聞けてしまった。ナルトが納得したように短く返事を返すと、今度はこちらの番とばかりにカカシは話を変えた。
「ナルト、お前はこの結末をどこまで予想していた?」
一番聞きたかったことを単刀直入に聞いた、といった風情。
再不斬にも似たようなことを言われたことを思い出す。
嘘は吐かずに答える。
「予想はしていないってばよ。ただ、こうなればいいなとは思っていたけど」
「…………自分が手繰り寄せたとでも言いたいのか」
カカシの声には僅かに非難の色が見えた。
「違うってばよ。オレの考えがどこまでも甘かっただけだ。こうなったのはただの偶然なんだ」
「サクラからも話を聞いた。お前は、白と再不斬を殺したくなかった。………………いや、違うな。お前は彼らを救いたかった、違うか?」
「…………いや、違わない」
「それは一旦、置いておく。だが、何故それを誰にも伝えなかった。その結果、お前は班員の命をむやみに危険に晒した」
カカシは淡々と言葉を紡いだ。
耳が痛い。
「この程度の状況は簡単に乗り越えられなくちゃこの先どうにもならない、そう思い上がっていたんだってばよ」
未来の記憶があった。そして一度は乗り越えた危機だという慢心も、また同時に。この程度の状況を乗り越えられなくては、この先一体どうやって戦い抜くのかという焦りもあった。
この任務は三代目の力を借りていれば、もっと簡単だったことはナルトも分かっていた。
しかし、それは反面でサスケとサクラの成長の機会を奪ってしまうことになっただろう。
それは近い未来、致命的な失敗となりうるのだ。
未来の知識など、もうすぐに意味がなくなるかもしれない。
音隠れの忍び、砂隠れの忍び、大蛇丸、暁。敵はどんどん強力になっていく。それらに自力で打ち勝っていかなくてはいけなくなるときがもう今にもやってくる。
この戦いは、どうあっても避けては通れなかった。
「―――この先だと?」
カカシが不可解な物を見る目でナルトを見つめた。
「ナルト、お前は一体何を知っている。この先に何を見ている」
今ここですべてをバラしてしまえば、楽になれるのは分かる。しかし三代目から他言無用と言われたことを忘れたわけではない。
視線を外し、しばし、逡巡する。
そして首を振った。
「悪い。言えない」
結局、そう言うに留めた。
「……そうか。分かった」
カカシは失望を見せなかった。しかし、その飾りのない言葉そのものがカカシの内心を表しているように、ナルトは感じた。
少し二人で無言で歩く。
「どのみち、オレも同じ穴の貉だ。……お前だけを責め立てるのはフェアじゃない」
「?」
「そういうことだ」
―――いやどういうことだ?
ナルトは内心で『?』を浮かべまくった。
意味が分からず聞き返したかったがカカシは、それですべて伝わったと言わんばかりの態度だ。聞き返し辛い雰囲気を感じる。ナルトが迷っている内にカカシはさっさと話を進めていく。
「お前は、彼らが本当に救われたと思うか?」
「…………」
「再不斬が本当に殺しを止められると、そう思うか。再不斬も白も人を殺すことしかしてこなかった忍びだ。そんな彼らが別の道を行くのは、容易なことではないだろう。そして彼らが殺しを止めて、野望を諦めたところで、追い忍の追撃は止まるわけではない」
「うん」
「なにより、彼ら自身が犯した罪も、消えることはない」
それはナルトも分かっていた。どんな綺麗事で取り繕ったところでそれは変えられない事実だからだ。
考えた。考えに考えた。けれど、分かったのは自分の無力さだけだ。白と再不斬に対してナルトがやったことはただのエゴだ。それは忘れてはいけない。
だからこそ、言わなくてはいけない。
「でもそれは結局、アイツら自身の問題なんだってばよ」
―――自身の言葉の冷たさに、自分自身で驚く。けれど、それが偽りならざるナルトの出した結論だった。この世のすべてを背負って守ってやることはできない。ナルトにできることはほんの僅かだ。彼らの人生を背負ってやることなど、到底できない。
彼らがしてきたことは、究極的には彼ら自身が背負っていかなくていけないのだ。
ナルトは英雄でも、ましてや神でもない。
「だけど」
そう続けようとして、やはり止める。それを口に出すのは卑怯な気がした。自分が綺麗でいたいから言うだけの言葉になってしまうように感じた。だから、言わない方がいいと思った。
「だけど、…………なんだ?」
カカシが聞き返してきた。なんでもない、と答えようとしたが、カカシの目に懇願するような色が見えた。
思わせぶりに区切ったナルトが悪い。
羞恥を感じながら嘘偽りなく答えた。
「だけど、………………でも、もしアイツらが将来何かに困って、そしてどうしようもなくなってオレに助けを求めてきたとしたら、……そのとき、助けられるだけの力を持った自分でいようって、そう思ったんだってばよ」
「……何故、お前があの二人のためにそこまでする」
「それは、…………オレがアイツらを好きだから」
「アイツら、をか?」
「うん」
迷いだらけのナルトだが、それは確信を持って頷ける。
「初めて会ったときから、オレはアイツらが結構好きだったんだ」
好きだから。どんなに取り繕ってもナルトの本心はたったのそれだけに集約されていた。
きっと本当に最初からだ。あの二人が恐るべき敵だったころから、ナルトは気付かない内にそうなっていた。
その強さに憧れて、その過去に共感し、そしてその結末を悼んだ。
だからこそ、ナルトは二人を助けたかった。
考えが足りなかったし、力もまったく足りなかった。後悔だらけだ。
けれど、やらない方が良かったとは思わない。
もし彼らが今後再び道を踏み外し、外道に堕ちて罪のない人々を苦しめるようになったとしたら、それは結末を変えたナルトの責任だ。
背負いきれなくなるかもしれないその責任を背負うことを、ナルトは受け入れた。
それが誰かを焚きつけた者のやるべきことだと思うから。
「…………オレはお前を咎めてやるべき、なんだろうな」
カカシは溜息を吐いた。
「…………お前は、オレの先生に少し似ている気がするよ」
「え?」
「オレの先生は、よく人からこう言われた。『アイツは無駄なことはしない奴だ』ってね。間違ってはいないが、でもオレから言わせればそれは少し足りない。先生は無駄なことはしない。けれど、無駄ではないと信じたことには―――誰に何と言われようと全力を尽くす。そういう人だった」
「んー……?」
「頑固なところが少しだけ、似ている気がする。…………オレがそう思いたいだけなのかもしれないが」
カカシの言葉の意味をどう解釈するべきか、ナルトには分からなかった。
それ以上の言葉を重ねることなく、二人は無言で歩く。
ナルトはただ、本心を語っただけだ。それをカカシがどう受け取ったのかまでは分からない。しかし、カカシがナルトの語ったことに対して何かしらの結論を得たことは、なんとなく理解した。
森を抜けて、防波堤の先に赤茶けた浜辺が広がっていた。
太陽はもう、水平線から顔を出し始めている。
夜明けだ。
ブーツを脱いで、服の襟と裾をめくり、足を塩水に浸す。
「…………なにやってんの」
「もう少し近くで見たい!」
「あっそう……」
波に逆らって少し進む。直ぐに捲った裾まで水に浸ってしまうが、構うことはない。
足を止め、眩しい光の洪水に手を翳す。
【なぁ、小娘】
(なんだよ)
【お前は英雄にはならないと言ったな】
(うん)
【それは結局、諦めなのではないか? 他者の為に己の夢を捨てるのだろう。つまりところ単なる自己犠牲なのではないのか】
(ぜんっぜん違うってばよ)
【なにぃ】
(犠牲になるなんて立派なもんじゃねー。ただ、そうだな…………オレがそうしたいから、そうするだけなんだよ)
【…………】
(自分が進んでいく道を選んだ理由を人のせいになんかしたくない。だってそんなの勿体ないだろ)
【………………】
(オレが進む理由はオレだけのモンだ。誰にもやらねー)
自分は他人の犠牲になどならない。そう、かつて再不斬の墓前で誓ったのを覚えている。今も、その気持ちは変わっていない。
これからナルトは変わっていく。けれど、その理由は自分がそうしたいからだ。
【……だが】
(なんだよ、まだなんかあんのか?)
【もし誰もが何も諦めなくていい、………………そんな世界があるとしたら? そこではお前も、なにも諦める必要はない。誰もが理想のままに生きられる世界があったとしたら】
(なんだよ急に)
呆気に取られる。
九尾の声が真剣だったので一応真面目に考えてやることにした。
何も諦めなくていいなら、ナルトは男のままでそもそも過去になんか戻ったりもせず、サスケは里を抜けたりもしない。そんな世界があるとしたら、ということだろうか。
つまり前の世界に戻れるとしたら、と言い換えてもいいかもしれない。ついでに女の子にモテモテにもなれるかもしれない。
未だ、あまりに眩しい鮮烈な日々の記憶。
そんな世界に思いを馳せようとして、しかしあまりの現実との懸け離れた想像過ぎて、すぐにやめた。いや、女の子にモテモテなのはこれから現実になるけども、と脳内で訂正はしておく。
そんな世界を考えるだけ無駄だ。なにもかも理想通りの世界などない。故にナルトはここにいるのだ。
(そんな夢みたいこと考えても意味ないってばよ)
【……………………………………………………そうか。そうだな。下らんことを言った、忘れろ】
(いやそこまで反省されても逆に困るけどよ……)
【お前は、ワシの名を聞きたがっていたな】
(んぉ?)
【いいか、一度しか言わん。ワシの名は、…………九喇嘛、という】
(えっ……)
【六道のじじいが名付けた、ワシのただ一つの名だ。まあどう呼んでも構わん。九尾でも狐でも好きに呼ぶがいい小娘】
(…………クラマ)
【…………………………………………………………ふん】
(どういう、字を書くんだ?)
【…………………………後で一度だけ教えてやる】
(一度、に拘るなぁ……)
【黙れ小娘】
(そんで、オレは『小娘』のままかよ)
【お前などまだまだ小娘で十分だ】
(へいへい。…………ま、そうかもな)
ナルトは自分でももっともっと成長しなくてはいけないと、そう思っている。だとすれば九尾に認めてもらえるように頑張る、というのは良い目標の一つなのかもしれない。
クラマ。とナルトは心の深い所まで響くように呟いた。決して忘れぬように。
(これからもよろしくな)
【…………ふん】
九尾と共に、水平線から太陽が現れるのを見る。
月は沈み今日もまた、とりあえず日は昇る。
瞼を刺す痛みすら伴う光の不快さで白は意識を覚醒させた。
まず飛び込んできたのは、水平線から持ち上がる巨大な火の玉だった。
目覚めたばかりの白の目を突き刺すその光に視線を外す。ぼやけた目をしばし彷徨わせると、次に黒い影が見えた。ぼんやりとその辺りに視線を漂わせていると段々と視界が戻ってくる。黒い影だと思っていたのは、逆光に晒される再不斬の背であることに気が付いた。
その背を見ても、何の感慨も浮かばなかった。
小舟に乗っていることに気が付いたが、体を起こす力もない。
何もかも燃え尽きてしまったかのように、何の欲求も浮かんではこなかった。
白は乾いた唇を薄く開いて、横たわったまま、小さく呟いた。
「…………再不斬さん」
「………………ああ」
再不斬は振り返らずに声だけで返した。
白は次に何を言うべきか決めぬまま、再不斬に呼びかけてしまったことにここで気が付いた。
何かを言うべきことがあったはずだ。しかし、疲れ切った意識が付いてこない。焦りすら、浮かべるのが億劫だった。中空に言葉を漂わせたまま、しばし白は次の言葉を探した。
「ボクは…………負けてしまいました」
「そうか……………………オレもだ」
それっきり、会話は途切れる。白は力なく煌々とした太陽を視界の端に置いたままどこまでも広がる海を見るでもなく見ていた。
「なぁ、白」
ふと、再不斬が小さく声を出した。再不斬にしては随分と珍しい覇気のない声だった。白は「はい」と声を掠れさせながら応えた。
「―――これから、どうする」
その言葉を聞いたとき、白に沸き上がったのは自分でも理解できない感情、『怒り』、だった。
再不斬に向かうその感情を、白は慌ててそれを押し殺す。それでも殺し切れなかった感情が、そのまま声に乗ってしまう。
「…………わかりません」
それは普段の白の声音に比べて随分と素っ気ない響きがあった。自分で自分の感情が理解できない。しかし再不斬は「そうか」と短く返すだけだった。
急にどうしてか、白はどこまでも果てしない海を眺めるのが恐ろしくなった。視線を逸らし、再不斬の背を見つめ、結局、舟板に視線を落とした。
「お前は、―――生きたい、か?」
「………………」
死ぬために、生きてきた。どこかで相応しい死に様が待っているのだと信じていた。
今でもまだ、心のどこかでは信じている。しかし、もう今までのような確信が持てないことに、気が付いた。
白は戸惑いながらもう一度「わかりません」と答えた。
再不斬もまた「そうか」とだけ呟いた。
「生きてやりたいことも、ないか?」
やりたいこと。そんなもの考えたことなかった。
そんなものはない。そう考えたとき、痛みと共に、ふとある少女が脳裏に浮かんだ。
あの太陽の化身のような燃え盛る熱を持った少女のことを。
その少女と殴り合った余熱が、まだ体に残っている。
白の心にもまた、同じように燻るような痛みが残っていることに気が付いた。
それは小さな小さな火種だ。しかし間違いなく白の心にそれは灯っていた。
あの少女にもう一度会いたい。
会ってどうするのだろうか。
まさか、殺さないでくれてありがとう、とでも言うつもりなのだろうか。生かしてくれてありがとうなどと。そんな感謝などするわけがない。もしかすると、……恨み言なんかを言ってしまうかもしれない。勝手なことをしやがって、と。
分からない。そんなあやふやな未来など考えたことがない。
けれどもう一度、いつかあの少女の前に立ちたい。
そしてそのときは、せめて虚勢だったとしても胸を張っていたい。
それはほんの些細な願いだ。けれど白が自覚した初めての願いだった。
「一つだけ、あります」
小さな火種に煽られたかのように、白はそう答えた。
「そうか…………ある、かぁ…………」
再不斬はまるで途方に暮れたような力の抜けた声を上げた。
頭を掻いて脱力し、深々と息を吐いた。その弱弱しい仕草を見ると、まるで再不斬の背が一回り小さくなってしまったかのように感じた。
それは白がこれまで一度も見たことのない再不斬の姿だった。
「じゃ、……………………生きるかぁ」
そして観念したかのように、再不斬は霧一つない空を見上げながら呟いた。
「―――――はい」
白はそう答えた。
昼頃になるとツナミが起床して、風呂を沸かしてくれた。ナルトは体を清め、朝から贅沢に湯舟に浸からせてもらった。
少し長湯をしてから上がって洗面台の前で髪をバスタオルで拭いていると、のそのそとサクラが起きてきた。
大欠伸をしながら、ショボショボと目を擦りながら洗面台を目指してゆらゆらと歩いてくる。
そうなると必然的に、洗面台を占拠しているナルトと鉢合わせになった。
「えーっと……」
「―――? あっ」
目が合う。始めは細められていた目が、段々と見開かれていく。
「ナルト! アンタ身体は平気なの!?」
サクラは走り寄ってくると、怪我を探るようにナルトの体をペタペタと触った。
「ひゃっ」
「怪我が、…………ない?」
まだ意識が完全には醒めていないのか、何度も同じ場所を無遠慮に撫でながら、サクラは眉をひそめた。
そしてその流れのままにナルトの頬に手を添えた。
サクラの手が柔らかくナルトの頬の輪郭を撫でた。
「顔の怪我も、治ってる」
「あの」
「なんでアンタより私の方がボロボロなのよ……」
「あ、あの。サクラちゃん……」
ナルトが焦ったように呟くと、どこかボンヤリした様子だったサクラが眉を寄せて、むっとした表情に変わった。
ナルトの顔から手を離すと、じとっとした目でナルトを見た。
理由も分からずナルトは内心で戦々恐々になりながら目を細めて口端をヒク付かせながら笑う。
「あははっ……、あっ、洗面台、使う?」
「アンタが使ってるじゃない」
「オレはもう終わったから使っていいよ」
「終わったって、生乾きじゃないの。これからドライヤーでしょ」
「や、オレってばドライヤーとか使わないから」
「―――――はぁっ?」
ビクゥ。
低い、低い声が響いた。胡乱げな目でナルトをじっと見据えている。なんだろう、妙な威圧感がある。ナルトは半ば無意識に身を引いた。
「あんた何時もそうしてんの?」
「………………そうですけど…………」
返事を自動的に敬語に移行しつつナルトはサクラを窺う。ここ数日もずっと同じようにしてきたのだが、サクラに風呂上りを見られるのはこれが初だったかもしれない。基本的に行動する時間帯が合わなかったせいだろう。
サクラはしばらくナルトをじーっと見ていたが、今度は下を向いて黙り始めた。ナルトは固まったまま、サクラの様子を探る。もう動いてもいいのだろうか。
ナルトがそーっと移動しようとするのと、サクラが顔を上げるのはほぼ同時だった。
「あのさ」
「はいっ」
「――――――髪、私がやってあげようか」
「へっ?」
カミヤッテアゲルってなんだ、と一瞬、素で考え、それが髪をやってあげると言っていることに気が付くまでに五秒。髪やってあげるの意味を理解するのにさらに五秒の時間を要した。
「嫌なら…………べつにいいけど」
…………流石に鈍いナルトでもこれはわかる。
これは、『仲直りの儀式』なのだ。正直、髪の毛なんて適当でいいと思っているし、不潔じゃなければどうでもいいのだが、そんなことは重要ではない。
今、サクラが歩み寄ってくれている。
内容が女の子らしすぎて、若干拒否反応はある。
だがしかし、せっかくサクラの方から動いてくれているのだ。これを拒否するという選択肢はナルトにはない。
「じゃ、じゃあ、お願いしようかな」
そうナルトが言うと、サクラは口元を綻ばせた。
「もうっ、しょうがないな」
サクラはナルトの手からバスタオルを奪うと、優しく丁寧に濡れをふき取り始めた。肩を緊張させながらナルトは鏡越しにそれを見つめる。
「なんなのもう、凄くゴワゴワしてるんだけど」
「…………お風呂に長く入ってたから」
「まさかアンタ、髪の毛を湯舟に付けてたんじゃないでしょうね」
「…………それって駄目なの?」
「はぁああ?」
信じられないとばかりにサクラは瞠目した。
「昨日の殴り合いもそうだけど、アンタもう少し自分を大事にしなさいよね」
「んー……」
別に大事にしていないわけではないのだ。ただ九尾のチャクラがあるせいでどうしても雑になってしまうというか。それが大事にしていないのだ、と言われればその通りなのだが。
サクラは手際良く全体を軽くタオルで拭くと、オイルのようなものをナルトの髪に軽くまぶしていく。ドライヤーで髪の根元を乾かすと、今度は全体を満遍なく温風を当てていく。
凄く手慣れている。ナルトは感心して眺めた。
「こんなの応急処置だからね。髪の毛は毎日のケアが大切なん、だか、ら………………」
滑らかに動いていたサクラの口が止まった。サクラがドライヤーを動かす度にナルトの荒れて指通りが悪かった髪がふわふわと柔らかくなっていく。
ものの数秒辺りでナルトの髪は適度に乾き、綿毛のように広がった。
ナルトは「へー」と思った。
ドライヤー当てるだけですぐにこんなに変わるのか、と。使ったことがほとんどないので、ちょっと驚いた。
「…………………………」
ゴトッ。サクラはドライヤーを置くと、櫛を取り出してナルトの髪を梳き始めた。何故かドライヤーの置いた音が無機質に響いた気がしたが、きっとナルトの気のせいだろう。
サクラが櫛を通す度に、ナルトの髪は真っすぐに伸ばされていく。あっという間に綺麗な直線を描いて地面に伸びた。
完璧に流れが揃ったナルトの髪は陽光を照り返してキラキラと輝いて、少し眩しい。
手入れって意外と簡単なんだな、とナルトは思った。
真っすぐな金髪の少女が鏡越しに無垢な表情でこちらを見ている。
鏡の向こうに居る自分は、まるで別人のようで現実感がなかった。それが自分であることも実感できない。ナルトは少し恐ろしくなった。綺麗だとか、可愛いとか、そういう感情を抱くことを本能が拒絶しているのを感じる。
「ねぇ、ナルト。………………アンタ普段からなにかケアとかしてるの?」
いつもより低い声でサクラは囁いた。寝起きでまだ本調子ではないのだろう。ナルトは首を振った。
「や、なんにも」
「ふーん。そうなんだー」
「…………あの、サクラちゃん? その、櫛が頭皮に刺さって、あの、痛いってばよ……?」
「え、あ、ご、ごめん。ちょっとその、…………憎しみが溢れちゃって」
「に、憎しみが……!?」
「――――ねぇ、ナルト。私以外の人にはちゃんとケアしてるって、そう言いなさいね?」
「な、なんで?」
「いいから」
「は、はい」
かつてない緊張感を感じる……。ナルトは汗をかきながら頷いた。サクラは溜息を吐きながら再びナルトの髪を優しく梳き始めた。ナルトはまた少し緊張しながら固まっていたが、やがて体の力を抜いた。
優しく撫でられているようで気持ちがいい。
「………………むぅー」
「なによ、変な声出して」
「いやさ、他の人に髪梳いてもらうのって気持ちいいんだなって思って」
「はぁ? そんなの子供の頃に誰だって………………」
「…………?」
「……なんでもない。別に、こんなのいつでもやってあげるわよ。どうせこれから任務で一緒になるんだし」
口ごもったサクラをナルトは不思議に思ったが特に追求はしなかった。ナルトは単に、前のときは床屋に行ってもサッと切ってサッと帰るだけだったので髪を梳かれるという体験をしたことがなかっただけだったのだが。
「そっか、ありがとサクラちゃん」
「―――それ!」
「んぁ!?」
「なんでまた『ちゃん』付けに戻ってるのよ」
「……………………あ」
ナルトは昨日、サクラを呼び捨てにしたことを思い出した。どさくさ紛れにそうしたので、呼び方を変えたことなどすっかり忘れていた。
なるほど、サクラがさっき怒った理由はこれだったのか。ナルトはようやく理解した。
「前からずっと気になってた、どうして、いのとかヒナタは呼び捨てなのになんで私だけ『ちゃん』付けなのよ」
「………………」
―――確かに。
好意があからさま過ぎる。ナルトは赤面した。好きな子だけちゃん付けで呼ぶなんて真似を特に何も考えずにやっていたことに今更ながら気が付いた。
昨日は、妙な勢いのようなものがあったから気にしなかったが、改めて呼ぶ状況になると、気恥ずかしい。
いや、とナルトは首を振った。今は同性同士なのだから深く考える必要はない。サスケを呼ぶみたいに、サクラ、と呼べばいいだけのはずだ。男に戻ったときのことはそのとき考えればいい。ナルトは開き直った。こうなれば行くところまで行こう。
覚悟を決める。
「サ、……」
「…………」
「………………サクラ」
呼びながらナルトはそっと両手で真っ赤に染まった顔を隠した。
予想以上に、これは恥ずかしい。
「なんで照れてんのよ」
サクラは呆れたような目でナルトを見つめた。しかしそう言うサクラも少しだけ頬を赤いように見えた。
自然に呼び捨てで言えるようになるまでには、まだまだ時間が掛かりそうな予感がした。
しばらくナルトは下を向いて頬の火照りが収まるのを待った。サクラも黙ったまま、ナルトの髪のセットを続けた。
「ツインテールとか似合う気がするんだけどね」
「いや、さすがにそれはちょっと」
変化の術のときはナルトもそういう髪型を好んで使っているが、自分が常にその髪型が良いかと言われれば確実にノーだ。ナルトの中であの髪型は女の子らしさの象徴みたいな意味がある。悪く言うとブリッ子するとき用の髪型なのだ。
「まあ、確かにアンタの性格には合わないかもね」
「そうそう」
「うーん、じゃあアレかなぁ。アイツと被るからホントは嫌なんだけどねー」
サクラは顔を顰めながら、ビニールで包装された黒い髪留めを取り出した。何でもないハズのそれが、何故かナルトの目を惹いた。中身が新品なのに、その包装だけが妙に年季が入っているように見えたからだろう。
「それって」
「…………これ私は使わないからナルトにあげる」
いつの間にか髪を結ぶことが前提で話が進んでいる。今更ながらナルトはどうしたものかと考えたが、この流れで拒絶できる気がしない。
「あー……いいの?」
「いいの。どうせ子供のお小遣いでも買えるようなやつだから」
そう言ってサクラはナルトの視線から逃れるようにさっさと袋をゴミ箱に捨てた。
また沈黙が流れる。サクラは作業に集中するフリをしてナルトと視線を合わせないようにしているような、そんな不自然さを感じた。
また怒らせてしまったのだろうかとナルトが考えていると、
「昔ね、おでこがコンプレックスな女の子が居たの」
ポツリとサクラが溢した。
「その子は、おでこが広いことを周りの子に馬鹿にされててね、デコリンなんてあだ名を付けられてイジメられてた。だから友達一人居なくて、いつも隅っこで独りで泣いてた。そんなとき、ある女の子がリボンをくれて、それからおでこを可愛く見せる髪型も教えてくれたの。その瞬間、女の子の世界は一変した。それからは友達も出来て、いつの間にか皆の輪に入れるようになった」
「………………うん?」
「でね、同じように女の子の輪に入ってない子がもう一人居たの。おでこのコンプレックスがなくなった女の子は、その子もきっと自分と同じように皆と友達になりたいに違いない、って思いこんでね。おねだりして貰ったお小遣いで髪留めを一つ買って、その女の子に持って行ったの。自分も、自分を助けてくれた女の子のようになりたくてね。……でも、結果は大失敗。もう一人の女の子は、べつに皆と友達になりたいわけじゃなかったから。初めて喋ったその日に大げんかして喧嘩別れしちゃって、結局、ずっとポケットの中で握りしめていた髪留めは渡せないままで。…………でもその女の子は、せっかく買ったそれをどうしても捨てられずに、未練がましくずっと机の奥に仕舞ったままにしてた」
唐突に始まった話は唐突に終わった。
結局、何についての話なのだろうか。ナルトは内心で首を捻った。
話し終えるとサクラは唇を結んで、緊張した様子で鏡越しにナルトを見つめていた。
ナルトは、正直よくわからなかったので、目を細めて「へー」とだけ相槌を打った。
サクラは頬を染めながら、頬を膨らませた。
しかしすぐに口元を綻ばせるとピンときていない様子のナルトを笑った。
「………………もうっ」
しょうがないなぁ、というようなそんなふうな柔らかい笑い方だった。
「―――どう?」
サクラがやや得意そうにそう訊ねた。
ナルトは、鏡に映った自分の姿を唖然と見つめた。
確かにこの体は、自分の体ながら客観的に評価すると悪くはない容姿をしていることを知っている。
しかし、どことなく男っぽいというか、子供っぽいというか、以前の自分はそういう男だったときと変わらないと感じることができるギリギリの容姿をしていた。
しかし、これはもうその範囲を完全に逸脱してしまっている。
艶やかなハイポニー姿の少女が鏡の中に立っていた。今までは前髪に隠れがちだった勝気な目も、長い睫毛も、サクラが整えてくれた眉毛も、この髪型ならよくみえる。……見えてしまう。
―――可愛い。
ナルトは奇妙な敗北感と共にそれを認めた。活発そうなスポーツ少女っていう感じで、まだナルトのストライクゾーンの年齢よりは若干幼いものの、その内に秘めたポテンシャルは存分に感じる。
ご丁寧に額当てを付けやすいように前髪を上げてくれているし、ポニーテールも結び方はそれほど難しくないらしい。至れり尽くせりで、サクラが色々気を配ってくれているのがわかる分、文句も言えない。
髪の毛をどうしていいかわからないと感じていたのは確かなのだ。額当てを付けるときも邪魔になりがちなのに、男の時と違って短く切ればいい、というわけでもないからだ。サクラが教えてくれたやり方ならば、ナルトでもできなくない。
抵抗感を除けば、悪くはないのだ。
「………………あんまり良くなかった?」
「や、全然、そんなことないってばよ」
少し、考えを改めよう。
そもそも、ナルトの格好が少しばかり女の子っぽくなったからって誰か困るというのだろうか。普段は鏡でも見ない限り自分では意識しないし、他の人間もナルトの見た目などに大した興味などないはず。
―――少し自意識過剰だったかもしれねぇ。
少し容姿が変わろうがナルトの精神は男のままだ。一度殺され、生き返ったと思ったら過去に戻っていた上に女になるというとんでもない経過を経てここに居るのだ。いまさら髪を結ぶぐらいなんだというのだろうか。
折れかかっていた膝を堪え、そしてぎゅっと握りこぶしに力を込めた。
一度だけ深く息を吐き、視線を上げて再び鏡に向かい合う。
確かに鏡に映った自分は、今までの自分とは多少違う。しかしそれだけだ。ヤバイ扉を開けかけているとか、ズルズルと流されて感覚がマヒし始めているとか、そんなことはないのだ。
―――大丈夫。
そう内心で唱えると、本当にたいしたことではないような気がしてきた。
ナルトは己の精神的な成長を感じ、唇の端を持ち上げた。
と、後ろで扉が開く音が聞こえた。
「あ、サスケくん」
その瞬間、肌が泡立った。
――ナルトは地面を蹴ると素早く反転し、壁に背を付けて頭を手で隠した。コンマ数秒の神速の動きであった。
振り返った視線の先には、壁に片手を付いた体勢のサスケが居た。
寝起きなのか、疲れのせいか、あまり機嫌の良くなさそうなしかめっ面をしている。
まだ見られていないはずだ。ナルトは背中にじっとりした汗を感じながらそう判断した。
「…………サクラと、……ナルトか。……っぐ」
「だ、大丈夫? サスケくん」
目の辺りを押さえたサスケにサクラが駆け寄っていく。
慣れない写輪眼を酷使し過ぎたせいだろう。三人の中ではサスケが一番体調がよろしくなさそうだった。意識が完全に覚醒していないのか、妙に据わった目をしている。
「まだ寝てた方が」
「問題ない。……それよりナルト。お前には聞きたいことが………………なにしてやがる」
「い、いや。なにが?」
サスケは訝し気に壁に背を付けたナルトを見つめた。
振り返ったサクラまでも不思議そうな顔をしている。
ナルトは急に現実を思い出した気分だった。自分は女になってしまい、そしてついにこんな女の子らしい格好まで許容し始めているという、恐ろしすぎる現実を。
―――ぜんっぜん、大丈夫じゃなかったってばよ……。
受け入れなければいけないことはわかっている。わかっているが、その事実に感情がまだ追いついていない。
今はまだ、サスケの前でこの格好のまま平静でいられる気がしない。せめて自分を慰める時間が欲しい。
頭を隠し壁に背を付けながらナルトは目を動かして逃げる場所を探す。しかし、退路はサスケの背後だ。
「………………まぁいい」
頭痛がするのか顔の辺りに手をやりながら、少し覚束ない足取りでサスケがナルトの方に歩いてくる。どうやら珍しいことに、サスケは少し寝ぼけているようだ。
追い詰められたナルトは背を反らして壁に身体を密着させる。
「まずは、てめぇはなぜ写輪眼の開眼法について知っていやがった」
「あー、それな……」
その問いも大分やっかいだったが、それ以上にナルトはこの状況を一旦逃げ出したかった。助けを求めるようにサクラの方に視線を滑らせる。
視線が交わると、サクラが何かを察したような表情に変わった。
「あー、……………………私、ちょっとカカシ先生呼んで来るね」
「ちょ」
―――違う。
そう言うよりも早くサクラはくるりと背を向けて部屋を出ていった。
そしてナルトが動揺している間もサスケは止まらずに距離を詰めてきていた。ナルトがサスケに視線を戻したときには、サスケはナルトを下からのぞき込むような位置まで接近していた。
顎を上げてなんとか壁と同化しようとするナルトと、少し屈むような体勢で壁に手を付いている状態のサスケ。
気が付けばとても変な体勢になってしまった。多分、ナルトが男のままだったなら胸倉を掴まれていたのだろうが、あいにく今の性別は女なのでこんな状態になってしまったようだ。
壁とサスケの手に囲まれてしまっていて、両手が塞がったままのナルトには抜け出せない。
「写輪眼について、知っていることを全て話せ」
―――なんも知らねぇ……。
ナルトは途方に暮れた。本当に真剣でまるっきりこれっぽっちも知らない。というより間違いなくサスケの方が、写輪眼の知識はあるはずだ。ただ、その真実を伝えてもサスケは納得しないことだけはわかる。
どうしたものか。ナルトは若干つま先立ちしながら思考を巡らせようとするが、焦って上手くいかない。
その間もサスケの雰囲気がどんどん剣呑になっていく。
「オレの一族の血継限界だ。それを知る権利ぐらいオレにはあるハズだ」
「いやー、なんというか……その話、後にしない?」
「駄目だ。今ここで答えろ」
サスケがさらにぐっと顔を近づけてくる。逃がさない、という意思を感じる。
逃げられない。ナルトは冷や汗を浮かべる。
一体、なにをやっているのだろうか。ナルトは客観的に自分を見て泣きたくなってきた。
この間抜けな状況のなんと情けないことか。一体、なんの罪があって自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。
そして時間を掛ければ必然的に、サスケの視線がナルトの指に留まってしまった。
「…………さっきから何を隠していやがる」
「べつになにも」
「おい――――てめぇ、まさか昨日の怪我がまだ」
「いやいやっ、全然そういうアレじゃ」
「…………見せろ」
サスケは据わった目のまま、ナルトの腕を掴んだ。
ナルトは抵抗しようとしたが、サスケの指は外れない。その目には苛立ちと、そして心配の色もまた、わずかだが浮かんでいるようにも見えた。
うっ、とナルトは顔を顰めた。そんな目で見られると罪悪感が沸く。
この後の凍った空気を想像しながら、ナルトは抵抗するのを諦めた。
手を下ろして、頭を隠すのを止める。ナルトの視界の端でポニーテールの先端が揺れているのが映った。
サスケの半眼が、見開かれた。
「………………………………………………………………………………………………?」
「へ、変か…………?」
テンパってよくわからないことを聞いてしまう。
無言無表情で目を見開きながら固まっているサスケ。想定外な状況に脳の処理が追いついていないようだった。
人生最悪の羞恥プレイが始まった。
予想通りの地獄のような空気が流れる最中、突如、サスケの見開かれた両目の瞳孔が、赤く染まった。サスケの眼が何の前触れもなく写輪眼に変わったのだ。それを至近距離で見ていたナルトは、「うぉっ」、と悲鳴を上げ、壁に頭をぶつけた。
瞳孔がすーっと赤く彩られていくのを直近の距離で見てしまった。
普通に怖いし、普通に引いた。サスケの表情に変化がない分、余計にホラー感が強い。
「サスケ、目、目」
「っ…………ぐ」
再起動したサスケが慌てて目を押さえて止まる。
多分、写輪眼が開眼してまだ日が浅いせいで操作がやや不安定なのだろう。疲労のせいもあるはずだ。ただ、それにしても驚かされた。
サスケが目を閉じていた間に、ナルトは息を整えた。
若干、自分は写輪眼がトラウマになっていることにナルトは気が付いた。写輪眼を見ると悪い意味で胸がズキズキし始める。別に取り乱したりはしないが、あまり近くでは見たくないかもしれない。
しばらくして目を開けたときには、また元の黒目に戻っていた。ナルトは人知れずほっと息を吐いた。
「大丈夫か?」
「………………ああ」
これだけでもチャクラを使ったようで、サスケの頭がまた若干ふらふらしている。どうやら結構恥ずかしかったようで頬を赤く染めたまま、支えていたナルトの手を振り払った。
まあ、勝手に写輪眼が発眼してチャクラを消費してしまうなんて、プライドの権化たるサスケに取っては恥ずかしかろう。お漏らししてしまう子供みたいだとからかってやろうとも思ったが、流石に可哀想すぎるので自重してやった。
しかし、その想像のおかげでナルト自身の羞恥心もある程度は相殺できた。恥ずかしいが、逃げ出したいほどではなくなった。
「…………下らねえ真似するんじゃねえ」
「……ごめん」
下らないというよりも意味不明な混沌とした空間のような感じだった気がしたが、ナルトは素直に謝った。
真面目な話をするような空気ではなくなってしまった。
サスケは頭をガシガシと掻きながら、洗面所を出ていった。
どうやら危機は一旦は逃れたようだ。今の内にまた問い詰められたときどう誤魔化すか考えておかなければならないけども。
「ね、姉ちゃんが、姉ちゃんが、……きれい?」
「おい、それは結構失礼だってばよ?」
普段が汚いみたいではないか。一応、ナルトだって汚れ等にはちゃんと気を遣うぐらいの男子力はあるのだ。
一瞬、戸惑った様子のイナリだったがすぐに順応してナルトに飛びついた。ナルトも窒息するぐらい思いっきり抱きしめ返してやる。
「ねーちゃん!! ボクやったよ!」
「ああ、見てたぞ。凄かった」
「えへへっ」
無事でよかったとは言わない。男と男にそんな言葉は要らないのだ。
【貴様は男ではない】
(うるさい)
無粋なツッコミは無視して、イナリの頭をくしゃくしゃになるぐらい撫でてやった。あの捻くれた態度が嘘だったかのように、素直にイナリはそれを受け入れた。
「今日も釣りに行くのか?」
「…………ううん、しばらくはいいかな」
「あれ?」
イナリはナルトから離れると、少しだけ精悍になった顔で笑った。
「橋が出来たら、父ちゃんに報告に行く! けどそれまではもういいんだ」
「そっか?」
「うん! 橋の工事、ボクも手伝うから。……ボク、父ちゃんやじいちゃんや―――姉ちゃんみたいにカッコいい大人になりたいから。だから、いいんだ」
「……そっか」
もう十分イナリは格好いいとナルトは思った。けれど、そんなことは言うべきではない。きっともっともっとイナリは成長していく。もしかしたら、ナルトにはなれなかった本当の英雄にだって、いつの日かなってしまうのかもしれない。それを眩しく思いながらナルトも笑い返した。
「だから、…………待っててね姉ちゃん」
「待たない」
「えっ」
「…………追いかけて来いってばよっ」
拳を胸にとん、とぶつけてやる。
きょとんとした表情のイナリだったが、すぐに真剣な表情に変わると、「うん」と重々しく頷いた。
ナルトも、笑ったりしない。
簡単に追い抜かれてなどやるものか。ナルトだってまだまだ進んでいける。
せいぜい追いかけ甲斐のある大人になって、イナリの前を走り続けてやろう。
少し格好つけたやり取りを終えると、二人で気恥ずかしさを払うように笑い合う。
「わあっ、に、忍者がいるよ!」
子供特有の甲高い声が遠くから聞こえた。
イナリと同い年ぐらいの少年たちが、いつの間にか集まってきていた。ナルトからやや離れた位置に立って、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。どいつもこいつも生意気そうな面をしていて、将来有望だ。
「うわぁ、本物の忍びだぁ」
「昨日の女の人だよっ」
「い、イナリ! こっちに来いよっ」
ナルトが怖くて近寄ってはこれないようだ。
遠くからイナリを呼んでいる。ナルトがその集団に指を指すと、一層騒がしくなる。
「あれは?」
イナリもやや戸惑ったように、
「昨日、その、約束したんだ。橋の工事の時間になるまで一緒に、その…………なんかやるって」
と言った。
「ふーん」
ナルトは頷いた。昨日ナルトと別れてからイナリも色々あったらしい。これもまた前とはちょっと違う未来の形だ。
まあ、街の中ならばもう危険はないだろうし、時間的にもそう遠くにはいけない。
ナルトはイナリの背を押してやった。
「行って来いよ」
「……うんっ、姉ちゃん、またあとでね」
イナリがナルトの下から走り去って、騒がしい集団に混じってあっという間に街の方へ消えていく。それを少し寂しい気持ちでナルトは見送った。弟が居たなら、多分、あんな感じなのだろう。
―――そう言えば。
かつて、波の国に造られた橋の名前は『ナルト大橋』と名付けられたそうだ。風の噂でその話を聞いたときは、嬉しいような面はゆいような、そんな気持ちになった。
そして、なにより誇らしかった。
でも、今度はどうなるのだろうか。
また同じように『ナルト大橋』になるのだろうか。それとも、今度はまったく違う名前が付けられるのだろうか。遠ざかっていくイナリの背を見つめながら、ふと、そんなことが思い浮かんだ。
ナルトはそれを知るのが少し楽しみだった。
未来は変わっていく。
けれど、ナルトはもうそのことから決して目を逸らさない。
「ご報告が一件あります」
火の国から遠く離れた、とある秘境。
無数の実験器具が立ち並ぶ、岩肌が剥き出しの異様な広さの大部屋。中は薄暗く、光を通す窓一つない。
灯された蝋燭が頼りなく周囲をぽつぽつと照らしている。
訓練された忍びでも、この中を完全に見通すのは難しいだろう。
その目が蛇の目でもない限りは。
「波の国のマフィアに任せていた『醒心丸』の原料プラントが、木の葉に潰されてしまったとのことです」
男は闇に言葉を投げ掛ける。しかし、返答はない。
「そしてプラントの破棄も完全に間に合いませんでした」
蝋燭の火が、揺らいだ。
いつの間にか、男の近くの壁に黒い影が浮かびあがった。それは揺らめく火のせいかまるで人の影とは思えない、まるでのたうつ蛇のように男に這寄って来た。
声が響く。
「………………ぬかったわね。カブト」
「申し訳ありません」
カブトと呼ばれた男は膝を突くと見通せない闇に頭を垂れた。
「まさか、木の葉がこれほどまでに迅速に動くとは全く予想できませんでした。これはボクの失態です」
「………………」
蛇の影は鎌首をもたげて男をのぞき込んだ。まるで品定めするような、いますぐにでも飛び掛かってきそうな、そんな動きだ。男は汗を浮かべながら、しかし体勢は崩さない。舌先が男の頭上を掠めた。
「…………まぁ、いいわ」
蛇の影は引き、男は小さく息を吐いた。
「どのみちあれはもう用済みだった。切り替えは用事が終わった後にするつもりだったけど、この際もういらないわ」
「ありがとうございます」
「新薬の製造に移りなさい」
「はい。すでに稼働準備を進めております」
「そう……」
男は立ち上がって、持っていた紙を捲って今後の製造スケジュールを述べ始めた。内容は全て記憶してはいるが万が一のミスも許されない。
伝え終えると、影は満足そうに「ではそのようにしなさい」とだけ告げた。
「でも、木の葉如きがアレに気が付くなんてね。少しだけ気になるわ」
「ええ。それにあの方のリークも一切ありませんでした」
「知っていて黙っていたのか。あるいはあの男ですら、―――出し抜かれたか」
「……恐らく、後者だと思われます。このプラントの破壊は彼にとってもデメリットでしかないはずですから」
「……………………」
男は次に何かを告げられるよりも早く、資料を捲って一つの写真を取り出した。そして闇に向かって一枚を放った。受け止めた音だけが静寂が占める部屋に響いた。
「うちは……サスケ」
「ええ、貴方のお気に入りの一人ですね。しかし、実際にプラントを発見したのは別の二人の忍びです。一人ははたけカカシ。あの噂に名高いコピー忍者です。そしてもう一人が、そのとき随伴していたうずまきナルトという下忍です」
「…………うずまきナルト?」
影は訝し気にその名を繰り返した。それはその名に驚いたというよりもその名前を単に記憶していないからゆえの疑問だったようだ。少し間を開けてから、影は思い出したように呟いた。
「あぁ…………九尾の餓鬼ね」
「ええ。監視役の報告によれば彼女が表向きの任務の方でも重要な役割を担っていたとか」
「ふぅん」
興味なさげな声。
暗がりから、蝋燭の火が届く場所に男が現れた。病的なまでに青白い肌をした、不気味な目をした痩身の男だ。
歳は壮年のようにもあるいは若々しい青年のようにも見える。
一見、ただの優男な外見だがその隈模様に縁どられた目が、明らかに異様な光を放っている。
「人柱力の餓鬼がまさかサスケ君と同じ班員とは、ふふ。三代目の考えそうなことね」
「………………」
「前見た時は才能なんてまるで無さそうに見えたけど」
男は手に持った写真を蝋燭の火にくべた。乾いたそれは、瞬く間に燃え広がっていく。
「ま、どんな才能があろうと興味はないわ。四代目の血もうずまきの血も、うちはの血の魅力には到底及ばないもの。…………それにどうせ」
指で庇って燃え残った写真にはサスケの姿だけが残っていた。それを見つめながらその男―――大蛇丸は邪悪に嗤った。
「暁に殺されちゃうんだものね」
あとがき
ナルト「よし、白と再不斬生存させた上にサスケとサクラも前以上に強くなったってばよ! そしてオレもちょっとは強くなれた!」
びーぶー(警戒音)
音の勢力が貴方に注目しています。
木の葉のある勢力が貴方に注目しています。
―――の勢力が貴方に注目しています。
カカシが貴方に―――を抱きました。今後のルートに影響が出ます。
裏ルート白生存ルートが達成されました。『難易度が上がります』
ナルト「」
NARUTOの世界は上には上が居続けるのでどんなに強くなろうと敵もそれに合わせて強くなるのでつまり常に白熱した戦いが見られるんだ! やったね!
因みこの世界を司る神は、鯨の形してたり心臓の形をしてたり雛見沢におわしてたりするよ! 皆の好きな邪神を想像してね!
今後の予定
短編幾つか挟んだら、(たぬき編)と(ほね編)を予定してます。大丈夫だ、プロットはできてる。