波の国に到着したのは丁度昼頃に差し掛かるころだった。あれほど濃密な戦闘であったが、結局時間的に見れば到着した時刻は以前とさほど変わらない。日が強くなるにつれ霧も晴れかかっており、エンジンを切った小舟がゆっくりと進む水路の両端にマングローブと木の小屋が立ち並ぶ景色が見える。
観光していたなら感嘆符の一つや二つは出ても損はない光景だ。
だが、小舟にしがみつくように座っている面々の顔には、心動かされた様子はない。
船は町はずれのタズナの家に止まる。目的地に着くなり、漕ぎ手の二人は逃げるようにして去っていった。
家に入り、中に居たタズナの娘のツナミに挨拶を済ませる。疲労困憊の様子のタズナ、血だらけのナルト、カカシに背負われたサスケといった様子を見て事態を悟ったのか、ツナミは驚いて声を失ったようだった。道すがら傷の簡単な手当は済ましてある。ナルトたちは家に入るなり、倒れるようにして休息を取ることにした。
流石にナルトも大分疲れを覚えている、横になって体を休める。
体を横たえながら、ナルトはこの次はどのように戦うかを考えていた。間違いなく今度は完全に対策を練ってからやってくるだろう。防御していたとはいえ螺旋丸を喰らったダメージからの回復するまでの時間も含めて、猶予は幾らか存在する。それこそ前の時と同じぐらいはあるはずだ。
―――ただ、次は勝てばいいって戦いでもねーしな………。
やるべきことは二つ。
白を死なせないようになにか手を考えること。そしてサスケとサクラを最低でも以前と同じぐらい、できればもっと強くなってもらうこと。
どうするべきか、気が焦ってしょうがない。体力も気力も疲れはあったが、できれば今すぐにでも修行を始めたかった。
目は閉じていたが、眠れる気はしなかった。
ナルトたちが起き上がったのは太陽がすでに真上を過ぎたころだった。
洗面台にて傷の様子を確かめる。鍵爪で頬に刻まれた傷がもっとも大きい。しかし傷は塞がりつつあった。自分の顔とはいえ女の子の顔に生傷があるのは気分が良くないのだが、この分だとすぐに目立たなくなるだろう。九尾のチャクラのおかげだ。気を取り直し顔を洗うと、幾分気分も晴れた。
―――サンキューサンキュー。
脳内でお礼を言うと、即座に返事が返ってくる。
―――黙れ。
こいつ意外とノリがいい奴なのではないかという疑惑を持ちつつ、ナルトは居間に戻った。
居間の空気ははっきりと重苦しかった。
「まあ、しかし、これで、相手も超懲りただろう。簡単には襲ってこなくなるのではないか?」
取り成すようにタズナが苦笑いした。
「そうであればいいのですが、そう簡単にはいかないでしょうね」
カカシはバッサリと切って捨てる。
「そ、そうか」
タズナは手ぬぐいで汗を拭きつつ、頷く。
実際のところ、その通りなのだから希望的観測をさせないためにあえてそうしたのだろう。それはカカシが緊迫しているからなのだろうか。ナルトは疑問を持った。
カカシはいつものなにを考えているかわからない顔だが、それがつまりいつも通りの平常、ということなのかどうかはわからない。ナルトにはその表情の下は見通せず、推測することしかできない。
「ナルト、傷の様子は平気か?」
「ん? ああ、大丈夫だってばよ」
「そうか、ま、全員そろったことだし、これからのことを少し話し合っておくか」
「―――これからのこと?」
サクラが暗い顔を上げて、疑問を口にする。その声は普段よりも随分小さい。
「ああ、つまり、任務を続けるかどうかって話だ」
「っ!!」
緊張した面持ちでタズナが息を飲んだ。
「………まあ、そうじゃな。わしは、お前たちを騙した。むしろここまで護衛を続けてくれていることを感謝しなければならないだろうな………」
「いえ、違います」
自嘲するタズナを軽い様子で否定する。
「え、な、なに?」
「ま、それもそうなんですが、そもそももっと根本的な問題として我々にこの任務を遂行するだけの能力があるかどうか、まずはそこを考えなければなりません」
そう言うと、カカシはサクラとサスケを順繰りに眺めた。そして最後にナルトに視線を送る。ナルトは動揺しながらも、視線を返す。
「ハッキリ言って、この任務、オレは今のままでは達成困難だとみている」
「………」
カカシの言葉に対する反応は全員の沈黙だった。言葉にしなくても、それは肯定に等しかった。
サスケは苦々しく眉を寄せ、サクラは再び顔を俯かせる。
「単純な戦力で見れば拮抗しているがそれは相手も理解したはず、策を存分に練って万全を期して奇襲してくるだろう。そうなってくると攻められるこちら側が不利になる。なぜならこちらには護衛対象がいる上、位置もバレバレだ。こういう場合、あくまで迎撃に拘るなら、最低でも相手より総合的な戦力で抜きんでている必要がある」
「………うん」
ナルトは頷く。付け加えるなら、敵の基地を探してこちら側から攻める手もあるが、優れた忍との戦いでそうするのは非常に難度が高い。
「だが、現状はそうではない」
断言する。
カカシは指を二本持ち上げて見せた。
「だったら二つに一つ、―――任務を諦めるか、こちらの戦力を上げるか、そのどちらかだ」
さてお前らどうする? と、その瞳で語っていた。
即座に反応したのはサスケだった。カカシを睨み付けるように鋭い視線を向けた。その表情は屈辱によって歪んでいた。
「決まっている、オレはやられっ放しで終わるつもりはない」
なんだってやる、そう表情が言っていた。
「私は………」
サクラは言葉を淀ませた。
ナルトはそのとき気が付いた。机の下のサクラの手が酷く震えているのが見えてしまったのだ。
―――怖がっているんだ。
あんな戦闘があった後だ。こうなっても不思議ではあるはずがない。そんな単純なことをこの瞬間まで見落としていた。以前のサクラのイメージに引っ張られて、勝手に大丈夫だと決めつけていた。
まだこのときのサクラはそこまで強くはないのに。
「サクラちゃん、大丈夫か?」
思わず声を掛けると、ナルトの視線に気が付いたのか、サクラは頬を赤らめて、両手を強く合わせて握った。だが、視線は逸らされ、いつものように睨み付けてくることはなかった。
「もちろん任務は最後までやります、私だって忍ですからっ」
半ば勢いと虚勢交じりの声なのは明らかだったが、カカシはただ頷いた。
「わかった、じゃ、時間がない、すぐにやるとしようか」
全員が立ち上がった。
「あ、それと、ナルト」
「ん?」
「お前には別にやってもらうことがある」
「これが木登りの修行だ」
木の太い幹にカカシは、事も無げなく逆さになって『立って』いた。
髪が逆立っているのを除けば、まるで地面に立っているかのように見えるはずだ。
「これはチャクラのコントロールを強化する修行法だ。足に集めるチャクラの量は極めて微妙、足の裏はチャクラを集めるのにもっとも困難な部位でもある」
そのまままた幹を伝って下まで降りてくる。わかりやすいように垂直の姿勢で、重力を無視しているかのように動く。もちろんあえてやっているのだが、この動きを実際にやろうとすればチャクラコントロールだけではなく腹筋とか背筋とかが必要になる無駄動作だ。ただ、見た目上のインパクトは大きい。
「よっと………、うん、まあこんな感じだ。さ、やってみろ。さっきオレが登ったところまで登れたら合格だ」
わざわざパフォーマンスしてみせたのに明らかに不満そうな二人。カカシは頬を掻いた。
「こんな修行がなんになる………、って顔だな二人とも」
「だって木登りが上手くても、戦闘にはあんまり役立たないじゃないですか」
「それは違うなサクラ」
カカシは首を振って見せた。
「そうだな、例えば、もしサスケがこのチャクラコントロールを習得してたとしたら、あそこまであの黒髪の少年に圧倒されることはなかっただろうな」
「……………」
「あの船上での戦いの一方的な勝敗は、決して慣れや経験だけの差じゃない。もし木を足だけで登れるだけのチャクラコントロールがあれば、あのように不安定な足場でも平時に近い状態で戦うことができただろう。もちろんチャクラコントロールってのは忍術の発動にも、とても重要なことだ」
「なるほど、つまりこの修行は」
「そう、戦闘力の総合的な上昇が見込めるってことだ」
「なるほどな………」
サスケは納得がいったのか頷くと、木に向かい合った。
「ちなみにナルトも先の戦闘でこの技術を使っていた」
「………っ」
サスケの背中から闘志が溢れるのがはっきりと見えた。
―――わかりやすい奴だ。
仲間内での対抗心を煽るのは制御が難しいのだが、しかしそれでやる気が出るならそれを利用しない手はない。
ここは、波の国にある森。温暖な気候の火の国付近のこの島国は森に恵まれ、市街地以外は広葉樹の森が至るところに広がっている。その中の一つだ。
木登りの修行にはもってこいの場所。
カカシの『影分身』は腕を組んで見守る体勢に入った。
「ねえ、カカシ先生」
つ、とサクラがこちらを見ていた。
「ん? どうした?」
サクラは言い難そうに、唇を噛んだ。カカシは辛抱強く次の言葉を待った。サクラは決心、というよりは勢いに任せたように口を開いた。
「―――これでナルトに追いつけますか?」
「いや、無理だ」
カカシは正直に答えた。
「え……」
「アイツは、少し特別すぎる」
「………そうですか」
だが、とカカシは言葉を切る。
「近づくことはできるはずだ。この木登りの術の先に、ナルトやあの黒髪の少年が使った水上歩行の術がある」
サクラの眼に強い光が宿った。
「技術ってのは割と色んな所で不思議とくっついてるもんだ。だから何事も基礎が大事だって言うんだろうな」
「………わかりました」
表情を消してサクラはそう言った。
本人は軽く頷いたつもりなのだろうと察せられたが、その眼だけは隠せない光でギラギラと輝いていた。
怯えているよりはいい傾向なのだが、やはりその感情の取り扱いは難しいことになるだろう。
良くも悪くもこの班の中心は間違いなくあの少女であるようだった。
―――オレとオビトの関係によく似てる。けどこっちはもっと複雑だなぁ………。
四代目ももしかしてこのような苦労をしていたのだろうか。それは非常に申し訳ない気分にさせられた。こんなめんどくさいものできれば一生関わらずに過ごしたい。
だがその手間暇の報酬は大きいかもしれない。この任務を達成できた暁には第七班の力を飛躍的に伸ばせられるだろうと、そうカカシは考えた。