激しい緊張感。ナルトはチラリとサスケを振り返った。視線の先でどうにか陣形を維持しているサスケ。肩で荒く息をして、クナイを固く握りしめている。
初の実戦なのに、これだけの相手と対峙してまだ戦う気力をギリギリのところで切らしてはいない。相手との力量差をしっかり理解しているはずなのに、だ。
流石だ、とナルトは思った。
不思議な感覚だった。見下しているわけではないし、優越感を感じているわけでもない。しかし、そうやってサスケを素直に称賛できる自分自身がどこかにいた。それはかつての自分だったなら難しいことのはずだ。やはり感覚の問題なのだが。
―――いや、やっぱ調子に乗ってんのかも。ってそんなこと考えてる場合じゃねえ。
ナルトは自分を戒めた。今は他の考え事をする余裕はない。
相手は鬼人。………まずはこの霧をどうにかしなければ勝ち目はない。逃げるにせよ、戦うにせよ、どちらを選んでもこの霧隠れの術を攻略する必要がある。自分の手札で、どうにかできそうな手段がないか考える。
多重影分身はどうだろうか? 手当たり次第に空間を埋め尽くせば、可能性はあるが、分のいい賭けには思えない。なによりそれほどのチャクラの消費は避けたかった。今の自分はかつてほどのチャクラはない。過信は禁物だ。
猿飛の術もこの状態では意味がない。なにしろ水と精々小舟の足場がある程度。第三段階のチャクラ感知ができれば状況は全く違うが、生憎ナルトが習得したのは第二段階の自分のチャクラで周囲を認識するところまで。
絡め手は苦手なのだ。役に立たない術を教えた三代目に悪態を吐く。手詰まりだった。
―――どうする?
相手が船を一気に沈めてこようとしないのは、依頼主を確実に殺すためだ。自分の有利が動かないと確信しているからこその行動。ならば近付いてくる瞬間を待ち構えるのは一つの手だろう。ナルトは感覚を研ぎ澄ませた。迎撃態勢。
体の内で、九尾の嘲笑を聞いた。時間の流れがゆっくりになっていく。静止した世界で、視界に、霧とは違う黒い靄のような何かが映り込んだ。空間に墨汁を垂らしたようなそれはまるで影で象った禍々しい獣の様相だった。
【ククク、苦戦しておるようだなぁ】
―――黙っててくれ。今集中してるんだ。
黒い獣は牙を剥き出して異様な笑みを見せた。
【鎖を緩めろ。そしてワシの力を使えばいい。ワシのチャクラを、ほんの少し引き出せばよいのだ。そうすればこのような敵などに後れを取ることもない】
―――。
【他の人間を救いたいのだろう? ならば力を求めろ。何時でもワシは喜んで力を渡そう】
あの夜、九尾と対話して以来、時折このように話しかけてくるようになった。しかし対話というよりは、こうしてナルトに挑発的な言葉を投げ掛けてくるだけなのだ が。
―――悪いけど、お前を利用する気はない。
ナルトは切って捨てた。
【愚かな】
九尾は断じた。
―――なに?
【愚かだ。なにを意地を張る。お前の中にある力だ。なにを躊躇う、なにを恐れる】
―――うるせえ、あっちいってろ。
九尾のチャクラは確かに強力な力だ。だが、同時に不安定だ。都合のいい力などではないということをサスケと闘ったときにナルトは思い知った。確かに強くはなれる。それは間違いない。だが、それに頼り切ってしまえば九尾に依存することになり、己の成長はなくなる。なにより九尾と対等の立場ではなくなってしまうだろう。九尾もそれを狙っているようだった。友達になれるといったナルトの言葉を言外に否定させたがっているのだ。それに少しチャクラを増やしたところで再不斬に勝てるのなら世話はない。
【まあよい】
黒い狐の影は欠伸を一つ。
【どのみち使わざるを得なくなれば、お前は使う。言葉では何と言おうが、人間とはそういうものだ。ではまた。ワシはあの扉の奥でいつでも待っておるからな】
時間の流れが戻る。
カカシが額当てに手を掛け、上にズラした。
『出したな、写輪眼。昔持っていた手配書通りだな。そこにはこう書かれていたぜ、千の術をコピーした男ってな』
「随分とお喋りだな再不斬。霧隠れの忍ってのは寂しがり屋が多いのか?」
『別に俺だけだ。これから死ぬ人間と会話するのが大好きでね、いつも無駄話をしてしまう。だが、そろそろ仕事をすることにする』
流れは変わったが、前回と同じ部分も確かにある。この展開もそうだ。霧に隠れ、急襲を狙う再不斬と、写輪眼で迎え打つカカシ先生。ならば、次に来る一手は―――。
「終わりだ」
陣形の中央に、音もなく再不斬が現れる。誰もが驚愕する間もなく、その長大な刀が水平に振られる。それが動き出すギリギリで、カカシが突っ込んだ。手にしたクナイを深く再不斬に突き刺して動きを止める。その背後から更なる強襲。霧に覆われた空から再不斬が降ってきた。振り返る暇など与えられずカカシの頭蓋に刀が深く埋まった。
サクラが息を呑む。
同時、カカシの姿が崩れて溶けた。水分身。最初に現れた再不斬もまた同じように溶けた。
「動くな」
再不斬の更なる背後。船首から船尾にいつの間にか移動していたカカシのクナイが再不斬の喉笛に添えられた。
一瞬の攻防。陽動に次ぐ陽動。そして結果。
「ククク、霧の中でも俺の術を見切るとはな、それともこの術を知っていたか。だが、所詮は木の葉猿の猿まねだ。霧の術には及ばねえ」
勝敗が決してなおその余裕の態度にカカシが疑問を巡らせたかどうか、次の瞬間、再び再不斬が溶けた。
これも水分身。そして水中に身を隠していた再不斬が船尾の後ろから水をまき上げ、まるでサメのように飛び掛かった。そして、
―――知ってた!!
その顔面に、予め予想して動いていたナルトの足裏が突き刺さっていた。未来予想じみた、というよりもまんまそのままに全力で動き、チャクラを反発。重い感触と共に再不斬を文字通り蹴り飛ばした。水平方向にぶっ飛ぶと、まるで水切りの石のように一度水面を跳ね、そして大きな水柱を上げ、再不斬は再び海に沈んだ。
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙が舞い降りた。
「ナルト、…………助かった、よくやった」
「お、おう」
蹴り上げた足を下ろすタイミングを見つけて、ナルトはそそくさと下ろした。まさしくジャストミートだった。初めて前回の記憶がしっかり役立った気さえする。こんな状況じゃなければもっと得意がれたのだが。
「は、ははは、お前さん、『超』強いのお」
どう反応すべきか思いつかない様子でタズナがぎこちなく笑った。
「だけど今ので倒してはいないと思う、再不斬があの程度で死ぬはずがない」
「………そうだなその通りだ」
「だ、だが、今の内に逃げられるのではないか?」
「いえ、まだ下に二人。この二人を片付けないことには…………」カカシは言葉を切った。
視線の先には未だ波紋が広がる水面。釣られてそれを一同はじっと見つめる。攪拌された水中から水泡が、絶えることなく浮かび上がり続ける。
そこから、腕が現れた。まるで地面を掴むように何度か水面を叩くと、ぐっと力を入れ、肩、胴体と同時に顔の順に水面から現れる。最後に反対の手に握った巨大な刀。体全体が現れると、水面の上に膝を突いて立つ。その包帯が巻かれた顔面には、血が滲んでいた。
そして静かな面。観察する目。先ほどの愉悦に満ちた態度とはまるで違っていた。
「やるな、餓鬼」
静かな言葉。怒りは滲んでいない。少なくとも表面上には。
「予想外だったな。中忍程度と見ていたんだが、まさかオレの動きを完璧に読みやがるとは」
血が滲んだ頬を腕で拭う。
「あの蹴り、その前の一連の動きも含めて、絶対に偶然なんかじゃねえ。それは間違いない。だが、何かが引っかかる。実力を隠していたっていうならそれでいい。だがそれはどうにもしっくりとこねえ。オレは勘っていうものを気にするタチでね」
淡々と言葉を紡ぐ。
「なあ餓鬼、どうやってオレの動きを見切った? 初見でこうも対応してきた奴をオレは知らねえ。名は何て言う?」
「…………うずまきナルトだ!」
「うずまきってのは聞いたことがあるが、知らねえ名だ…………、わからねえな」
傷を確かめるように、コキリ、と首を鳴らした。
「わからねえってのは不気味だ。特に忍者にとってはな」
ナルトにとってみればこの再不斬の態度が不気味だった。かつての印象ならば、もっと怒りをまき散らし、戦闘が有利になるような動揺を引き出せる算段だった。だがどうだ。その表情は読めず、それが却って恐ろしかった。水面の波紋は消えて。まるで静寂が戻ったかのようだった。錯覚だ。
ナルトは直感していた。もうこの手の一撃は使えない。たった一度の奇襲で、相手は違和感を感じ取り警戒心を喚起してしまった。
「ふん………、さてどうするか」
片手で無造作に刀を揺らめかせながら思案するように再不斬は呟いた。ナルトはそこに戦いの再開の空気を感じ取り、対峙するように身構える。
「二対一は分が悪いか………」
諦めたかのように、静かに溜息をついた。
「一人消えてもらうとしよう」
「―――ナルト! 右だ!」
カカシが叫んだ。咄嗟に腕を上げようとしたが間に合わなかった。視界が黒く染まり、鋭い痛みが頭を貫いた。体勢を整えられず、足が浮かぶ、そのまま海面に叩き付けられた。全身に衝撃が走り、息が詰まった。狭まった視界。一瞬、白い仮面が見えた気がした。
意識が飛んだのは一瞬。冷たい水の感触と頬の痛みに、目が覚める。
―――くそっ!
崩れた体勢を必死に立て直し、水面を見上げる。何とか水に落ちる寸前で息を吸ってはいたが、長くはもたない。なにより、上の船が拙い。急いで上がらなければ。
その時、黒い塊が近づいてきた。見覚えのある姿。かつて戦った再不斬の部下の霧の忍の二人、その内の一人だ。手には鋭い鉤爪。さっき見えていたのはこいつらだったらしい。
―――邪魔だ!
ナルトは内心で叫んだ。水中を蹴る。笑いたくなるような低速。鉤爪がすぐ近くを通り抜けた。躱しきれずに切り裂かれ血が辺りをわずかに赤く染める。ナルトに対して相手の動きは速い。素早く旋回すると、再び切りかかってくる。今度は頬を浅く裂かれた。血が噴き出す。
陸上ではまったく大したことがないはずの相手が、水の中という戦場で、恐ろしい脅威に変わっていた。
まるで魚のように自在に水中を動き回る敵に、ナルトは焦りを募らせる。
水の抵抗はまるで巨大な綿の壁に包まれているかのようにナルトの動きを遅らせていた。
―――綿の『壁』?
ナルトは閃くと、次の突進に備えて膝を曲げる。油断したか、真っすぐに突き進んでくる相手にナルトも水面を蹴る要領でチャクラの反発を使って突進。
驚愕し慌てて身を翻そうとした相手に拳を叩きこむ。
そして真下からのチャクラの反発。敵の体ごと加速を付けて水面を目指す。
序盤の敵にしては再不斬って強いんですよねー……。