生きるということは新しい発見の日々でもある。
ナルトは朝の清浄な空気が好きだった。ほとんど人が通らない早朝という時間の大通りは人気がなく真新しい空気で満ちている気がして、それを味わう瞬間は眠気を差し引いても、悪くない。
本来なら夜更かしすることはあっても朝早くに起きることは滅多になかったこと。性別の変化で間接的にであるが変わったことの一つだ。
――火影のじいちゃんは朝以外あんまり時間取れねーからなぁ。
あくびを噛みながら、静まり返った町を歩く。
楽々とはいかないまでも、大分慣れてきた早起き。見慣れてきたこの朝の風景も、毎日毎日全く変わらないわけではない。
思いがけない発見をすることもある。人がいないからだろうか。不思議と視界が広がっていて、普段なら見落とすような何かが目に付くことが多い。
ただし、その発見が良いことだと決まっているわけではなかったが。
「よぉ、バサバサ女」
朝の時間でもなければその言葉が自分を指しているとナルトは思わなかっただろう。振り返って、後ろを見る。
黒いファーの付いたパーカーのナルトと同じぐらいの体格の男。両頬に牙の如き入れ墨の入った顔に鋭い目つき。足元には白い毛並みの子犬を伴っている。
その口元はどう贔屓目に見ても好意的ではない笑みが浮かんでいた。
「こんな早朝にどうした? 珍しいじゃねーかよ」
「………うげ」
嫌な奴に会った、というのがナルトの正直な感想だった。
犬塚キバ。忍者アカデミーの同期。前の時でさえ面倒くさい相手だったのに、今となってはさらに面倒な相手だ。
以前の中忍試験前まで時間が戻っている今は、すなわちキバの認識も同じように戻っているということ。あの時のキバは完全にナルトを見下していて非常に鼻につく態度を取ってくる相手だった。顔を見る限り今回も変わっていないように見えた。
ニヤニヤと絡む気満々な顔つき。
女の子になってからキバと面と向かって話すのはこれが初めてだ。ナルトはわずかに緊張を走らせる。前と比べてもさほど変な関係ではないとは思うが、例外があることをしっかり学習していた。
「よっ、じゃな」
軽くそう言って、ナルトはとりあえず歩き出した。
「お、おい待てよ!」
慌てたような声と足音。回り込むような動きでナルトの前に立ちはだかった。無視するわけにもいかず、ナルトも停止。ちょっと驚いた表情にキバと対面する。
「………なんだってばよ、オレってば忙しいんだけど」
歩くのを再開すると、キバも並行するように歩く。
「はあ? こんな朝早くからかよ」
訝し気な声。
「つーかよ、結構久しぶりじゃねえか。お前、よく下忍になれたな」
相変わらずの見下す目線。シカマルと同じようなことを言っているはずなのにどうしてこう偉そうに聞こえるのか。
「馬鹿にしてんのかお前」
「お、バサバサ女ー」
「?」
――さっきからなんだ、バサバサってよ?
聞いたことのない言葉。何ともなく腹立だしい単語であるのは間違いなさそうだが。
「……………」
「おいおい、黙んなよ。バサバサって言うなーって言わねえの?」
「いや、バサバサってなんだよ………」
ナルトは思わず突っ込んだ。
「―――はあ?」
少し窺うようだったキバの顔が一瞬困惑に染まる。
マズイことを聞いたか。ナルトは後悔したが、キバはそのまま二ヤリと口端を吊り上げた。
「お前のことだろーがよ、バサバサはバサバサだろ。とぼけやがって」
――うぜぇ………。
その明らかな小馬鹿にするような表情に、ナルトは反射的にイライラしてきた。青筋を浮かばせながら足を止め、キバをじろりとねめつける。怒鳴りつけてやろうと考えていた。
「お、バサバサ~、はは」
おどけた仕草でキバは身を翻すとさっと距離を取った。何が楽しいのか少し遠巻きにナルトを窺っている。
確かに以前からキバに揶揄われることは多かったが、久しぶりにそうなってみるとかつての苛立ちが蘇ってくる。
――こういう懐かしさはいらないんだよなぁ…。
と、思ったものの最近の出来事を考えるとちょっと嬉しく感じてしまった。前と同じということはたとえこんな微妙な関係でも喜ばしいことらしい。
はぁ、と溜息一つ。
「お?」
「オレってばお前に構ってる暇ねーからよ」
数か月後の中忍試験でまたボコボコにしてやればいい。そうすれば、この言動も少しはマシになるだろう。
「なんだノリわりいなー」
「付いてくんなってばよ」
「いやオレら大門に向かってるだけだから。これがいつもの散歩のコースだ、な、赤丸」
「わん!」
「……………」
同じ方向だ。
黙って歩くナルトの後ろを、鼻歌を歌いながら付いてくる。追い払うのは諦め、無視して歩く。
気になることが一つ。
バサバサってなんなんだろ、疑問を脳裏に上らせる。
「そういやお前分身の術出来なかっただろ? よく合格したな~」
――いややっぱうぜぇってばよ…。
ナルトの額に青筋が浮かび上がった。
「おお、ナルト、今日はやけにバサバサしおるな」
「だからバサバサってなんなんだよ……」
思わず脱力しながらナルトは言った。場所はいつもの木の葉の森にあるとある広場。
「? ほれ」
三代目は怪訝そうに片眉を上げ、手鏡を取り出してナルトに見せた。最近は苦手意識を持ってしまった鏡だが、それを考える間もなく覗き込む。相変わらず見慣れぬ顔が映る。しかし、ナルトの視線はそこではなくその後ろに向かった。
まるで意志を持っているかのように蠢く髪の毛。毛先が持ち上がり、上を向きながら揺らめいている。
「んだこれ、めっちゃバサバサしてる!?」
「だからそう言っているではないか」
「なんだってばよこれ……」
ゆらゆらとまるで炎のように、あまり長くはないものの九つに分かれた黄色の髪がナルトの意思とは無関係に動く。
それをしばし呆然と眺める。
やや置き復活したナルトは説明を要求。自分の髪を指さし三代目に見せつける。三代目は困惑した顔でナルトを見つめたが、その勢いに押されたように口を開く。
「それは九尾の人柱力の特徴だ。どのような原理かはワシも知らんが、どうも感情に
反応して動き出すようだ」
「えええ、そんなの初耳なんだけど!」
「待て待てなんの話だ一体……」
ナルトは前の時はこのような現象は起こってなかったことを混乱しながら伝える。目の色が変わったり、頬の髭模様が太くなったりはしていたらしいことは目撃した様々な人間から聞いていたが、髪が変化するとは言われていない。恐らくなかったことのはずだ。
「ふーむ、それは少し興味深い話だな。九尾の人柱力の先代も先々代も同じ特徴があったはずだ。それがないとは………だがまあ…………そもそも人柱力についてはまだ多くのことが解析されてはおらんからな」
「いや、ちょっと待ってくれってばよ。じゃあさじゃあさ、オレってばずっと髪の毛がこうやってバサバサしてたってこと?」
「うむ、まさか気づいておらなんだとは」
「うわーまじか……」
そういえばと思い当たる節がないわけではもない。所々、髪の毛がチリチリする感覚が襲ってきたことが何度かあったはずだ。あの時もしかしたら髪が持ち上がっていたのかもしれない。
とはいえまさかこのようになっているとは想定外。覗き込んでいた鏡の中ではすでに髪はおとなしくなっており、通常のナルトが映っている。
あまり鏡を見ないようにしていたのがこんな風に仇となるとは流石に予想できなかった。
「確か、怒りに反応してそうなると聞いたことがある」
「あー、なるほど……」
キバが散々絡んできたのはどうもこれが見たかったかららしい。腹立だしいが、立場が逆だったならばナルトも恐らくイタズラしていただろう面白い見た目であった。
「なんかスゲーこっぱずかしいなこれ……」
「嫌なら髪でも結ってみたらどうだ」
「んー………」
想像する。おいろけの術のときのようなツインテール姿の自分を。
「――なんかそれって女の子っぽくない?」
「ぽいと言うよりもだな……、ま、男でも髪は結うだろう。イルカやシカマルも別に変ではないだろうが」
「だけどなー……」
ナルトにとっての自分の性別は未だにもちろん男だ。見た目が金髪で、わずかではあるが胸もある少女になろうが、周囲の認識が女の子であろうが、ナルトはナルト。正真正銘の男だ。だからこそ、髪を結うという行為に、普段はのんきしている警戒心がはっきりと警告を発している。
この状況に慣れてはいけない気がしていた。
「なんかやっぱいい。オレってばそういうのいいや」
バサバサするのはかなりうっとおしいが、見た目が女の子っぽくなるよりはいいだろう。そう思った。
「あーあ、髪なんてばっさり」
首筋にかかる襟足を触りながらナルトは続ける。
「切っちゃえればいいのによ」
「あまり目立つ行いはするな」
「わかってるってばよ。で、今日はどんな修行するんだ」
髪からぱっと手を放すと意識を切り替える。
「うむ、そろそろ次の修行に入ろうかと思っておる」
「おお!」
「思った以上に飲み込みが早い。正直少し侮っておったわ」
「にしし、なんか最近は調子が良いってばよ。チャクラコントロールのコツも大分掴めてきたし、オレってばマジで天才かも」
「ふん、調子に乗るな」
静かな声。
「だが、これから言う術を扱えれば……あるいは認めてやってもいい」
三代目は後ろを振り返ると手でナルトに付いてくるよう合図。そのまま森に向けて歩き出す。ナルトは後ろを追いつつ疑問を投げかける。
「術ってどんな術なんだ?」
「基本は変わらん。チャクラの吸着と反発を使う術よ。
「な、なんか凄そうだってばよ……!」
「その名を猿飛の術」
「――へぇ」
「こら一気に興味を失うでないわ。秘伝忍術とは普通なら一族以外には決して伝えぬ重大な代物なのだぞ」
「じゃあオレにそれを教えていいのかよじいちゃん。あ、っていうか猿飛の術ってじいちゃんの苗字と同じ名前じゃねえか」
「…………」
アホを見る目で三代目が振り返った。ナルトは笑ってごまかした。
「あははは、いやーでも本当にいいのか? オレってばよく知らねえけどじいちゃんが言う通り、秘伝忍術って他人には絶対に教えちゃいけない忍術なんだろ?」
「今は時代も変わった。それに猿飛の秘伝は少し特殊な術でな」
「?」
「そも、猿飛とは本来は血縁ではなく『猿飛の術』を扱うものを指す呼称だったのだ。猿飛の術を扱えればそれすなわち猿飛。血の繋がりは二の次よ」
森深くへ入っていく。広場から離れ段々と木立が増えていき、視界はどんどん狭まっていく。ナルトは後ろを振り返りつつ、首を傾げた。
「じいちゃん、あんま広場離れっと練習できないってばよ」
「今日は広場は使わん」
「でもよ、瞬身の術の練習するなら森の中じゃ駄目だし」
「いいや、森の中で瞬身をするのだ」
「んん?」
三代目の足が止まった。周囲を見渡すと完全に森の中に入ってしまっていた。
鬱蒼と樹木が生い茂り、地面は凸凹と隆起していて平地とは程遠い。木々の間隔も狭く伐採されていないのは一目瞭然だ。
人の手の入っていない自然。
三代目より教わったナルトの瞬身の術は凄まじい加速があるがそれゆえ、障害物には弱い。無数の木々が周囲を、その木の根が地面を覆いつくしているこのような安定しない場所では、とてもじゃないが一歩たりとも動けないだろう。
「これは初代猿飛サスケから長い間受け継がれてきた伝統の練活だ」
「サスケって、サスケと同じ名前……」
「うちはサスケ『が』同じ名前なのだ。とはいえうちはサスケの名の由来はワシの父の猿飛サスケだがな」
「???」
「襲名といってな、まあ要するに同じ名前を一族の長が受け継いでいく、古い時代の仕組みだ。お前には関係がない話だ、あまり気にするな」
「そうするってばよ…。それよりも気になることがあるし」
改めて周りを見渡す。
「ここで瞬身するって言ってたけど」
「そうだ。不特定の遮蔽物のある場所で、それ以外は今まで通りの組手だ」
三代目は構えろとナルトに告げる。ナルトは激しく首を振った。
「いやいやいやいや、無理だってばよ! こんな狭い場所じゃ速く動いたらすぐにぶつかってまともに組手なんてできねーってばよ!」
「ふん、それはどうかな」
ニッ、と三代目は笑った。
瞬間、三代目の姿が消えた。僅かな音。木が擦れるような音が連続で響く。ナルトは視線を急いで巡らせた。それでも視界に残るのは僅かな残像のみ。木から木へ、木から地面へ地面から木へ、縦横無尽に影が飛び回る。ついに視線すら追い付かなくなっていく。
とん、と肩に軽い感触。
「ま、こんなもんじゃ」
背後に立った三代目がナルトの肩に手を置いていた。
「…………」
「木の幹も枝も、全てが足場になる。それが猿飛の術の力だ」
「すげぇ………!」
「昔の猿飛ではこの術を扱えれば一人前とされていた。――ナルトこの術を会得してみろ」
「オッス!!」
修行の後は、任務の時間となる。晴れて下忍となったナルト達三人はさっそくカカシを含めた四人で任務に就くことになった。
とはいえしょせんは下忍になったばかりの見習い忍者が扱える任務のランクは当然のDランク。任務とは名ばかりの肉体労働系の仕事が過半を占めている。
最初は新鮮な気持ちだが、それが連日続けば物珍しさはなくなっていくし、慣れていく。
任務中以外は修行しているナルトはなおさら、以前ほど簡単な仕事に対して興味を持つことはできなかった。
Dランク任務の報酬は達成後日払いなので生活費のやりくりを考えなくて済む分楽といえば楽だったが。
Dランク任務の肉体労働系の中でも多いのは荷物の荷卸し業務だ。子供とはいえ忍なので体力や力がある上、荷物を運ぶだけなので難しい手順はない。労働単価は割高なので、里の住民の雇用を奪うこともない。日雇い労働者身分は木の葉の里においては下忍が最初に行う下積みの一つであった。
空は太陽がぎらつく晴天。
ナルトは一抱えもある米俵を倉庫に置きつつ、汗を拭った。
「ふぅ」
仕事は丁度半分ほど終わっていた。目の前には山と積まれた米俵。馬車から倉庫へ倉庫から馬車への往復だ。
俵三俵を担いだカカシが歩いてきた。
「よいしょ、と。お、サボるなよ」
「へいへい」
適当に頷く。
新しい修行を始めてから数日が経った。その結果は散々なものだ。修行の段階が上がり今までのように順調とはいかず、失敗して何度も何度も木にぶつかって体中が擦り傷だらけ。当然のように三代目にはまだ拳一発も決めていない。
頭の中で想定を続けているが、上手くいく想像が浮かんでこない。行き詰っている状態だ。
今はまだがむしゃらに手ごたえを探す日々である。
汗を額に浮かべたサクラは、黙々と米俵を運んでいた。少し疲れた様子。ナルトは何か声をかけようと思った。
「……なによ」
サクラが目を細めて聞いていくる。
「あ、えーっと」
何か言いたいのだが、ナルトは言葉に詰まった。
「ふん」
そっぽを向くようにしてサクラは通り過ぎる。その後ろ姿を視線で追い、ナルトは肩を落とした。あの取りつく島のなさといったら、ナルトは足が竦む思いだった。
どうにかして仲直りしたいのだが、何を怒られているのかがわからなく、糸口が見つからない。
どうしたものか、ナルトは頭を悩ませる。
ふと視線を感じて、振り返った。
サスケだ。
「おー、どうした?」
ナルトは意識して柔らかい声を出した。
「………いや」
目が合ったのも束の間、視線を逸らされる。
特に用はないのか、何も言わずに去っていく。
「………………………??」
首を傾げる。
――いやってなんだっつうの。
自分のことは棚に上げつつ、ナルトは喉がイガイガするような変な気分になった。
最近、こんなことが多い気がする。
勘違いや偶然と片付けていたが、それが一度や二度ではなく任務中に何度もだと流石に違和感を覚える。目が合うと逸らされるので特に何か問題があるわけではないのだが、気分は良くない。
――なんなんだよ一体よぉ。
ナルトは唸った。
「こらこらサボるなって言ってるだろ」
「……うーす」
視線を外す。
「お前はどーも集中力が足りないな……」
「おっとと」
カカシがお説教状態に入りかけているのを察知し、慌てて移動。もの言いたげなカカシを背中に、ナルトは再び作業に戻る。
――この前からサスケはちょっと変だからなぁ。
どうしたものかと考えたが、ごちゃごちゃとしただけで特に名案は浮かばなかった。
任務が終われば再び、修行の時間だ。猿飛の術の修行に入ってから早くも数日が経過した。
三代目は忙しいが、最近は代理で修業を見てくれることになっている者がいた。
ナルトは正直に言ってその相手が苦手だった。もちろん修行をサボるという選択肢はないので否はないのだが、あの態度と言動はどうにも慣れない。
「あらナルトちゃん、んなにか文句でもあるのかしら~?」
その『猿』はそう言った。ナルト一人半以上もある背丈のその猿は筋骨隆々で、全身は真っ黒の体毛で覆われている。逞しい胸筋に加えて灰色の鞍型の背の毛は明らかにオスのゴリラの特徴だが、本人はカン高い声で女言葉を使う。装飾は胸当てと目隠しの布のみ。後は真っ赤な口紅を唇に塗りたくっているぐらいか。
「い、いやぁ………」
目を逸らしつつナルトは口ごもった。最初の日に口を滑らしてぶっ飛ばされて以降、明確に上下関係が出来上がりつつあった。
「言っておくけどねぇ、ヒーちゃんの頼みだからこんなことしてあげてるんだからね、普通ならアタシは下のことには関わらないんだから」
オカマのゴリラが心底めんどくさそうに鼻を鳴らしている。名をミザルという。本人が言うにはとても高貴な猿らしい。
「大体アンタなんでそんなに小汚いのよぉ。毛もバッサバサだし、汗臭いし泥臭いし、アタシの美的感覚がもう最悪って言ってるわ。これで可愛い男の子だったらまだやりがいあるのによりにもよってメスガキだし、ほんとに萎えるわ」
「それはもうわかったってばよ、感謝してるって」
正直見た目の話をするならば、自分よりよっぽど奇抜な恰好をしているだろうと、ナルトは思った。何故か目隠ししているし、胸当てはしているのに下は特に何も穿いていない。
端的に見れば変態のそれだ。
初日にそれを指摘してビンタで張り倒されたのは記憶に新しい。
「でもよこの修行難しいんだってば」
「そりゃそうよ、当たり前じゃない猿飛の術って長い時間をかけて覚えるもんなんだから。あ、人間はね」
「なんかコツとかないのか?」
「止まらないこと。流れに乗り続けなさい」
「いや、それが難しいんだってばよ」
「じゃあ、死になさいな」
ばっさり切り捨てられる。
どうもミザルに快く思われていないことをナルトは察していた。とはいえこちらが修行を頼んでいる身の上。この程度の皮肉で文句を言える立場ではない。
頭でわかっても腹は立つ。それを抑えて気を静める。
黙って目を瞑って掌を体の前で合わせる。
身体の中心、腹部の中央に意識を集中させる。経絡を通り抜けるチャクラを感じ取る。普段は無意識の内に行われるチャクラの循環に意識を傾ける。要は螺旋丸の修行と同じだ。
チャクラは巡行し、体の中心から手足に伝って、また中央に戻る。その繰り返し。こうして感じてみれば、不思議と今までどうして無視できていたのかが分からなくなるほどその存在は明確な感覚だ。
こうなってくると、その感覚がナルトにほんのわずかな変化をもたらす。目を閉じている状態では陽の光が瞼を射す以外は何も見えていないのに、不思議と周囲の空気の動きが感じ取れるようになる。正確に表現するなら視界ではなく触覚に近い。体の周りを覆うチャクラが、周囲に触れてその感触がナルト自身にも繋がっている。その感覚が、どうも、目を閉じていても少しだけ見えているような気にさせるのだ。
とはいえその範囲は本当にわずか、身体の表面を一回り覆っている程度だ。
ほとんど気休めにもならない。
「自分のチャクラは感じ取れるようになったわね」
「……うん」
「まあそれができないならお話にもならないんだけど。じゃ、そのまま目を瞑ったまま目標の木まで歩いてみなさいな」
「押忍…」
そのままゆっくりと歩く。足裏の感覚に意識を集約して、些細な変化も逃さないようにする。小石、地面の隆起、木の根、バランスを崩す様々な障害物。
それだけではない。目を瞑っているせいで、印のついた木がどの位置なのかはっきりしない。うかつに歩いていけば当然のように向きがズレていく。体と地面の向きをしっかり体感しなくてはいけないのだが、これが難しい。
「ほら、ちんたら歩かない!」
「お、押忍!」
どやされて歩く速度を上げる。脳裏に印のついた木を思い浮かべる。それと同時に、自然と目を閉じる前に見た地面のイメージも浮かび上がった。
たしか、ここはこんな風だったような、とか、ここら辺に木の根がうねっているな、とか、わかっているがイメージは勝手に浮かんでしまう。
障害を乗り越え、わずかに開けた場所に出た。
ここから目標はあと少しだ。
目標に気を向けた瞬間、脛に何かが引っかかった。意識の外のできごと。
「どぅわあ!!」
予想外のことに体はバランスを崩し、前のめりに倒れる。速度を上げていたせいで思いっきりすっころんだ。
「はいだめー」
平坦なミザルの声。
脛に当たるほど高い障害物はなかったはずだ。ナルトは目を開けて振り返った。
そこには足を突き出したミザルの姿。ひっかけられたようだ。
「それありかぁ!!」
思わずナルトは叫んだ。
「足を出さないとは言ってないし、足裏に集中しすぎなのよねー。それからアンタ、ズルしたでしょ」
「ちゃんと目は瞑ってたぞ」
「地形を記憶してたでしょ」
「う」
「人間てなまじ頭がいいから記憶で補っちゃうのよねぇ。未来とか過去とかが見えるから視界は広い。けれど、今に見えてるはずのものが見えなくなってしまっているの。わかる?」
「?」
ナルトは首を傾げた。
ミザルは盛大にため息をついた。
激しく馬鹿にされているのだけはわかる。巨体に似合わず軽快な動作で両手を上げて肩を竦めて首を振った。
「馬鹿そうだもんねアンタ。この術向きだわ、よかったわね」
「むがー!!」
「やぁ、品のない叫び声ねえ」
その後、日が傾くまでナルトの修業は続く。
今日は変わらず、大した進歩は感じられなかった。
「よ、ナルト!」
夕方、木の葉大門に戻り中央の商店街を歩いている途中にそう声を掛けられた。
うみのイルカだ。イルカはナルトのボロボロの姿に驚いた様子だったが、修行と聞くと納得。苦笑しながらナルトの頭を撫でた。
既にもう夕焼けの時間だ。アカデミーも終わり、イルカも帰宅途中だったようだった。
「久しぶりにラーメンでも喰い行くか?」
「おお! 行く!」
即答。
「ま、他の生徒の手前奢りは駄目だが、ちょっと遅くなったが少しぐらいお祝いをしよう」
「お祝い?」
ナルトは何のことかわからず聞き返した。
イルカは少し怪訝な表情で告げた。
「下忍になったんだろ?」
「………なったけど?」
「なんだ、うれしくないのか?」
「あ、ああ! そういうことか!」
もう遠い記憶のように感じられるが、確かに以前下忍なったときもイルカに祝ってもらっていたのをナルトは思い出した。
「今日は修行で疲れてるのか? じゃ、日を改めるか……」
「いやいや大丈夫! いやーイルカ先生に奢ってもらえるとは嬉しいってばよ」
「だから奢りはしないと言ってるだろうが」
イルカの背中を押しつつ一楽へ向かう。修行修行であんまりイルカと会う機会がなかったことを実感する。
――ああ、なんだかこんなやり取りも懐かしいってばよ。
以前と少しも違わない。そして変わることもないだろうという安心感。
イルカだけは絶対に変わらないだろうと、そう確信できることにすごくほっとした。
一楽でボロボロのナルトが驚かれる一幕はあったものの、二人で並んで丸椅子の並んだつけ台に座った。
「しかし、最近はこんな時間まで修行しているのか」
「へへ、まあ」
「偉いな。頑張っているようだな」
「まあねまあね! オレってば頑張ってるってばよ!!」
ナルトはぐんと胸を張った。イルカはニコニコしながらまたナルトの頭を撫でた。
「偉いな、本当に」
「お、おう」
少しだけ照れつつ、しかし前のように意地を張って振り払う気にはなれなかった。どうしてか少しだけしんみりした気分だった。
「………でもよ、上手くいかないこともちょっとだけあるってばよ」
「そうか」
イルカは静かに頷いた。それは、悩みがあるなら言ってくれてもいいし、言いたくないなら言わなくてもいいという、優しい仕草に見えた。
ここで全て打ち明けてしまうのはどうだろうか。それは凄く魅力的な妄想だった。
想像だけ。
心内を隠して、ナルトは微笑んだ。
「ま、でも別にどうってことないけどな!」
少し暗くなった空気を吹き飛ばす。せっかくラーメンを食べようってときに暗い雰囲気は似合わない。
「そうか」
もう一度イルカは頷いた。
「……よし、今日はやっぱりオレが奢ってやる!」
「え、いいのか!?」
「ああ、ただし他の生徒には内緒にしろよ?」
「イルカ先生、それってえこひいきになるんじゃなかったのか」
そうナルトが聞くとイルカは少し驚いたようだったが、小さく笑った。
「いいや、そうでもないさ」
「そっか? じゃあ、オレってば追加でチャーシューと餃子で!」
一楽の店主のテウチが親指をぐっと立てた。
「へへ、替え玉しまくるってばよぉ!」
「ナ、ナルト、あのな……」
「いやー奢りで食う飯は最高だ!」
「いや、だからだな……」
「ありがとなイルカ先生!」
はぁ、と諦めのため息が一回。
「……今日だけだぞ」
「よっしゃああ!!」
そのあとめちゃくちゃ替え玉した。