しばらく時間が過ぎた。
カカシは腕を組んだ体勢で静止。時計は四十分の経過を示している。時間制限まで後二十分弱。未だにサスケもサクラも動く気配はない。
さてどうしたものか、カカシは頭を掻いた。
このまま待つべきか。それとも動くべきか。いくつかの考えからカカシは決め兼ねていた。
このまま待っているだけで制限時間は過ぎるだろう。演習に勝つという点ではそれが正解だ。目的が勝つためだったならだが。
鈴獲りの演習は本来ならば競争のためのものだ。三人一組(スリーマンセル)の訓練であえてその演習を行った意味は、伝わるとは思っていない。カカシは一人一人が好き勝手に独断行動をするだろうと考えていた。
それはそれでよかった。
しかし、予定はすでに狂っている。
サスケもサクラも強くカカシを警戒している。単独で力任せには来ないだろう。
もしかしたら、結果的にだがカカシの望んでいた協力という手段を取る可能性がある。それならば動かずに待った方がいいだろう。
しかし、そうはならずこのままイタズラに時間が過ぎて無意味に演習が終わってしまうのも否めない。サスケの性格上そうはせずに玉砕覚悟で突っ込んでくる可能性の方が高そうだが。
かといってこちらから各個撃破していくのはまた意味がない。せめて単独で向かってきてくれればいいが、そうでなければカカシが伝えたいことは伝わらない。
全てが掌の上にあったはずのこの演習は、すでにその多くが思惑から外れてしまっていた。
焦りはなかった。その理由は捕らえられたはずのナルトの態度があまりにのんきなのが大きい。焦っている様子も、逃げ出そうとする素振りもない。
恐らく、なんらかの算段があるのだろう。ならばそれに乗ってみるのも悪くはない。
――とはいえ、これ以上かかるとなると時間が怪しくなってくるぞ。
と、カカシが考えたところで、目の前の林が揺れた。
視線をそちらに向ける。現れたのはサクラ。決意を込めた視線をしている。
一瞬感じたのは、失望だった。が、すぐに考えを改めた。
「サクラか」
「……………」
不意を突いたわけでもなく、意図が読めない行動。ただしそういえばと思うところはある。サクラはナルトに対して対抗心を燃やしていた。その競争意識からこのような行動に走った可能性もなくはない。
――さて、どうなるか。
「………ッ」
無言のまま、サクラはクナイを握り締めて真っ直ぐカカシに向けて走りだした。
カカシにとっては止まって見える速度。クナイが陽光を反射して煌く。
軽く身をかわす。サクラは勢い余って体勢を崩しながら、強引にクナイを振り回す。
工夫のない攻撃。目を瞑っていてもよけることは造作もないだろう。紙一重でかわしながらサクラの足を引っかける。
「――――ッ」
よろけて体勢が崩れる。
瞬間、十字手裏剣が遠方より飛来してきた。それをクナイで迎撃しつつ視線もそちらへ向ける。いない。足音。ただし、視線の先ではない。
振り向く。
――なるほど。
サスケだ。手裏剣を旋回させて位置を偽装したのだろう。カカシはすぐに察した。距離は近い。悪くはない連携だ。だが甘い。まだ遅い。
クナイを構えたサスケに同じくクナイを、こちらは逆手で持ちながら防御の構えを取る。
交錯。
違和感。
二合目。三合目。違和感は膨れる。四合目で、あっけなくサスケのクナイを弾き飛ばす。弱い。この程度のはずがない。
と、殺気。カカシは咄嗟にしゃがみ込んだ。その上を上段の蹴りが通過していく。
――サクラ!?
驚くべきことに、蹴り足の持ち主はサクラだった。その目はいつになく怜悧な光を放っている。口元には皮肉気な微笑み。そのまま素手での連撃。体勢を崩したまま不利な体勢で受けにまわらざるを得ない。
カカシは理解した。と同時、サクラの体から破裂音と共に煙が舞い上がる。めくらましから現れたのはサスケ。同時にサスケだと思っていた方も、煙を上げてサクラに変化した。
――そういうことね。
変化の術。基本中の基本忍術だが、使い方が上手い。もちろん普段のカカシならその変化に気が付いていたはずだ。甘く見ていたのもあるだろう。ただ、サクラがあのような手裏剣術を使えるのは想定外。うちは一族以外の班員ではあのような芸当はできまいという錯覚から、一瞬理解が遅れた。
連続した体術の応酬。鋭く変則的な型のない打撃。身を離そうにも、絡みつくように距離を詰められる。カカシは僅かに汗を垂らした。
――流石にうちは一族だな。すさまじい。
単純な体術だけならば、カカシでもやや手こずる強さ。思考が僅かに追いつかず、その隙を突かれて押し込まれていく。
「いや、うちはだからってわけではないか。流石はうちはサスケと言うべきか」
「――無駄口をっ」
殴った拳を起点に逆立ちのような動作で足技。カカシはそれを両腕を上げて最小限の動きで捌いた。
サスケは真剣な表情でさらに動きを速くしていく。それを受けながら、カカシは冷静さを取り戻しつつあった。追いつめているのはサスケだ。だがカカシに焦りはない。
確かに速くて上手い。だが結局は下忍の中では、だ。この連撃は悪くないが、しかし立ち直ったカカシに対しての有効打とするには物足りない。
鈴だけ注意しておけば、後は問題ないだろう。カカシはそう判断した。
と同時に走っていくサクラを察知する。向かっているのはカカシと丁度反対方向。
その先には。
「なるほど、ナルトね……」
押し込みながら移動したのは距離を離すためだったようだ。よく考えられた策だ。カカシは感心した。
縛られたナルトを解放する作戦であったらしい。あるいは鈴を取れなかった為の保険なのか。手順が実戦的とはいえないが、この演習に限ってしまえば悪くない。
――いいチームワークじゃないか。
マスクに隠れた口端が僅かに上がる。急造にしては、出来すぎなぐらいであった。
ナルトの威力偵察、そしてサクラの陽動、最後にサスケの主力。情報を得て、相手を崩し、そして目的を遂行する。及第点ぐらいの動きはある。
悪くない。そう思った。
「―――なっ!?」
次の一撃をかわして攻撃に移ろうと考えていたその瞬間。足が止まった。
上段の蹴りをギリギリ腕で受ける。まともに喰らい、衝撃が腕を走った。
咄嗟にその勢いを利用してサスケの足を捉えつつ、放り投げた。一瞬離れる距離。視線を下に。地面から手が二つ突き出てカカシの足首を捉えていた。
――やられた!
カカシは一瞬で全てを理解した。サスケがカカシをこの場所に追い込んだのはナルトから引き離すためではなくこの場所に誘導するためだったのだ。サクラの動きはそれを誤魔化すための更なる陽動。時間ぎりぎりまで攻めてこなかったのはこの穴をカカシに気付かれないように掘り進めていたから。目の届く範囲だったからこそカカシも罠があるとは考えなかった。否、考えられないように誘導されていた。
わからないのは、この腕が誰かという事。思考が一瞬そちらに逸らされる。
投げ飛ばされながら、空中でサスケが印を組む。
速い。
一瞬、動き出しが遅れた。しかしまだギリギリの猶予はある。足の拘束を外す時間を差し引いても避ける時間は十分にある。しかしカカシは動けない。
自分自身は回避はたやすい。しかし下のカカシを拘束している人間は無事ではすまない。下の腕が実体かどうかその判断がつかず、カカシは避けるという選択肢を取れなかった。
迎撃、という選択を取らざるを得ない。
サスケの印が完成する。
と、同時にカカシの背後の林からもう一人のサスケが現れる。もはや驚愕する余裕もない。
突き出した人差し指と中指、それを体の前で組んでいる。虎の印。
――どっちだ!? あるいはどっちもか!?
カカシを挟んで二人のサスケが同時に息を吸う動作。
『火遁豪火球の術』その前動作。巨大な火球を吐き出す、火遁の忍術だ。
身構える。印なしで使える雷遁で弾くしかない。瞬間、背後のサスケが身を沈めた。虎の印のまま前傾姿勢。意味を理解するよりも早く、サスケが爆ぜるように前へ飛び出した。
「木の葉秘伝んんん!」
サスケにしては高い声。煙を上げて、変化した髪の色は目を見張る金色。迎撃はもはや間に合わない。虚を突かれ続け、できた隙。その短いほんのわずかな間をカカシは突かれた。
ナルトの虎の印は、もはやどうすることもできないカカシの背後から、見事に突き刺さった。
「――――千年殺しっ!!!」
絞められる直前の家畜の叫びのような声が、演習場に響き渡った。
地面に横たわったカカシは弱弱しくため息をついた。
尻が酷く痛い。絶対に切れている。今日の夜辺りが地獄だろう。瞬身の術と千年殺しの組み合わせは凄まじい威力を持ってカカシのあの部分を貫いていた。
カカシをして数十秒もまともに動けないほどの痛み。もはや抵抗することも敵わなかった。ただ転がったままナルトを見上げるぐらいしかできない。
「ふっ」
ナルトは人差し指を上に向け銃口に見立てて息を吹きかけた。
「お前な~……演習とはいえやっていいことと悪いことがあるだろ、女の子なのに……」
「自業自得だってばよ」
「意味がわからん……」
悪びれた様子も見せない小憎たらしい顔でナルトはしゃがみ込むとカカシの腰から二つの鈴を取り上げた。
「よし、鈴ゲット」
「おい」
血も涙もない。カカシはナルトの評価を感情面で下げることにした。
再び溜息。息を整えつつ、上体を起こす。
「最初に手裏剣を投げたのはお前か……」
「お? あーそう。オレ」
――なるほどね。
影分身の術を使っていたとそういうことだろう。カカシは内心で独りごちた。
「――で、それからどうする?」
「どうするって?」
「その鈴をどうするってことだ。試験は鈴を取った者が合格だって言ったろ」
「え、まだ終わってないのかよ」
「当たり前だ」
ぶっちゃければ合格でも構わなかったが、そうやすやすと認めてやる気分にはなっていない。
「んー、じゃ、こうする」
ナルトは手に取った鈴をそのままサスケとサクラに投げて渡した。サスケは憐れむような表情で、サクラは複雑な表情でそれぞれ鈴を受け取った。
「カカシ先生はさ、鈴を取れとしか言ってなかったよな。オレはカカシ先生から鈴を取る。で、二人はオレから鈴を取る。ハイみんな鈴取った」
「まーもーそれでいいわ、合格」
そう言いつつカカシはナルトの頭頂に張り手を振り落した。
「いてえ!? なんで!?」
「ドヤ顔をするな。あ、いてて……」
「大丈夫かカカシ先生?」
「お前な……」
カカシは今度こそ呆れた表情を浮かべた。ナルトが立ち上がってカカシに手を伸ばした。誰がやったんだと、釈然としない思いをしながらその手を掴む。
「ワリィな、カカシ先生」
ナルトは少しだけ困った表情で小さく、カカシ以外には聞こえない程度の声でそう言った。尻のことか、と一瞬思ったが、どうも違うように感じた。
手を離すと、ナルトは煙を上げて消えた。分身を解除したようだ。
前で会話をする三人を見る。
素晴らしいチームワークだった。望むべくもない結果だった。
合格を勝ち取った三人は歓声を上げるでもなく、静かに言葉を交わしている。ナルトを見るサスケの瞳には何かを探りつつ同時に戸惑いのようなものが見え、その二人をサクラは憮然と、押し黙ってみている。
協力する意義を教えるための演習だった。文句のつけようのない成果のはずだった。
しかし、これは確かに良い成果とは言い難かった。
「……なるほど、やっぱり前途多難だなこれは」
カカシはぼやいた。
影分身豆知識 影分身は消えるまで本体と意識を共有していません。消えると分身の記憶が本体に吸収されます。
本体ナルト『カカシ先生がちょっと変だってばよ』
分身ナルト『サクラちゃんとサスケがちょっと変だってばよ』
分身消滅後ナルト『全員変じゃねーか』