そうだ、家庭を作ろう。(修正中)   作:ほたて竜

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第七話

 場所は音ノ宮宅、そのとある一室からカリカリと紙と芯が擦れる音が複数響く。

 

 そこでは音ノ宮祐太と朝田詩乃の二人が、微妙に小さいちゃぶ台を共有して勉学に勤しんでいた。音ノ宮は数学、詩乃は英語と教科は違うものの、二人は大凡順当に問題を解いている。

 

 テスト一週間前になると、音ノ宮と詩乃の二人はこうして小さな勉強会を開く。基本的には詩乃の方から音ノ宮に質問する形が多いが、二人ともそのことを疑問に思う事はなかった。片や元教師兼男子生徒で、片や現役女子中学生なのだ。こうなるのは必然と言えた。

 

 さて、そんなある日の事である。ふと、問題集にある例題を見て音ノ宮は手を止めた。

 

 「……連立方程式かぁ」

 

 どこか懐かしむような声音で呟く。簡単な文字式が並ぶ問題の数々を見て、音ノ宮はほくそ笑んだ。

 

 基本、今世でも音ノ宮祐太は勉強を怠ることはしない。いくら前世の記憶があろうとも人間は忘却していく生き物である。ましてや勉強のことなど、日常で使わない限りきっかり忘れてしまうのだ。しっかり予習復習しなければ、今は良くとも受験時に相当苦労することになる。

 

 とはいえ、一度身に着いたことはもう一度やり返せば思い出すのも事実。音ノ宮は他の生徒に比べたら何十倍ものアドバンテージがあった。

 

 傍から見れば、音ノ宮の一問解いただけで問題の全てを理解する姿は天才に映るだろう。しかしそれは半分正解で、半分は間違いである。確かに彼は秀才ではあるが、決して努力をしなかった訳ではない。それは今世でもそう。

 

 「どうしたの? そんな顔して、まさか分からない問題が?」

 

 詩乃が辞書を片手にそう問いかける。受験期でもないのに辞書を使って英語の課題、もとい予習復習に取り組む姿に音ノ宮は素直に好感が持てた。

 

 中学校の英語はどうにも蔑ろにされているのか、クラスメイトの連中はさほど勉強をしない。そんな事では高校に進学した後苦労するだろうと、音ノ宮は一度注意したことがあるのだが、結局彼の声に耳を傾けたのは詩乃だけであった。

 

 因みに詩乃の成績はかなり優秀な部類である。少なくとも全国模試では上位の位置に君臨し、更にはこうして全国一位二位を争う音ノ宮のレクチャーも受けている。

 

 そんな詩乃にとって不思議だったのは、音ノ宮祐太の教え方は時として学校の教師よりも分かりやすい時があるという事だ。まるで彼女の視線に合わせた教えに最初は驚愕したが、彼が将来教師を志望してると聞いて納得がいった。

 

 初めに出会った時といい、確かにこいつは教師に向いていると、詩乃はそう思ったのである。

 

 だから音ノ宮が数学の問題で手こずっているなどと微塵も考えなかった。それでも「分からないのか」と聞いたのは彼女が負けず嫌いだからか。

 

 「いやな、少し懐かしいと思って」

 

 微笑みながら告げる音ノ宮。屈託のないその笑顔は、大半の人々を安心させるだろう。しかしながら今彼の目の前にいる少女は違った。

 

 「懐かしいって。貴方どれだけ勉強してるのよ……」

 

 「はぁ」と、もはや恒例となるため息をついては、つんとこめかみに指を当てる。詩乃にとって最終的な目標は勉強において音ノ宮に勝るという事である。

 

 しかしこうも差を見せつけられると精神的に厳しいモノがある。詩乃から見れば、音ノ宮は一生懸命に部活に部活に取り組みながら、勉学でも好成績を叩き出す化け物である。

 

 対して詩乃は部活をしてないので、必然的に勉強に打ち込める時間は長くなる。それで尚、彼に届かないのが腹立たしくて仕方がない。

 

 ――――――負けたくない

 

 ただその一心で音ノ宮に追いつこうと努力する内に、詩乃は自分が思っている以上に良い成績になっているという事に気づいた。しかし彼女の目標は未だ程遠く、その目標は彼女よりも先を見越している。

 

 だから彼女は努力する。

 

 ハッキリ言ってしまえば、音ノ宮以外の人間は眼中にない。ただ彼の『強さ』の、その片鱗を得るために彼女は彼女の出来る限りの事を今も、そしてこれからもするだろう。

 

 ただし今回の場合、音ノ宮の言う『懐かしい』とは前世にて得た知識を思い出したことから来る言葉である。対して詩乃は、彼の言葉の意味を『大分昔にその単元を予習して、今日久しぶりにそれを見た』と解釈していた。全くもって噛み合ってないが、お互いがそのことに気が付いていないのだから、そのことを訂正する者もいない。

 

 「どうだろう。一日三時間は何とかするよう努めているが、最近は部活の練習も厳しいしな」

 

 詩乃の問いかけに律儀に答えながら、音ノ宮はシャーペンを走らせる。迷いのないその動作は、彼の学力の高さをありありと証明している。

 

 そんな彼の姿を盗み見ながら、詩乃はある疑問を抱いた。

 

 「……そう言えば貴方って柔道部に入部したのよね。どうして?」

 

 「どうしてとは?」

 

 「だから貴方ってどう見ても草食でしょ? 体も細いし、貴方の性格からもあまり考えられないスポーツだから、どうして柔道を選んだのかなって」

 

 詩乃が言うと、音ノ宮はまたもノートを書く手を止めた。そして少し考える素振りを見せた後、苦々しそうに口を開いた。

 

 「そ、そうだな。答えると笑われそうだから嫌だ」

 

 そう告げた後、彼はゆっくりと立ち上がってそのまま部屋を出ようする。

 

 しかしそれを見逃す詩乃ではない。彼女は立ち上がる音ノ宮の手首をすぐさまがしっと掴んだ。音ノ宮も抵抗するが、詩乃はそれ以上の力で掴んで離さない。

 

 逃げる位なら興味を煽る様な事を言わなければいいのにと、詩乃は思う。しかし心とは裏腹に、彼女の顔は加虐心満点だった。

 

 「座りなさい」

 

 「……はい」

 

 にっこりと笑う詩乃。ソレを見て自身の身の危険を察した音ノ宮は、顔を強張らせながらかくんかくんと糸釣り人形の様に頷いた。そうして言われるがままに座る。

 

 十代の少女にたった数秒で沈められる精神年齢が推定八十台の男子の図である。

 

 「で、その笑われそうな事って何よ」

 

 しれっとした顔で尋ねる。対して彼女の対となる位置にいる音ノ宮の表情は、更に苦しそうになる。それを見て詩乃は言いようのない快感を覚えた。無論そのことは表情に出さない。

 

 「……言わなきゃダメか?」

 

 「当然でしょ」

 

 コンマ数秒もない即答にげんなりする音ノ宮。しかし彼は決心したように息をついて、詩乃の目を真っ直ぐ見た。それはもう、超真剣な表情と本気(マジ)な目つきで。

 

 突然の行動に詩乃は目を見開いて驚く。また、それに伴い少しだけ頬が朱の色に染まるが、心に余裕がない音ノ宮はそのことに気づくことはなかった。

 

 「な、なによ」

 

 「いいか、これは絶対に誰にも言うなよ」

 

 もはやお願いというよりも強制だった。

 

 口止めを強く希望する音ノ宮の要求に、詩乃は戸惑いながらも静かに首を縦に振る。ちょっと強引な彼もいいかもと、少し今の状況とは別のことを考えながら。

 

 ――――――しかし、だ。

 

 すぐに冷静に帰った詩乃は思う。あの音ノ宮祐太がこうも取り乱す理由とは一体何なのだろうか、と。そしてたかが入部するのにここまで焦ることもないだろうに、と。

 

 詩乃は音ノ宮が何と言うのか、その言葉が気になって内心ワクワクしていた。

 

 「……実はモテたいんだ、自分は」

 

 世界が凍った。

 

 否、詩乃の身体、より正確に言うなら彼女の心だけが固まったのである。

 

 それはもう放心と表現しても過言ではなかった。おおよそ、彼が発するような言葉ではなかった気がする。故に受け入れられない。

 

 今この男は何と言った?

 

 「あの、ごめんなさい。もう一度言ってもらえるかしら」

 

 震える唇を必死に動かしながら、詩乃はほとんど無表情で聞き返す。一世一代の告白をした気でいる音ノ宮も、一度や二度くらいでは何も変わらないと考えたらしい。

 

 彼は紅潮した面持ちのままカミングアウトした。

 

 「いやだから自分はモテたいんだ」

 

 嗚呼、どうやら聞き間違いではなかったらしい。認めたくないが、確かに音ノ宮の口から「モテたい」というセリフが出てきた。そもそもそういう(・・・・)言葉を知っていたことに詩乃は軽くショックを受けた。

 

 何と言うか、相変わらず詩乃の予想の斜め上をいく男である。そんな風に思いながら、やはり詩乃は無表情のまま変な笑いを零した。

 

 「……あぁ、そう」

 

 だなんて、そんな声しか出ない。逆にどうリアクションすればいいのか詩乃には分からないのである。

 

 それは詩乃に限った話ではない。恐らく、音ノ宮を少しでも知っている人間が今の彼の発言を聞けば、誰しもが驚愕することだろう。寧ろ詩乃の反応は極めて冷静だったと言える。

 

 「で、どうして柔道をすることが女子に好かれる事に繋がるのよ」

 

 暫くしてから、より正確に表現すると三分を用いてお互いが冷静になってから、詩乃の方から音ノ宮に問いかける。意外と立ち直りの速い二人であった。

 

 「それはアレだ。運動も出来て頭もいい男子は超モテるとネットで書いてあったからだ」

 

 「前にネットの情報はあまり当てにしない方が良いって偉そうにご高説してたのは、果たして誰だったかしら?」

 

 「ぐぅ」

 

 音ノ宮は苦しそうに呻く。しかしこれだけで詩乃の追撃は終わらない。

 

 「というか、貴方って運動神経そこまで良くなかったわよね。確か平均よりもちょい下……」

 

 「すまん、それ以上はやめてくれ。ホント、やばいです」

 

 悪魔が言い切る前に、音ノ宮が降参の白旗を上げる。割と辛そうな表情である。だが最近サディズムに目覚め始めた詩乃にとってソレは格好の餌でしかない。

 

 「今度機会があったら柔道部の練習試合でも見に行こうかな。うん、そうしよう、誰かさんの試合を見に」

 

 「いいんじゃないか? 詩乃が来てくれたら部内の連中も喜ぶ」

 

 「え?」

 

 あれ、と詩乃は首を横にする。思っていた反応と違ったからだ。

 

 彼女の求めていたのは、涙目になって詩乃に許しを乞う音ノ宮祐太の姿である。だが今彼女の前にいるのは、いつも通りの堅物な印象を受ける音ノ宮祐太。言うならば理想とは程遠い姿だった。

 

 「知っているか? 柔道部の部員の過半数は皆女子に飢えている。もし詩乃のような可愛い女の子が自分たちの応援に来てくれたら、きっと奴らの意欲は湧くことだろうよ」

 

 「え、えぇ?」

 

 「しかし、そうなると一つ問題が生じるかな。なんせ獣欲の塊のような連中だ、何かあっても自分は朝田の言う通り運動神経が皆無だから、どうしようもないなぁ」

 

 「ね、ねぇ、ちょっと」

 

 「はぁ、ごめんなぁ、自分は運動神経ないからなぁ。どうせ自分は運動が苦手だし? 勉学しか取柄がないし」

 

 そこまで言われて詩乃はようやく分かった。

 

 というかキャラの崩壊が進み過ぎて、逆に気づかない方が難しい。この男(音ノ宮祐太)、かなり面倒くさい拗ね方をしているのだ。よく見れば音ノ宮の口は心なしか尖っている。

 

 「もう、私が悪かったわよ。だからそんなに拗ねないで」

 

 「……拗ねてなんかない」

 

 完全にへそをまげていた。

 

 「はぁ、全く貴方って」

 

 そうため息をつく詩乃の顔は嬉しそうだった。こうして音ノ宮と時間を共にすると、新しい彼を見れる。それが詩乃にとっては堪らなく喜ばしい事だった。

 

 ――――――こんな時間がいつまでも続けばいいのに

 

 詩乃は音ノ宮の機嫌を取りながらそんな事を思い浮かべた。

 




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