そうだ、家庭を作ろう。(修正中)   作:ほたて竜

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第五話

 ――――――ピンポーン

 

 ありきたりなインターフォンの音色。彼女は静かにチャイムから指を離す。それから暫くしてから、家の中からは「はぁい」などとおっとりした女性の声が聞こえてきた。

 

 『彼』の家の前で無言で佇む少女、朝田詩乃は肩に自分のカバンをかけて、左手には少なくない量のプリントが挟まれた安物のファイルがある。これは詩乃が熱で欠席した『彼』に渡してほしいと、放課後担任に頼まれた代物である。

 

 貧乏くじだとは思わなかった。一体『彼』はどんな所に住んでいるのか、彼女は少なからずその興味があったからである。だからもし仮にこれが他の生徒だったら、おそらく詩乃は担任の頼みを断っていただろう。

 

 「お待たせしましたー。あら、どちら様かしら」

 

 玄関を開けたのは『彼』の母親であろう女性。

 

 艶がかった黒髪のロングに、顔立ちは同じ女性である詩乃でさえ綺麗だと思わせるほどの美人。

 

 「音ノ宮君のクラスメイトの朝田です。彼のプリントと宿題を届けに来ました」

 

 まごうことなき美人を前にして、詩乃は特に狼狽えることなく目的を伝えることが出来た。それは玄関の前で佇む女性の纏う空気が、人を安心させるような母性に溢れたモノだからだろう。

 

 詩乃はそれが羨ましく思えた。

 

 「あらあらー。わざわざありがとねー」

 

 そう言いながら女性は詩乃の持つファイルを受け取る。すると何か思いついたようにパンと軽く手を叩いて、詩乃を見つめ始めた。

 

 突然の出来事に詩乃は戸惑い、まったく負の感情を感じさせない目で見つめられてか、今度は呆れてしまう。この人は不条理とか理不尽とかを知らないのではないか、そう思わせるほど目の前の女性は純粋過ぎたのだ。

 

 だからだろうか、そう考えると眼前の女性が憎らしくなった。

 

 きっと彼女は今まで特にアクシデントもなく無難な人生を送ってきたのだろう。一軒家を買える程度の経済力を持った男と結ばれて、何事もなく『彼』のような子を産む。

 

 ああ、何て幸せそうな顔だろう。私はそんな温かい家庭など、とっくの昔に瓦解しているというのに。

 

 「……あの、帰っていいですか?」

 

 醜い感情が静かに沸き起こるのを自覚した詩乃は、もうこの場所には居たくなかった。詩乃にとって唯一の理解者と言える『彼』は、その実普通の家庭で育っていた。

 

 詩乃はそんな『彼』を、音ノ宮祐太を失望してしまった。

 

 そして自分勝手な理由で音ノ宮を幻滅する自分を嫌悪したくなり、もういっそのこと消えたいという思いに駆られるのだ。帰っても待っているのは温かい家庭ではなく、守るべき母親と厳格な祖父だ。だが、それでもここよりは何倍も良かった。

 

 「あら、ゆうたは見ていかなくていいの?」

 

 心底不思議そうに首を傾げて、女性は詩乃を見つめる。やはりそこには悪意など一片も感じらない。あるのはただ詩乃を心配する一人の善良な瞳。

 

 まるで自身の汚さを見せる鏡の様な人だと、詩乃は思った。

 

 「詩乃ちゃんが来てくれたらゆうたも喜ぶわ。少しだけでいいから、ね?」

 

 いつの間にか詩乃の手を取り、音ノ宮祐太の母親は家の中へ入れと促してくる。何故彼女が詩乃の下の名前まで知っていたことはこの際置いておくとして。

 

 ここで強引に彼女の手を振り払うのは簡単である、しかし、そうすることで音ノ宮に嫌われてしまうと思うと、詩乃にはどうすることもできなかった。

 

 ――――――私が音ノ宮君を失望するのは良いのに、音ノ宮君から嫌われるのは嫌だなんて、どこまで自分勝手な女だろう、私は。

 

 詩乃は心の中でそう呟く。

 

 彼女のあの時(・・・)の行動を、決して悪ではないと断言した男子。とても同い年とは思えない硬い口調に、いつもは穏健で人畜無害な癖して、いざと言うときは誰よりも厳しい人。

 

 恐らく詩乃が音ノ宮を拒絶すれば、音ノ宮は二度と詩乃と関わらないよう努めるだろう。逆に彼から詩乃を拒絶することはありえない。

 

 分かっていても、詩乃は音ノ宮に嫌われることだけは絶対に嫌だった。

 

 「……分かりました」

 

 だから女性の手を振りほどくなど、詩乃に到底出来る筈がなかった。

 

 返事を返した直後に、女性は「あらあら、それじゃあ中に入って」とやんわり朝田の手を引く。詩乃も内心どう思っているかは兎も角、ただされるがままに着いていく。こうして存外あっさりと朝田詩乃は音ノ宮家の城に入った。

 

 「……はぁ」

 

 何故こうなったと、詩乃は仕方なく玄関で靴を脱ぐ。女性は二階に上がってすぐ近くに音ノ宮祐太の部屋があると告げてから、そのまま居間の方にちょこちょこと小走りで去っていった。

 

 冷蔵庫を開ける音が微かに聞こえてきたので、飲み物か何かを取り出しているのだろう。そこまでする必要ないのにと、詩乃は小さくため息交じりに呟いた。

 

 「二階、ね」

 

 あまり気乗りしないが、ここまで来たからには音ノ宮君の顔くらいは見ておこう。そう考えて詩乃はやはり気乗りしない足取りで階段を上がっていく。

 

 音ノ宮祐太の部屋らしき扉の前まできて歩を止める。そして軽く二回ノックして「朝田よ」と告げる。しかし返事はこない。

 

 「寝ているのかしら」

 

 ノックをするという義務は果たした。詩乃は迷わず扉を開けて、音ノ宮祐太の部屋に入る。

 

 まず初めに詩乃の目に着いたのは、ベッドで静かに横たわる音ノ宮祐太だった。彼は苦し気に顔を歪ませ、額からは決して少なくない量の汗を流している。

 

 普段の彼からは想像すらできない姿だった。詩乃の知る音ノ宮は多少の苦行では音を上げないし、ましてや病気にかかるなど到底ありえないからだ。だがそれらの固定観念を打ち砕いたのは、他でもない音ノ宮自身。

 

 当たり前だが、彼も人間だったのである。しかし、その当たり前を理解してなかったことが、詩乃にはあまりにも恥ずかしく思えた。

 

 「……大丈夫、音ノ宮君?」

 

 詩乃は掠れた声で呼びかけるが、当然眠りについている音ノ宮には届かない。

 

 「……ねぇ、本当に大丈夫?」

 

 息はしている。汗を流し、身体も脈打っている。故に生きている。

 

 だが詩乃の不安は増していった。返事を返されない、それがどれだけ恐ろしい事かを思い知る。たかだか数秒でこれだけの不安感を覚えるのだ。母があの時壊れてしまったのもうなずける話だと、詩乃は思った。

 

 「……よし」

 

 詩乃は肩に下げたカバンをその場に置いて、来た道を戻る。階段を下る途中で音ノ宮の母親に遭遇したので、詩乃は彼女に向かってこう言った。

 

 「私、音ノ宮君の看病します」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 「……あぁ、全く」

 

 酷い夢を見た。詳細は省くが、前世は決して良い事ばかりではなかったとだけ言っておこう。

 

 何げなく周囲を見渡す。家族が自分のために用意してくれた勉強机、沢山の本がびっしり並んでいる本棚はいつも通りである。しかし一つだけいつも通りではない物、いや人が居た。

 

 「……あさ、だ?」

 

 「随分と遅いお目覚めね、音ノ宮君。こんにちは、いえこんばんは、かしら」

 

 何故か朝田が居た。それも制服姿である。

 

 「ああ、今は夕方だから後者で合っている。しかし、何故君が?」

 

 状況から見て、朝田が自分の看病をしてくれたのは明らかだ。だがしかし、何故彼女がここにいるのかは検討もつかない。というか、自分を看病してくれるほど彼女は時間に余裕があっただろうか。

 

 「こう言っては何だが、朝田は早めに帰宅しなければ都合が悪いのではなかったか?」

 

 「勿論家には連絡したわよ。今くらい私の心配よりも自分の事を気にしたら? 熱は大分下がったとはいえ、安静にしないと熱なんて何時ぶり返すか分からないんだから」

 

 まぁ、確かに朝田の言う通りだ。

 

 実は自分こと音ノ宮祐太は、頻繁に熱を起こす。それは別に病気に弱いという訳ではないが、かといって何度も熱に掛かる明確な理由も分からないでいる。しっかり手洗いとうがいは心掛けているし、何なら消毒もしてる。

 

 仮説としては、これは転生の影響なのではないかと考えている。

 

 よくよく考えなくとも、発達の途中である子供の脳に、いきなり半世紀以上の情報を流し込むのは危険が過ぎる。例えば情報を小出しにすれば或いは話は別かもそれないが、人間の脳はコンピュータの様には出来ていないのでそれは不可能だ。

 

 だから自分の身体は脳を防衛するために、前世の情報をカットしているのではないかと考えた。しかし人間は忘却は出来ても、記憶を完全に失くすことは出来ない。何か切っ掛けがあれば記憶は甦るのだ。

 

 ともすると、自分はなにかしらの行動によって、記憶が無意識に生き返ったのかもしれない。

 

 思い返せば朝田とのコンタクトも、今の自分であればもっと上手く出来たのではないかと思っている。世迷言と言われそうだが、現に自分の思考は目覚める前よりも幾分もクリアだ。

 

 「……ああ、分かった。悪いな、こんな時間まで看病してもらったようで」

 

 「今更いいわよ」

 

 ぷいっと顔を背ける朝田。成程、これが巷で有名なジャパニーズツンデーレって奴か。いや、全く意味は分かってないのだが、こういう反応をする人間の事を指すらしい。

 

 「いや、それでもだ。汗も拭いてくれたのだろう? 本当に助かった、ありがとう」

 

 朝田が何を言おうとも、自分は確かに彼女の世話になったのだ。礼を尽くすのは当然の事である。

 

 自分は上体をゆっくり起こして、彼女を真っ直ぐ見る。顔は反らされたままだが、横から見てもどこか彼女の頬が赤みがかったように見える。

 

 「顔が赤くなっているぞ、どうした? まさか朝田も熱が……」

 

 「何でもないっ!」

 

 かつてない程すごい剣幕で、朝田はこちらに詰め寄ってくる。視界一面に移る彼女の顔は赤くなっていて、やはり熱なのではないかと心配になる。自分の熱が何か他の病気から生じたモノではないとも言い切れない。

 

 自分の病気が原因で彼女を苦しめたら本末転倒である。

 

 「無理はしない方が良い。苦しければ母さんに家まで送ってもらうよう頼むが?」

 

 「ああ、もう! 違うって言ってるでしょ!」

 

 額にシワが出来るほど強く目を瞑りながら何かに耐えるような物言いをされては、まるで説得力がない。

 

 「……本当に大丈夫か? 普段の君ならそんな風に声を荒げないだろうに」

 

 自分がそう告げると、朝田はプルプルと拳を震わせる。今度はなんだ、そう思っていると風を切る音が聞こえた。その次の瞬間に眉間に軽い衝撃が走る。朝田の指に小突かれたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

 手加減はされたようだが、それでも痛いものは痛い。自分は苦言を申そうとしたら、その前に朝田がまた指をコツンコツンと数度突いてくる。地味に痛い。

 

 「全く何でアンタはいつも……じゃなくて、今は自分の身体のことを考えてなさいよ。私の身体は私が一番分かってる。その私が熱じゃないって言ってるんだから熱じゃないの」

 

 「それは暴論だぞ。意外と人は自分の体調を……」

 

 「うるさい! いいから口ごたえしないでさっさと寝る! もし仮に私が赤くなってるんだったらそれは熱じゃなくて、ただ恥ずかしいだけ……って何言わせてんのよ! と言うかここまで否定してるのに全部言わせるなんて、やっぱり貴方って馬鹿なの!? 馬鹿でしょ!? いや大馬鹿よ!!」

 

 嵐の如く襲い掛かる朝田の台詞の半分が、いや全てが理不尽極まりないものだった。

 

 それが子供の癇癪の様な物であると何となく分かっているので、自分は少し露骨なくらい穏やかに微笑む。すると朝田は『ぷんすか』という擬音が似合うくらい顔を真っ赤にさせて怒り始めた。

 

 全くもって年頃の少女というのは分からない生物である。今日の教訓は、病気になったら朝田はとても面白くなるという事だ。

 

 




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