八雲藍
八雲紫の「式神」として長年使えており、幻想郷では最強格の妖獣とも呼ばれている。
ここで言う「式神」とは既存の妖獣等に式神という術を被せ、強化・制御したものを言い、藍の場合は九尾の狐という妖怪を媒体として、藍という式神を憑けている。
九尾の狐は数々の伝説にあるように、それ自体が最上位に位置する力を持つ強力な妖怪である。そこに藍という式神が憑くことによって超人的な頭脳まで併せ持っているため、その実力は計り知れない。
そんな強力な妖怪が式神の身に甘んじているのは、ひとえに主人である八雲紫の強大さによる。彼女と組めば力づくで逆らえる者は殆どいない。
ただし完璧でもなく、彼女は式神の身でありながら自らも式神を所有しているのだが、それに対して情が揺らいでしまう事があり、度々式神として不適切な行動という事で紫から仕置きを受けたりしている。自分の式神を今一つ言う通りに動かせない等、間抜けな部分も見られる。
そんな彼女は今来ている場所は人間の里。
幻想郷において、人間が住む里。狭い幻想郷の中では『里』と言えばここを指す。
昔ながらの木造平屋が軒を連ねており、主要な店の多さもあっていつも人間で賑わっている。
妖怪存続の為に、たとえフリでも「妖怪が人間を襲う」事が重要視されている幻想郷で、人間が命の危機をあまり感じずに生活できる数少ない地である。
妖怪が存在するためには人間の持つ心が必要不可欠なので、人間の種を残す意味でこの場所は存在する。その様は動物園のようだと喩えられていた。
幻想郷の人間の現状が変わらないように妖怪たちが見張っている、しかし昨今では人間を先導する何者かが現れ始め里は徐々に変わりつつあるようである。
今では里の中に”かぶき町”という少し風変わりな場所まで作られ。僅かながら人間が力を持ちつつある傾向にあり、その為最近は幻想郷のバランスが崩れぬように注意を払っている八雲紫が自らの式神である藍を里に行かせて情報収集させているのだ。
「幻想郷を人間によって掌握するために妖怪を放逐することを目指す組織……」
昼下がり、藍は甘味屋の前にある席に座り『文文。新聞』を眺めていた。普段は下らない事ばかり書かれているので滅多に読む気しないのだが、今回は少し気になる記事が小さく隅っこの欄にあったので読んでいたのだ。
「人間の身でありながら妖怪の住処を八箇所も潰した人物を筆頭に、彼等によるテロ活動がここ最近頻繁に起きている」
新聞に書かれている記事をスラスラと口に出して読んでいく藍。口に出しているのは隣で座っている男に聞かせる為である。
「「しかし私を含む多くの妖怪達はこれを相手にしていなく傍観している」か……」
「そりゃそうだろ」
欄の音読を隣で聞いていた男、八雲銀時が皿に乗った団子を持って食べながらあっさりとした口調で答えた。
「低級の妖怪は潰せても所詮は人間、鴉天狗や鬼の様な者達相手では勝負にもならねぇ、相手にするだけ時間の無駄ってこった」
「確かにこんな小さな記事になってる所から察するに妖怪がなんの脅威も感じていない証拠だな。我々が動く必要もないか」
「ちょこっとばかり探り当てるのも悪くはねぇと思うが、っておい」
銀時が取ろうとした皿に残った最後の団子を、隣から藍がサッと取って食べてしまう。
「甘い物は控えろと医者に言われてるんじゃなかったのか」
「テメェ、なんでそれ知ってんだ」
「紫様から聞いた、お前に甘い物の食べ過ぎを控えさせろとも忠告されている」
「あの野郎、余計な事言いやがって……」
嘲笑を浮かべている紫を想像した後、銀時は藍の方へ振り返り
「つうか前から思ってたんだけどお前どうして紫には最初から丁寧語で俺には最初からずっとがっつりタメ口なの? お前アイツの式神だよな」
「当たり前だ」
「てことはアイツはお前のママだ」
「なんでそうなる」
「という事は俺がパパになる」
「だからなんでそうなる」
「パパに対してなんだその口の利き方は」
「いい加減にしろ」
腕を組みながらいきなりお説教している感じで注意してくる銀時に藍はウンザリした顔で黙らせる。
「式神は主の絶対的な従者であって親子関係ではない、紫さまの事は母親だとも思った事はないし、ましてやお前を父親だと感じた事など一かけらも無い」
「やれやれいつになったら反抗期から脱却してくれるのかね、この娘は……よっと」
彼女との付き合いは随分と長いのだが、銀時に対してはいつもこの様に素っ気ない。
それでも無視はせずにまともに会話してくれる時点で一応それなりに藍が銀時の事をちゃんと見ているという証拠なのだが。
藍が団子を食べ終え、そろそろ出るかと銀時が席から立ち上がったその瞬間
「うわ!」
「お、悪い」
急に銀時が立ち上がったので傍を歩いていた少年にぶつかってしまった。
少年は派手に前のめりに倒れ、掛けていた眼鏡が藍の前に吹っ飛ぶ。
「いててて……」
「悪ぃなガキンちょ、怪我はねぇか」
「いえ大丈夫です、僕も前を見ていませんでしたし……」
そう言って少年はヨロヨロと体を起こしつつ、両手で地面を突いたまま外れた眼鏡を探していると
「探し物はコレか」
「え? ああすみません……誰だか知りませんがありが……」
目の前に落ちたので無視する訳にも行かず、藍はそれを拾って少年の方へ。
ヒョイっと目の前に眼鏡を手渡され、少年は礼を言いながらそれを受け取って掛け直すが、渡してくれた藍がはっきりと見えた瞬間急に顔色がみるみる悪くなる。
ふさふさに生えた九の尻尾、尖った二つの耳を隠しきれていない帽子を被り、獲物を狙う蚊の様な鋭い目つきをした……
「よ、よ、妖怪だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「なんだ急に」
「す、す、すみません! 命だけは! 命だけはご勘弁をぉぉぉぉぉぉ!!!」
藍を見るいなや悲鳴を上げたかと思いきや、今度は両手を地面に着いて深々と土下座をし始める少年。
いきなりそんな事を目の前でやられ藍が怪訝そうに見下ろしていると
「おいメガネ、何いきなり取り乱してんだよ。落ち着け」
「え?」
「コイツ別にお前を獲って食おうとかしてねぇから」
彼の反応を見ていた銀時が傍によって大丈夫だと促すと、少年は恐る恐る顔を上げた。
「それとコイツは妖怪じゃなくて式神な」
「式神?」
「要するにかつていた妖獣とか妖怪に式神っていう術を被せて強化したり制御した代物なんだよコイツは」
「……てことは元々妖怪だったものを術者が上書きして作り上げた存在って事ですか? ぶっちゃけそれ僕等人間からしたら妖怪と大して変わらないですよね?」
「なんだ察しがいいなお前」
「前に寺子屋で、そんな事を教えてもらった覚えがあったのを思い出したんで……」
簡単な説明を聞いていち早く理解した彼に銀時が素直に感心していると、少年は我に返ったのかゆっくりと立ち上がる。
「すみませんいきなり取り乱しちゃって、実は前に妖怪に襲われた事があったんですよ……それっきり妖怪に対して思いきり過剰な反応する様になっちゃってて……」
「襲われた? 人間の里でか?」
「いえ、博麗神社です」
「博麗神社ぁ?」
博麗神社で妖怪に襲われたなどと言う少年に銀時は思わず口をへの字にする。
「博麗神社つったら妖怪退治のプロの博麗の巫女がいんだろうが、そんな所に人間を襲う妖怪が出たっていうのか」
「いたんですよ確かに! あの時僕は姉上が新しい仕事上手くやっていけるようにと祈願する為に神社の賽銭箱に小銭を入れたんです、すると」
『……そんな小銭で願いを神様が叶えると思ってんの……』
『え?』
『叶えて欲しかったらありったけの食料よこせぇぇぇぇぇぇ!!!』
『ギャァァァァァァァァ!!!」
「って腹の虫を鳴らしながら血走った目で大口を開けた女の子が僕に襲い掛かって来たんです! どう見てもアレは僕を食おうとした妖怪に決まってるでしょ!」
「いやごめん、それウチの博麗の巫女」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
妖怪でなく人間、しかも妖怪退治を承っている巫女だと銀時は冷静に教えて上げた。
「タイミングが悪い時に参拝しに行っちまったんだな、アイツたまに腹減り過ぎて周囲のモノを見境なく襲い掛かるクセがあるから」
「見境なく襲い掛かるってそれ明らか妖怪並にタチ悪いじゃないですか!!」
「だから参拝する時は懐に何か食べ物を持っていけ。逃げる方向とは反対にそれを投げて注意を逸らせば簡単に逃げ切れるから」
「対処法まで妖怪みたいなんだけど!? 大丈夫なんですかそんな人が巫女なんて!」
襲われた時の対処法までキチンと教えてくれるのありがたいが、同時に博麗の巫女がそれでいいのかと少年は凄く不安になる。
「ま、まあ襲われたのが妖怪じゃなくて巫女だったって知っただけでも良かったですよ……もしかしたら僕等人間に対して妖怪が報復に来たんじゃないかとも思ってましたし……」
「報復?」
「大方コレが原因だと思ったんだろ」
安堵している少年に銀時が首を傾げていると、藍が手元にあった新聞をバサッと取り出して代わりに答えた。
「妖怪を襲う人間の組織。それのおかげで人間が妖怪から怒りを買い襲われたのだと思い込んでいたのだろ」
「なるほどね、心配ねぇよチェリーメガネ。俺等はお前等人間共が何しようが気にしちゃいねぇから、けどもし本物の妖怪に襲われた時は博麗の巫女や妖怪退治のプロに依頼しとけよ」
「チェリーメガネってなんだよ……え、でもちょっと待ってください」
銀時がキチンと説明してあげると少年はホッと胸を撫で下ろすがふと彼の言葉の中に気になる部分が
「俺等ってどういう事ですか? そっちの式神さんはわかりますけど、もしかしてあなたも人間じゃないですか?」
「ただの人間が千年以上生きていける訳ねぇだろ」
「せ、千年以上!?」
「この男は不老不死だ、妖怪でもなく人間でもない存在だ」
「不老不死!?」
銀時と藍から聞いて何度も仰天する少年。確かに不老不死の様な者がこの幻想郷に複数いるとは噂で聞いてはいたが
まさか目の前にいるこの天然パーマの男がそれだってなんて……
「驚きました……てことはその式神さんはあなたが所有しているんですか?」
「私の主はこんなちゃらんぽらんではない、私の名は八雲藍、主の名は八雲紫様だ」
「ええ! あの幻想郷の賢者と呼ばれているあの恐ろしい大妖怪!?」
「そしてこの男はその紫様の夫だ」
「ちーす、紫ちゃんの旦那の八雲銀時でーす」
「旦那ァァァァァァ!?」
藍の主があの八雲紫で更にその夫が銀時だと紹介されてますます目を開いて大げさなリアクションを取る少年。
「とととと、とんでもない大物の身内じゃないですか! あのさっきはぶつかってマジすんませんでした! 靴でもなんでも舐めるんで奥様にご報告はご勘弁を!!」
「だから頭下げなくていいって、ホント小心者だなお前。そんなんじゃ生きていけねぇぞ」
またこちらに深々と頭を下げる少年に銀時は後頭部を掻きながらけだるそうに呟く。
「まあいいや、お前名前なんて言うの?」
「え? ”志村新八”ですけど?」
「そうか、新八、人生の大先輩としてお前に大事な事を一つだけ教えておいてやる」
「どうしたんですか急に……」
志村新八
人里にある剣術を教える道場の跡取り息子であり極平凡な色恋も知らぬ少年である。
ちなみに彼の実家である道場で教える剣術はあくまで護身術であり、決して妖怪を襲う為に剣術を教えている訳ではない。
その新八に対して銀時は共に幻想郷で生きる者としてアドバイスを送ってあげた。
「もし妖怪に襲われそうになったらその眼鏡を外してぶん投げろ、そうすりゃ妖怪は眼鏡じゃなく眼鏡を掛けていた方を襲うはずだ」
「いやそれ何も変わってねぇだろうが! 眼鏡外す意味あんのそれ!?」
「大ありだ、眼鏡を掛けてない方を囮にして眼鏡だけ逃げる。名付けてピッコロさんの腕作戦だ」
「眼鏡だけ逃げるってなんだよ! 眼鏡に手も足も生えてねぇよ! 本体食われて終わりじゃねぇか!」
「え? 眼鏡の方が本体じゃねぇのお前?」
「当たり前だろ! さっき人間だって言っただろうが! 眼鏡が本体の生物とかどう考えても妖怪じゃねぇか! こちとら16年間ずっと人間だよ!!」
アドバイスというより完全に悪ふざけである、それにビシビシツッコミを入れた後新八ははぁ~とため息を突いて
「なんなんですかアンタ……もうちょっとマシになる事教えてくださいよ」
「そうだな、じゃあもう一つ」
不満げな新八に隣に立っている藍を手で指す銀時。
「ウチの藍がさっきから帰りたいと思っているのにお前に付き合っている俺に対して徐々にイライラし始めている、これはかなり危険な状態だ」
「危険な状態じゃねぇよ! サラッと命の危機じゃねぇかこっち!!」
「イライラはしてないが食ってやろうかとは考えている」
「ギャァァァァァごめんなさい!!」
銀時の言う通り藍は無表情ではあるものの明らかご機嫌斜めの様子だ。
思わず謝ってしまう新八に銀時はポンと肩に手を乗せて
「という事でこの辺に豆腐屋あるだろ、今すぐ油揚げ買いに行くぞ」
「いきなりなんすかそれ! なんで油揚げなんですか!? それで機嫌直るっていうんですか!?」
「コレが実際中々効くんだよ、ほら行くぞ」
「あ、ちょ! 待ってくださいよ”銀さん”!!」
本当なのかと疑って来る新八をよそに銀時が突如走り出すので、新八も慌ててついて行く。
もはや彼の中で銀時に対する先程までの恐怖心はすっかり無くなっていた。
ただがむしゃらに彼に追いつこうと追いかけて行く
コレが銀時による言葉を用いないアドバイスだという事を、彼自身が気付くのはまだ先の事であった。