ダンジョンでLv.6を目指すのは間違っているだろォか   作:syun zan

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決死

(ああ、もう!!なんでこんな時に一方通行さんと別れちゃったんだよ僕は!!)

苛立ち混じりに街中をかける二人は、白髪の少年(ベル・クラネル)黒髪の少女(神ヘスティア)は、逃げていた。

一度入れば出てこられないとまで言われるオラリオのもう一つの迷宮、

『ダイダロス通り』の中を、

その上に下にと錯綜する複雑な隘路の中を、入り混じる複数の階段を、

二人は縦に横にと駆け回る。

住宅街であるはずのダイダロス通りだが、今は人気(ひとけ)がない。

それも当然だ。

住人たちも彼らと同じように逃げ去っていったのだから。

二人を追う怪物(モンスター)、“シルバーバック”から。

『グガァ!』

「……!」

ベルとヘスティアは今にも追いつかれようとしていた。

高い【敏捷(にげあし)】のステータスを持つベルはともかく、権能のほとんどを封印している神の、ヘスティアの身体能力は一般人と変わらない。

むしろここまでよく持った方だ。

ぐんぐんと距離を詰めていくシルバーバックは、遅れがちとなったヘスティアに今にも手を伸ばそうとしていた。

「神様、そこ曲がります!」

「う、うんっ……!」

二人はそれまで走っていた道を急遽外れ、別の通路へ、そしてそこからもすぐに逸れ、また別の経路へと、幾度も進む方向を変えた。

(振り切った……?)

ベルは後ろを振り返り、そこにシルバーバックの姿がないことに安堵しかけた。

しかし、

「───」

ベルは知覚し、認識してしまった。

何かを蹴るような音と石材が軋む音を、足元に広がる大きな影を。

(しまっ───!)

二人の真上、家屋の隙間から見える青い空から降ってくる白い物体。

野猿のような怪物は、迷宮の作りを無視し、軽やかな身のこなしで建物の間を移動し、ベルとヘスティアの間に降り立った。

『ギァアアアアアアア!』

「ッ!」

「ぁ!?」

爆音に近い着地音とともに、二人を繋いでいた手は離れ、分断される。

ベルはヘスティアのもとへ急いで駆け寄ろうとするも、顔を振り上げたシルバーバックと正対する格好となり、

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

その咆哮(ハウル)を、真正面から浴びた。

「───ひっっ!?」

ベルは完全に『恐怖』状態に陥り、いとも容易く強制停止(リストレイト)に追いやられた。

『ルガアァッ!』

咆哮が呼び起こすのは原始の『恐怖』。

しかし、シルバーバックの威圧が呼び起こしたのはそれだけではない。

『ミノタウロス』(トラウマ)

今もベルの脳に染み付いたその『恐怖』が、ベルの身体を竦ませる。

(───ぅ、ぁ)

ベルにとって、眼前の敵は今の己では太刀打ちない、絶望の象徴(ミノタウロス)と面影が被る怪物。

ベルにとって、その奥にいる少女は、今の己が守るしかない、己以外には守れない、大切な存在。

(怖い───)

逃げたいという思いと、助けなきゃいけないという思い。恐怖と、義務感。臆病風と、使命感。対立する本能と義務感がせめぎ合う。

(怖い───)

逆らうことを許さない衝動に、彼の中のちっぽけな責任感はいとも簡単に折れそうになる。

(怖い、けどッ───)

それでも。

(───僕は、『男』だろ!!)

『男』の意地が、内から聴こえてくる祖父の声が、

彼に後退を許さない。

『女の子』を置いて、逃げることを許さない。

「───うああああああああああああああっっ!!」

ありったけの力を込めてベルも咆哮し、大地を蹴る。

『ガァァァッ!』

シルバーバックは迎え撃とうと棍棒のような左腕を振るうも、

ベルは頭を下げて回避し、鞘から短刀を抜き放ち、すれ違いざまに全力の斬撃を叩き込んだ。

「っっ!」

が。

キィンッ、という金属の悲鳴が響き渡った。

傷ついたのはモンスターの体躯ではなく、斬りつけた刃の方だった。

その純白の剛毛の前に刃は通らず、銀の粒子へと姿を変えていた。

(───刃こぼれ!?)

無数の破片と化してしまった刀身を目にして、ベルの頬が引き攣る。

ベルの低い力のステータスでは、シルバーバックの耐久を貫き得ないという現実に、彼の足は歩みを止めてしまい───

「ぎっっ!」

彼はその細い体をシルバーバックの両手で握り締められ、振り回され、そのまま壁に叩きつけられた。

あまりの激痛に一瞬ではあるが呼吸は止まり、目は限界まで見開かれる。

その視界には、

『グルァ……ッ!』

もうほんの少しで触れようかという位置に、大きく口を開け、鋭い牙をのぞかせた醜悪な怪物の顔が入る。

「ベル君っっ!」

(このままじゃあ、やられる……!?何か……何かないのか!?)

ベルはヘスティアの叫び声を耳にしながら身じろぎ、脱出するためのチャンスを探す。

すると、その指が何かに触れる。

そこにあったのは壁に設置された一つの魔石灯。

考えている余裕はない。

すぐさま手を伸ばして壁から拳大の魔石灯を取り外し、手早く操作して光量を最大にする。

そして、手の中で煌々と輝く魔石を、モンスターの瞳に向かって───押し付けた。

『ギゲェエエエエエエエエエッ!!』

その光に瞳を焼かれ、シルバーバックは絶叫する。目を押さえ、数歩後ろに下がる。

掴んでいた手が離れ、ベルはどさりと地面に落ちる。

痛む体に鞭打ち、泣きそうな顔で駆け寄ってきたヘスティアが口を開く前に、その手を取って怪物から逃げ出す。

「ベル、くん……?」

「っ……!」

悔しい。

そんな気持ちがベルの心を支配する。

いくら勇気を振り絞ったとしても、弱い自分では彼女を守りきることはできない。

惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、怯弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱。

受け入れたと思っていた嘲笑の言葉たちが、少年の心を苛む。

あの時、狼人に言われた言葉が、憧れの人(アイズ・ヴァレンシュタイン)も聞いていた、雑魚という言葉が、何度も少年の脳内に浮かんでくる。

同じなのだ。あの時と。

弱い自分が、こんなにも悔しい。

『ウォオオオオオオオオオオオオオッッ!』

「!」

怒りに燃えた獣の遠吠えがダイダロス通りに響く。

敵はまだ追いかけてくる。

(このままじゃあ……!)

ベルは思考する。

きっとまた追いつかれるだろう。そうすれば三度目はない。

(どうする……どうすればいい?)

少女を、神様を守るための、助けるための方法を必死に考える。

「───」

そして、閃きとは言えない簡単な答えが頭の中に見つかった。

それは単純な思考の帰結。力なき少年にもできる打開策。

初めから守る必要なんてなかったのだ。

───()()()()()()()()()()()()、それでいい。

「お、おいベル君、どうしたんだよ……?」

一切の感情が消えたような少年の表情に、ヘスティアは疑問と恐怖を抱き、少年に問う。

少年は、なにか大変なことをしようとしているのではないかと。

しかし、ベルはその問いには答えず、ひたすらに細い道をすり抜けていく。

その道の先にあったのは隣の居住区(ブロック)に出られるらしい隧道───狭い地下道だ。

ベルは有無を言わせず少女をその奥へと進ませると、ゆっくりと、入口に備えられていた封鎖用の鉄格子をスライドした。

ヘスティアは驚いた表情で振り返る。

「ベル君!?何を…‥!?」

「……ごめんなさい、神様」

鉄格子が締まりきり、少年と少女の間に冷たい境ができる。

少年は沈痛な面持ちで、謝罪の言葉を口にした。

「神様は、このまま先に進んで、一方通行さんを、いえ、誰でもいいですから強い人を呼んできてください」

「ボクは、って……君はどうするつもりなんだ!!」

「……あのモンスターを引きつけて、時間を稼ぎます。僕だって、しばらく耐え切ることぐらいできますから」

ヘスティアを守れないベルに残された、ヘスティアを助けるための唯一の方法。

囮。

少年がシルバーバックを引きつけている間に、少女が安全地帯まで移動する。

超越存在(デウスデア)たる少女には、その真意が分かった。

少年の身は、もはや限界で、さほど長い時間耐え切ることはできないということを、

少年は、それを理解した上で死地に向かおうとしていることを、

少年が、今、自分のために死のうとしていることを、分かってしまった。

少女は愕然とした。叫ばずにはいられなかった。

「な、何を馬鹿な事を言ってるんだ、君は!」

「お願いします、神様。これっきりでいいです、僕の言うことを聞いてください」

「駄目だッ!許さないぞ、そんなことは絶対に許さない!ここを開けるんだ、ベル君!!」

「神様……」

少女は顔を大きく左右に振って、少年の願いを否定する。

その小さな体では開けられるはずのない鉄格子にしがみつき、必死に少年へ声を荒げ、叫ぶ。

少年は瞳を伏せ、少女の命令を否定する。

諦めたような、覚悟を決めたような、悲しい顔をして、少女の懇願に耳を傾けないようにする。

互いに身を案じてくれている相手の想いが感じられ、それが嬉しくて、嬉しくて、悲しかった。

時間がない。モンスターは既に視界を取り戻し近づいてきているだろう。

ベルは体を低くしてヘスティアの目線に合わせたあと、懇願するように言った。

「神様……僕はもう、家族を失いたくないです」

「……!」

ベルは、ありのままの本音を、ヘスティアにぶつけた。

オラリオに来る前、たった一人の家族を失ったベルは、その喪失感を覚えている。

空っぽになってしまった胸の痛みを覚えている。

「怖いんです、家族を失ってしまうことが……守れないことが」

少年は運命の出会いを求めてオラリオにやってきた。

しかし、その出会いは何も異性との出会いだけじゃない。

ベルは、確かに期待していたのだろう。家族の温もりに。神々が与える家族(ファミリア)という絆に。

少年は、家族を求めていた。

「だから、お願いします。僕に……家族(かみさま)を守らせてください」

少女は、この短いやりとりの間、見開いた瞳で少年を見つめ続け、やがて苦悶の表情を浮かべた。

「……ここから早く離れて、助けを求めてください」

「っ……ベル君っっ!」

最後に、それだけ伝えて少年は立ち上がる。

少女は悲しそうに眉を歪めて、少年を見上げ、遠ざかる背中へ言い放つ。

「ボクだって、君を、家族を失いたくない!!約束してくれただろう!?ボクを一人にしないって!」

「……大丈夫です。僕の『敏捷(にげあし)』の速さは神様も知っているでしょう?」

少年は、精一杯強がって笑い、一思いに駆け出す。

少女の声がどれだけ背中を叩いてきても振り返らない。

ごめんなさいと、何もできない自分のことを、約束を守れなかったことを、震える声でもう一度謝罪する。

「……っ!」

涙を腕でゴシゴシと拭い、ベルは元来た道を戻って再び十字路へ出る。

モンスターはまだ来ていない。

頭上にも注意を払いつつ、ベルはレッグホルスターから【ミアハ・ファミリア】印のポーション───1本の試験管を取り出し、中に詰まっているマリンブルーの液体を飲み干す。

疲労感は拭われ、体力は戻り、全身の痛みは和らぐ。

『ルァッ!』

シルバーバックが通路の奥から走ってやってくる。

ベルは今度は十字路の正面に立ち、振り返る。

『ゥ……?』

「来い、こっちだっ!」

小さな女神を見つけられないモンスターは首をひねる。

ベルは、声を高らかにモンスターを挑発する。

モンスターは十字路の中心で足を止め、右手の通路をちらりと見る。

ベルの呼吸が一瞬止まる。

『……ガァアアアアアアアアアッ!』

(よしっ!)

それでも、自分に向かってくるシルバーバックを確認し、少年は駆け出した。

複雑なダイダロス通りを駆け回り、方向感覚を見失いそうになるものの、

少年は壁に引かれた真っ赤な(ライン)───迷宮街の出口を指し示す『道標(アリアドネ)』を頼りに、ダイダロス通りの最深部へ向かっていく。

(……)

少年を見下ろす複数の怯えた住人たちの視線を、ベルは肌で感じる。

(一体、誰なんだ、この人……?)

ベルは、モンスターという厄介事を持ち込んでしまったことに負い目を感じる一方で、

その中に含まれる、たった一つだけ異質な視線を、他のものとは違う無遠慮に過ぎる視線を感じ取っていた。

ずっと前から、自分だけを注視し、舐るように見張る、いや、()()しているその視線に、

言葉にできない薄ら寒さを感じ、口を手で覆う。

『グルァ!』

「ぐぅ!?」

そんな視線に意識を引っ張られたからか、少年は上方より襲いかかるシルバーバックを往なしきれず、石畳の上に投げ出され、ゴロゴロと少し開けた空間に転がり込んだ。

中央には粗末ながら噴水があり、いくつもの通路が集まってきているここはおそらく憩いの場であろう。

『ガルアアアッ!』

「!?」

ヘスティアを見つけられないことに業を煮やし、興奮しきったシルバーバックはより苛烈な攻勢を仕掛ける。

天然武器(ネイチャーウェポン)を使いこなす10層以降に生息するモンスターらしく、

シルバーバックは両の手首と連結している鎖をあたかも鞭のように扱い始めた。

地面を砕き、壁を削る。暴風のような速度と威力。

大気を力任せに切り裂く不気味な風切り音がベルを繰り返し叩きのめす。

回避にしか、集中を許さない。

化物の腕力から繰り出される鉄の鞭の一撃は、ただただ凶悪だった。

「~~~~~ッ!!」

ガキンと音がした。

とうとう、捕らえられた。

頭部を狙った一撃。裂帛の吠え声とともに真一文字に振るわれた鉄鞭は、その芯で、少年を捉えた。

短刀を顔の横に構え、辛うじて弾くことには成功したものの、尋常ではない衝撃が少年の体を貫通する。

真っ赤な火花が少年の視界に散り、同時にその体が勢いよく横転する。

「あ、ぐっ……!!」

ベルは、地面にへばりついている上半身を震える腕で起こす。

しかし、痛みに悲鳴を上げる体はなかなかいうことを聞かない。

やはり歯が立たない。勝負にもならない。

そう視界のほとんどを埋める石畳を見下ろしながら少年は感じ、痛みと悔しさを噛み締める。

気持ちだけで無理やり首を持ち上げると、シルバーバックは噴水のそばで低く唸っている。

止めを刺す気だ。

手に鎖を持ち、ジャラジャラと金属音を奏でている。

ベルだって死にたくはない。心底死にたくはない。しかし、頭のどこかで諦めてしまっていた。

体に力が入らず、何より気力がもう尽きそうだ。首を持ち上げることすらもうできそうにない。

気がかりなのは、ヘスティアが逃げられたかどうかだけだ。

(そういえば、あの時も……こんな感じだったっけ)

あの人が駆けつけてくれたのは。

ヴァレンシュタインさんが、助けてくれたのは。

しかし、今度は彼女が助けてくれるようには思えなかった。

ベルは、あの人の顔をもう一度見たかったなぁと未練がましく思いながら、

しかし同時に、安堵もしていた。

あんな格好悪い姿を、二度と晒したくなかったから。

今の状況に当時の光景をふと幻視しながら、ベルは、顔をうつむけた。

その時、一つの声が、耳に飛び込んできた。

 

 

「クラネル!!」


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