暁色の誓い   作:ゆめかわ煮込みうどん

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 久しぶりの更新です(お約束)
今回も挿絵描きたかったのですが、絵より字が先走ったので投稿させていただきます。
 今回は疎かにしていた設定を色々詰め込んだ回になります。


3話 覚悟を決めろ

 ――柱島泊地鎮守府工廠

 

「よっ……と。資材はここで良かったかな?」

「ありがとう、美代くん。後は妖精さんが運んでくれるから任せて大丈夫よ」

 

 鎮守府本館の東、やや横長のコンテナ状の建物の1階に柱島泊地の工廠はある。本館3階の執務室からは徒歩3分と言ったところだ。

 

「それは良かった……暁ちゃんは大丈夫? 疲れてない?」

「ちょっと疲れちゃったかしら。でも、まだまだ大丈夫よ」

「いやいや、無理せず休もうよ。“レディーにも休息は必要”なんじゃなかったっけ?」

「ありがとう、それじゃあ開発任務のノルマをこなしたら、司令官の所でお茶でも入れてもらうわ。美代くんも一緒にどう?」

「レディーのお誘いとあらば喜んで」

「全く……レディーの扱いが上手なんだから」

 

 苦笑して開発任務の準備に戻る暁ちゃん。こうして笑う横顔を見ていると思ったより大人びていることがわかる。それにもかかわらず子供っぽいイメージが定着しているのは、多分彼女の信念らしい“一人前のレディー”にこだわる点と、煽られるとつい見栄を張ってしまう性格のせいだと思われる。

 

 特に姉妹の前だとそれが顕著で、響ちゃんに乗せられ、とんでもない事を言わされては後で真っ赤な顔で“ぷんすか!”するという光景はもう珍しいものではなくなった。でも、責任感の強い彼女の事だから、つい見栄を張ってしまうのも、“妹たちにとって頼れるお姉さんでありたい”という願望の現れなのかもしれない。

 

「提督の入れる紅茶は絶品だからね。今から楽しみだよ。それに、いい加減()()()()()を暴かないと」

「そうね、本当あの司令官は一体どこからあんなもの出してくるのかしら。司令官が着任してからもう何度も見たけれど、何回見ても服の中から出してるように見えるのよね……」

 

“手品”と言うのは、提督が僕達に紅茶を振舞ってくれる時に決まって見せてくれるものだが、その内容が何とも馬鹿げていて、“何も無い、丸腰の状態からティーセットを取り出す”というもの。

 普通、手品と言えば“同じ手品を同じ相手に2度見せてはいけない”というのがセオリーだが、提督曰く、

 

「お前らが相手なら何度見せても見破られる気がしないね」

 

 とのこと。

 現に柱島鎮守府所属の全員がかりでも、未だにタネを暴くことが出来ていない。

 

「でもね、どうも服はトリックに関係ないみたいだよ」

「どうしてわかるの?」

「一昨日僕と提督が白兵戦の練習をしたの覚えてるよね。あの後シャワールームで下着1枚の時に同じ手品をしてもらったんだ」

「……まさか、出来たの?」

「そのまさかだよ。いつも通り、綺麗に手入れされたティーセットが出てきた」

「いつも服から出してるように見えたのは何だったのかしら……まさか、実は司令官はサイボーグで、お腹の中に隠してるとか?」

「まさか、それなら実際に拳を交えた僕が気付いてるはずだよ」

 

 と、口では否定しながらも、あの人の戦歴なら“大怪我を負って全身サイボーグ化手術を受けた”と言われても現実味があると思ってゾッとする。

 まだ22歳になったばかりだと言っていたけれど、19歳の頃からずっと最前線で戦ってきた人なのだ。その3年間で生命を落とす者もいれば、身体の一部を失う者も沢山いる。

 

「でも、その仮説はありかもしれない。後で聞いてみようよ」

「そうね……あっ、準備出来たみたい。扉が開くわ」

 

 暁ちゃんが指さす先は工廠に9つある大扉のうちの1つ。 9つの大扉の先にはそれぞれ建造、開発、解体のための施設があり、出入口以外の扉は提督あるいは立会艦娘の許可がないと開くことは出来ない。一般人に悪用されることは決してないように配慮されたシステムだ。施設の内訳は建造ドックが6、開発施設が1、解体施設が1、出入口が1。建造ドックはうち4つが改装工事が必要な状態で使用不可となっている。

 

 それとは別で更に、解体施設へと繋がる扉も封鎖されている。解体とはつまり、艦娘と艤装のリンクを断ち切り、一般人として生活できるようになるための過程。しかし、山村提督は配下の艦娘を1人たりとも手放すつもりは無いらしく、この施設は必要ないと完全封鎖してしまった。“何故、解体をそこまで嫌うのか”と聞いてみたところ、

 

「艦娘という存在はそもそも、かつての艦艇達の“海を守りたい”という感情が意思と身体を持ったものなんだ。胡散臭いことは重々承知だが、現に深海棲艦との戦いから逃げる艦娘は一人もいない。あの心優しい電でさえもだ。そんな艦娘たちを戦線から引きずり下ろす権利は、守られる立場にある人間(俺たち)に無いはずだ」

 

 と、彼は答えた。しかし、“それなら、艦娘本人が解体を強く希望した場合はどうするのか”と聞くと、

 

「納得出来る理由があればやむを得ないね。まあ一番考えられるのは彼女たちが結婚して円満退職、って流れかな。戦艦や空母は特に、もう年頃の女性な訳だし……」

 

 という苦笑混じりの答えが返ってきた。

 

 とにかく、提督は解体施設を利用する予定は今のところなく封鎖中。実質稼働している扉は4つという訳だ。

 

「でも……あれ? あっちの扉は出入口じゃなかったっけ?」

「そうなの? でも、私は出入口なんて開けてないし……」

 

 工廠のロビーは本当に何も無い。中央に大きな円卓、部屋の端に等間隔で並べられたソファーを除いて内装は何も無い。しかも、ソファーは左右対象に置かれているため、目印にすることは出来ない。そのため、ロビーの円卓で作業をしていた僕達は出入口がどこかさえ正確に把握出来ていないわけである。

 

 しかし、そんなことはこの際どうでもいい。扉の先に立つ人影を見た僕達は、まるで何かに弾き飛ばされたかのように駆け出した。夕日を浴びてやや茶色がかって見える黒髪をサイドテールにした長身の彼女は……

 

「加賀さん!? どうして……その傷は!?」

「暁……憲兵さん……」

「喋らないで! 今ドックに……」

 

 血を滴らせながら立つ加賀さん、柱島泊地鎮守府始まって以来一番の重傷であることは明らかだった。抑えた脇腹は抉れ、血は止まる気配がない。幸い傷はさほど深くはないとは言えど、内蔵をやられていた場合事は一刻を争う。しかし、加賀さんを抱えあげた僕の肩に、力のこもった手が置かれた。

 

「……報告が先よ。ドック入りは後でも出来る」

「そんな、その傷では……」

「そうね、歩くのは辛いわ。だから、どうせ抱えてくれるつもりだったなら、そのまま執務室へ。急いで……お願い……」

 

 本来なら……否、一般人としての感覚なら、例え彼女の要求を無視することになろうと、このままドックへ向かっただろう。しかし、ここは鎮守府。最前線の軍事施設だ。彼女が持ち帰った報告が戦況を左右する貴重な情報である可能性は十二分にある。海上で何が起こったのか、僕たちは知る由もないが、彼女が瀕死になって命からがら逃げ延びてきた所を見ても何か普通ではないことが起こっているはずだ。

 

「……わかりました。飛ばしますからちょっと揺れますよ!」

 

 全力で執務室へと駆け出す。提督は今勤務時間だから執務室に居るはずだ。本館の執務室まで、彼女を抱えていけば約5分。

 振り向きざま、暁ちゃんに向かって叫ぶ。

 

「暁ちゃんはドック入りの手続きをお願い! 万が一の時の為に軍医の坂下さんも呼んできて!」

「開発任務は……」

「緊急時により中止! 今回ばかりは仕方ないよ!」

「わかったわ! こっちは任せて!」

 

 先程は不安そうにおどおどしていた暁ちゃんだが、にわかに表情を引き締めたかと思えば、驚くほどの速さでドックへの道を走り出した。やる事が明確に把握出来れば行動するのは速いらしい。流石艦娘、と言ったところか。

 暁ちゃんが角を曲がるのを見届け、僕も本格的に走り出す。

 

「痛むでしょうが、少し我慢してください」

「大丈夫、構わないわ……だから出来るだけ早く……」

「わかってます」

 

“大丈夫”と答えた加賀さんの表情は苦痛で満ちていてとても直視できたものではない。女性をこんなに荒っぽく扱うことを強く恥じながら、走り続ける。

 

「それにしても……一体海上で何があったんです? あなた相手に近海の深海棲艦が敵うはずもないのに……」

「潜水か、ゲホッ」

「大丈夫ですか!? すみません、“もう、喋るな”なんて言っておいて……」

「大丈夫よ……敵は……潜水艦……何とか倒すことは出来たけど……帰投までの航行で血を流しすぎた……」

 

 荒れた呼吸のために途切れ途切れだが、僕が状況を理解するのに必要な情報は伝えてくれた。

 

「しかし、潜水艦は以前の出撃で駆逐したと聞きましたが……」

「“何故また現れたのか”はわからない……でも実際私は奴らに襲われている……」

 

 そう、加賀さんの言う通り、追い払ったはずの潜水艦が再度増殖しだした“原因”はわからない。しかし現実問題、潜水艦が増加している事は確かな“事実”だ。そして、その“事実”は“原因”の時点とは違って物理的な損害を伴ってやって来る。

 

「もう……着きます……」

「……」

 

 よたよたと自分でも危なかっかしいと思う足取りで3階への階段を登り切る。よろめきそうになる体に鞭打って、あと僅かな道程を走るべく顔を上げた、その時だ。

 

「……!! 何かあったみたいだな」

 

 探し求めていた彼はそこに居た。しかし、すぐに誰かはわからなかった。別にいつもと違う服装をしている訳では無い。いつもと変わらない、提督に支給される純白の軍服に、同じく純白の布地、真っ黒な鍔に金色の装飾がなされた制帽。しかし、その間に収まった顔が、普段の彼からは想像もできないほど鋭くこちらを覗いている。

 

「提督……」

「……何がおこったんですか? 話してください」

 

 提督も、血塗れの加賀さんを見て素早く、彼女のみならずこの柱島泊地鎮守府……いや、柱島近海に大きな脅威が迫っていることを察知したらしい。重症の彼女を見ても動じずに、業務的に事を進めることを決めたようだ。しかし、それを彼が望んでいないことは時々申し訳なさそうに泳ぐ目を見れば明らかだ。

 

「近海に潜水艦……数は不明……少なくとも3隻以上、航空母艦加賀は……正面海域にて少数の敵艦隊と交戦……これを殲滅するも敵潜水艦より被雷……その後軽巡1隻、潜水艦3隻を殲滅し帰投……以上、報告に…………」

 

 そこまで何とか言い終えると、右肩にかかった加賀さんの手から力が抜けた。慌てて呼吸を確認したが、どうやら大量の出血と、報告をし終えた安堵感から気を失ったらしい。ひとまず生命に別状は無いだろう。

 

「加賀さん……ありがとうございます。ゆっくり休んでください」

 

 提督は帽子を脱いで軽く加賀さんに頭を下げると、僕に向き直った。

 

「さて、美代。話は聞いたな? これからお前にも働いてもらうぞ」

「敵は潜水艦隊ですね……以前のソナーの開発を進めておいて良かったです」

 

“潜水艦”と言う単語を聞くと、提督は更に眉を釣り上げて言った。

 

「そうだな……それじゃあ美代はこれから加賀さんの入渠手続きを頼む。その後は作戦司令室に来てくれ」

 

 工廠を出る前に入渠手続きを頼んだ暁ちゃんの姿が脳裏を掠める。きっと上手くやってくれているだろう、早く加賀さんを連れて行ってあげなくては。

 

「………断だ」

「?」

 

 再び慌ただしく駆け出そうとした時だ、おもむろに階段に座り込んだ提督が何かを呟いた。

 

「……油断だ。遅かれ早かれこうなる事は分かっていたのに……」

「提督……」

「何も出来なかった。何が図書室だ。彼女だけを危険に晒してまあ良くも呑気に……」

 

……この人は本当にあの“山村中佐”なのだろうか。柔軟な対応力で今日この日まで何の危機もなく鎮守府を守り通してきた我らが主は、こんなにも頼りない人であっただろうか。

 

「……らしくないですね、提督」

「……」

 

 黒く沈んだ瞳が一対こちらを力なく見返した。その目は……助けを求めている。いや、別に根拠がある訳では無い。ただその目は迷子になった子供の目ととてもよく似ている気がしたのだ。彼は出口を見失っている。それならば、僕が出来ることは決まっている。それは、彼の信念を再確認させること。

 

「“何も出来なかった”なんて甘えた事を言っていてどうするんです。まだ戦いは始まったばかりですよ?」

「……!」

「その“何か”はこれからすればいい。それを信じて、加賀さんも必死で戦った。そうでしょう?」

「……」

 

 あくまでも、負の思考から抜け出すのは彼自身にしか出来ないことだ。僕にはその手助けをすることは出来るが、代わってやることは出来ない。こちらが手を差しのべることは出来ても、その手を掴む権利は彼にしか与えられていないのだから。

 

 そして彼は……掴むことを選んだ。突然帽子を目深に被り直したかと思うと堪えられないかのように口を抑えて笑い始めた。

……もちろん、いつもの独特な笑い方で

 

「クッ……ははっ! 俺らしくもないか! そうだよな!」

 

 提督は笑いを収めると、先ほどと同じ鋭い表情……いや、先ほどの表情とは違って、自信によって引き締められた、それでいて不敵に口角が持ち上がった表情で立ち上がった。

 

「怪我人の前で不謹慎だが、幸いまだ誰も死んじゃいない。お前の言う通り、今から“何とか”してみせるさ。殴られっぱなしのケンカは気持ちのいいものじゃない」

「その通りです。僕としても、奴らに一杯食わせてやらないと気分が良くありません」

「そうだな、じゃあそっちは頼むぞ。俺は鎮守府にいる艦娘達を集めてくる。これから忙しくなるぞ!」

「了解!」

 

 内心彼の切り替えの速さに驚きながらも、やはりこうでなくては、と言う安心感が満ちてゆくのがわかる。やはり彼には楽しそうに笑って指揮を執る姿が最もよく似合う。

 

「さあ、僕は僕の仕事をしなくちゃ」

 

 ずいぶんと長話してしまった。大怪我にも関わらずずっと放置していた事を加賀さんは怒るだろうか。まあ何にせよ、彼女には色々申し訳ないことをしてしまったから、今度流行りの“間宮アイス”でも奢ってあげよう。電ちゃんによると意外と甘いものが好きらしいし、きっと喜んでくれるはずだ。

 今後への期待と不安も加賀さんと一緒に抱えあげ、ドックへの道を走り出した。

 

 

 

* * *

 

 

 

 ――数分前、柱島泊地鎮守府医務室

 

「……誰もいないわね。やっぱり出張かしら」

 

 私、駆逐艦暁は重傷を負った加賀さんの入渠手続きを済ませ、医務室を訪れていた。まあ手続きと言っても、施設内のコンピューターに艦娘の名前を打ち込んで修復にかかる予想時間を算出し、今後の入渠予定と被っていないか確認するだけなので作業は数分で終わったけれど。

 

……一般の人の知識であれば、ここで“何故入渠で治癒が可能な艦娘の為に軍医を呼ぶ必要があるのだろう”と疑問を持つだろう。しかし、入渠と艦娘の仕組みは本当に複雑で簡単なものではない。

 艦娘の出現から数年、数多の提督が取ったデータを元に研究が進められた結果、どうやら艦娘自身ではなく、“艤装本体”に秘密があるらしいのだ。そして現在軍部関係者の中で最も広く受け入れられている仮説が、

 

「艤装は常に艦娘の肉体の情報を記録し続けており、戦闘などで大きな損傷をした場合かつ40℃前後の塩水に浸かった場合に、記録された直近の“完全な状態の肉体”の情報を引き出し、それをもとに身体を復元する」

 

 というもの。

 これだけでもまだ情報不足なのでもう一つ付け加えると、ここでいう“完全な状態の肉体”と言うのはあくまで“肉体と言うパーツで見た時”の“完全”を言うのであって、健康と言う意味で見た時の“完全”では無いということ。

 

 つまり、入渠によって身体は完全に修復する事が可能だが、精神や健康状態まで治すことは出来ないのだ。具体的な例を挙げると、以前電が夏風邪を引いた時、入渠ドックに入っても治すことは出来なかった。ガンなどの肉体に直接的な異変が起こる病気に対しては例外的に効くみたいだけれど、その範囲はごく限られたものだ。

 

……要するに、私達は加賀さんの身体の修復自体に不安を感じているのではなく、入渠前に怪我が原因で感染症にかかってしまったりすることを懸念しているのだ。私達は艦娘とはいえ陸ではただの人間。病気にだってなるし、その脅威は人間と変わらない。いざかかってしまったら、あとは医者に頼るしか術はないのである。

 

「医務室にはいないとなると鎮守府にはいない可能性が高いわね……美代くん、こうなる事分かっていて“軍医さんを呼んでこい”なんて言ったのかしら……」

 

 柱島泊地鎮守府所属の軍医である坂下大尉は、勝手気ままにぶらつく司令官や隼鷹さんより見つけ出すのが難しい。それは決して彼の勤務態度が悪いからと言うわけではなく、寧ろその逆、彼がとても忙しいからこそ見つけられないのだ。

 

 今から17年前、日本の……いや、世界の人口は深海棲艦出現によって大幅に減少した。特に高齢化の進んでいた日本ではその影響が大きく、深海棲艦最初の侵攻から逃れられなかった高齢者や、中堅労働者層の多くが亡くなった。深海棲艦出現前は46歳ほどだった日本人の平均年齢は今や27歳前後と発展途上国並のレベルまで落ち込み、否が応でも戦線を20~30代の若者達で支えざるを得なくなった。

……そして、中堅労働者層を失った事による影響は、“医者の不足”と言う形で最も如実に現れることになったのである。

 

 坂下大尉は今年47歳。深海棲艦の大侵攻のあった当時30歳であった彼は、深海棲艦によって失われた多くの医者たちの貴重な生き残りなのだ。彼に学ぼうとする医者の卵は多く、かなりの頻度で講習に呼ばれているらしい。

 

 またそれでなくても、軍医は大本営から一般人の診療を受け持つ事を命じられている。憲兵の美代が、一般の警察業務も兼任するのと同様、人員不足のために軍の機関が民間の機関を代行せねばならないのだ。当然坂下大尉を頼る傷病者は増え、仕事は民間の医者よりかなり多いと言える。しかし、彼に“仕事は辛くないのか”と聞くと、

 

“何、俺は元々人を治せる医者になりたかったんだ。大本営でだらだら研究続けてるよりァずっと生き甲斐を感じるねェ”

 

 とすまし顔で答えるのだ。彼は怠慢な勤務態度を理由に辺境である柱島泊地に左遷されたと着任時の報告書に書いてあったが、それは大本営での仕事が彼の性分に合わなかっただけなのだろうと思う。実際、彼は気だるそうな見た目とは裏腹にかなりフットワークが軽く、彼を待つ傷病人達の為に走り回っている。“適材適所”と言う言葉があるが、きっと彼にとって柱島はまさに“適所”だったのだろう。柱島に来てからは、何故左遷されたのかわからないほど勤勉に働いている。

 そんな医者の鑑とも言える坂下大尉だが、一つだけ問題点があるとすれば……

 

「もう! なんで肝心な時にいないのよ!」

 

……本業であるはずの軍医としての仕事が疎かになりがちな所だ。しかし、こればかりは“民間の医療も担当せよ”との命令を出したのが大本営であるし、何よりこれが彼の生き甲斐と言うのであれば、山村司令官の性格上文句を言うことは出来ず、とりあえず彼の好きにやらせていると言う状況だ。

 鎮守府にはいないと思うが、念の為コールをかけてみようかと通信室へ向かおうとした時、この部屋のもう一人の主が通りかかった。

 

「あら……珍しいお客さんね。怪我でもしたかしら?」

 

エプロン姿にほうきを持って微笑む彼女。坂下大尉、美代くんと共に柱島泊地に配属された軍属の佐々木さんだ。職種は事務官で、主に艦娘が使用している寮の管理をしている。

……しているのだが、彼女はとんでもない事務処理能力の持ち主であり、寮の整備などあっという間に済ませてしまう。“ちょっと掃除してくるわー”と言ったかと思えば、20分程で何食わぬ顔で帰ってきて、しかもあの広い廊下はピカピカになっているのだ。

 物理的に不可能な事をやってのけるあたりある意味司令官のマジックに通ずる不思議さがある。実用性が全然違うけれど。

 

……とまあそんな訳で、彼女は基本的に主が不在である医務室で軍医代行をやっている事が多いのだ。何でも、坂下大尉と長らく付き合っているうちに医療に興味を持ち、数年前に医師免許を取ったのだとか。

 

「いいえ、加賀さんが重傷で坂下大尉に診てもらいたいの……佐々木さんは見てない?」

 

“重傷”と言う語を聞くと佐々木さんは医者らしく表情を厳しくした。

 

「あの人ならまだ出張ね。確か6時頃には帰るって言っていたけれど……急ぎなら私が行きましょうか?」

 

 午後6時……時計を見やるとまだ4時45分を少し回ったところだ。このまま坂下大尉を待っていても、良かれ悪かれ、事は済まされている事だろう。

 美代くんも“念の為”と言っていたし、佐々木さんだって医師免許を持っているのだ。別に坂下大尉である必要は必ずしもない。

 

「それじゃあお願いするわ。着いてきて!」

「私、外科はあまり得意じゃないのだけれど……でも、小さなレディーのご期待に添えるよう、頑張るわ」

「ありがとう……って小さい言うな!」

 

 入渠ドックへの元きた道を、今度は二人で走り出した。

 

 




 暁ちゃんがめちゃくちゃ難しい話をしてますが、この世界において、艦娘は産まれた時点で既に大人と同水準の知能を持っているので問題ありません。
 駆逐艦娘達でも知識はあるので充分知的な会話は可能ではありますが、趣向や感性は歳相応の為に戦闘や艦娘の本質に迫る今回のような話題以外では選ぶ言葉も歳相応となります。

要するに:暁ちゃんが大人レディーなのは今回だけです

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