「デニム……無事でいて……」
一刻も早くデニムを追いかけるため、ウェオブリ山を抜ける危険なルートを選んだ私は、コリタニ城を通り過ぎてレイゼン街道に差し掛かっていた。さらに北へ行けばブリガンテス城は目前だ。
デニムの失踪は早い内から緘口令が敷かれ、解放軍の幹部にしか知らされていない。そのため、私もほとんど人員を連れずにここまでやってきた。
「ラヴィニス様、今のところ進路に人影は見えません」
「……そう。苦労を掛けるけど、あまり目立つわけにはいかないわ。ただでさえ、情報が漏れている節があるのに、私達が動いていると知られれば間違いなく注目を集めてしまうもの」
「はい……。やはり、軍の内部に裏切り者がいるのでしょうか……?」
「わからない……。でも、彼を恨む人が多いのは事実よ」
街道の石畳を見下ろしながら、沈んだ声を出してしまう。そういえば、バルマムッサで別れた彼と再会したのは、このレイゼン街道だったか。ふと、彼との出会いを思い出す。
私、ラヴィニス・ロシリオンには、ウォルスタ人とガルガスタン人の両方の血が流れている。
それでも、私は自分がウォルスタ人なのだと信じて生きてきた。アルモリカで生まれ育ち、愛する祖国のため、同胞であるウォルスタ人達のために、ロンウェー公爵の騎士として戦い抜く事こそ、私の生きる意味だと信じていたのだ。
だが、バルマムッサの強制収容所で、ロンウェー公爵による同胞達の虐殺命令を聞いた時、その思いは揺らぐ事になった。同僚のレオナオール、そしてデニムの決断を聞いた時、信じられない気持ちで一杯になり、私は感情的にウォルスタ解放軍を飛び出した。
出会ったばかりのデニムは、まだ頼りなく見える青年だった。いや、まだ少年と呼んでも良いぐらいの年齢だ。私達が別働隊としてガルガスタン軍を引きつけていたとはいえ、ロンウェー公爵を救出したのが彼らのような若者である事実に、我が身を不甲斐なく思ったものだ。
だが同時に、彼の存在が希望をもたらすと考えた。皆の心を一つにするためには、英雄が必要だと考えていたからだ。そして私は、彼を英雄へと仕立てあげる公爵の策に、積極的に加担した。
そう、彼は私達の都合によって、英雄になったのだ。
同胞の虐殺など、誰だって好き好んでやるはずがない。だが責任感の強い彼は、英雄として自分の手を汚す事を選んだ。私が、彼をそうさせてしまったのだ。
それなのに、私は彼のやる事から目を背け、背を向けて、逃げ出した。
母方であるガルガスタンの伝手を頼って穏健派の貴族に匿ってもらった私は、結局ガルガスタン人として生きる事もできずに、国内の反体制派と協力する道を選んだ。ガルガスタンを内部から改革しようと考えたのだ。
そんな、どっちつかずのコウモリのような生き方が長く続くはずもない。私は味方の裏切りにあって呆気無く捕らえられ、処刑を受けるために、ここレイゼン街道を護送されていた。そこへ、デニム達が偶然通りかかり、助けられたのだ。
結局その場では決心がつかなかったが、その後に再び彼に助けられ、私は恥を忍んで、デニムがリーダーとなった解放軍へと戻る事を決めた。
「デニム……。あなたは、そこまで追い詰められていたの……?」
思えば、最近デニムの様子はどこかおかしかった。親友であるヴァイスを亡くしてから、上の空になる事が多くなり、姉であるカチュアの救出に過剰に執着しているように見られた。
彼の両親はすでにこの世を去っており、カチュアは彼にとって唯一の肉親だった。だが実のところ、デニムとカチュアに血の繋がりはない。カチュアの正体は、旧ヴァレリア王国の国王だった覇王ドルガルアと侍女の間に出来た落し胤だったのだから。
この事実は重い。この民族紛争は、覇王ドルガルアの後継者争いという一面もあるからだ。覇王は唯一の長子を亡くしていたため、正当な後継者は存在しないものと考えられていた。
そこに現れた、落胤とはいえ正当な血統をもつカチュア。彼女は暗黒騎士団によって拉致され、洗脳されて、王女ベルサリアとしてバクラム陣営に大義を与える事になった。
義理の姉弟とはいえ、デニムはカチュアを本当の姉として慕い、カチュアもまたデニムを本当の弟として愛していた。しかし、洗脳されたカチュアは、デニムの目の前で自ら命を絶ったらしい。
デニムの受けたショックは計り知れない。リーダーとして皆の前では取り繕っていたが、きっと無理をしていたのだろう。
しかし、間抜けな私は、彼に限界がきている事に全く気づいていなかったのだ。彼なら、身内の死も乗り越えられるだろうと楽観視すらしていた。自分で自分を絞め殺したくなる。
彼が失踪する直前に調べていた、『死者の宮殿』というダンジョン。
聞けば、死者の怨念が蔓延り、ドラゴンが闊歩するという危険な場所だという。どんな達人だって、一人でそんな場所に行っては生き残れるはずもない。間違いなく死ににいくようなものだろう。
私は、デニムの身を案じながら、街道を北へと急いだ。
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日も落ちる頃、ブリガンテス城に到着した私を待っていたのは、デニム滞在の報だった。
間に合った事への安堵とデニムへの心配で一杯になり、はやる気持ちを抑えながら、彼の滞在する客室へと早足で向かう。一緒に連れてきた部下達は強行軍で疲弊していたため、休息を命じてある。
コツコツ、と扉にノックすると、しばらくして返事があった。扉を開くと、室内には見知らぬ男性と、ベッドに横たわり、上半身を起こしたデニムの姿が目に入った。
「デニム!」
「ラ、ラヴィニスさん?」
私は思わず声を出して、彼の元へと駆け寄る。
久しぶりに見た彼は、思ったよりも元気そうだ。少し痩せているものの、血色は悪くない。
「デニムッ! 心配したのよ……! どうして、どうして一人で……!」
「……すみません、ラヴィニスさん……」
彼はひたすら私に謝ってみせる。私も私で、彼の異変に気づけなかった事を謝った。だが、彼の無事を何よりも喜んだ。
今までどうしていたのか聞くと、彼はなんと一度『死者の宮殿』に挑んだと言うではないか。無茶な事をするな、と叱ってしまった。
馬鹿な事をしたと謝る彼の様子を見て、やっと安心した私は、ふと室内にいた銀髪の男性のことを思い出した。彼は私達の様子を黙って見ていたのだ。少し趣味が悪いと思う。
「えっと、デニム……この方は……?」
「あ、ああ。その人はベルゼビュートさん。死者の宮殿で出会ったんです」
「お初にお目にかかる。俺はベルゼビュートだ。好きに呼んでくれ」
ベルゼビュートと名乗った彼は、ニコリともせずに目礼する。無愛想な人かと思ったのだが、恐らく人付き合いが苦手で、寡黙なだけなのだろう。武人に多いタイプだ。彼の尋常ではない佇まいが、その考えを補強する。
面と向かうと改めてわかる重圧。恐らく、私がここで剣を抜いても、彼には一手すら受けてもらえずに無力化されてしまうだろう。達人と呼ばれる域に入った人間は何度か見た事があるが、その中でも彼はとびっきりだった。勝てるイメージが全く湧かない。
何より、その容姿が私の目を惹いた。私の髪も銀に近い色だが、彼のそれは神々しさを感じさせるほどに美しい。恐ろしいほどに整った顔、そして真紅の瞳で見つめられると、思わず頬が熱くなってしまう。
騎士として生きる事を決めた私は、女としての人生は捨てたつもりだった。亡き母の言いつけで髪を伸ばし手入れをしているが、面倒だと感じるだけで、切ってしまおうかと考える事もしょっちゅうだ。だが、彼を前にすると忘れていた部分が顔を出してくる。失礼にも思わず目を逸らしてしまう。
「わ、私はラヴィニス・ロシリオンと申します。デニムを助けて頂き感謝します、ベルゼビュート殿」
「いや、俺は何もしていない」
「……ラヴィニスさん、ベルさんはこう言っていますが、彼はもう何度も僕の事を助けてくれています。死者の宮殿に入るのを思い留まったのは、彼のおかげなんです。それに、戦争を終らせるために、解放軍に参加してくれると仰ってくれました」
ベルさん? 随分と親しいのだな。いや、デニムがベルゼビュート殿を慕っているのか。それも仕方ないのかもしれない。解放軍内にはデニムを慕う者は多いが、彼自身はあまり誰かに頼るという事をしない。
それは、彼の英雄としての境遇がそうさせているし、彼の責任感の強い性格も一因だろう。本来なら身近な大人であり、英雄になる前の彼を知る私が、彼を支えるべきだったのだ。
だが、私は彼に背を向けた。同僚のレオナールは、彼に意思を託して死んでいったという。私が再び合流した時にはすでに彼は英雄としての仮面をかぶり、自分の気持ちをひた隠すようになっていた。
ベルゼビュート殿が命を助けてくれたというのなら、自然と慕うようになったのだろう。見るからに頼りがいのある殿方だった。私としても、彼ほどの実力者が軍に加わってくれるなら心強い。
「それに、ニバスさんも――」
「ニバス? ニバスというと……あの、屍術師ニバス?」
私の問いに、デニムは忘れていたとハッとした表情になる。
「そ、そうです。そのニバスさんです。あの人も解放軍に参加してくれたんです」
「えっ? ……その、大丈夫なの? 死者を弄ぶ邪悪な魔術師だと聞いているけど……」
私の言葉を聞いて、デニムはなぜか焦ったようにベルゼビュート殿をチラチラと見ている。ベルゼビュート殿は無言で成り行きを見守っているようだ。目が合いそうになり、慌てて逸らす。うう、どうも恥ずかしいな。
「だ、大丈夫です。あの人は確かに屍霊術を使いますが、危険な方ではありません。争いを好まず、話し合いの通じる理知的な人ですから……」
「そ、そうなの……」
デニムの説明で完全に納得したわけではないが、彼が危険はないというなら信じるしかないだろう。ニバスといえば、元々はガルガスタン軍の魔術師だったはずだが、ガルガスタンを打ち破った今、そんな経歴の持ち主は解放軍に山ほどいる。私だって、一度は離反した身だ。
「とにかく、あなたが無事で良かったわ……」
「はい……ご心配をおかけしました。他の皆はどうしているのでしょうか?」
「皆、あなたを心配していたわ。バクラム軍との決戦は延期になっているけど、今のところ奴らも動く気配はないみたいね。やはり、内部でゴタゴタしているみたい」
暗黒騎士団ロスローリアンは、あくまでも島外の大国であるローディス教国から派遣されてきた戦力だ。バクラム陣営として動いているが、彼らはバクラム人ではない。バクラム軍内部では反感もあるのだろう。戦況が徐々にウォルスタ解放軍に傾きつつある今、抑えられていた不満が噴出しているらしい。
バクラムのトップであるブランタ司教は、どうやら彼らを御しきれていないようだ。暗黒騎士団には、ローディス教国としての思惑があるのだろう。不気味な存在だ。
「そうですか……。そうなると、バクラムとの決戦に暗黒騎士団が出てこない可能性もありますね」
「む、そうなのか。……それは面白くないな」
「ベルゼビュート殿は、暗黒騎士団と何か因縁があるのですか?」
腕を組んだベルゼビュート殿が、口を少し曲げている。私が疑問を口に出すと、ベルゼビュート殿は曖昧に頷いた。
「うむ……。せめて、奴らの団長には会わなくては……フライが……」
「フライ?」
「いや、こちらの話だ」
複雑な表情だった。きっと彼は、暗黒騎士団の団長であるランスロット・タルタロスに恨みでもあるのだろう。『フライ』とは、奴に殺された彼の身内の名前なのかもしれない。
だが彼の様子からして、そのような暗い感情を完全に制御しているように見える。感情的になってウォルスタを飛び出した私とは大違いだった。素直に尊敬してしまう。
「ベルゼビュート殿は……お強いのですね」
「む? だが俺は、何度も死んでいる身だ。確かに今は力を得たが、昔の俺は無力だった」
ベルゼビュート殿はそう言って、思いを馳せるように視線を遠くに向けた。何度も死んでいる、という言葉には深く納得させられる。現在の実力を得るためには、死ぬほどの目に何度も遭わなければならなかったのだろう。
事実、彼の身につけているシンプルだが品の良い衣服をよく見れば、その下に鍛え抜かれた鋼のような肉体が隠されている事が見て取れる。
彼はこう言っているのだ。今は弱くとも、強くなれば良い。
何かを為すためには、死ぬ気で努力しなければならない、と。
それは、生き方を見失っていた私にとって、救いにも思える言葉だった。
落ちたな(確信) というわけで、ヒロイン登場回でした。
皆様の応援のおかげで、日間ランキングに載せて頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。
【騎士ラヴィニス】
PSP版で追加された新キャラクター。
女騎士だし、格好も聖剣技使いのあの人にそっくり。同じディレクターだし、ま、多少はね?
混血という珍しい設定で、自分のアイデンティティに自信を持てずにいる。
【王女ベルサリア】
カチュア姉さんの正体。ネタバレ注意。彼女の母親である侍女と王妃の昼ドラばりの会話は必見。
なお『洗脳された』というのは、あくまで表向きの説明で、中身はヤンデレのブラコン(白目)