ガルガスタン王国竜騎兵団を率いるジュヌーン・アパタイザは、数日をかけて本拠地であるコリタニ城へと帰還した。
ブリガンテス城で親友のヘクターに協力を断られて打ちひしがれたジュヌーンであったが、すでに気持ちを切り替えて独自に動く事を決意している。
バルバトス枢機卿が今回の虐殺命令を承知していなかったとは思わない。だが、それでも一縷の望みを掛けて枢機卿を説得するのだ。彼が翻意してくれれば、全ては丸く収まるのだから。逆を言えば、そのぐらいしかジュヌーンに取れる手段はないとも言える。
行軍で消耗している竜騎兵団に休息と待機を命じて、ジュヌーンは足早にバルバトスの元へと向かう。
だがその道中、城の廊下にて見たくもない顔と出会ってしまった。
「おお、ジュヌーンか。任務ご苦労だったな」
「……グアチャロ」
その人物は彼に偽りの情報を与えた騎士グアチャロだった。ジュヌーンは苦虫を噛み潰した表情になりながら、グアチャロと相対する。恐らくは彼も上の命令で動いていたのだろうが、嵌められかけた身としては心穏やかにはいられない。
「む、どうしたのだジュヌーンよ。まさか、任務を失敗したとは言わんだろうな?」
「…………」
グアチャロの問いに黙り込むジュヌーン。失敗といえば失敗であろう。だが、その任務そのものの正当性が疑わしいのだから仕方ない。そこでジュヌーンは、視点を変えてグアチャロを責め立てる事にした。
「あの村がゲリラの基地というのは誤情報だったぞ、グアチャロ。貴公の不手際で、私は危うく無辜の民を手に掛けるところであったのだ」
「なに……?」
ジュヌーンの言葉にピクリと反応するグアチャロ。ジュヌーンの目には、一瞬顔色を変えかけたがそれを慌てて自制したように映った。だがそれは、かえって不自然さを際立たせている。
「……そんなはずはない。あの村は確かにゲリラの基地であったのだぞ。貴様、よもや住民達に
「ほう。では何を根拠に彼らをゲリラと呼ぶのだ。彼らは武装もしておらず、村には何の防衛設備も存在しておらん。……彼らがゲリラなのであれば、この国の国民は全てゲリラという事になるのだぞッ!」
「ば、馬鹿な事をッ! 奴らは我が国に巣食うネズミどもなのだぞ! あのような異教徒どもと崇高なガルガスタン人を一緒にするなど愚かな事だ!」
「……それが貴公の本音か」
売り言葉に買い言葉で思わず本音を吐露したグアチャロに、ジュヌーンは顔をしかめる。グアチャロはつい口にしてしまった言葉に慌てて口を閉じるが、すでに後の祭りだった。
「やはり貴公は知っていたのだな。あの村が異教徒達の隠れ住む村であるという事を知っていて、私に彼らの虐殺を
「……フン! 貴様のような綺麗事を抜かしてばかりの甘い腰抜けは、そうでもせんと手を汚す事も選べんだろう! せっかく与えてやった機会を無為にしおって!」
「貴様……!」
ジュヌーンの糾弾に対して完全に開き直ってみせるグアチャロ。二人はにらみ合いを続け、一触即発の険悪な空気が漂う。二人の手が、お互いの腰に提げられた得物へと伸びる。
そこへ、能天気ともとれる調子の声が掛けられた。
「おやおや。これは、これは。穏やかではありませンねぇ」
ひょっこりと現れたその人物は、頭に赤いターバンを巻いて白ヒゲを生やした初老の男性。ガルガスタンにおいては死霊術という特殊な魔法を操る屍術師として有名な人物だが、ジュヌーンにとっては親友であるヘクターの婚約者、モルドバの父親という印象が強い。
「ニバス殿……」
屍術師ニバス・オブデロードは、いつも通り不敵な笑みを浮かべながら二人に近づいてくる。さすがににらみ合いを続ける気にもなれず、ジュヌーンは気まずい表情を浮かべる。
「フフフ、どうしたンですか、お二人とも。私の事は気にせず、続けて頂いてもよろしいンですよ?」
「いえ、それは……」
「……失礼するッ!」
グアチャロは堪えきれないといった様子で、踵を返して離れていった。どうも、グアチャロはニバスと相性が悪いようだ。異教徒や異民族を敵視するグアチャロにとって、異端の魔術を研究するニバスはガルガスタン人とはいえ我慢ならない相手なのかもしれなかった。
後に残されたジュヌーンは、ニバスへと向き直って頭を下げる。
「助かりました、ニバス殿。あのままいけば、刃傷沙汰になっていたかもしれません」
「なんの事ですかねぇ」
白を切るニバスだったが、グアチャロもジュヌーンも周囲をはばかる余裕もなく大声を上げていた。恐らく廊下の先にいたニバスの耳にも届いていただろう。
「……恐らく、グアチャロは猊下の元へ報告へ向かうつもりでしょう。私は命令に背いた反逆者として処分されるかもしれません」
「おやおや。それはまた物騒な話ですねぇ。まあ私も後ろ指を指される事が多いですし、バルバトスさんも成果を出せとうるさいですから、逆らいたくなる気持ちがわからないでもないですけど。……それで、貴方はどうするおつもりなンですか?」
「……どうする、というと? 猊下の前で己の潔白を訴え、猊下を説得してみるつもりですが……」
神妙な顔つきで答えるジュヌーンだったが、彼自身それが上手くいくとは到底思ってはいない。恐らくジュヌーンは死罪を賜る事だろう。しかし元より他に手段がないのだから、これに懸けてみるしかないのだ。
だがそれを聞いたニバスは、思わずといった様子で失笑してみせる。
「フフ……いえ、失礼しました。貴方があまりにも滑稽だったもので……」
「な……ど、どういう意味でしょうか」
「貴方が命令に逆らったのは、ご自身の信念のためなンでしょう? そして今も信念のために死を選ぼうとしている。これが
「…………」
「私に言わせれば、死を選んだ時点でその人は死んでいるのですよ。信念がどうとか理由を付けてますが、貴方はただ諦めただけでしょう? 生きるために全力を尽くさないのであれば死んだ方がマシでしょうから、止めはしませんけどねぇ」
「それは……」
正鵠を射た物言いに言葉を失うジュヌーン。ニバスは溜息をついてそんなジュヌーンから視線を外す。
「……やれやれ、余計な事を言ってしまいましたね。歳を取ると説教っぽくなっていけません。……さて、私は研究の続きがあるので、これにて失礼いたしますね」
立ち尽くすジュヌーンを放置したまま、ニバスは振り返る事もなく廊下を歩いて去っていった。
閑散とした廊下に一人残されたジュヌーンだったが、やがて顔を上げて拳を握りしめた。
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数日の船旅を経て、俺たちは無事にクリザローの町にたどり着いた。もし再び嵐に遭っていたら、不幸の元になっていそうなヴァイスを放置していく事も考えなければならなかった。危なかったな。
クリザローの町はアルモリカ地方の辺境に位置しており、町を二分するように大きな川が流れているのが特徴的だ。
話しによれば、あのオクシオーヌのいたバスク村に住んでいた人々の元をたどると、多くはこの町の住民だったらしい。ここクリザローは、彼らが信仰する海神バスクを崇めるバスク教の総本山でもあったのだ。
熱心なフィラーハ教徒であったドルガルア王による統治が始まり、彼らは迫害を受けて棲家を追われる事となった。民族融和を唱えておいて異教徒は許さないなんて、王様にしては器が小さいと思うぞ。
さすがに長時間の船旅に疲れたラヴィニス達もいるので、ここで一泊する事にした。ゴリアテの祭りの影響かこの辺鄙な町には珍しく宿泊客が多いため、俺たちは大部屋一つを確保して腰を落ち着ける。
「ふぅ。やっぱり船って疲れちゃうわねぇ。ね、ヴァ〜ちゃん、マッサージしてくれない?」
「な、なんで俺がそんな事しなくちゃなんねーんだ!」
「あら、遠慮しなくてもいいのに♥ ほら、乙女の柔肌に触るチャンスなのよ?」
「う、う、うるせーッ!」
寝そべったデネブが、スカートをするするとめくりあげてヴァイスを誘惑している。むむ、見えそうで……やっぱり見えない。成人に近いはずのヴァイスだったが、そういった事に免疫がないのか顔を真っ赤にして部屋を飛び出していってしまった。
「デネブ殿……そういった事はあまり感心しませんよ」
「ごめんね〜。だってヴァ〜ちゃんったら面白いんだもの。カノぷ〜を思い出すわね」
旧知の仲だというカノープスも、デネブさんには散々な目に遭わされているのだろう。同情するが、こんな美女にからかわれるなんて一種のご褒美かもしれない。
「それに、ラヴィニスちゃんにはベルちゃんがいるから良いじゃない。あ〜あ、私も恋してみようかしら。でも良い相手がいないのよねぇ……」
そう言ってデネブさんは部屋を見渡し、端に座って存在感を消していたタルタロスに目をつける。影は薄いが、奴はしっかりとオミシュから俺たちに同行していた。
「ね〜タルちゃん♥ ほら、お姉さんと一緒にデートでも行きましょ♥」
「……知らん。勝手に行ってろ」
「あら、レディに向かってそれは無いんじゃないかしら。う〜ん、でも仕方ないか。そうよね、タルちゃんにはきっと昔から思い人が――」
「行くぞ」
前言をあっさりと撤回したタルタロスは、つかつかと足早に部屋を出ていく。デネブさんは「待って〜♪」と言いながらタルタロスの背中を追いかけていった。なんと恐ろしい操縦力。
大部屋に二人残された俺とラヴィニスは顔を見合わせる。なんだか、デネブさんが妙な話をするから変な雰囲気になってしまった。それを察してラヴィニスも顔をほんのり赤らめている。
「……俺たちも外に出てみるか」
「は、はい。……お供します」
こうなったら俺たちもデートするしかないな。のん気な事ではあるが、ずっと張りつめていたらどこかで切れてしまう。たまにはこういった息抜きも必要なのだ、と自己弁護しつつ俺はラヴィニスの手をとる。
「あっ……」
小さく声を漏らしたラヴィニスの真っ赤な顔がかわいかった。
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クリザローの町の中心部に位置する一軒の教会。外見は古く年季が入っているそれは、身寄りのない孤児たちを預かる孤児院としての側面があり、大きめの住居が併設されている。
その一室、小じんまりとした書斎の椅子に腰掛けた神父は、手元の書類を見て小さな溜息をついた。その書類には細かい金額が羅列されており、その内訳を見ればこの教会の収支計算書である事は一目瞭然だ。
彼の名はドナルト・プレザンス。敬虔なフィラーハ教の神父である彼は、食い詰めている孤児たちの状況に心を痛めて自身の教会で預かり育てる事を決めた。幸いな事にその志に賛同してくれる信徒たちも多く、その援助や寄付によって今まで子ども達を育て上げてきた。
だが、その援助もここのところ途切れがちになっている。原因はもちろん、ドルガルア王の死から始まる不安定な国内情勢によるものだ。まだ本格的な開戦には至っていないが、すでに戦争は避けられない状況にきている。その影響で諸々の物価も上昇の一途を辿っているのだ。
もちろんプレザンスも援助だけで生活が成り立つとは思っていなかったため、自身や孤児たちの手で畑を耕すなど努力はしている。この孤児院を巣立っていった子ども達からの援助もある。だが、そうはいっても苦しい家計状況が続いていた。
そんなプレザンスをさらに憂鬱にさせるのは、戦争によって戦災孤児が多く生まれるであろう事だ。どうしてかように人々は争いあうのか。子ども達に罪はないというのに。プレザンスは人類の罪深さと己の無力さを嘆いた。
「……おっと、いかんな。そろそろ教会へと戻らなければ」
子ども達だけでなく、神父として迷える信者たちを救うのも大切な仕事だ。プレザンスは身支度を整えて、教会の聖堂へと慌てて戻る。昼休みのつもりだったが、うっかり考え込んでしまっていた。
すれ違う子ども達と挨拶を交わしながら聖堂へと戻ると、数人の老人がベンチに腰掛けて静かに祈りを捧げていた。そんな信徒たちを見て、心を穏やかにするプレザンス。自身も同じように祈りを捧げようとしたところ、聖堂の後方に開かれた玄関に二人の人影が見えた。
「ほら、ここは教会ですよ、ベル殿」
「む、そうだったか。大きな家屋だったから、何かあるのではないかと思ったが」
どうやら二人は教会と知らずにやってきたらしい。しかしそんな事よりも、プレザンスは二人の出で立ちに興味をひかれる。まさしく美男美女というべき組み合わせで、珍しい銀髪の二人組だったからだ。兄妹だろうかと思いつつ、プレザンスは二人へと近づいた。
「旅のお方ですかな? もしよろしければ、神に祈りを捧げていってはいかがでしょう」
そう声を掛けると、女性の方がプレザンスの顔を見て驚いた表情になる。しかし、プレザンスには彼女の顔に見覚えはない。
「おや、どちらかでお会いしていたでしょうか?」
「いえ……。その、私が一方的に神父様をお見かけした事があるだけで……」
そういって女性は口を濁したので、プレザンスも深く問う気にはならなかった。
「申し遅れました。私はこの教会の神父を務めるドナルト・プレザンスと申します」
「プレザンス……? ああ、なるほど」
男性の方も、何か得心がいったかのように頷く。そして女性と目を合わせて何やら意思疎通をしたようだった。何のことかわからず、プレザンスは困惑する。
「失礼した。俺はベルゼビュート。こちらはラヴィニスだ。ご賢察の通り旅の途中でな。……神父殿の勧めでもあるし、旅の安全も含めて神への祈願とするか、ラヴィニス。もう嵐は懲りごりだからな」
「ふふ、そうですね。私もフィラーハ教徒ですし……。神父様にはお恥ずかしながら、ここのところ祈りを怠っておりましたが……」
恥ずかしそうに言うラヴィニスに、プレザンスは鷹揚に頷いた。
「それも仕方ないでしょう。このところ、不穏な世相が続いておりますからな。この教会を訪れる者も少なくなっております」
「そうか……。不安定な世だからこそ、神にすがりたくなる者も増えそうなものだが」
「確かにそういった人々もおります。ですが、神はあくまで我々を見守ってくださるに過ぎませんからな。いくら祈りを捧げたところで腹が膨れるわけでもありません。余裕がなければ、教会に来て祈りを捧げる事も難しいのでしょう」
「そ、それは……」
神父らしからぬプレザンスの言葉に、目を白黒させるラヴィニス。
「祈りというのは、神にただ救いを求めるだけのものではありません。自らの目標や決意を神へと誓い、それを見守ってもらえるよう願う。そうして自らが行動して初めて祈りが叶うのですよ」
「なるほど……」
プレザンスの言葉を聞いたラヴィニスは神妙な顔付きで頷いた。
そして三人は、それぞれに聖堂のベンチに腰掛けて神に祈りを捧げ始める。
一方的な救いを求めても、神は応えてはくれない。だからこそ、プレザンスは自分から孤児たちを引き取って育て始めたのだ。
人が神に代わって人を裁けると考えるのが傲慢であるように、人が神に代わって人を救う事もまた傲慢な行いなのではないかと悩んだ事がある。神の意思に反した行いなのではないかと疑った事もある。人がいくら足掻こうとも、全ては神の御心によって定まった
だが、それでもプレザンスは孤児を引き取る事をやめなかった。子ども達の笑顔を見てしまえば、彼自身も救われた気がしたからだ。
人が人の運命を変える事。それはやはり罪深い事なのだろう。
だが、そうして生きながら罪を犯す生物こそ人なのだ。
もしかしたら、いつか罰がくだる事があるかもしれない。
せめて子ども達に咎が及ばなければいい。
日々、神に赦しを請い続けるプレザンスの祈りは、物言わぬ神へと捧げられた。
プレザンス神父の登場です。
果たして彼の祈りは神に届いたのでしょうか。(なお原作では届かない模様)
ジュヌーンさんはニバス先生の口車に乗せられてしまいましたね。さすがは先生だぜ。