「はぁ……」
バスク村の少女オクシオーヌは、頬杖をついたまま溜息をもらす。その脳裏には、一週間ほど前に訪れた奇妙な一行の姿が思い浮かべられていた。
旅人というには軽装すぎるチグハグな格好で、見るからに怪しい集団であった。しかし、ラヴィニスと名乗った女性の鬼気迫る様子に只事ではないと感じて、思わず声を掛けてしまったのだ。
彼らの話を聞いてみたオクシオーヌは驚いた。このバスク村がガルガスタン軍によって襲撃されるというのだから。それが本当ならば、ちっぽけな村など簡単に蹂躙されてしまうだろう。確かにラヴィニスが焦るのも理解できた。
外界との交流をほとんど絶っているこの村では、外の情報を得る事は難しい。ガルガスタン人達が一国を作ったという事実すら知らなかったほどだ。まさに寝耳に水のような情報だった。
もちろんデマという可能性もある。だが、オクシオーヌは不思議と彼らを信じる気になっていた。ラヴィニスの親身な態度も嬉しかったし、何よりあのベルゼビュートと名乗った男性の紅い瞳を見ると、嘘をついているとは到底思えなかったからだ。
そこで、村長の娘であるオクシオーヌは、自分の父親に相談してみる事にした。しかし、その反応は芳しくなかった。村人達に冷たくされた旅人が腹いせについた嘘だろうと一蹴されたのだ。
他の村人達も同様だった。これまで迫害を受けていた彼らは一様に外部の人間を信用しない。村長の娘であるオクシオーヌの手前、あからさまに否定したりはしないが、信じていないのは明らかだった。
そうして、オクシオーヌは途方に暮れることになった。
今も自宅で一人、机に肘をついている。父親に見つかれば行儀が悪いと叱られるだろう。
信じてもらえないかもしれないとは思っていた。だが、父親までもがオクシオーヌの言葉を疑うとは思わなかった。彼女にとっては優しい父親であるが、同時に村長でもあるのだ。証拠もない噂話で村人達を怖がらせるわけにはいかない、と諭された。
それに、話を聞いてからもう一週間以上経っているというのに、一向に襲撃されることはない。オクシオーヌ自身も、やはりあれは間違いだったのでは、と疑う気持ちが大きくなりはじめていた。
「火事だーッ!」
そこへ突然の叫び声がオクシオーヌの耳元へ届いた。ハッと意識を切り替えたオクシオーヌは、慌てて家の外へと出る。村の外れの家屋から、煙が上がっているのが見えた。
「あそこの辺りは物置になっていたはずなのに……」
誰もいない場所で火の手が上がったのだろうか?
そう考えるオクシオーヌの目に、信じがたい光景が映る。火のついた矢が、三本、四本と、別の家屋に向けて放たれたのだ。放物線を描いた矢は家屋に着弾し、同じように火を着けていく。バスク村の建造物はほとんどが木製であるため、その効果は絶大だ。
「まさか……」
やがて村外れから砂煙があがり、たくさんの足音と喊声が聞こえてくる。
それはバスク村にとって、死神の訪れを知らせる音だった。
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「突撃ーッ!」
ガルガスタン王国竜騎兵団の団長ジュヌーン・アパタイザは、片手に持った剣を振り下ろした。それを合図に竜騎兵団の兵士達とドラゴンがバスク村へと真正面から突撃していく。
相手は武装ゲリラ勢力であり、手心を加えれば手痛い反撃を受けるのは間違いない。例え女子供であろうと、命乞いをしていようとも、手を緩める事は許さないと厳命していた。
火矢が次々と投射され、木製の家屋に火がかけられていく。今のところ村人たちは逃走しているが、この村はすでに包囲されているため逃げ場はない。直に追い詰められて反撃にでるだろう。
この世の終わりのような光景に心を痛めるジュヌーンだったが、表面上は冷静な表情を崩さない。指揮官として毅然に振る舞わなければ、部下達が動揺してしまうためだ。
だが、部隊を村の中心部へと進めようとした時、その表情が崩れる事になる。
「やめてーッ! やめなさいッ! ジュヌーン・アパタイザ!」
女性の声が自分の名前を呼ぶのを聞いて、驚くジュヌーン。誰かと思って探してみると、少し離れた家屋の上に人影がある。遠目にも、まだ成人前の少女のように見えた。
ジュヌーンの名前を知るということは、もしかしたら味方の可能性もある。弓で少女を狙う部下たちを慌てて制止して、ジュヌーンは誰何する。
「私の名を知る貴様は何者かッ! 一体なぜ私の名を知っている! 答えよッ!」
「聞きなさい! 貴方はグアチャロに騙されている! この村はゲリラの基地などではないの!」
「何だと……?」
少女の口から出てきた内容に驚愕するジュヌーン。竜騎兵団の団長である彼の名前は敵にも知られている可能性がある。しかし、少女が話している内容は、軍の内実を知る者にしかわからないものだ。
「グアチャロは、異民族や異教徒の存在を許さない過激派の一人よ! バルバトスの意向を受けて、貴方を利用しているの! 貴方は騙されているのよッ!!」
「……馬鹿な……」
「もしここでこの村を壊滅させれば、貴方は一生を後悔して生きる事になるのよッ!」
本来であれば、敵の言葉に惑わされる事などあり得ない。しかし、ジュヌーンは心のどこかでこの任務に対しての違和感を抱いていた。
実験部隊であったはずの竜騎兵団に対して割り当てられた任務。グアチャロの部隊が捜査のみを行うという変わった連携方式。ゲリラの根城にも関わらず何の防衛設備も見当たらない村。
違和感は少しずつ積み重なっていたが、彼女の言葉で一つの形をとった。もし本当ならば、ジュヌーンは罪のない人々を手にかけつつある事になる。異民族や異教徒というだけで無抵抗の者たちを殺める事など、ジュヌーンの倫理観からすればあり得ないことだ。
だが、その言葉を無条件で信じるわけにもいかない。もし相手がグアチャロのいう卑劣なゲリラなのだとすれば、何かの罠である可能性は十分にありえるのだ。
「……敵の言葉を素直に信じる馬鹿がどこにいる! その言葉が嘘でないという根拠がどこにあるというのだ!」
ジュヌーンのある意味では当たり前の言葉に、思案する様子を見せる少女。
やがて顔をあげると、決然とした態度で言い放つ。
「根拠ならここにある! 私が命を懸ける! 嘘であるなら、この首を刎ねるがいいわッ!」
そう言って、少女は自らの細い首に手を当てた。
年端も行かない少女の驚くべき啖呵に、ジュヌーンは唖然とするしかなかった。
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荒くれ者たちの町オミシュに、空前のオクトパスブームが訪れていた。広場のあちこちでオクトパスの切り身が尽きることなく焼かれ、大人も子供もひたすらにオクトパスを頬張っている。
普段は食べるものがなくひもじい思いをしている浮浪児たちも、今ばかりはいっぱいになった腹をさすりながら、満足げな表情で寝転んでいる。
そんな光景を見て、酒瓶をあおりながら呆れた表情を浮かべるのは赤い羽根付き帽子をかぶる老人。だが、その彼の手にもちゃっかりとオクトパスの串焼きが握られている。傍らに座っている、口のきけない少女から渡されたものだった。
「……偽善も偽善だが、ここまでやりゃあ大したもんだな」
そうつぶやいて、串焼きをひとかじりする老人。隣の少女もニコニコと笑いながら串焼きをかじっている。
「はん。オクトパスなんざ、久しぶりに食うな。……だが悪くない」
老人の名は、ディエゴ・G・アゼルスタン。その別名は『伝説の海賊』。数十年前は、オベロ海でその名を知らぬ者はいないとまでいわれた大海賊であった。
海賊としての手口は極めて冷酷かつ残忍なもので、襲われた船は積み荷も船員の命すらも残らず奪われる事で有名だった。彼が襲撃した後は海が血で赤く染まるといわれ、『オウガの生まれ変わり』などと呼ばれて恐れられたほどである。
だが絶頂の中、突如として彼は海賊を廃業して消息を絶った。引退の直前に『海賊の墓場』へと赴いていた事から、亡霊の呪いを受けたのではないか、利き腕を負傷したのではないか、など様々な憶測がたてられたがその理由は知れず、また、彼の行方を知るものも誰もいない。
そんな有名人の老人は、人知れずオミシュの町で無気力に過ごしていた。
「ベル殿! そんな大きな鉄板をどうしようというのです!」
「止めてくれるな、ラヴィニスよ。俺にはやらなくてはならぬ使命があるのだ」
広場の真ん中で、身の丈ほどもある鉄板を抱えた男と、銀髪の女が戯れている。アゼルスタンはそれを遠目に見ながら、再び酒瓶を傾ける。
不思議な男であった。真面目なように見えて、その行動は支離滅裂でふざけているとしか思えない。一体、どこの誰が腹をすかせる浮浪児たちにオクトパスを食わせるというのだろう。かつては人々から恐れられたアゼルスタンだったが、そんな彼からしても男の行動は常識外れのものばかりだ。
隣に座る少女も、男女の漫才を見て声を立てずにクスクスと笑っている。
その少女の笑顔に、アゼルスタンは自分の娘の笑顔を重ねてしまう。戯れに作った子供だったが、自分を父親と呼んでちょこまかと追いかけてくる娘を見ると悪い気はしなかった。人々に恐れられる海賊の知られざる一面であった。
だが、数十年前に起きた他の海賊との抗争の折、娘は幼い命を散らした。
それを機にアゼルスタンは船を降りる事を決めたのだ。
今でも一年に一度の命日には、彼女が命を落としたクァドリガ砦に花が供えられる。それはアゼルスタンの何十年と続けてきた娘への弔いであり、償いであった。
「偽善、か……」
娘への償いと言いながら、数十年もの間なにもしてこなかったアゼルスタン。
そんな彼の目には、ベルゼビュートと名乗った男の生き方は眩しく映った。
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「姉さん、総長からのお達しだ。フィダック城の警備を即刻中止してハイムへと集結せよ、だってさ」
「あら、本当? 一体、何があったのかしら」
ガルガスタン、ウォルスタの支配圏とバクラムの支配圏を隔てる要衝に建てられた白亜の城塞、フィダック城。『白鳥城』と呼ばれる美麗な見た目とは裏腹に、二重の城壁に囲まれ堅牢さを誇る。
その城壁の上に二人の暗黒騎士の姿があった。
一人はオズマ・モー・グラシャス。オレンジブロンドの美麗な長髪をもち、鋭い目鼻立ちがクールな印象を与える美女である。
もう一人はオズ・モー・グラシャス。同じくオレンジブロンドの短髪であるが、オズマよりも若干柔らかい印象を与える優男風の男性であった。
二人は二卵性双生児の姉弟であり、どちらも暗黒騎士団のテンプルコマンドの一角を占めている。グラシャス家は、魔導の最先端のガリウス魔導院を支える一族として知られ、二人も例に漏れず優秀な魔法戦士として名高い。
「あの摂政が裏切り行為を働いたんだとさ。報復として、俺たちの活動は一旦停止みたいだ」
「そう……。救いようのない馬鹿ね」
ローディスという大国を背景にもつ暗黒騎士団に楯突くなど、あり得ないことだ。愚かな選択をした摂政に、オズマは簡潔で容赦のない一言を漏らした。それを聞いたオズはサディスティックな笑みを浮かべる。
「いっその事、この国ごと滅ぼしてやればいいのにな」
「オズ、くだらない想像はよしなさい。任務を忘れたわけではないでしょう?」
「わかってるよ、姉さん。神父だったっけ?」
「そうよ。教国にとって重要な任務なのよ。早く見つけ出さないとね」
総長であるタルタロスから、ドルガルア王の遺産を手に入れるためには王族の血が必要だと聞いている。そこへつながる情報を持っている神父についても。二人はタルタロスがわざわざ小さな港町へ赴いた理由を知らずにいた。
「ま、早くハイムに戻ろうぜ。総長も待ってるんだからさ。それに、義兄さんも」
「……そうね」
「……まだ引きずってるのか? いい加減、死んだ男の事なんて――」
「よして、オズ」
ピシャリとムチを打つようなオズマの言葉に、オズは口を閉じる。
オズマの現在の
だがオズマの胸中には今もなお、別の男性が居座り続けている。親が決めた政略結婚の婚約者であったが、オズマ自身も初めて憎からず想った相手である。それはバールゼフォンの弟であり、かつては暗黒騎士団のテンプルコマンドの一人でもあった男。
彼はとある罪によって死刑判決を受け、オズマの与り知らぬ所で処刑された。それ以来オズマは心を閉ざしてしまい、かつて抱いていた理想まで失ってしまった。
オズマは何も言わずに、ふらりと立ち去っていく。
その背中を、オズは心配そうにただ見つめていた。
ジュヌーンさんはオクシオーヌちゃんの啖呵にタジタジ。
そしてついに大人気の姉弟の登場です。
オズマ姉さん、アズ爺さん、ロンウェー公爵と、人の死を引きずってるキャラが多いですね。